19.クリーニング屋

 つかさはテスト勉強の合間を縫って――というには時間を取られているが――今日もりつの部屋を訪れた。


「こんにちは。はるかさんがちょっと遅れるそうだから、座って待ってて」


 律はにこにこと笑顔を司に向けて、パソコンの画面に目を戻した。


 それならと司は電車で読むために持ってきた参考書を手に取った。


 勉強は思うほどに進まない。

 最近、蒼の夜や遥のことで頭がいっぱいで勉強に時間をとっても今までより頭に入ってこない感じなのだ。


 これじゃダメだなと思いつつ、なかなか集中しきれずにいる。


 今も十分近く参考書を眺めているが本を閉じて読み取ったことを復唱しろと言われたとしても大したことが答えられない自信がある。


 ふぅ、と小さく息をついて、ちらりと律を見る。


 疲労と困惑が混じったような顔をしている。


 律がいつもいつも蒼の夜に関わる仕事ばかりをしているのかは判らない。

 だがきっといつも司に見せる笑みを消している原因は蒼の夜関連のあれこれなのだろうなと思う。


 最近では世界中で蒼の夜が起こるようになったと言っていた。

 原因を調べようにも発生元は異世界だ。

 どうにかするといってもどうするのだろう、と司は案じた。


 と。

 ドアがノックされた。


 律は顔をそちらに向けて「どうぞ」と声をかけた。

 遥が来たのかと司もドアを見たが、入ってきたのは見知らぬ制服姿の男性だった。


 彼はクリーニング屋だそうだ。律がクリーニングに出したスーツを届けに来てくれたらしい。


 配達料を払って丁寧に何度も頭を下げる律は、司がいつも見ている笑顔だった。

 直接挨拶をされているわけでもない司でさえも和む優しい笑顔だ。


 その彼の顔をあれほど曇らせるほど、蒼の夜の状況はまずいものかと考えると司の表情まで暗くなる。


「勉強、うまくいってる?」


 スーツを壁のハンガーにかけながら律が尋ねてきた。


「まずまず、です」


 本当は「まずいまずい」だ。


「それはよかった。勉強に集中したいなら訓練も休んでくれていいんだよ」

「訓練『も』……」


 律の言葉を小さく復唱すると律は「あっ」と言ってから苦笑した。


「期末テストが近いって聞いてたから蒼の夜のヘルプからは外してるんだよ」


 あぁ、それで、と司は納得した。最近増えたという割には呼ばれないなと思っていたのだ。


「ありがとうございます。今週でテストは終わるんで、週末からは空いてます」

「うん、助かるよ。勉強はきちんと頑張るんだよ。こっちを手伝ってくれているせいで成績下がっちゃったら大変だ」


 真剣に案じてくれている声に司はうなずいた。


「ところで、雨宮さんはどうして『暁』で働いてるんですか?」


 これ以上テストや勉強に話題を続けたらぼろがでそうだ、と司は話題を替えた。


「僕も、氷室くんと同じで巻き込まれて助けられたんだよ。高校一年の時だったから氷室くんよりもちょっと早いかな」


 応える律の笑みが弱々しいものになった。


「友達と一緒にいたんだけど、僕だけが意識を保ってて彼は倒れちゃって」


 完全に笑みが消えた律は悲しそうな顔をした。

 それだけで、彼の友人は助からなかったのだと司は察した。


「助けてくれたが、トラストスタッフここの『暁』の人だったんだ」


 今でも友人のことを夢に見る、と律は言う。


「きっと一生忘れられないと思う。暁のメンバーになって、助けられない命はたくさんあったけれど、彼だけは特別なんだろうね」


 だから、と律を司を見て笑んだ。


「巻き込まれる人、帰ってこなくなった人を理由も知らずに待ち続ける人を少しでも少なくできるように、頑張らなくちゃって思う」


 強い決意を瞳にこめて柔らかく笑う律に、司は畏怖の念を抱いた。


 自分がもしも律と同じ立場に立ったら、同じように思えるだろうか。

 到底出来そうにない。


 そう思うと今まではただ優しい人だと思っていた律に、力強さを感じた。


 律を少しなりとも助けることができるなら、自分にできるだけのことはしよう、と司は思った。


 その前にまず、テストを片付けないといけない。


 遥が来るまでの時間、司は今までより勉強に集中した。

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