第二話

 加奈と早紀が列車を降りたのを確認すると、改札口前で待っていた孝志はホームに向かう。


「加奈ちゃん、お姉さん。遠いところ申し訳ないっず」

「いや、ホント遠いわ。何もないし。これなら孝志くんも東京に行きたくなっちゃうわよね」

「ちょっとお姉ちゃん! 大貫くんに失礼なこと言わないでよ!」

 ふたりは思いのほか大きなバッグを持参したため、孝志は代わりに両手に持つ。

「それにしても、荷物多いっずね」

「せっかくの夏休み、これに合わせて女ふたりの旅行よ。軽井沢かるいさわ富岡とみおかと回ろうと思ってさ」

「お姉さん、『かるいざわ』って濁らないの、かなりの群馬通でずね」

「それは単に、点々を言えないからね」

 さっそく駅から孝志の実家へと向かうも、急な坂道のせいで荷物がなくても息を切らす早紀。

「暑い……遠い……キツイ……孝志くん、この田舎の山道を毎日は大変ね」

「もう、お姉ちゃんってば。大貫くんの地元を悪く言うのもやめてよ」

「小中と九年間くねんかんこれで、もう慣れっこでしたよ」

 加奈たちの手前、いかにも地元民らしく涼しい顔で登る孝志。

 だがつい先日、梓と帰省した際は久しぶりの徒歩に、音をあげていたのはひた隠す。


 やがて、長い石造りの塀に覆われた、白壁の土蔵がある立派な日本家屋に到着する。

「ここが俺んちでず」

「うそっ! ちょっと孝志くんちって、もしかしてお金持ちなの? マシてヤハい……」

「単なる田舎の古ぼけてボロな家っずよ。大したもんじゃないっずけど」

 加奈も彼の実家の大きさと広さを目の当たりにして、呆気にとられる。

 先導して歩く孝志と距離を置いて、早紀が加奈に小声で耳打ちした。

「これ、玉の輿よ。加奈、あんた本気たして行きなさいよ」

 玄関を開けると、お盆で休暇中の父を含めた両親と祖母が迎える。

「あらあら、遠いところへようこそ。こんな汚いとこでなんだけど、どうぞ」

「……おしゃまします」

 広い土間からあがった玄関を抜けて、長い障子の廊下を歩いて居間へと進む。

 家族の計らいで、ふすまを隔てた居間と仏間すべてがエアコンで快適になっていた。

 口を開けたまま家じゅうを見回す早紀と、すっかり恐縮しきりの加奈。

「さっ、どうぞ。暑かったでしょう。おあがりください」

 母が麦茶と水菓子を用意して、ほかの家族も共に座卓を囲む。

 孝志は咳払いをひとつすると、家族への紹介のため加奈に掌を指し向ける。

「あのさ、改めてだけど、俺の学校で同じクラズ……」

「同じクラスの鈴木って言います。こちらは姉の早紀で、それであっし……」

「こちらは妹の加奈。妹と一緒のクラスの孝志くんにはいつもお世話になっております」

 駅からの道中、事前に練習した通り、互いの『言えない文字』を補うように、会話の主役をころころと替えていく。

「こちらこそ、孝志がご迷惑おかけしてないかしら?」

「それで、こんな遠くまで今日のご用向きはどうされたんですか?」

 三人で視線を合わせると、また孝志が口火を切る。

「加奈さんのお姉さんが、大学のゼミで民俗学の、あの……」

「研究をしてまして。あたしは地方の町に残る逸話を集めてます。そうしたら……」

「加奈さんに、ばあちゃんの例のあの話をしたらさ、アレがあるって……」

「そう、興味! 妹から聞いて興味あるなって。レポートに入れたいなって思ったから、妹から孝志くんに頼んて……おねかい……あのぉ」

「はい、ぜひ姉がこちらにお邪魔して、座敷童のお話を聞ければと言い出しまして」

 以前に本人も言っていた通り、早紀は教育学部で国語科の教職を目指している。歴史や民俗学は専攻していないが、ていの良い嘘を三人ででっち上げた。

 やや戸惑いつつも、発言者を目で追っていく両親だったが、祖母はなにかを察したか、口元を隠すと声を殺して笑う。

 しかし、話に聞いていたとはいえ、実際に座敷童の気配すら感じない父は、訝しそうに祖母に語りかける。

