2 再会

 その後、近所のスーパーから少し遠めの別のスーパーへと目的地を移した。

 普段の行動範囲ではないその場所へ足取りを向けた理由は、ただ単純にいつもの店が営業していなかったからだ。


 どうやら午前中、吸血鬼と滅血師が戦ったらしい。万引き犯と警備員の争いとは規模が違うその戦いは、少なくともその日店を閉めなければならなくなる程の被害を出した訳だ。


 その時その場にいなくて良かったと動悸を激しくして心の底から思う辺り、改めて本当に自分という人間が駄目になったのだと思い知らされた。

 もしそこに自分がいたらという考えが頭から離れていかない辺り、本格的に自分が社会不適合者になってしまっていると実感できた。


 そして半ば逃げるように。意識を日常へと引き戻しながら別のスーパーへ足を踏み入れ、店内を散策する。


「えーっと、肉コーナーどこだよ肉コーナー」


 とにかく今日は何を食べようかと、そんな事を必死に考えて、中々剥がれていかない恐怖のようなものから逃げようとしいていた。

 そしてやがて見付けだす。見付けだしてしまう。


 見鬼に引っかかった吸血鬼を。


 短く切り揃えられた栗色のショートヘアーで小柄な背丈の、高校生程の吸血鬼を。

 だけど背筋が凍るような感覚は。恐怖に押しつぶされるような、そんな感覚は無かった。


 だってそうだ。

 自分が必死に関係性を繋ぎ止めようとした相手に、恐怖なんて感情を抱く筈がない。


「……ふゆ……の?」


 半ば思考が真っ白に成りかけるなかで、立ち尽くしながら思わずそう呟いていた。

 意味が分からなかった。分かる筈がなかった。


 此処にいる筈のない冬野がどうして此処に居るのか。そんな事、分かる筈がなかった。

 そして……立ち尽くしていたのは向こうも変わらなかった。

 一体何が起きているのか分からない。そんな表情を浮かべて立ち尽くしている。


「……ッ」


 そんな中で最初に動きだしたのは隼人で。思わず踵を返して走り出す。


(なんで……なんで冬野がこんな所に……ッ)


