8 サイコパス

「いない……か。全く一人占めとは食いしんぼさんだ」


 吸血鬼の男、黒崎霧彦は先程まで同族の少女と滅血師の少年がいた店内から人気が無くなったのを見てそう呟いた。

 少年を抱えてどこかに行ったのであろう少女を追うつもりは無かった。


 自分は多くの吸血鬼と違い満足に血を吸っている。

 つまり施される側ではなく施す側なのだ。

 故に全てを譲る事は善行だとは思うし怒りもまた感じない。

 そして何よりまずこの場でやる事がある。


「……さて」


 黒崎はバックヤードに足を踏み入れ、監視カメラのレコーダーを探し出す。


「しかし次にあの子に会う機会があればちゃんと用心する様に言わなくては。私の気が回らなければ色々と厄介な事になっていた筈だ」


 そう言って黒崎はレコーダーを破壊した。

 自分は姿を変えられる。

 だけどきっとあの少女はそうではない。

 だとすれば此処に残った自分がレコーダーを破壊しておかなければ警備会社や警察。

 そして滅血師を通じてあの少女が割りだされる。

 そうなればもうお終いだ。

 それだけは避けなければならない。

 理由は簡単。共に生きていくべき同族だから。


「……さて。今日の所は帰りますか。疲れた疲れた。今日も一杯滅血師を殺したなぁ」


 そう言って黒崎は体を伸ばしてから言う。


「これで私は今日も、彼の様なヒーローに近づいた」


 そう言って笑みを浮かべる彼が滅血師狩りを始めたのはつい最近の事だ。

 それまでは自身が消費したい分だけ人間を殺して血を摂取していた訳だが、ある日偶々目にしたニュース番組が取り扱ったトピックに感慨を受けた。


 狐の面を被った吸血鬼が滅血師を殺して回っているという全国ニュース。

 確定情報は無いものの一般人に被害は上がっていないようで、その報道が正しければ。

 否、正しくなくとも滅血師を殲滅しようとしている吸血鬼にとってのヒーローの様な存在に変わりはない。


 そんな彼に黒崎は憧れた。


 元よりこの世界は理不尽で間違っている。

 吸血鬼が好きな様に血液を摂取できない世界は。

 ただ人間を殺しただけで滅血師に殺される理不尽な世界は変わるべきだと思っていた。


 だからその狐の面を付けた吸血鬼に背中を押された形となった。

 滅血師を殺し続けて平等に血を貪れる世界を作る。

 今日も明日もこれからも。

 そして家の方向を考慮し、正規の出入り口から外へ出る為にバックヤードから店内へ戻った黒崎の視界に一人の吸血鬼が映った。

 荒れた店内を見渡すその吸血鬼は……あろう事か狐の面を被っていた。


「あ、あなたは……あなたはまさか……ッ!」


 そう言って黒崎は今日一番の笑みを浮かべた。

 憧れの存在が目の前に居る。多分きっと、それ以上の事は無い。

 そして喜々として目の前の存在が憧れの存在であるかどうかを確信付ける為に問いかけようとした所で、逆に狐の面の吸血鬼の方から問いかけられる。


「此処の血痕……後はそうだな。最近この辺で滅血師を殺して回ってるのはお前か?」


「ええ、そうとも。あなたの様にね」


 自然とそう言った言葉を否定しない辺り、やはり彼が件の吸血鬼なのだろう。

 そう思うと黒崎はより喜々とした表情を浮かべて男に言う。


「私はあなたに憧れましたぁッ! 滅血師を殺してまわる、それ即ち吸血鬼のヒーロー! この鬱々しい世界に血液のドリンクバーを用意しようという神の如き試みはこの黒崎、リスペクトせざるを得ない!」


「リスペクト……ね」


 喜々とした反応を見せる黒崎に対し、男は小さくため息を付いて言う。


「あまりこの街に戻ってきたくはなかったが戻ってきて正解だったな……俺の影響かよ」


「もう数十人単位でぶち殺しましたよ! お蔭で満足に血を吸えていなかった弱い吸血鬼にも血を与えられる! いやぁ、善行ってなんだかこう、清々しい気分になりますねぇ!」