「せっかく東京からのお客さんに、そんなおふくろの曖昧な話題でいいのかね? 彼女の大学の成績にも関係するんだからさ」

 それには及ばずといった芝居で、両手を振る早紀。

「いえ、そこは逸話と民話を主体としています。各地域において極端に似た要素や、曖昧さ、オンリーワンの内容というのも、統計的な数値としては立派な研究対象なのれ」

 器用にぺらぺらと喋っていたが、語尾だけは少し音量を絞って早口に誤魔化す。

「というわけで、ばあちゃん。ちょっくら蔵を案内してくるわ」

 祖母はふふっと小さく笑うと、孝志に笑顔を向けた。

「いいよ。孝志とお客さんで好きに見なさい」

「孝志くん。せっかくアレなんれ、ほら、アレ。お線香とかさ。あたしたち、よそ者よ?」

「そうだね、お姉ちゃん。こちらに無断でお邪魔しちゃうわけなのもアレだし」

「そう? ふたりともなんか悪いね、律儀だね」

 三人はいそいそと仏間へ向かうと、早紀はロウソクから線香に火をつける。

 銘菓のフルーツ大福アソートパックを供えて、早紀と加奈が両手を合わせた。

「ふみちゃんこめんなさい、こめんなさい、こめんなさい。本当にこめんなさい。申し訳ありませんれした。あたしを許してくらさい」

 それを見守る孝志は、風もないのにふっとロウソクが消えたのに気づく。

 早紀は咳払いをしてから、恐る恐る声を出す。

「えっと……が、ぎ、ぐ、げ、ご……」

 それを自分で聞くなり、口元を押さえて瞳を潤ませる。

「よかった、孝志くん。濁音が言えるようになった! あたしもうホントにダメかと思ったもん。この間もずっとアルバイトも欠勤してさ、デートも流れちゃうし……」

 嬉しさのあまり抱き着いてくる早紀に、孝志も動揺して顔を紅潮させた。

 それを加奈が慌てて引きはがす。

「なんでお姉ちゃんが大貫くんにくっつくのよ! あっしは治ってないんだがら!」

「そうなんずよ、俺らはこのままだし……ホントごめんね、加奈ちゃん」


 次に三人は土蔵に向かうと、孝志がかんぬきをはずす。

 重い扉を開けると、中では和装の幼い女の子がひとり静かに本を読んでいる。

「ふみちゃん! ひさしぶり!」

「かなねぇちゃんだ!」

 駆け寄って抱き合うふたりを見て、困惑したように髪を掻きあげる早紀。

「マジでどういうこと……あたしにも見えるんだけど。あれがその、座敷童?」

「はい、ふみっていう俺のご先祖で、小さい頃にびょうぎで死んじゃって、そのままここに居着いてるんでず」

「ちょっと、これ世紀の大発見だよ……あ、でもバラしちゃダメなんだもんね」

 加奈とじゃれ合っていたふみが、早紀に視線を向ける。

「さきねぇちゃん。もう、たかにぃのことイジワルしない?」

「そっか。あたしたち、はじめましてよね。もうしないわよ。ホントにごめんね」

「今度たかにぃにイジワルしたら、『点々』と『ぱぴぷぺぽ』も言えなくするからね!」

 早紀はその状況を想像しただけで身震いする。

「ふみ、お盆が終わったら俺と一緒にとうぎょうに帰ろうぜ」

「うん。また、たかにぃのおうちに行く!」

 ふみは孝志たちと共に蔵から出てくると、皆の近くをちょこちょこと歩き回る。

 その姿を見ても会話をしても、まだ心底納得しきれていない早紀はぽかんと口を開ける。

「いやぁ、なんて言うか……ホントに本物の女の子みたいじゃない。すごいね」

「いちおう、親父や母さんとか他の人には見えてないんで、注意してください。ばあちゃんも昔ふみの被害者っぽいっずけど、今も見えてるかどうかは、わかんないでず」

「じゃあトップシークレットってことね」

 住居に戻ると、早紀と加奈のために新しい麦茶が用意されていた。

 孝志の母が、ふたりに尋ねる。

「それで、今日はこの後どうされるんですか?」

 無事に濁音も喋れるようになった早紀が、会話の主導権を握った。

