愛されたい元天使と愛したい元巫女は、狂愛を誓う

剣崎 夢

プロローグ

愛されたいと願った。


百年、一万年、五万年の時が経っても願い続けた。


人類が天空まで届く塔を建てようが、箱舟を造っていようが気にしなかった。


ラビア様に愛されたい。


それが私の願い。


宮殿廊下の窓から月明かりが差し込む。


仄かに不気味で神秘的要素が含まれている明かり。


肩を窓枠に凭れさせて、空を見上げる。


漆黒に染まる夜空に幾つもの星空が煌めき、妖美な月が顔を覗かせる。


今日は、ハレー彗星が降る。全ての天使が部屋に籠って、愛する人と夜空を見上げる特別な日。


家族、恋人、主人、一夜を過ごす人が居て、どれほど幸せなのだろう。


私には、恋人も家族も居ない。


主人であるラビア様は居るけど、幾年の時が経ってもラビア様から誘われたことは一度もない。


だから今回、部屋に参上する話が来たとき嬉しかった。


上級天使は、数十人の下級天使や中級天使を抱えている。


その中から指名して部屋に呼ぶということは、特別な存在として位置付けている証拠。


話が届いたとき、胸が絞めつけられるほどの幸福を感じた。


髪先を指で遊ばせながら、髪を見つめる。


所々茶色く濁った黒髪。直ぐに絡まる不潔な質感。


髪を鼻に近づけると、糞のような悪臭がする。


天使は茶髪か白髪が一般的。でも私だけが黒髪で生まれた。


容姿が違うだけで、私は周囲から孤立。


ラビア様も私の髪を見て、"不潔"と罵った。


他の天使に罵られても気にしない。だけどラビア様には、嫌われたくなかった。


幾度も髪を泥や土で揉み込んで汚した。


糞尿に浸かって髪色の変色を試みたこともある。


それでも髪色が完全に変わることはなかった。


今にも聞こえてきそうだ。


私が必死に髪を汚している光景を見下しながら、嗤いを上げる天使たちの声。


指に絡ませた髪を鷲掴みして引っ張る。


頭皮に痛みが走った。


抜けた髪を捨てて、床に散らばった髪を見ながら人差し指の爪を噛む。


他の天使なんて消えちゃえばいいんだ、そうすればラビア様はきっと私のことを……。


噛んだ指を解いて、夜空に燦然と輝く空を見つめる。


「ラビア様……」


微風が頬と瞼を撫でる感覚が伝わってくる。


そのとき、頭痛がした。


棒でつむじを軽く叩かれたような痛み。


痛みに併せて勇ましい声が聞こえた。


"早く来い、ハエ"。


ラビア様の声だ。


声が終わりを告げると、頭痛が綺麗に収まった。


少し怒っている声質だった。


早く行かないと、また怒られる。


凭れていた壁から離れて、急いでラビア様の元へ向かう。


ラビア様が住む場所は、宮殿内の庭に佇む純白の塔。


五〇階の右から十番目。白銀の宝飾で飾られた部屋で暮らしている。


塔へ足を踏み入れて、上を見上げた。


天井は突き抜け構造、星や月の淡い光が塔の中に降り注ぐ。


壁に沿うように螺旋階段がある。


二階から四九階は中級天使様。五〇階から九一階は上級天使様。九二階から九九階は大天使様。


階数によって、天使の階級が存在する。


百階は、神。


一度も姿は見たことない。でも、存在はしているらしい。


本来なら天使たちが、忙しなく廊下を往来する光景が見れる。


いまは誰一人も歩く姿がない無人と呼べる光景だった。


階段の構造に沿うように、七大天使様たちの功績が絵として壁に描かれていた。


赤、青、黄の三原色に加えて、暖色系の色味が施されている。


絵を一瞥して階段を登る。


五階に到達した瞬間、体力の限界が全身に圧し掛かる。


脚が微弱に震える。


翼を使えば、ラビア様の部屋へ数分で行ける。


こんなに長い螺旋階段を登る必要がない。


でも下級天使に翼はない。


翼は中級天使として加護を与えられたときに、神から賜わる神器の一つ。