 とにかくこの場を離れなければいけないと強く思った。

 だってそうだ。

 合わせる顔が無い。

 そんなのはどこにもない。

 大切な約束を破り捨て一人のうのうと生きている人間が。冬野雪の前に平然と立っていられる訳がなくて。

 思考が殆ど纏まらないままその場から離れようと。冬野雪から離れようと動きだした。


「待って!」


 だけど背後からの呼び止める声に思わず立ち止った。

 顔を合わせるのが怖くて会いに行く事はしなくて。今もこうして逃げようとしたのに。

 それでも立ち止ってしまう位には内心、再会を望んでいた自分も居たのかもしれない。


「桜野君……だよね?」


 その声にどんな反応を見せたらいいのかは分からなかったけれど、それでも振り向いた。

 そこにいたのはどこか泣きそうな表情の冬野。

 見鬼によって視認する事ができる、透き通った雰囲気を纏う冬野。


「……ッ」


 何もできないで。否、何もしないでいる間に見鬼に反応してしまうようになった冬野。

 そんな冬野は一歩、また一歩とこちらに歩み寄ってくる。

 だけど歩み寄って来て……そこで、何を言っていいのか分からないという風に、冬野は再び立ち尽くす。

 そんな冬野に。見鬼に反応しているずっと騙し続けた冬野に、自然と言葉が漏れだした。


「……ごめん」


 声が震えた。本来自分は此処にいない筈の人間だ。今も此処から遠く離れた実家に居る筈になっている人間だ。実家で滅血師をやっている筈の人間だ。そんな嘘が露見した。


「冬野……俺は……ッ」


 震えた声でとにかく謝らなければならないと。文脈も何も思いつかなかったけれど、とにかく謝らなければばらないと。そう思った隼人に冬野は言う。


「……知ってたよ、ずっと」


 色々な事を察した、そんな表情で。


「……え?」


「知ってたんだ」


 そしてどこか優しい笑みを浮かべて、言葉を紡ぐ。


「ここじゃ言えない話も一杯あるよね。私の家、ここから近いんだ。大したおもてなしも出来ないけど……うん。まあ、その……少し、話そうよ」


 そんな隼人が知り得た情報が嘘だったと確定付ける、そんな言葉を。

 本当に意味が分からなかった。どうして自分の嘘を知られているのか。どうして冬野は嘘を付き続けていたのか……それは分からないけど。


「……ああ」


 とにかく、そう頷いた。

 冬野がどこまでこちらの事を把握しているのかは分からない。

 だけどきっと見透かされた以上。冬野の前で取りつくろえた仮面は粉々に無くなって。

 そうすればそこに居たのは、家族にも誰にも本当の事を言えなかった件の一件について、相談ができる唯一の存在がそこにいて。

 冬野に着いていけば。多分碌でもない姿を晒す事になるのだろうなと分かっていても。


「……少し話そう」


 そう言わざるを得なかった。


「うん」


 そして、手を握ってそう言ってくれる冬野に対して抱いた嫌な予感が。見鬼に反応する以外の最悪な事が起こっていないかどうかを確かめる為にも。話さなければならない。


 そして互いに買い物は一旦中断して店を出て、冬野の家へと向かう事にした。

 道中、あれだけ電話では普通に話せていたのに殆ど会話は無かった。

 元より自分達の話はどこででもできる話ではなくて。

 そして気軽に談笑できるような、そんな空気でもなかったから。

 そしてやがて辿りついたのは、寂れたアパートだった。


「……ここか?」


 意外だった。中学時代、冬野は言ってしまえばそれなりに良い所に住んでいた。その時と比較するとあまりに変わってしまっていて、それが最悪な可能性をより強くしてくる。


「あ、二階の一番奥の部屋ね」


 そう言った冬野に隼人は付いていき、先に部屋に入った冬野の後に続く形で部屋に入る。


「おじゃまします」


「とりあえずその辺適当に座ってよ。あ、周り誰も住んでないから騒いでも問題ないよ」


「……騒がねえよ。そういう気分でもねえ」


 そう促されるままに、置かれていたクッションに座る。


 とても綺麗に整えられた、女の子らしい部屋だった。

 逆に言えば六畳一間の部屋内はそういう部屋でしかなかった。

 ……まるで一人暮らしでもしているかのように。

 そしてその部屋の主の冬野は、隼人に聞く。


「とりあえずインスタントだけどコーヒー入れようか? お砂糖入れるよね?」


「あ、いや、ブラックで」


「……そっか桜野君ブラック派になっちゃったか。仲間だね、私もなんだ」


 そう言ってどこか楽しそうにそう言った冬野はコーヒーを入れて戻ってくる。

 ガラステーブルにマグカップを置いた冬野は苦笑いを浮かべながら言った。


「あれだけブラックコーヒー飲むなんて正気の沙汰じゃないとか言ってたのにね」


「……だな」


 酷く懐かしく感じる。だけど懐かしさに浸っている余裕はなくて。


「どうぞ」


「……ありがと」


 インスタントコーヒーを淹れて来た冬野がガラステーブルに、隼人と対面になるように座った所で、おそるおそる尋ねた。


「……冬野」


「なにかな」


「……親父さんはどうした」


 冬野はそれを聞かれると途端に表情を曇らせた。

 それだけで本来冬野雪という女の子に対してその問いがタブーである事は察する事ができて……それでも発言を撤回できるような状況でもなくて。

 その先の言葉を知りたくて。

 ただ返答を待つ事しかできなかった。

 やがて冬野は重い口を開けて口にする。


「……自殺した。少なくともそういう事になってる」


「……ッ」


 そんな最悪な言葉を。


「自殺ってなんで……いや、そういう事になってるって一体……ッ」


「多分お父さんは、その過程に何があったのかは分からないけど滅血師に襲われたんだ」


「……ッ」


「多分ね。憶測だよ。そうとしか考えられない。私の気のせいじゃなかったらさ、お父さんは私を置いていなくなるような人じゃ……吸血鬼じゃないんだ」


 ……分かってる。それはきっと、間違いなくそうだ……だけど。


「……ちょっと待ってくれ。そうだとしたら自殺ってのは一体……それにお前の親父さんが滅血師に殺されたんなら、お前は……ッ」


 吸血鬼は人間として生きている。故に例え顔写真などのデータを殺す際に得る事ができなくとも遺留品は残る。免許書。保険証。マイナンバー。そうした身分を証明するような何かが残る筈で……それが残れば辿りつく。冬野雪という一人娘に。

 かつて隼人が取らなかった冬野雪が吸血鬼かどうかを調べる方法はつまりこれだ。

 怪しいと思った対象の親を調べる。それで吸血鬼なら話はお終い。

 そして冬野の父親が滅血師に襲われたのだとすれば、どうして冬野は今生きている?


