しじま・ミッドナイトラバー

村田天

第1話 人見恭介の目的




 八月三十一日。自室のベッドで天井を見ていた。

 昼飯を食べてからずいぶんと長くそうしていたように思える。気がつくと壁に掛けてある時計の針がさっき見たときより大きく動いていた。

 俺は起き上がって、エアコンがやや効きすぎた部屋を抜け出して外に出た。


 夏の午後五時はまだ明るい。

 外は蒸し暑く、台風の前のようなぬるい風が吹いていた。空気に混ざって雨の匂いがしたので、玄関に戻って傘を手に取った。


 俺は夏休み中に会った同級生とした約束をはたすために高校へ向かった。





 見慣れた校門をくぐる。

 夏休みの最終日。校舎は閑散としていた。とはいえ、部活で登校している生徒もいるらしく、どこに散らばっているのかはわからないが、人の気配はしていた。

 わざとゆっくり来たくせに、どこか焦ったような気持ちを抱えて昇降口に入る。


「おう人見ひとみじゃねえか」


 低く野太いガラガラ声がしてそちらを向くと、野球部の古賀こががいた。

 膝に土のついた練習着のまま、下駄箱でスポーツドリンクを飲んでいる。俺に気づくとニカッと笑みをよこしてみせた。

 大人っぽいを通り越してオッサン臭い貫禄まで出てきている彼は、着ている服が違えばとても高校生には見えないだろう。


「お前、こんな時間に何やってんだ?」


 俺の心にあるわずかな後ろめたさなど、知るよしもない古賀は屈託なく聞いてくる。


「ちょっと、忘れものを取りにな」

「今日で夏休み最後だぞ。明日にすりゃよかったのに」

「明日じゃ遅いんだよ……たぶん」

「ふうん……宿題かなんかか?」

「そんなとこだ」

「嘘つけ! お前初日に終わらすタイプだろが……! あ、そうだ。明日始業式のあと集まるんだけどお前も来れないか?」

「集まり?」

「加藤が失恋したらしくて、落ち込んでるらしいんだよ」

「またかよ……」


 俺と古賀と同じA組にいる加藤は恋多き男だ。消しゴムを拾ってもらったといっては失恋し、次の日にはそれを一言慰めてもらった相手にまた失恋してるようなやつだった。


「今度の相手は誰」

「それが今回ばかりはなぜか言おうとしないんだよ。クラスにはもういないよなぁ……? あいつもう全員に振られてるんじゃないのか?」


 確かにハイペースで振られているが、クラスにだって、わざわざ数えてないが告られてない性別女子はまだ一人か二人はいるだろう。

 それに二年生はAからFまで六クラスあって女子は各十六人ほどいるわけだから、加藤の守備範囲の広さなら、他クラスも入れればまだまだいるだろう。先輩後輩も入れればもっと増える。


「まぁ、夏休み中だったし、コンビニの店員さんとかじゃないのか」

「それも夏休み中に何度かあって、もう奴は近所に使えるコンビニがなくなったらしいが……どうも今回も学校の相手らしいんだよ」

「で、結局相手は誰だったんだ? 誰かしら知ってるだろ」

「いや、それがわからなくて、みんなで予想してたんだよ」

「有力候補は?」

「それは……今回は見当もつかなくてな、とりあえずD組の雪織ゆきおり千尋ちひろの名前が挙がってる」

「知らないな」

「“顔だけ美少女“って言われてる。目立つからお前も見たことくらいはあると思うぜ」

「たぶんねえよ……」


 雪織千尋は長い黒髪に白い肌、小さな顔に大きな瞳を持つ浮世離れした美少女らしい。線が細くいかにも儚げな容姿だが、勉強はそんなにできないし、運動は激しくできない。やる気もない。おまけにかなりのドジ。噂によると大食いで部屋も散らかっているらしい。

 加藤とは特に接点がないようだが、逆に接点なく惚れる相手として選出された顔のいい女子ということだった。


「その人だったとして……加藤が振られるなんて公園に木が植えてあるくらいよくあることだろ。いまさら騒ぐこともない。うまくいったならともかく、振られるのが日常なんだから」

「いや、だから今回はちょっと異常なんだってばよ! マジで暗いんだ。どんな女子に振られても翌日には別の女子に失恋しているたくましいあいつが……振られすぎておかしくなったのかも」

