聖女なわたしは魔女なあいつに息をするだけで勝てるはず

rinaken

第一話 聖女、魔女と会う。

「天使だ」


 通学路を毅然とした足取りで歩む白音しろねフレアの横顔を見てそう呟いたのは、その辺のサラリーマンだった。


 通学中にそんな声が聞こえてくるのは、フレアにとっては珍しくないことだった。


 フレアは十四歳。もはやギリギリ大人といってもいい年齢。地元市立中学校の夏服のなかに十四歳離れした高身長と引き締まったアスリートのような身体が見事に収まっていた。


 フレアは地元では知らぬ者のない有名人だった。だが、読者モデルでもなかったし、地下アイドルでもなかった。フレアを勝手にオーディションに応募したりする者がいたとしても、不思議な政治的圧力でなかったことになっただろう。というのも、フレアはすでに別の業界でデビューしていたからだ。


 フレアは全国に信徒数十万人を数える白音教団の「聖女」だった。


「わたしのような醜い人の子を天使さまになぞらえるなんて、軽々しいにもほどがあるね、セカイくん」


 フレアを「天使」と呼んだサラリーマンをフレアが睨みつけると、そのサラリーマンはまるでご褒美をもらえた犬のように鼻の下を伸ばした。フレアはそんな様子を汚いものを見る目で一瞥すると、隣を一歩下がってついてきている男子に話しかけた。


 その男子はと言えば、ボサボサの髪にメガネ、小太りな体形と、フレアとは違った意味で中学生離れしていた。そんな貝瀬かいせセカイはフレアをいつもの眼差しで見た。


「正しくは『聖女』だしね。でも、そんなことで腹を立ててもキリがないよ。一般の方だし。ほら教義にもあるでしょ、『汝、寛容たれ』ってね」


 そしてセカイはにっこり笑った。これもいつもの愛想笑いだ。だが、フレアは嫌味には思わなかった。セカイは、通りがかりの男に目でじろじろ見られて不愉快になったフレアの気分を少しでもやわらげようと気遣っていた。それをフレアも分かっていた。


「でもね、セカイくん。教義には『汝、厳しくその道を歩め』ともあるよ? 知らない人に容姿のことをとやかく言われるのって嫌じゃん。キビシくしないとその人だってわたしが嫌がってること分からないんじゃない」


 りん、と澄ました態度で歩みを進めるフレア。すれ違う人のなかには胸に手をあててほんの少し会釈をする人もいた。白音教信者だ。


 白音市には、およそ十人に一人の割合で白音教信者がいた。信者は当然、フレアが「聖女」だということを知っていた。もちろん、フレアは信者にはにこやかに微笑みかけることもあった。


 それがフレアとセカイの地元での日常だった。


「一般の方と信者さんとで扱いが違うのはわかるけどさ。でも、睨んだくらいじゃどうにもならないのも事実だよね」


 セカイはすぐに怒りを顔に出すフレアを諫めた。フレアは少し面白くなかった。


「キモ。じゃ、セカイくんがやっつけてよ」


 ふだん誰にも甘えることのない優等生聖女は、セカイにだけは甘えた。同い年だが、セカイはよく言えば素直、悪く言えばキレやすいフレアのフォローをずっとしてきていた。


「『汝、みだりに争うなかれ』だよ」

「必要な争いもあるんじゃない?」

「実に危険な発想だね」


 セカイがそう言うと、フレアはもっていたカバンをセカイの頭の上に載せた。セカイはフレアよりも頭一つ分以上背が低かった。


「あのさ、フレア。それが『みだり』な暴力だよ」

「争ってないからいいの」


 二人は幼馴染。美女と野獣、ならぬ美少女とキモオタ。二人が並んで歩くのを初めて見た人はまずそう思う。そして次に思うのは、そんな二人が一緒に登校するのには、何か理由があるはずだ、ということ。


 二人は兄妹のようなものだった。ただ、フレアは当代教主の娘、セカイは教団事務局長の息子。二人の家族は教団総本部敷地内にある居住区画で暮らしており、文字通りの一つ屋根ではないが、それに近い境遇にあった。


 教団には、セカイ以外にもフレアと同学年の子どもはいた。しかし、「聖女」のフレアと一緒に登校しようとする者はセカイ以外にいなかった。


 感情を露骨に表に出す「聖女」の怒りをかうのが怖いからだ。

 

 フレアは幼い頃から「聖女」として厳しい修行を課せられていた。


 フレアは嫌がることなく、白音教の踊り巫女としての厳しい修行をこなしてきた。だからその母親の当代教主はついつい修行を厳しくしてしまい、ついには十歳で大人並みの修行を達成してしまった。それで、正確にはまだ「聖女」に至らないものの、自然と信者にそう呼ばれるようになった。


 それは、フレアが極度に自分に厳しいことのあらわれでもあった。そして、他人にも同じように厳しかった。無遠慮に踏み込もうとする者は容赦なく罵倒し、傷つける、まるで傷ついた子猫のようだった。だから、小学校も高学年になる頃には、フレアと周囲の子どもたちの間には相当な距離があった。


 だが、空気を読まないセカイだけは、そんなフレアに叩かれ無視されても声をかけ続けた。小学校を卒業するとき、二人で一緒に中学校に行こうとセカイに声をかけたのはフレアだった。


