資本主義の行く末

Hiro

序文:市場経済と資本主義

 中世ヨーロッパにおいて、胡椒は同量の金にも等しい価値があったとされる。多少の誇張はあるとしても、原産地のインドからイスラム世界を経由してヨーロッパにもたらされる胡椒が相当の高値で取り引きされたことは確かだ。このため、ヨーロッパ各国は海洋技術を発達させ、他の交易ルートを模索した。その結果、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓や、コロンブスの新大陸発見という歴史的偉業がもたらされた。ヨーロッパにおいて、香辛料として用いられた胡椒がいかに重宝されていたかが分かる。一方、日本においては、胡椒はそれほど貴重なものではなかった。江戸時代に清国経由で密輸入された胡椒が、安価で取り引きされた記録が残っている。当時の日本人が、胡椒というものをあまり必要としなかった為である。

 市場経済の下では、需要が増加すれば値段が上がり、供給が過剰になれば値段が下がるという市場原理が働く。あるものを別の場所へ持って行くだけで、それがもともと持っていた以上の価値が付加されるという現象も起こる。二つの文化圏における胡椒の価値の違いは、この需要と供給の関係を端的に表している。数世紀の時を経た現代においても、同じ原理の下に経済活動は成り立っている。チョコレートを例にとってみると、中南米やアフリカで安価に栽培されるカカオ豆が世界中に輸出され、チョコレートに加工される。日本でも簡単に口にすることのできる食べ物だが、ここにも需給の原理が働いている。集約農業と輸送手段の発達のおかげで大量生産・大量輸送が可能になり、チョコレートにかつての胡椒ほどの値がつくことはないが、生産国と消費国におけるカカオ豆の価格の差がチョコレート市場を成り立たせている。

 さて、この価格差という問題に焦点を当てると、市場経済がある種の不平等の上に成り立っていることが分かる。あるものを別の場所に移動させるには輸送コストがかかるし、輸送業者はそこに手間賃を上乗せせねば商売が成り立たない。生産地と消費地において価格差が生じるのは当然である。その一方で、カカオ豆の生産者の中には、日頃我々が当たり前のように口にするチョコレートを食べた事がないという人もいる。言葉を変えれば、これは先進国が発展途上国を搾取しているということである。搾取する者とされる者は時と場合によって変わるが、胡椒が金と同価で取り引きされたという話にしても、中間業者が暴利を貪っていたことは想像に難くない。つまり、市場原理とは、必然的に搾取という不条理を生む経済システムだと言える。イギリスの経済学者アダム・スミスによれば、自由市場には「見えざる手」が働き、長い目で見れば需給のバランスは一定に保たれ、これにより、適正な価格が決定されるという。しかし、需給のバランスが保たれることと取引の公平性が担保されることは別の問題であり、市場経済が誰にとっても公平な経済システムだと言ってしまうと語弊が生じる。発展途上国の搾取の問題については何らかの対策が講じられねばならず、昨今では、フェアトレードや銀行による個人事業者への融資といった活動を通して、人々の経済的自立を促し、産業を育成しようという動きが見られる。

 こうした矛盾を孕みつつも、市場経済は発展を続け、今や地図上のフロンティアは消滅したと言ってよい。技術革新による新商品の開発が新たな市場を生むとしても、先進国に住む人々は今以上の便利さや快適さを求めなくなっている。むしろ、科学技術がもたらす豊かさに食傷しているというのが現状である。この先、市場としてまだ伸び代があるのは先進国よりも発展途上国であろう。このように市場が自己循環的に機能せず外側に拡大してゆくのは、市場経済と資本主義が結びついた結果である。物が取引されるところに市場が生まれるとすれば、市場経済は有史以来どの時代にも存在したと考えられる。それに対して、資本主義とは産業革命以降急速に発達した経済システムである。この二つが結びついたのは歴史の示すところだが、資本はより大きな利潤を求めて移動するため、一つのシステム内で自己完結的に循環することはない。資本主義の持つこの性質の故に、市場は常に新たな市場を求め、外側に拡大してゆく。では、様々な困難を乗り越え、発展途上国が先進国並みの発展を遂げたと仮定すると、その後資本主義を超克する経済システムは現れるであろうか。資本主義を取り込んだ市場経済が資本の論理を排除し、自己完結的な循環システムに落ち着くというのが一つのシナリオだが、果たしてそれは可能であろうか。

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