「せっかくこちらにお邪魔したので、このあとは妹と夏休みもかねて群馬や長野をまわる旅行を予定しています。宿も決まってませんが、適当に二泊くらいしようかなって」

「もし良かったら、ここに泊まっていかれたら? 宿泊費だってかかるでしょ?」

「えっ! いいんですか?」

「孝志の大切なお客さんですから。どうぞゆっくりしてくださいな」

 濁音を失っている間のアルバイトの収入が無くなったため、早紀はホテル代が浮いたことを素直に喜ぶ。

 だが、加奈は大きな仏壇があり土蔵もある、いかにもな日本家屋に内心おびえていた。ふみ程度のかわいい幽霊とはいえ、なにせ座敷童も出るような歴史ある家だと言うのに。

 孝志もまた、同じ屋根の下にいきなり知り合いの女性が泊まるということに、困惑の色を隠せなかった。


 当家での宿泊が決まると、孝志の案内で居間や台所から少し離れた客間へと向かう。

「どうぞ、加奈ちゃんとお姉さんは、この部屋を使ってください」

「うわ、広い。孝志くん、ホントにここ使っていいの?」

 年代物っぽい調度品が数々置かれた、畳張りの上に絨毯を敷いた部屋に案内された。

「夕飯や風呂の用意がでぎたら、また声かけまずから」

 彼が去っていくと、早紀は柔らかな生地の座椅子に腰かけて全身を委ねる。

「いや、大したもんだわ。孝志くんちって本物のお金持ちだったんだね。そりゃ東京の学校を受験してアパート借りて優雅に暮らせるわよね」

 加奈はといえば、掛け軸や日本人形を見たり、天井の木目を見ては肩を縮こまらせる。

「お姉ちゃん、今日はおんなじ布団で寝よ? 一緒にお風呂はいろ?」

「バカ言わないでよ。あんた、まさか怖いの? それは孝志くんちに失礼でしょ。あんたの義理の実家になるんだから、今から慣れておきなさいよ。そんなに怖いんだったら孝志くんとおんなじ布団で寝たら?」

「お姉ちゃんは平気なの?」

「お母さんからもらったホテル代とご飯代がまるまる浮くのよ? ちょっとレトロないい感じの和風旅館に泊まったと思いなさいよ」

 コンセントを発見して、さっそくスマートフォンを充電する姉を見て、嘆息する加奈だった。


 やがて日没前になると庭で大貫家の面々がなにかを始めるのが窓から見えた。

「ねぇ加奈。あれ、なにしてんだろ。見に行ってこよ」

「あっ、ちょっと待ってよ。お姉ちゃんってば!」

 興味津々で玄関へと向かう早紀に、ひとりで置いていかれてはたまらないと、加奈も慌てて追いかける。

「孝志くん、これなにが始まるの?」

「お盆の迎え火っずよ。ちょうど十三日なんで」

「これがそれなんだ。でも、東京だと七月とかにやってる家があるけど?」

 その問いには、彼の祖母が答えた。

「それは東京盆だね。このあたりは八月の旧盆にお盆を迎えるのよ」

「地域によってだいぶバラバラなんですか?」

「今は旧暦かどうかの違いくらいね。十三日が迎え火で十六日に送り火をするんだよ」

 孝志は細く白い乾いた枝状のものを短く折ると、赤茶けた素焼きの皿に乗せていく。

「それは?」

「これは麻幹おがらと言って麻の茎を干したものよ。これを燃やすと家のけがれを落とすと同時に、煙を目印にご先祖様がうちに帰ってくるんだよ」

「そっか、伯父さんちには仏壇あるけど、お父さんは次男なんです。あたしたちはこういうの全然したことないですね」

 まさに大貫家にお邪魔するこの盆の間、霊魂が大量に戻ってきている。

 加奈はそれを聞くと、血の気がひく思いだった。

 孝志の近くでは、姿を消したふみが膝を折って麻幹に火を点ける様子を見守っていた。

 早紀は愛想よく、孝志の祖母に向かって会話を続ける。

「ニュースとかでよく見る、大文字焼きとか精霊流しも、こういうやつですよね?」

 燃えていく麻幹を見ながら、静かにうなずく祖母。

「まだまだ、みんなは若いけどね。こうして生を受けてこの世に生かされているのは、ご先祖様が繋いでくれた命に感謝するためっていうのがお盆の本当の意義だと、わたしみたいな年寄りは思うのよ」