純白に彩られた美しき翼。見る者に恍惚を与える優雅な羽根。


荒い息を吐きながら、柱に手を付ける。


下級天使が中級天使の加護を受ける方法は一つだけ。


主人からの仕事で優秀な成績を収めること。


そのために下級天使は、仕事を頑張るのだが。


私にとって中級天使という位は、遥か遠くの頂に聳えるそびえるもの。


登っても転げ落ちて、最初からやり直し。


何度立ち上がっただろうか。正直覚えていない。


それでも落ち込みはしない。


ラビア様に愛されるように努力しようと思った。


主人の推薦で下級天使が中級天使の加護を受けた事例もある。


柱から手を離して、前方に伸びる廊下を見据える。


翼を手に入れたら、ラビア様の隣を歩けるかな。


一週間前、中級天使の加護を受けた下級天使がラビア様の横で歩いていた。


確か夜の交じりもしていたはず。


舌打ちを零して、震える脚を強制的に前へ進ませる。


一歩進むたびに荒い息が漏れる。


様々な疑問が湧き上がった。


なぜ、こんなに弱い身体なのか。


こんな身体要らない。ラビア様に愛される身体が欲しい。


塔の中に一筋の風が吹く。


毛先が揺れて、視界の端に汚い髪が映り込む。


なぜ、黒髪で生まれたのか。


自分の髪が憎い。


優美な茶髪や白鳥のような白髪を纏って、ラビア様と話したい。


毛先を乱暴に退ける。


幾度の階段を登り、四九階に到着した。


ラビア様の部屋前に着くころには、立ち上がることすら出来なかった。


四つん這いで扉を見つめる。


豪華絢爛な重たそうな銀色の扉。


宝石が八つ飾られていて、中央に円形の鏡。


宝石の周囲に金と白が織り成す模様が幾つも刻まれていた。


上半身を伸ばして空を見上げる。


階段を上がるときに空を観察していたけど、ハレー彗星は降っていなかった。


ラビア様とハレー彗星を眺める時間はまだ残っている。


荒れた息遣いで声を上げる。


「ラビア様、私です! ラビア様の命により参上しました! 」


直ぐに返答はなかった。


もう一度声を上げようした瞬間、扉の先から勇ましい声が聞こえた。


「お前は誰だ? 」


「わ、私は――」


あれ、名前なんだったけ。


扉に嵌めこまれた鏡に映る自分を見つめる。


私の名前は、確か……。


「私は……蠅です! 」


数秒の沈黙が場を包んだ後、ゆっくりと扉が両側に開いた。


立ち上がろうとするも、脚が震えて立ち上がれない。


四つん這いになりながら、腕を伸ばして前に進む。


部屋は、白銀に彩られた宝物で溢れる。


王冠らしき品物の数々、ジュエリーやイヤリングなどの装飾品、宝石が塊として横一列に並ぶ。


壁や床は、塵一つも見当たらない白い大理石。


天井一枚ずつに一三枚の花びらが可憐に描かれていて、綺麗に整列している。


視線を微かに前へ向ける。


白銀の宝物に囲まれた部屋の奥。美麗なソファーに座る男こそ、私の主人であり運命の人。


耳元を覆うほどの白髪は、一切の綻びが見当たらない。


威厳と哀愁、相反する要素が見事に詰まった美麗な髪。


目元は狼のように鋭く、目尻は上がり気味。


天使の中でも一二を争うほどの、眼力の持ち主。近寄りがたい圧は、確かにある。


ラビア様の横に居る天使たちが視界の端に映る。


手足は細く、凹凸が一切ない純潔な肌。


胸は多少あるようだ。豊満な肉感をラビア様の強硬な身体に押し当てている。


日頃から髪を労わっているのか。汚れの粕すら見当たらない。


翼が生えていることから、中級天使以上。


舌打ちを堪えて、頭を下げる。


「ラ、ラビア様。本日はどのような――」


突然視界が揺れて、身体が床に落ちた。


髪の隙間から除くと、傍に結晶があった。


塊のような白銀の結晶で、表面の凹凸が激しい。所々に欠けた跡もある。


