第8話 冷めた技術者の独り言

 そこは小さな部屋だった。汚れ一つない白い壁、温かい色の照明、消毒液の匂いが染み付いた綺麗な部屋だ。


 複雑な機械の入った無数のラック。聞こえてくるのは、冷却ファンの駆動音。幼い頃、それが私の子守唄だった。


 何千ものケーブルが規則正しく整列し、彼らと私を接続している。無機質な見た目の被覆も、わずかに触れると温かかった。


 彼らは休む暇もなく、二進数を刻み続ける。だが、勤勉な彼らの役目も今日でお終いだろう。


 遥か遠くから聞こえてくるのは歓喜の声、何千もの人々がお祝いの歌を口ずさむ。


 マネージャーの声も聞こえた。帰ったら皆んなでパーティーだと。私の部屋をクリスマスみたいに飾り付ける、そう言っている。


「ウィズ、皆んな楽しそうだ」

『……』


 私は相棒にそう伝えた、けれども返事はない。彼女も感極まっているのか、それとも違う理由か。優しい彼女のことだ、慰めも必要かもしれない。


「私は五段目の階段をずっと前に登ったんだ、今更怖くはないよ」

『……』

「それでも君が隣にいてくれて、私は安心して眠れる」


 まぶたの裏側の真っ黒な背景、浮かんでくるのは緑色の文字。ためらいがちに打ち込まれる彼女の言葉は、私の網膜に直接伝わった。


『嫌だ、私を独りにしないで』


 しかし、もう彼には言葉を返す力も無かった。そのまま彼は深い眠りに落ちて、その生涯を終えたのだ。

 

 そして私は目が覚めた、気がつくと空に浮かんでいる。先ほどまで幼馴染から逃げ回っていたはずだが。確か数秒前に閃光が駆け巡り、不思議な力に吹き飛ばされてしまった。


 初速毎秒三十メートル、仰角六十度と言ったところか。今が最高到達点なら、残り三秒もかからず私は地面に激突する。この世界でも等加速度運動は成り立ちそうだ。


『おはよう御座います』

「ウィズダム、おはよう。これは何だろう、走馬灯かな?」


『私の名前はデンデン、ここは現実ですよ。落下までの体感時間は三百二十秒、このまま彼女を人殺しにするつもりですか?』

「却下だな。それにしても懐かしい、視野が広がったみたいだ」


 視界には空も地上も、巻き上がる噴煙も全て同時に見えている。それに引き伸ばされたフィルム映画の様だ、ゆっくりコマが進んでいく。


「なら、フレームレートは最大値固定で。力学的解析フィルターは全部のせだ、磁気センサーは空間分解能を最高まで引き上げて欲しい」

『仰せのままに』

 

