第25話 片思いの月

「あ、その……、変なことはしないよ!

ただ、帰れないとなれば、ここに泊まるしかないかな……なんて……」


早川君が私に手を出さない、いや、出せないのは百も承知だ。

私が心配しているのは、この事が後で美鈴に知られたら大変な事になるからだ。

だからと言って、現状どうすることもできない。


「あ、だから泊まるといっても、小説の続きを徹夜で書いても良いし」

私が躊躇していると早川君が続けた。

こうなると仕方ない。早川君の言う通り小説の続きを書いて夜を明かし、始発で帰れば良い。日曜に書く予定だったものを今から書けば良いのだ。


泊まるといっても、寝るわけではない。

だったら、正直に説明すれば美鈴も分かってくるはずだ。

私は都合の良い理屈で自分を納得させる。


「そ、そうね。明日――もう日付は変わってるけど――予定してた分をこれから書けば良いのね」


「うん、そう言うこと。

僕は二日連続で徹夜になるけど 笑」


「き、昨日も徹夜したの?」


「ま、まあ……、ずっと起きてた訳じゃないけど、ほぼ徹夜かな。

蜂谷さんが凄くて」


私は早川君と美鈴の姿をアダルトビデオで演じている男優と女優に重ねて想像した。

二人は、あんなことを徹夜でしたんだと思うと、顔が熱くなる気がした。


「そ、そうなんだ、ミリンがそんなに凄いなんて……、ちょっと意外」

美鈴は彼氏(元)が居たころ、いつもセックスに対して不満を漏らしていた。

彼氏(元)が求めるから応じてるけど、「正直、気持ちよくない」と赤裸々に語っていた。


それが、徹夜で早川君と……。


「あ、でも昨日の様子だと、そんなに意外ではないのでは?」

「昨日? そうか、かなり気分が高揚してたみたいだし、その勢いかな?

でも……、その……、早川君って、初めてだったんでしょ?」


「ま、まあね。

初めてだから、もう大変だったよ。頭はクラクラするし」


頭がクラクラする程、良かったという事なのだろうか?

そんなにもセックスとは気持ちが良いものなのだろうか?


私は、以前観たアダルトビデを思い出した。

男優と女優は光悦とした表情をしていた。

またしても、あの二人に早川君と美鈴を重ねてしまい、私はさらに顔が熱くなるのを覚えた。


「あれ、綾瀬さん。顔が赤い?

まだ酔いがさめていないのかな?」


「う、うん。でももう大丈夫だと思う」

「綾瀬さんも初めてだったから、お酒の適量がまだ分からなかったんだね」


(その初めてとお前の初めては違うだろ!)

初体験と初めてのお酒を同列に扱われ、少し腹が立つ思いがした。

だけど、怒っている暇はない。私には必要なものがあるからだ。



「早川君……。

わたし、コンビニでお買い物したいから少し外に出るね。顔がまだ火照っているから、外の空気にも当たりたいし」

「だったら、僕も行くよ。

こんな夜更けに女の子一人だと危ないし、僕も飲み物を買うから」


「でも……」

「平気平気、さあ、遅くならないうちに行こう」


正直なところ、一緒に行きたくはなかった。

シャワーを浴びたいので、下着だけでも着替えたかったのだ。

そのために、コンビニで下着を買おうと思ったのだけど……。


表に出ると、夜更けだというのに結構な人がまだ駅前にはいた。

皆、これからどうするのだろう? と思いつつコンビニに入ると、そこで早川君と別行動をとり、生活用品の棚へと急いだ。


その時、スマホが震える音が聞こえた。


「誰だろ?」とスマホを確認すると、千佳からのメッセージで埋まっていた。


<オーイ、カノン>

<本当にどうしたの? 大丈夫?>


マナーモードになっていたため気づかなかったが、私が寝ている間にメッセージを送っていたようだ。


<あ! やっと既読になった!>

<カノン、何かあったの?>

<まさか、オオカミのとこ?>


「こ、これは……」説明するのが面倒だ。

それに、悠長にメッセージをやり取りしている暇はない。


<ごめん、軍曹>

<後で説明する>



<こらー! 軍曹は貴様だろ!>

<ワタシは曹長だ>


<本当にごめんなさい>



私はスマホの電源を切った。

今、この場では、とても上手く説明できないし、それよりも何より私は下着を買わないといけない。

レジを確認すると、早川君は既に会計を済ませている。


早川君に見られないように、私はカゴに下着と歯磨きセットを入れて、別のレジに並ぶ。横目で確認すると早川君はそのままお店の外に出て行ったので、私は安堵のため息を漏らした。


会計を済ませてお店を出ると、早川君は待っていてくれた。

「お待たせ、ごめんね。つき合わせたうえに待たせちゃって」


「ううん、平気だよ。それより、この時間だと結構冷えるね。早く戻ろうか」


「うん」と言いながら、少し小走りになって早川君の後を追う。

腕に手を掛けたいが、それもできず、私は離れていきそうな早川君の後に必死でついていく。


マンションの近くになって、ようやく早川君は、私が小走りになっていることに気づいて歩くスピードを落とした。


「ご、ごめん。また歩くのが早くなってしまって……」

「ううん、大丈夫。夜も遅いし、身体も温まったから 笑」


そう言いながら早川君を見上げると、頭上高くに半分欠けた月が、ひと際明るく輝いているのが目に留まった。

私は、思わず足を止めて、空を仰いだ。


「月がきれい……」



あの半分欠けた月は、今の私の気持ちだ。ようやく隠すことなく自覚している。私は早川君が好きだ。でも、いまさらどうにもならない事も分かっている。


月を半分だけ明るく照らしている部分は私の気持ち。そして、もう半分は光が届くことがない、満たされない気持ち。



あれは……、片思いの月だ。




私が立ち止まり想いを巡らせていると早川君も立ち止まり、顔を上げる。


「きれいな半月だね。あんなに輝いていて明るいのに、半分しか満たされてない。

まるで、今の僕だよ……」



「え?」


「あ、いや、何でもない独り言……」



「う、うん……」



昨日、早川君は恋を成就させたはずなのに、なぜ満たされないのだろう?


(もしかして、今一緒に居るのがミリンではなくわたしだから?)


おんな愚かな考えが頭を過り、私は卑屈になる。

こんな顔を見られたくないと思い、私は少し俯いた。




月よ、ちょっとだけ遠慮してよ。





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