蟻の塔〈後編〉

 人が“化け”になる。

 引き金がどうであろうとも“化け”になった人は、人に戻れない。


 虚しいが“化け”になった人は“モノ”として扱われる。覚悟の上、或いは承知の上だったのか。


 鶏知尾津毛留(けちおつける)。

 憔悴しきっていてもなお、何故足掻く。何に拘っている、何を貫こうとしている。これ以上、醜態を晒すな。


 遠退いた日々の頃、貴様が最も大切にしていたのが何かを、思い出せーー。



 ***



 念と怨を浴びる。


 制御は絶対に出来ない。何故ならば“蓋閉め”の通力が染み込んでいる。何処へ逃げようとも、念と怨は取りつきをやめない。


『ぐう、ぐぐぐ。鬱陶しい、ああ、鬱陶しい』


 鶏知尾津毛留は呻いていた。息遣いは荒く、苦しさのあまりに身体をふらつかせていた。


 ふたつの箱の蓋を開いて解き放した念と怨が、鶏知尾津毛留の“芯”に入り込んだを表していると、茶太郎は目視で確信した。


『はあっ』と、鶏知尾津毛留は息を大きく吐く。目は血走っており、歯をぎりぎりと擦り合わせる音をさせて茶太郎を「じろり」と、睨み付ける。


 まだまだ。


 茶太郎は瞳を閉じて、首を横に振った。

 時が熟しない、念と怨が完全に鶏知尾津毛留の“芯”に浸透していない。


 踠くのを止めろ、念と怨を受け入れろ。抵抗をすればするほど、念と怨は威力を強める。


 手出しは無用。これは、鶏知尾津毛留自身が引き起こした、哀れで惨めな試練。


 鶏知尾津毛留は額を壁に何度も打ち付けていた。血を流して、滴らして。壁に、床にと血をべとりと付着させても、鶏知尾津毛留から気に止める様子が見受けられない。


 流す血の量が増える、人なら命を失う。今の鶏知尾津毛留は“化け”だが、表面は人だ。


 茶太郎は「ぐっ」と、拳を握る。

 容疑者を御用する前に絶命をさせるのは、以ての外。


 念と怨の効力を、無効にしなければ。しかし、策がない。

 “蓋閉め”は、場にいない。

 “影切り”だけで、情況を止めるのは不可能。


『……。あ、うう。うううう』


 鶏知尾津毛留は「ぺたり」と、床に膝を着けた。両手で身体を支えて、息を細く吐いていた。


 念と怨が“芯”に染み込んだままだが、止血が先だ。

 茶太郎は、鶏知尾津毛留を緊急搬送する為に“木戸番”を喚ぶことを決めた。

 応急措置にと、身に纏う単衣の衿に挟む手拭いを取り出し、鶏知尾津毛留が負った額の裂傷箇所を押さえようとした。


 しかし、だった。


「……。堪忍、堪忍な。父ちゃんは、知らなかった。克(すぐる)が父ちゃんで苦しんでいたを、克が父ちゃんで悩んだままで《花畑》に行っていた。化ける“モノ”も、堪忍な。息子を象って辛かったよな。ああ、ワシは。ワシは……。」


 なんということだ。


 茶太郎は鶏知尾津毛留が、か細くだが口を突いているのだと、わかった。


 鶏知尾津毛留は、念と怨の声を聞いた。念と怨の執念が、鶏知尾津毛留がを呼び起こした。


「其処にいるのは“捕り物”さんですよなあ。ワシが血塗れになって、驚かせてしまった。しかし、どうってことはないです。息子と化ける“モノ”の苦しみとくらべたら、こんなの掠り傷です」

 鶏知尾津毛留は、落ち着いたさまだった。

 額から血をまだ流しながらも、茶太郎と目を合わせて物静かに言うのであった。


 茶太郎は「ほうっ」と、息を小さく吐く。

 後味が悪い結果を、回避することができた。


 そして“捕り物”としての出番が、漸く回った。


 茶太郎は鶏知尾津毛留を御用にと、記された2枚の令状を手に取った。


「……。はい、間違いありません」


 茶太郎が1枚ずつ読み上げる令状の内容に、鶏知尾津毛留はその度に頷くをしたーー。



 ***



 後日。


 茶太郎が御用した化ける“モノ”と鶏知尾津毛留は“奉行所”の牢屋での日々を経て、裁きを受ける。

 茶太郎は、入った一報に気を止めない様子だった。


 裁きをするのは上司の“奉行”だ。だから“捕り物”の役割ではない。務めが終わった事案に首を突っ込ませるが出来ないのがもどかしいが、しかたない。


「おうい、茶太郎。肉のお代わりをしたい。取ってきていいかい」


 茶太郎の升を持つ掌の動きが「ぴたり」と、止まる。

 想いに更けているのを邪魔されたが、此方の様子を伺っている物言いをした。


「此処は食べ放題だ。時間が許す限り、心置きなく食するのだ」


 茶太郎は肉の炭火焼き処にいた。ひとりで焼き肉に舌鼓ではなく、連れもきっちりと同席させていた。


「へっへっへっ。では、再び」


 卑しそうで、しかも嬉々としている。たぶん、毎度だが作蔵のことだ。


 因みにふたりがいる焼肉屋はバイキング方式だ。種類が豊富な肉を自由に皿の上に乗っけて席まで運び、炭火が焚かれる網の上で焼く。

 勿論、スイーツも食べ放題。ソフトドリンクだって飲み放題だ。


 焼いては食って、食っては焼いて。作蔵は皿を空にさせて、また肉を取りに行くを繰り返した。


 奴の食の光景で、腹がいっぱいになる。


 茶太郎は食うより呑むを好んでいた。少量の食事で満足して、酒の味を楽しむのが茶太郎のルーティンだろう。

 本日この店を訪れたのは作蔵の食欲の為のようなものだ。食いっぷりがいいのは構わないが、作蔵の“御用聞き”としての報酬を現物支給で契約した。よって、懐を気にしなければならない。


 今後、作蔵を連れていくのはこの店で。


 太っ腹なのかケチなのかはわからないが、茶太郎の心の声が駄々漏れしていた。


「なあ、茶太郎。あの時の“モノ”だけどさ、今何しているのかは知っているのか」

 作蔵は食い放題の、残りわずかな時間を惜しみながら、器に山盛りしたソフトクリームを匙ですくって口の中に含んだ。


「ああ、勿論だ。さあ、自己紹介をしなさい」


 茶太郎は頭髪を指先で掬い、頭皮を「つん」と、押す。


『宇井雨衣(ういうい)だよ。名前は、茶太郎さんが付けてくれた』


 芋虫がひょこっと、茶太郎の頭髪から現れたーー。

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