 それから二年。だからといって、二人の通う白音市立白音中学校に、セカイとフレアの仲を揶揄する者はいなかった。





「うわうわうわ」


 突然、セカイは奇妙な声を出した。それから、ご近所の飼っている散歩途中の白い大型犬に突進した。いつものことだった。


「またあ? キモ」


 セカイはその大型犬に会うたびにいつもモフモフしていた。フレアは、セカイが犬にじゃれつくのを見るのが嫌いだった。なぜなら、その後、セカイからはいつも獣臭がするからだ。


 実際、フレアは動物が嫌いだった。セカイがなぜ動物を愛でることができるのか、フレアにはわからなかった。


 セカイは、おーよしよし、などと言いながらモフモフし続けた。登校時にいつも二人に会う飼い主はもう慣れたもので、セカイに飼い犬を任せて、自分は離れたところで別の犬の飼い主としゃべっていた。


「キッモ」


 フレアは呆れた顔をして、セカイを置いてさっさと歩き出した。


 そのとき。


 前方から猛スピードのタクシーが走ってきた。猛スピード、といっても歩道と車道が明確には分かれていない道路にしては、だが。


 そのタクシーはフレアたちの方に向かってきた。セカイと大型犬は、道の少し中央よりのところでじゃれ合っていた。


 フレアは避けつつ振り返った。すると、大型犬とセカイがじゃれついているところにタクシーが突っ込んでいく、ようにフレアには見えた。


 フレアはセカイに向かって猛ダッシュして飛び込んだ。犬は、もちろん動物の反射神経で車を避けた。セカイはと言えば、フレアに思いっきり吹っ飛ばされた。


「んぐぐぐ……」


 フレアの下敷きになったセカイが呻いた。フレアのちょうど胸の部分がセカイの呼吸器官を塞いでいた。


 キーっと音がして、タクシーが急ブレーキをかけた。運転手が降りて来て、フレアとセカイに声をかけた。


「きみたち、大丈夫かい? 当たった?」

「車には当たりませんでしたが、大丈夫じゃないです」


 フレアは起き上がり、二回りほど年齢が上の運転手を睨みつけた。セカイは真っ赤になった顔をなでながらその場にへたり込んでいた。


「ごめんごめん。でも、車に当たってないなら、いいよね」


 運転手はそう言い訳をして、そそくさと車に戻ろうとした。すると。


「よくない! 子どもが二人、転んだんだぞ!」


 りん、とよく通る声だった。タクシーの後部座席から、黒っぽい衣装を身にまとった女性が降りてきていた。その衣装は、黒だけでなく濃紺も基調とし、フリルは必要最小限、頭のクラウンにはなぜか長い付け耳と一角獣の角、背中には漆黒の羽が取り付けられていた。その女性はフレアとセカイに歩み寄ってきた。背が高く、モデルのような肢体だ。胸は衣装に締め付けられているが、それでも大きかった。ついフレアは自分の胸と見比べてしまった。


 その光景に、何事かと周囲がざわついた。


「え、なになに? 映画の撮影?」


 周りからはそんな声も聞こえてきた。


「うっわ。すっげー美人!」


 近くにいた見知らぬ男性が発したその声は、フレアに差し向けられたものではなかった。


「きみ、大丈夫か?」


 その黒づくめの女性はフレアにまず話しかけた。


「……大丈夫です」


 フレアの直感は最大限のアラートを鳴らしていた。乗客である彼女にさえ本当は噛みつきたかった。だが、なぜかそうすることができなかった。


「そうか。もしどこか痛くなるようだったら、遠慮なく連絡しろ。いいな」


 そう言うと、その女性は胸の谷間からカードケースを取り出すと、そこから名刺を一枚引き抜き、フレアに手渡した。そこにはユキノという名前とメールアドレスだけが記載されており、あとは豪華な模様がフルカラーで印刷されていた。


「きみはどうだ」


 ユキノは今度はセカイに話しかけた。セカイの顔は真っ赤だ。さっきよりもずっと。フレアがそう思った、そのとき。


「……プリンセス・ルナのコスプレじゃないですか!」


 セカイが急に素っ頓狂な声を上げた。


「おお、ずいぶん前のアニメなのによく知っているな」


 ユキノは目を見開いた。切れ長の目がまん丸くなった。


「すごい! 写真を撮らせてください!!」

「いや、その、きみ。そんなことよりだな」


 ユキノは狼狽しつつも、ふと何かに気が付いた顔になって、胸元のペンダント型の時計を手に取った。


「おっと、もうこんな時間だ。とりあえず病院だ。乗りなさい」

「え? ケガはしてませんけど、はい!」


 セカイは妙に上ずった声で返事をし、ホイホイとタクシーに乗り込んだ。


「きみはどうする? 連れなんだろ? 彼氏か?」


 フレアは、セカイのことを「彼氏」だなどと訊かれたことは一度もなかった。そんな不用意な質問をフレアにするような者などいなかった。


 そのとき、フレアは、とても不愉快だった。この女のせいで、セカイがおかしい。おかしなセカイはフレアには耐えがたくキモかった。


「彼氏じゃないです。わたしはなんともないので結構です」

「そうか」


 そう言うと、ユキノはセカイの後に続いてタクシーに乗り込み、そのまま走り去った。


「なに、あいつ」


 フレアはそう呟くと、一人、それまで感じたことのない得体のしれない不安に苛まれながら、学校へと歩き始めた。

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