恋愛あるある① 遭難-1

 城の外は極寒の大雪だった。先程カート達が城に入った時はただの森だった場所が、一瞬のうちに雪に包まれた銀世界になっている。横殴りの吹雪が容赦なく体を殴りつけ、フィーネは思わず身震いした。


「寒い……」


 見ればアルテーシアとレティリエも同様だった。皆薄手のドレスを着せられている為に、肌の露出も多い。レティリエは狼であるがゆえに多少の寒さには強いはずなのだが、それでも彼女のドレスは特に露出が多い。やはり薄着では寒さには勝てないのか、彼女も身を震わせて辛そうな顔をしている。

 フィーネがブルブル震えていると、サクサクと雪を踏みしめる音がして、後ろからふわりと大きな布が肩にかけられた。


「大丈夫? ごめんね、こんなのしかなくて」


 肩にかけられたのは、厚手の布でできたマントだった。フィーネを守るかのように両手ですっぽりと覆ってくれ、前できゅっと締めてくれる。驚いたフィーネが目を丸くしながら見上げると、彼女の視線に気がついたカートが優しく微笑んだ。


(何それ反則ーー!!)


 カートの笑顔にフィーネのキュンキュンメーターは限界突破寸前だった。見ると、他の男二人も自身のマントを姫達に貸している。アルテーシアは俯きがちに目を合わせないまま小声でお礼を言い、レティリエは頬を赤らめながらきゅっとマントの中にくるまった。

 だが、厚手の布と言えど極寒の吹雪は六人の体力を容赦なく奪っていく。かなり歩いたような気がするが、どこまで行っても目の前に広がるのは真っ白な雪に覆われた木々だけだ。遭難しないようになるべく開けた道を歩いているのだが、次に目印になるような建物は見つからない。そうこうしているうちに、空はほんのりと闇をまとい始めた。


「まずいな。この状態で夜を越すのは命に関わるぞ」


 先頭を行くグレイルがギリッと歯噛みする。確かに夜は今よりも更に気温が下がる。このままいけば森の中で凍死するのは確実だった。


「そんな……! こんな所で凍え死ぬのは嫌!」

「大丈夫、フィーネ。僕が側にいるから」


 泣き言を言うフィーネの横で、カートが優しく背中を撫でる。だが、徐々に迫ってくる夜と死への恐怖は、わずかな慰めにもならなかった。

 グレイルの横を無言で歩いていたレティリエが少しだけためらいの表情を見せた後にそっとグレイルの服の裾を引っ張る。


「……受け入れてもらえるかわかりませんが、敢えて森の奥に入りましょう。森の中で遭難した時の為に、人間が小屋を建てているのをよく見かけます。そこを見つければ、一時的に寒さを凌げるはずよ」

「だが、もし小屋がなかったらどうするんだ。夜の森に入るのは危険だぞ」

「でも、このままではどの道皆危ないわ。試してみる価値はあると思うの」


 グレイルの問いに、レティリエが真っ直ぐな瞳でしっかりと頷く。先程までのか弱い姿と違った、その凛としたただずまいに、グレイルは少しだけ彼女への認識を改めた。


グレイルの先導に、他の者達も頷きで返す。六人は道を逸れて、森の中へと進んでいった。


※※※


 森の中はより薄暗かった。光が木々によって遮られ、体感温度も先程よりかなり低い。日も完全に傾き、いよいよ凍えそうになった所で、セスが何かに気がついたかのように前方を指さした。


「見てください! 灯りが見えます!」


 見ると、木々の間からうっすらとオレンジ色の光が漏れている。六人は急ぎ足でそこへ向かい、その場所を見て目を見開いた。

 そこにあったのは、三つの小屋だった。小さい木造の小屋が、三棟並んで建っている。あまりにも不自然すぎる光景だが、今はなりふりかまってはいられない。これ幸いとばかりに六人は近付いて行き、まずはグレイルが端の小屋の扉を開く。


「……何だこれは」


 中にあったのは、小さな暖炉と一枚の毛布のみ。部屋は狭く、六人が一棟に入るのは窮屈そうだ。グレイルの後ろからセスがひょこっと顔を出し、部屋の中を見て眉をひそめた。


「何というか、随分あからさまな作りですね……」

「ああ。完全に一度は見たことがあるやつだな。何か作為的なものを感じる」

「でもそうも言っていられないですよ。女の子達が可哀想です」


 カートの言葉に振り向くと、可哀想なくらいに震えている三人の女の子達の姿があった。ベタすぎる展開になるが、ここは素直に従うしかない。男達は付き添っていた女の子を連れ、それぞれ小屋の中に入っていった。