 一体そこで何があったのか。

 その疑問の中で引っかかる、自殺という単語。それが自然と答えを導き出した。


「……そうか。お前へ繋がらないように……」


「……具体的な事は分からないけど、多分そういう事だと思うんだ」


 冬野は隼人の言葉に頷いた。

 吸血鬼は死ねば灰になる。故に遺体から身元を特定する事はできない。

 きっと冬野の父親は滅血師との間で何かがあって、身分証明が可能な何かを処分して。足が付かないよう細工を重ねて。そして自ら命を絶ったのだ。

 冬野雪という少女と身元不明の吸血鬼との関係性を隠蔽する為に。


「……昔さ、桜野君に私が吸血鬼だってバレた日があったじゃん」


「……お前の家行った日だよな」


「あの日からよくお父さんが言う様になったんだ。もし自分が居なくなった時の話を」


「……ッ」


 あの日、冬野の父親には吸血行為をしていなくても見鬼に映るという話をした。それから真剣に考えていたのだろう。自分がいなくなった場合の事を。


「あれからお父さん、態々用意してたんだよ。色々なケースに備えて遺書用意したり、日記書いたり……ああ、その日記の中では私はお父さんに飼われている人間って事になってたよ。能力で記憶を消して分からなくしてるって。後は……後で調べたら私の戸籍、死んだお母さんの連れ子って事になってたな。うん……まあとにかく、私が全く把握していないような事も多分色々やっていて、それで私は今此処にいるんだって事は分かる」


 そしてとにかく、と冬野は話を纏める。


「今は私の一人暮らし。この街に住んでる理由はまあ色々経緯があったんだけど……まあ、成り行きってとこ。半年前位かな」


 半年前。全部。全部壊れてしまったのが半年前。

 それが酷く、心の奥底に突き刺さる。突き刺さって、自然と言葉が零れ落ちる。


「……ごめん」


「桜野君……」


「ごめん、冬野……ごめん」


 声が掠れた。そんな声しか出てこなかった。

 罪悪感しか沸いてこない。そもそも自分にどうにかできたのかなんてのは分からないけれど、それでも。膨大な罪悪感が。

 だってそうだ。その崩壊に対して何もできなかっただけでも最悪なのに。間に合わなかっただけでも最悪なのに。桜野隼人は何もしていなかったのだから。

 のうのうと一般人として、白々しい嘘を吐きながら生きてきたのだから。

 だから……全部。


「全部……俺のせいだ」


「……違うよ」


「違わない!」


 気が付けば懺悔するように冬野に言っていた。


「俺もう滅血師なんてやってねえんだ! 歩みが遅いとか迷走してるとかじゃない。ただ単純に立ち止ってんだぞ! あんな大口叩いといて、俺は……ッ!」


「押し付けて無いよ……誰もあんな無理難題。あれはただ桜野君がやろうとしてくれていた善意じゃん。それができなかったからってさ……変な責任、感じないでよ」


「……でもッ」


「私はさ、桜野君が生きて友達でい続けてくれただけで、十分に嬉しいんだからさ」


「……ッ」


「だから……泣かないで」


 言われながら。言ってくれながら思い返す。

 どこまでも、どこまでも。冬野がずっと身を案じ続けてくれていた事を。

 転校する前も。その後も。

 理不尽に罵ったって良い筈の今だって。


(なんでこんな奴が、こんな理不尽な目に合わないといけないんだよ……ッ!)


