俺、遅刻届を小町先生に提出する

 昼休みに俺は遅刻届を書きに担任のところへ行った。

 俺のクラス、二年B組の担任は数学教師の小町先生だ。

 俺の高校、御堂藤みどうふじ学園は元女子校の名残りなのか女子生徒が多い。学年にもよるが六割以上が女子だ。しかも女子は存在感があるので三人に二人女子がいる印象だ。だから今でも女子校だと勘違いする人もいる。

 そうした元女子校だったことが背景にあるのか、教職員も女性が多かった。生徒以上に女性の比率が高い。二年生は八クラスあるが男性教師が担任を務めるのは一クラスだけだった。残り七クラスは女性教師が担任。そのうち五人が二十代の若い先生。小町先生はその上から二番目だった。三十まで二年ないのではないか。

 小町先生を見つけるのは簡単だ。授業以外は職員室に引きこもっている。そしてあの美貌。

 ほとんど表情が変わらない冷徹なまでの美貌は、美人ばかりだと囁かれる御堂藤学園女性教師の中でも一、二を争うものだ、と俺は思っている。

 その小町先生に叱られるのを俺はひとつの趣味にしていた。

「あら、千駄堀せんだぼり君じゃない。まだ昼休みよ、補習の時間でもないわ」

 いつも無表情の小町先生がキョトンとした顔を俺に向けた。結構可愛い。いや可愛すぎる。ふだん悪役女優みたいなのにこんな顔をすることがあるのかと俺は感動した。この顔は俺だけのものに違いない。

「遅刻届です」俺は庶務課で手に入れた紙に必要事項を記入して小町先生に提出した。

「今日じゃない。そういえば、いなかったかな、千駄堀せんだぼり君」

「出席とらなかったのですか?」

「とったと思うけど、気づかなかったわ」

 じゃあ、俺、遅刻届け出さなくても良かったんじゃね?

 しれっと朝からいたように振る舞っていれば良かった。

「存在感を消している千駄堀君が悪いのよ」俺のせいですか。

「傍観者ばかりやっていて、舞台で演技しないから」小町先生が俺を見た。少し笑っている。

 四月から何度も呼び出されたりして小町先生の生態には詳しくなった。無表情の中にわずかだが感情による変化が現れる。今は俺をいじって喜んでいるのだ。

「俺、介入するとろくな目にあわないですから」

「それで今日ろくな目にあわなかったわけね。遅刻の理由は何かしら」小町先生は俺が書いた書類に目を通した。「交通機関の遅延と書いてあるけれど、遅延証明は?」

「ありません。バスでしたし」

「バスはよく遅れるものね。でも四十分も遅刻するものかしら」

「他にもいろいろありまして」

「何かしら、それを書かなきゃダメよ」

「まあ、寝坊です」面倒だからそうすることにした。

「正直でよろしい。それでまた動画視聴とかして夜更かししたのね?」

「そうですね」

 俺は何度かの小町先生とのやりとりで、自宅で本を読んだりネット動画を観るのを趣味にしていると伝えていた。俺がなかなか課題提出をしないものだから、業を煮やした小町先生が、どうして時間がないのか問い詰めたからだ。

「わかりました。これからは気をつけてね」

 小町先生がどうにか納得したので、俺は職員室を離れた。

 これからは遅れそうになっても近道はやめよう。そして余計なお世話はしないことだ。俺は俺自身に言い聞かせた。


 俺は昼休みの残りの時間を適当に潰した。中庭をうろついたり、図書室へ行ったりして、何か見ものがないかと思ったが、俺を満足させるような寸劇はなかった。

 いや、もっと集中していれば何かしらあったのだろうが、朝のが強烈に頭に残っていたのだ。

 俺は現実の人間ドラマを鑑賞するのが好きだ。

 フィクションのドラマやラノベ、アニメも好きだが、リアルを観るのも面白い。全く予想外の展開になることがあるし、ロジカルでない意味不明の行動規範で動く人間もいるからだ。

 だから俺は、ふだんから自分の存在感を極力消して鑑賞している。それもなるべく舞台がよく見える観客席にいて、自分が興味を覚えた登場人物の動きを追うのだ。

 しかし現実はなかなか厳しい。そもそも現実には観客席というものがない。同じ舞台に立って鑑賞せざるを得ないのだ。登場人物のすぐそばで、登場人物たちの動きを観る。そのためには自分の存在感を消すスキルは必須だった。

 そう、俺は傍観者バイスタンダーだった。

 傍観者は自らの存在感を消し、舞台で繰り広げられる劇に決して介入しない。もし介入したら台無しになる。傍観者自身にもとんだしっぺ返しが食らわされるのだ。

 それがわかっているから俺はいつもおとなしくしていた。

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