 私のカタツムリは優秀だが、精霊が入出力インターフェイスだという仮説も、あながち間違いではない。


 360度に広がる視界、ベクトルで示された磁力線、私とオリビアとの相対距離が把握出来る。そしてフィルターを通して見えた彼女の光、その値は未知数だ。


 プロジェクトにトラブルはつきものだが、これは身から出た錆だった。


 オリビアとの距離が近すぎた、彼女は私に依存している。何事も適度な距離が必要だ、人間関係も含めて。


 これだけ彼女に地面を掘り返してもらえたら、砂鉄の採取は簡単だろう。後で彼女にお礼を言わなくてはいけないが。


 そして私は彼女を見据える。巻き起こしたのは砂鉄の竜巻。私だってサイクロン集塵機の設計をしたことがある。原理は異なるが渦は同じだ。


 砂鉄の竜巻は暴れ狂う光の奔流と真正面から激突する。二つの力場が激しくぶつかり合う光景は、世界の終わりに似ていた。


 それにしても、回転運動は比較的に扱いやすい。台風が渦を巻きたくなる気持ちも分かる。地球だって太陽と仲良くダンスをする、つまりはそう言うことだ。


 しばらく迫り合いは続き、あっけなく光は消えていった。一過性のものだったか、彼女の感情が高ぶり、逃げ場のなくなったストレスを放出したのだろう。


 オリビアは涙を流し、未だ立ち尽くしている。その涙を分析すれば、コルチゾールが多分に含まれているに違いない。


 そんな彼女に私は近づき、声をかけた。


「オリビア、少しは落ち着きましたか?」

「ごめんなさい……変なの、凄く苦しくて。喧嘩なんて、したくないのに……」


「いいえ、私が悪かったんです。オリビア、少し私の話を聞いて頂けますか?」


 ためらいはあった、けれども私は彼女に話をした。以前の私について、当時の年齢も、身体のこと、仕事のこと、相棒のことも隠さずに伝えた。


 彼女は困惑した表情を浮かべながら、それでも真剣に私の話を聞いていた。


 母が亡くなった日の絶望も、父が蒸発した時の感情も、オリビアに家族になろうと言われた時の気持ちも伝えた。その頃には、もう彼女の涙は乾いていた。


「私には三十二年と八年の記憶がありました、足して割ったら二十歳ですが。いえ、平均値をとる理由はないですけど」

「ナットは、やっぱり大人なんだ……」


「実年齢よりは大人ですが、今の私は彼でもなかった。それから、オリビアは私にとって大切な人です、もちろん君の力になりたい」

「うん……」


「確かに僕は君が好きだった。けれども私とは歳が離れ過ぎている。今はそう思うんです」

「うっ、うぅ……」


 彼女の瞳から涙が溢れた、自分でも最低なことを言っている自覚はあったが。問題の解決を後回しにすれば、大抵は最悪の結果に繋がる。


 私達の初恋はここで終わるべきだ。この依存的な関係は、彼女が大人になる機会を奪ってしまう。


 全て私が悪いのだ、彼女をここまで追い込んだ私が悪い。思えば私も彼女に依存していたのだろう。


 それ以来、私とオリビアの距離は常に一メートルを保っていた。夜もお互い別々に寝る様になった、今までが異常だったのだ。


 彼女も吹っ切れた様に明るくなり、利発そうな女の子に戻っていった。あの一件については、村の人達を誤魔化すのに労力したが。


 もう一つ変わった事があった。マリスくんとも一緒に遊ぶ様になったのだ。騎士ごっこは楽しそうだが、私は二人の身体能力についてはいけない。


 そんな二人を見ている事が、次第に多くなっていった。


『コレデ、ヨカッタノデスカ?』


 今日も元気に駆け回る二人を見ながら、私のカタツムリは心配そうに呟いた。


「落とし所は良かったと思う。彼女に笑顔が戻ったからね」

『デハ。トウショノモクテキハ、ドウシマスカ?』


「もちろん計画は進めるよ、それとこれとは話が違う。彼らが来るまで残り二週間もないが、目処は立った」

「ジシャクハ、ネツニヨワイデスヨ」


「熱対策ね、もちろん磁気冷却も考えたよ。磁気熱量効果、つまり一定温度で磁性体に磁界を作用させ、磁気モーメントを揃えた後、断熱状態にしてから磁界を取り除けば、磁性体の温度は低下する。磁性体のエントロピーと温度の磁場依存性から生じる現象だが、ガドリニウムが手に入らない」

『シンクウモ、ツクレマセンカラネ』


「断熱状態が作り出せなければ、この熱サイクルも成り立たない。ここには魔法瓶ですらないからね」

『コノムラデハ、ツクレソウニ、アリマセン』


「それでも、限られたリソースでやりくりするのが我々の仕事だ。ちょうど良い曲線もあった、何とかなるさ」


 そう話を続けていると、オリビア達がやって来た。二人とも身体を動かして、その表情は晴れやかだ。


「ナット、また難しい話をしてるの?」

「作戦会議です、そろそろ騎士団も来るので」


 オリビアはうーんと考え込んだ。マリスくんは眉間にシワを寄せて、私を見つめている。


「お前なら、隊長にだって勝てるだろ」

「油断は禁物です。相手は本職、そこらの素人とは違います」


「そんなに騎士になりたいのか?」

「どんなものか少し興味はありますが。どちらかと言うと、お二人が心配ですから」


 そう答えると、オリビアは目を伏せた。私も自然と彼女から視線を外してしまった。


 そんな日々が続いていた、穏やかな日常は過ぎていくのだ。彼女は思い出をつくる様に両親とよく出掛け、私は一人で居ることも多くなった。


 そして、もうすぐ春になるだろうか。少し温かい昼下がり、また騎士団が村にやって来た。先頭には隊長風の男がいる。


 流石に村長夫妻、オリビアの両親も緊張していた。もちろん、オリビア達の表情も固い。


「坊や、また会ったな……カタツムリも元気そうで何よりだ。お嬢ちゃんが派手にやらかしたと聞いたが、無事で良かったよ」


 隊長風の男は、開口一番そう言った。


「よくご存知で」

「見張りくらいつけるさ。坊やの知らない所で、入団の手続きも進めていた」


 なるほど、これは迂闊だった。彼らは有望な人材を見つけたのだ、みすみす逃す様なことはしないだろう。


「私にはお話もありませんでしたが?」

「坊やは連れて行けない。もちろん力試しはしてやるさ、現実を理解するといい」


 挑発的な発言だ。いいだろう、私も本気を出すことにしよう。だが、そんな私達の睨み合いに横槍が入った。


「待ってください。私にも力試しをさせてください!」


 そう言ったのは、オリビアだった。

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