 それまでの幸せだった筈の生活が跡形もなく無くなって、自分自身すらもいつ誰かに理不尽に殺されるか分からない。

 そんな、理不尽な目に。

 そして……募る罪悪感。

 こんな状況でも自分の事を気に掛け続けてくれている女の子の為に立ち上がれる気が微塵も沸いてこない今の自分に対して。

 募らない筈がない。

 と、そこで冬野が少し申し訳なさそうに言ってくる。


「……あと、ごめんね。ずっと嘘吐いてて」


 嘘。自分の生活があれから何も変わっていないという嘘。

 そして冬野の事だ。

 自分のように保身に塗れた酷い理由などではない事は、察する事ができた。

 そこまでは察したけど、それが一体何なのか。気になって思わず聞いていた。


「いいよ。俺も吐いてた……お前と違ってよっぽど酷い嘘をさ。それで冬野はさ……なんでずっとあんな嘘吐いてたんだよ。言ってくれりゃ良かったじゃん」


「……なんとなく、桜野君がどんな反応をするか、分かっちゃったからさ。今の桜野君に負担が掛かる事、言いたくないなって。そう思ったんだ。まあ今日言っちゃった訳だけど」


「……」


 実際言われていたら取り乱していただろう……一人で。どうしようもなく。

 事が起きた直後なんて特に、誰かに相談したか筈なのに。数少ない相手が。もしかしたら唯一の相手が桜野隼人だった筈なのに……そんな時でも気を使ってくれていた。


(本当に冬野は……冬野はさぁ……ッ)


 と、静かにテーブルの下で自分の不甲斐なさに拳を握っていた時、改めて疑問に思った。

 そもそも何故今の隼人に負担が掛かると。そんな事を知っているのかという問い。


「……冬野は今の俺の事、どこまで知ってる? というかなんで知ってるんだよ」


「聞いたから」


「聞いたって……誰に」


「元クラスメイトの皆から」


「……あぁ」


 考えてみれば情報が行き付くルートはあまりにも多い。

 中三の夏に起きた一件は、隼人を知る者なら大抵の場合断片的に情報が行き届いている。

 そしてそれが行き届いた中学校の友人達と冬野は多分まだ繋がっていて……隼人の方から一方的に嘘を付いても、そこを止めなければ正しい情報は流れていく。


「皆さ、私と桜野君の事仲いいなーって思ってたらしくてさ。あの時、皆殆ど一斉に色々送って来て……まあ、後は色々と、察したよ」


「……俺もそれ聞いて、色々納得した」


 クラスメイトに伝わる断片的な情報。

 桜野隼人の友達が実は吸血鬼で、その吸血鬼に騙されてバックに居た吸血鬼のグループに一週間近く監禁されていた話。

 そしてそんな事になれば碌でもない事が行われたという事は殆ど誰でも理解できる訳で……そして。冬野はそのクラスメイトが吸血鬼であると隼人が知っていた事を知っている。


「……皆さ、桜野君が別人のように何も喋らなくなったって言ってた。本当に本当に辛い思いをしたんだって事は痛い程分かったよ。ほんと……分かってた」


「……知ってたならさ、なんで俺の嘘に乗っかり続けてくれたんだよ」


「正直迷ったんだけどさ……そういう事があっても、他の皆と違って私にはそういう風に振る舞おうと思って思ったんだったら。私にはバレないようにって思ったんなら。私も普段通り接した方が桜野君的にはいいかなって、そう思ったから。それが正しかったのかは分からなかったけど」


「……いや、良かったんだよ、それで」


 実際つい先程までの自分はそれを真剣に隠したくて。そしてその何気ない日常会話に救われて来たのだから。


「まあとにかく桜野君に色々あって、滅血師も止めていて。それから県外の高校に進学したって所までは知ってた」


「……殆ど全部かよ」


「ちなみに……あんまり答えたく無かったら答えなくてもいいんだけどさ、なんで地元離れて一人暮らししてるの?」


「まあ……あれだよ。滅血師としての自分を一回リセットしたかったんだ」


「……そっか」


 冬野はそう言った後、優しい笑みを浮かべて言ってくれる。


「桜野君。私との関係はリセットしてくれなくて、ありがとう」


 そんな事を、優しく嬉しそうに言ってくれる冬野を見て改めて思う。本当にどうしてこの後に及んで立ち上がれないのかと。もう一度頑張ってみろと。自分自身に言い聞かせた。


 何も。一つたりとも変わらなかったのだけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る