「まー、加藤ならそれでもそのうち立ち直るだろ。放っておけよ……」

「お前ドライだなぁ……加藤とは中学からの友達じゃねえのか?」

「確実に“友達“じゃあねえな。じゃ、俺もう行くぞ。また明日な」

「おう。明日気が向いたら来いよ」

「うん。たぶん行かねえわ」


 古賀と別れて教室を目指す。

 俺には今日のうちにやることがあった。加藤どころではない。





 夏休み中に会った百合川ゆりかわ鞠奈まりなに頼まれたこと。それは彼女の個人ロッカーの中身の回収だった。休み中ずっと気がかりにしていたことであったが、当初はそこまでやる気がなかった。

 けれど、最終日の今日になって結局俺は来た。状況が変わったのだ。


 個人ロッカーはひとりにひとつずつ与えられている。生徒たちは鍵を渡され、それを一年間使い、進級あるいは卒業のおりに返却する。

 教室前の廊下に並ぶロッカーから百合川の名前を確認した。


 手を伸ばしたそのロッカーは鈍い感触でガツンと引っかかり、開かなかった。鍵がかかっている。


 そのとき思い出す。夏休み中に会った百合川は、鍵を渡そうとしていた。俺はそれを受け取らなかった。


 小さく舌打ちをした。

 このまま帰ってもいい。しかし、ここまで来たからには目的を遂行したい。無駄足を踏んだ徒労感を味わいたくない。


 個人ロッカーの鍵は学校にもスペアが保管されている。その管理は普段は風紀委員がやっていた。

 鍵を家に忘れた人間は風紀委員に言い、書類に名前を書いて貸し出しを受け、その日の放課後に返却するのだ。

 風紀委員はまず職員室に行き、備品室の鍵を借りる。さらにそれを持って本館と離れた東校舎にある備品室に取りに行くという面倒な流れがあった。


 俺は一年のころ風紀委員だった。一時期先輩のひとりが頻繁にロッカーの鍵を忘れ、そのたびに俺が貸し出すことになった。その先輩はいつもクラスメイトの風紀委員に言わず、毎回俺のところに来ていた。


 頻繁に取りに行かされていたので、やがて面倒になり、昼休みに抜け出してこっそりスペアキーを作り東校舎に隠すようになった。そのまま進級してその先輩は卒業し、委員会も変わりすっかり忘れていたが、そのとき作った鍵は今も同じ場所にあるだろう。



 久しぶりに訪れた東校舎の玄関は夏休み中のため、鍵がかかっていた。

 しかし東校舎に限っては、玄関が施錠されていてもいくらでも侵入方法があった。

 たとえば一階の窓の鍵は一箇所、ずっと壊れていて、そこそこの人数がそれを知っていた。

 学校側も現在ほとんど使われておらず、そのうちに取り壊しが予定されている東校舎の修繕には腰が重い。俺は壊れた窓からやすやすと東校舎に侵入した。


 中は薄暗いが、夏の日は長く、まだ落ちきっていない夕方の光が窓から入ってきていた。


 ふいに薄闇の中、人の気配を感じる。

 方角まではわからなかったが、それは荒い息の音であり、足音であり、ひとつひとつは小さな気配の集合体だった。


「ヒトミィ……」


 自分を呼ぶ声が聞こえ、息を呑み振り返る。

 暗闇の中、棒立ちでそこにいたのは振られ男の加藤だった。

 加藤は天パの天然アフロで、髪のボリュームが半端ない上に顔もデカいので暗闇で見るシルエットはわりと特異だ。

 目は薄闇の中でもギラギラ光っている。よく見ると涙がダラダラ出ていて、異様だった。


「加藤、こんなところで何してんだよ」

「人見ぃ、オレはぁ……もう死のうと思ってさぁ、ここにいたんだよぉ」

「そうか」

「アレ? ちゃんと聞いてた? オレ、死のうと……」

「聞いたよ。顔が近いな。離れろ。それ以上俺に伝えなくていい」

「ちょちょっ、ちょっと待てよ! 冷たいなー! 人が死ぬって言ってんだからよ! もっとなんか言うことあんだろ!」

「俺は本人の意思を尊重するよ」

「いや、先に少しくらい説得するのが人情ってもんだろ!」


 加藤は言いながら俺の肩を力強く掴んでくる。必死の形相で、何がなんでも止めてもらう気満々なのが伝わってくる。……こいつは止めずとも絶対死なないし、なんなら人類がほぼ滅びたあともひとりで駆けまわってるタイプだ。