 大貫家では毎年の講釈だったが、今年は孝志も祖母の言う意味が少しわかった気がした。

 すぐ近くにいるふみとの出会いで、気づいたことも多かった。

 もちろん彼にしてみれば、ふみの祟りで迷惑になった部分もたくさんあるのだが。

 燃え尽きた麻幹の煙は、日没が迫り茜に染まる山々へとのぼっていく。

 上空を無心に眺める孝志の横顔を、加奈も黙って見つめていた。



 夜を迎えると、孝志の父と既に成人した早紀は酒を酌み交わす。

 それ以外の人々は酒も飲まずに、テーブルに並んだ料理を口に運んでいく。

「わたらせ森林鉄道って、あたしたち初めて乗りましたよ。駅舎に温泉があったり、レストランがあったり、すごいですね」

「このあたりの村は昔、林業や採石で栄えたんだけどね。それがいまやすっかり斜陽だよ」

「でもお父さん、大貫さんちはすごいご立派じゃないですか。あたし感動しました」

「ひいじいさんが商売に精を出したおかげで、上手いこといっただけだね」

 若い娘から酒を注がれて愛想よく上機嫌に語る父の様子に、母は笑顔でいるものの孝志から見てもかなり不機嫌そうな雰囲気を湛えていたのはわかった。

 加奈もまた姉の悪い癖がでたことで、居たたまれなさそうに箸を運ぶ。

 やがて、酒が進んだ父は早紀たちに村の話を始めた。

「孝志から聞いてるかもしれないけど、ここもじきにダムに沈むんだよ。もちろん、わたしや孝志が育ったこの家もね。やっぱり寂しい気もするけど、決まったことだからね」

「えっ、そうなんですか?」

 孝志からは聞かされていなかった話に、早紀と加奈が視線を合わせる。

 そこに祖母が優しい声で会話に入ってきた。

「お国が決めたことだ。ここでの生活も無くなるし、集落の人たちもみんなバラバラになるし、文句のひとつも言いたいけど、是も非もないよ。決まったことに従うのがわたしら住人だからね。ここも過疎が進んでいたし、いっそ寂れるくらいならダムに水ごと流しちまうのが、いい頃合いだったんだよ」

 祖母の言葉に、孝志は物悲しい顔を加奈たちに見られるのが気恥ずかしくて、うつむき気味にジュースの入ったコップで隠すように口元に傾ける。

 彼なりに背負うものの重さを感じた早紀と加奈は、黙って孝志を見つめた。

 その空気を察知した母は、場の雰囲気を変えるように早紀に新しい酒を勧めた。

「さっ、どうぞ。せっかくのこの村にきた記念ですから、飲んでくださいね」

 それからも客をもてなす宴会は続いた。

 早紀が盛り上げに一役買い、いつの間にか賑やかな宴席に戻っていた。

 一方、ふみは畳のうえでごろんと横になり、とりあえず人が大勢いる場に同席だけしている。

「ねぇ、ふみちゃん。今日は一緒に寝ない?」

 加奈は小声でふみに向かって声をかけた。

 同じ霊でも、面識があってかわいいふみならば、怖くはないと思ったからだ。

「ホントに? かなねぇちゃんと寝たい! でもオバケのあたしと一緒だと、夜はおうちがピシッと鳴ったり、お人形さんが少し動いたりするかもしれないけどいい?」

 それを聞き、加奈は一気に顔を蒼ざめさせる。

「それに、あたし夜は寝ないし、たかにぃに怒られるから蔵のなかでご本よんでる」

「……そう、ごめんね」

 やむなく作戦を変更して、だいぶ酒を飲んでいる姉が寝落ちした段階で、布団に潜り込むことにした。

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