「そうか……まあ、自分のやった事が招いた結果だ。ケジメは付けねえと」


「ケジメ……え?」


 憧れの存在と自分は同じ方向を向いていると、そう思っていた。

 だが目の前の男の言葉はどこか落胆した様な。

 少なくともこちらに好意的な様子は見えなくて。

 想像との落差に困惑する。

 そして困惑したまま、気が付けば激痛と共に陳列棚に叩き付けられていた。


「ガ……ぁ?」


 肉体は再生する。

 今現在腹部に空いた大穴だって体力が持つ限りは何度でも再生できる。


 だけど混乱した思考は戻らない。

 視界の先ではこちらを蹴り飛ばした、憧れだった筈の男がそこにいる。

 同じ物を見ている筈の男が、殺意を持ってそこに居る。


 ケジメを付けると男は言った。

 これがそのケジメなのだろうか? 意味が分からない。

 混乱しながら、肉体を再生させながら、ゆっくりと黒崎は立ち上がり、男に問う。


「何故ですか? 何故私を……私とあなたは同胞の筈だろう!?」


「一緒にするなよサイコパス」


「サイコパス……?」


「過程は何も変わらねえ。だがその先に見据えている物は違う。違う筈だ。何がドリンクバーだこの野郎。そんな世界にはさせない。お前の様な頭のおかしい思想を持った馬鹿を作りだした俺が責任もってお前を殺す」


「頭のおかしいってどこが……意味が分からない! あなたはさっきから一体何を――」


「説明しても理解しねえさ。だから殺す。それにもう一つ」


 そう言って男は構え、そして……より重い声で言う。


「お前には私怨があるんだ」


「……私怨?」


「昔のダチがお前にやられた。まだ意識が戻ってない」


 言われて少し考えるが、当然吸血鬼を意識不明の重体に追い込むような真似はしていない。

 だが殺しきれなかった人間はいて。一人だけそういう相手を思い浮かべる事ができて。

 そこまで考える事が出来れば、もういい加減理解が及んで来る。


「……ああそうか、分かった。あなた、偽物ですねぇ」


 自分が憧れた相手の偽物。よりにもよって彼を装う不届き者。そしてまともな吸血鬼ではない、倫理観の狂った頭のおかしい吸血鬼……サイコパス。


「好き勝手考えてろ。どの道お前は此処で殺す。再生できなくなるまで殺し尽くす」


「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうよ」


 憧れの相手を装っている事に対する怒りもあるがそれ以上に、目の前の吸血鬼は頭がおかしい最悪な吸血鬼だ。

 故に他の吸血鬼に被害が及ぶ前に殺しておかなければならない。

 再生できる限界まで殺し尽くす。


「覚悟しろ、サイコパス。キミに正しき者の鉄槌を」


 そして黒崎は動きだす。もう既に傷は全て再生した。先に一撃を貰ったのも完全に警戒を解いていたからだ。だけど戦う意思させ此処にあるなら負けはしない。

 何しろ自分はあの、百年に一人の滅血師。桜野雄吾を下したのだから。

 そうしてまず頭を弾き飛ばすつもりで放った拳は……空を切った。


「……え?」


 そう認識した瞬間には首に激痛が走り、視界が回転していた。文字通り蹴り飛ばされた。


「あ、がああああああああああああああああああッツ!?」


 叫びながら黒崎は急速に肉体を再生させ、首から下を生やした。

 吸血鬼の肉体の再生には体力を使う。

 より急速に再生しようとする程多くの体力を持っていかれる。

 先の腹部の穴。

 今の首から下の全身。

 その二回で大幅に体力を削られた。


 肩で息をする。

 後何回同じ事ができるか分からない。

 そして……まともにぶつかり合っても、全く動きに付いていけない相手に、どうやって勝てばいいのか、まるで分からない。


「遅いな……いくら姿を変えるとはいえ、あの馬鹿なら遅れを取らねえ筈だが……ああ、そうか。もしかしたらこれも俺のせいか。いつまで引きずってやがんだあの馬鹿は」


 そしてそんな事を不思議そうに言ったまま、最早片手間で接近して拳を振るってくる。

 そこから繰り広げられたのは吸血鬼同士の戦いではない。

 ただの一方的な暴力でしかなかった。

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