※※※



 中に入ったグレイルは、早速暖炉に火をつけた。小さい暖炉だが、狭い小屋の中を暖めるには十分だ。小さな火種がやがてパチパチと音を立てて爆ぜるまで大きくなると、グレイルは扉の前でマントにくるまりながらモジモジしている銀髪の女の子を見た。


「どうした? 来ないのか?」


 優しく声をかけると、その細い肩がピクリと震える。おそるおそるグレイルを見るその金色の瞳は切なそうに潤んでいた。


「そんな格好じゃ寒いだろう。こっちへ来い」


 言いながら畳んである毛布を広げる。明らかに二人でくるまりなさいと言わんばかりの大きさのそれは、確かに二人を包むには十分すぎるくらいの大きさだった。だが、戦士たるもの女人を簡単に懐へ入れることはできない。グレイルは立ち上がってレティリエの側によると、その小さな体に大きな毛布を被せてやった。


「これはお前が使え」


 厚手の毛布を被せてやると、小柄な体がすっぽりと覆われた。彼女は毛布に手を添えながらこちらを見上げ、何かを言いたそうにきゅっと拳を握る。グレイルが訝しげに彼女を見ると、レティリエの唇がふるっと震えた。


「……私、……です」

「ん? なんだ?」

「私、あなたに温めてもらいたいです!」


 そう言うと、レティリエが突然抱きついてきた。毛布がハラリと床に落ち、剥き出しの肩が露わになる。自覚があるのか無いのか、グイグイと押し付けられる柔らかい感触に、グレイルは狼狽えた。


「ま、待て! 落ち着け!」

「いやです! 早くぎゅってしてください」

「わかった! わかったから一回離れてくれ! おい俺を押すな! うわっ」


 グレイルの腰に手を回して力いっぱい抱きついてくるレティリエの勢いに押され、グレイルは弾みで後ろに倒れた。レティリエが怪我をしないよう咄嗟に彼女の腰を抱いてしまったのがあだとなり、床に尻もちをついた途端に彼女の美しい顔が至近距離に近づく。


「あっ……」


 レティリエが声をあげ、大きな目をパチクリさせる。長いまつげに彩られたパッチリとした金色の目とバラ色の頬。艷やかなさくらんぼ色の唇が目と鼻の先にあり、グレイルは思わず目をそらした。

 と同時にレティリエが指を伸ばし、グレイルの首筋をすっと撫でる。彼女の指が自分の肌を滑り落ちる感覚と共に、ゾクリと体が震えた。だが、一方で冷静な自分が頭の片隅で警鐘を鳴らしてもいた。


(これは誰かが俺を試しているんだな)


 雪山に都合よく現れた山小屋。会って間もないのに自分を誘惑してくる美女。そう、これは罠に違いない。彼女に堕ちた瞬間、いかがわしいスキンヘッドの男とかが出てきて金を要求してくるとか、そういうやつだ。戦士たるもの、こんな誘惑に簡単に落ちるわけにはいかない。グレイルは心の中で決意を固めるが、そんな彼の心境など知らないレティリエは尻尾をパタパタと揺らしながらうっとりした目でグレイルを見つめていた。グレイルの膝の上に乗ったまま、ほっそりした腕を両肩に置いてぐっと顔を近づけてくる。


「もっと近づいても、いい?」

「えっ? あっ、まぁもう十分近いと思うんだが」

「太い腕……素敵。ガッチリしていて胸板も厚くてとても男らしいのね」

「そ、そうか? あ、ありがとう」


 思わず礼を言ってしまった自分がアホみたいに思えてグレイルは心の中で自分を殴りつけた。しっかり意識を保とうとするも、視線はつい目の前の彼女に向いてしまう。グレイルの胸板に手を置きながら、レティリエが上目遣いで見上げてくる。


「あの、キスしても良いですか?」

「は? な、何でそうなるんだ。俺とお前はそういう関係じゃないだろう」

「わかっています。でも、なんだか私、どうしようもなくあなたに惹かれてしまうの。もしかしたら私達、前世で恋人同士だったのかもしれないわ」

「かと言ってキスするのはまずいだろう!!」


 グレイルが悲鳴をあげるが、レティリエは華麗に無視して鼻先を近づけてくる。彼女が迫ってくるにつれて、その艷やかな肢体が嫌でも目に入った。胸元がざっくり開いているドレスからは豊満な胸が零れ落ちそうな程に見えているし、うなじから肩周りのラインも眩しいほどに細くて白い。豪華な胸元と対比してきゅっとくびれた柳腰は匂い立つような女の魅力を存分に醸し出していた。

 本編には出ていないが、実はグレイルはわりと肉感的な美女は嫌いではなかった。むしろどちらかと言うと結構好きだった。自分が大柄で筋肉質なせいか、小さくて柔らかくてふわふわした生き物にはつい惹かれてしまう。


(まずい、このままでは)