 加藤は俺の肩を掴んだまま近くの教室に入り、「まぁまぁ、これを見てくれ」と言った。

 そこには机が四つくっつくように置かれていた。上に極太の荒縄があり、縄の上部は円形に結ばれていた。一応自殺を考えたのは本当らしい。


「加藤、この縄、どこで買ったんだ?」

「えっ、ホームセンターだよ……」

「西口の?」

「うん西口の」

「東口から少し行ったとこにもうひとつあるだろ」

「ああ、あっち少し遠くって」

「でもあっちのが全体的に安い」

「マジかよぉ……損した……」


 この期に及んでこづかいの残金を気にしているこいつはやっぱり死ぬ気がない。

 

「お前これ……どうやって天井からつるすつもりだったんだ?」

「そうなんだよ。それがサッパリでさぁ……なんかないかと探しに出てきたんだよぉ」


 縄を持ち上げて目を細め、観察してみる。


「そもそもこれ、太すぎるだろ。綱引きとかのサイズじゃねえの」

「太いほうが、なんかそれっぽいと思ってさぁ」

「何かしようと思うときは、それっぽさより実用性を気にしろよ」

「いや、オレ形から入るタイプでさぁ……フヒヒッ」


 いつもの笑いを浮かべた加藤はもうすっかり元気そうだ。


「うん。じゃあ俺用事あるから、あとは勝手にやってくれ」


 そう言って教室を出ようとしたところ、再び肩を力強く掴まれる。


「びどみぃー! オレ、死のうとしてたんだってばよおぉー!」

「それはさっき聞いた」


 加藤は椅子をガガガと引き摺り、向かい合わせに並べて片方に座れと、激しく手をぶんまわしゼスチャーしてきた。


 ややゲンナリしながらそこに座る。


「オホン……聞いてくれ……」

「聞きたくねえな……」

「聞いてよ。聞かなきゃ死ぬよ?」

「……勘弁してくれ」

「……ついに百人目なんだよ……」

「何が……?」

「オレが……入学してから振られた回数……」

「あぁ……」

「百人目だ……」

「もうそんなになるのか……増えたな」


 加藤の長い話が始まった。

 しばらく適当に聞いてやっていたところ、突然廊下からゴン、と音がして、二人で黙り込む。

 俺は扉を背にしていたため、そっと振り向いた。


 開け放したままの扉の奥には、闇があるばかりだった。


 顔を戻したとき、加藤が惚けたような顔で口を開けていた。


「今……一瞬天使が見えた」

「は?」


 加藤は言いながら目をゴシゴシ擦る。


「いや、すっごい美少女が……扉のとこからオレを見ていたんだよ……」

「……いるわけないだろ。こんなところに。いたとしたら幽霊かなんかだろ」


 重いため息混じりに言うが、加藤は勢いよく立ち上がる。


「幽霊でもなんでもいい! オレ! ちょっと行って告ってくる!」

「おま……ちょっとは学習しろよ! 幽霊だったとしても告白っていうのはもっと慎重に……」


 加藤は俺の話を聞かず駆け出していく。

 扉の前でキョロキョロしたあと、エントランスのほうをめがけて猛ダッシュしていった。


 遅れて扉の外に出たときにはもう、加藤の姿は見えなかった。

 聞いていた通り少し落ち込んでいたようだが、あれだけたくましいのだから大丈夫だろう。俺も本来の自分の用事に戻ることにした。





 備品室は二階。階段を上がって備品室を通り越し、端に置いてある掃除用具の入ったロッカーの上に手を伸ばす。


 あった。


 俺がこっそり作ったスペアキーだ。おそらく去年から誰も触っていないと思われるそれは、摘み上げると指先に埃がベッタリとついた。ポケットに鍵を入れてからパン、パン、と手を払う。


 備品室の鍵をガチャガチャとまわしたときに違和感に気がついた。


 鍵はなぜか、すでに開いていた。


 中に、誰かいるのだ。


 さきほど、加藤と話しているときに背後でした気配のことも思い出す。

 さっとその場を離れた。

 この部屋に誰かがいるとすると、そいつは正規の鍵を持っている可能性が高い。見つかってはならないのは間違いなく俺のほうだった。




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