結晶の一か所に赤い液体が付着している。


左の視界が赤に薄く染まった。頭に手を付けて掌を見つめる。


滑らかで禍々しいほどに綺麗な血。


あぁ、本当にごめんなさい。


「お前が口に出来る言葉は、申し訳ございません、喜んで、はいの三つだけ。何回も言わせるな」


直ぐに態勢を四つん這いに直して頭を下げる。


「も、申し訳ございません」


「俺は、何度も何度も教えたはずだ」


「はい」


ラビア様の声が段々と近付いてくる。


「お前は何もできない。だから俺が直々に躾をしてる。それとも何か? お前は俺の命令が聞けないのか? 」


そんなことありえない。


ラビア様は私の主人であり、愛しの方。


ラビア様の命令は絶対だ。


「ち、違います。私は、ラビア様のことを――」


重い銅器で打たれたような音が部屋に響く。


身体の重心が下に沈み、眼前には白の大理石が間近に見えた。


左の視界に加えて右の視界も赤に彩られた。


視界が赤に変わった瞬間、何度自分を貶しただろうか。


正直覚えていないし、数えていない。


身体の痛みには慣れた。


ラビア様が怒っている。その事実を考えるだけで、心が痛い。


本当にごめんなさい、ラビア様。


何も出来ないハエでごめんなさい。


「お前は、学習すら、出来ないのか? 」


頭を銅器で殴るようなゴンッ、ゴンッという音が部屋に響く。


同時に中級天使たちの蔑んだ笑いも聞こえる。


本当に耳障りな声、鬱陶しい。


髪の隙間から垣間見える一人の女天使を見つめる。


女天使は、身体を一瞬震え立たせて、戦慄を抱いた表情で後退りする。


"生意気なハエが"そんな言葉が聞こえてきそうな顔つき。


何度目かの鈍い音を最後に、ラビア様の荒い息遣いだけが部屋に響く。


「ご、ごめ、ん、なさ――」


今までの鈍い音より、更に高い音が部屋に満たす。


ゴンッというより、ゴツッとした音。


頭が割れたのか、もしくは心か。


正直どこでもいい。


愛が残っているのなら、私は大丈夫。


きっと大丈夫。


視界に映るものは、ラビア様の足と血塗られた結晶の塊。


塊の尖った部分と側面には、泥のような赤い液体が色濃くへばり付く。


視界が赤の世界で彩られているせいで、全てが赤く見える。


「本当に言うことを聞かないハエだ。……まあいい」


ラビア様が遠ざかっていく。


手を伸ばそうとしても身体が反応しない。


糸が切れた人形のように、身体が動くことを拒否する。


なぜ私は、ラビア様に触れられないのだろう。


天使として生まれてから、一度もラビア様に触れたことがない。


他の天使たちは、ラビア様の強硬な身体に何度も触れている。


私だけ、触れたことがない。


どうして……何で、届かないの。


ラビア様は、脱力したようにソファーへ身体を預ける。


周囲の中級天使たちが、布でラビア様の手に付着した血を拭き取っている。


ラビア様は、手を中級天使に預けた状態で足を組んだ。


「お前に頼みたいことがあって今日は呼んだ」


頼みたいこと……。


胸の鼓動が急速に早くなる。


体感したことのない早さ。何度も細い棒で小突くような感覚が胸に走る。


霞んだ視界が少し腫れた気がした。


「ハエ、お前……」


ずっと考えていた。


私はラビア様のために何が出来るのだろうと。


何も取り柄のない私が出来ることは、一つしかない。


それは、愛を受け止めること。


愛の形が歪で重たくても私は、受け止められる自信がある。


いや、自信というより生き様に近い。


愛を受け止めることが私の役目。


ラビア様、どのような愛でも私は受け止めます。


だからラビア様、私を愛し――。


「お前、一回死ね」


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