 迫りくる欲望に抗おうと、グレイルは頭の中で最近仕留めた獲物を数え始めた。ウサギが三匹、シカが二頭、イタチが七匹、カモが八羽、メロンが一つ、イノシシが一頭、メロンが二つ。視界の端でチラつくメロンにとうとう堪えきれなくなり、グレイルはレティリエの肩に手を置くとグッと引き離した。


「いい加減にしてくれ。お前はどこの回し者だ? 何か魂胆があるなら言え」


 鋭く睨みつけると、レティリエが身を起こして驚いたように目を丸くする。一拍置いて、大きく見開かれた金色の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。急な彼女の変化に、グレイルもギョッとする。


「な、何で泣くんだ!? す、すまない。少し厳しく言い過ぎたか」

「いえ、違うんです。ごめんなさい……あなたは何も悪くないの」


 ポロポロと涙をこぼしながらレティリエが手の甲で涙を拭う。グレイルの膝の上に乗ったまま、彼女は潤んだ瞳でこちらを見てきた。

 

「私、あなたと一緒にいると、胸が熱くなってドキドキして落ち着かなくなるんです。だから、この旅が終わってしまえばあなたに会えなくなると思うと悲しくて……」

「何を言うんだ。お前と俺は会ったばかりじゃないか」

「ええ。でも初めて会ったような気がしないの。あなたの声も、力強い所も、優しい所も全部好き。大好き……」


 そう言いながらレティリエがそっとグレイルの手を握る。


「一度だけで良いです。私にキスしてもらえませんか? その後、私はもうあなたには近付きませんから……」

 

 絞り出すように紡いだ言葉は震えていた。例え恋愛感情はなくとも、女性にここまで言わせて断れる男などいるのだろうか。据え膳食わぬは男の恥というではないか。目の前にいるのは膳どころかフルコースみたいな子ではあるが。それに、グレイルの中にもどことなく彼女に惹かれる気持ちもあった。どこか懐かしく、ずっと大切にしてきた女の子。そんなはずはないのに、彼女といるとふとそんな気持ちになるのだ。

 グレイルは意を決すると、床に手をついてぐっと身を起こした。


「……わかった。一度だけだぞ」

「え? 本当に?」


 目の前で萎れそうな程に泣いていたレティリエの涙が一瞬で引っ込んだような気がしたが、そんなことはもう気にならなかった。目を輝かせてパタパタと嬉しそうに尻尾を揺らす彼女が可愛らしくて、グレイルはふっと微笑むと、そのままそっと彼女の顎に手を添えて静かに唇を重ねた。吸い付くようなしっとりとした唇に狼(比喩)になりそうな自分を理性で押し止める。その瞬間、脳が揺さぶられる感覚があり、二人は唇を離してハッとした。


「あら? 私達何をしていたのかしら……」

「これは……以前までの記憶か? 俺達は記憶を消されていたのか」


 パチパチと目をしばたかせるレティリエに、グレイルが冷静に返す。なぜだかわからないが、六人は記憶を消された上でこの世界に放り込まれているようだった。グレイルの膝の上に乗ったまま、レティリエが口元に手を当てて考え込む。


「私達がこの状態ということは、セスさんやカートさん達も記憶が消されてるということよね」

「ああ。なぜこんなことになっているのかはわからないが、その……キスをすれば元に戻るということなんだな」

「ええ、そうね。あの子達、大丈夫かしら……」


 それぞれの世界で恋人同士になったとは言え、セスやカート達はまだ恋人関係になって間もない。記憶が失われていたとは言え、とうの昔に夫婦になっていた二人は行動が早かったが、残りの二組はまだまだ時間がかかるだろう。レティリエが不安そうに眉を潜めていると、グレイルが笑いながらレティリエを抱きしめた。


「きゃっ! もう、いきなりどうしたの?」

「いや、レティは可愛いな」


 自分の腕の中にすっぽりと収まってしまう愛妻の首筋にそっと鼻を近づける。記憶を失っていても、自分を大好きだと言ってくれる彼女がなんともいじらしく、愛おしい。そのままキスをしようと顎に手を添えるが、レティリエがペチとグレイルの鼻先を叩いた。


「もう。あなたは女の子に迫られたらすぐにキスしちゃう人なのね。浮気したらダメよ」


 そう言ってレティリエが口を尖らせてプイっと横を向く。いやそれは相手がレティだったからとか、他の女の子には心が動かされたことなど一度もない。とか、言いたいことは色々とあったが、ここは素直に謝るのが夫婦円満のコツだ。

 彼女の体を抱き寄せ、額にキスをしながら「すまない」と一言告げると、レティリエが一瞬恨めしげにこちらを見たが、すぐにはにかみながら微笑んだ。

 

 暖炉の火がパチっと爆ぜて二人を温かく見守っていた。




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