第四章 神子の命
神子の命 1
数日後──司城探偵事務所。
椎羅は来客を待ち構えていた。ほどなくして玄関チャイムが鳴り、急いで開ける。
「よっ!」
そこには覚えのある男が立っていた。甲斐丈伍である。パーマがかかった髪は何日も風呂に入ってないのかベタついており、服もところどころ破れている。おまけに右腕には包帯を巻いていた。
椎羅は呆気に取られたが、あまり表情を動かさない。
「おいおい、その反応はないやんかー」
甲斐は大げさに仰け反り、芝居がかった仕草で盛大に嘆いた。しかし、椎羅の無反応ぶりが恥ずかしかったのか、すぐに真顔へ戻る。
「大変やったなー、いろいろと」
「えぇ、まぁ……」
今、司城探偵事務所には主がいない。田端侑希に刺された絵莉は総合病院で入院中だ。出血多量だったが、なんとか一命を取り留め、今は大部屋に移されて眠っている。
椎羅は絵莉の着替えや日用品を取りに戻っていた。その最中に、音信不通の霊能者が電話を寄越してきたのが数時間前だった。
その際、絵莉の状況を簡単には説明したのだが──まさか彼まで何か起きていたとは思わなかった。
視線に気づいたのか、甲斐は「あぁ、これね」と包帯を巻いた腕を見せる。
「ちょっとやらかしてね。腕だけで済んで良かったけど」
「一体何が……」
「とにかく話をさせてくれ」
そう軽く言い、彼は「お邪魔しまーす」と椎羅の脇をすり抜けて中へ入った。
「こっちです」
椎羅はリビングに入ろうとする甲斐の服を引っ張り、事務所まで案内した。途中、脱衣所に入ったので甲斐が立ち止まる。
「ねぇ、風呂入ってもいいかな? 絵莉ちゃんにはあとで言うけん」
「僕に言われても……その前に、何があったのか話をしてください」
「するよ、するする。そのために来たんやけ」
甲斐は残念そうに風呂場を眺めながら言う。
ひとまず二人は冷えた事務所に入り、向かい合って座った。ストーブをつけて部屋を温めるが、なかなか温まらない。
「それで、何があったんですか?」
椎羅が訊くと、甲斐は折れてない方の左手で制した。
「先に絵莉ちゃんのこと聞かせて。君のことも全部ね」
サングラスの奥の目がじっと椎羅を見据える。甲斐の口元は笑ってはいるものの、声音には凄みがある。椎羅は面食らい、唾を飲み込んだ。
「話したくない? それなら俺が話そっか? 君の能力とか、親とか、故郷のこととか」
その言い方はまるですべて知っているとでも言いたげだった。現に彼はこの一連の事件の全体像が大まかに把握できているのだろう。
「いえ、いいです。話しましょう……」
椎羅は項垂れ、言葉を整理しながらゆっくりと語った。
***
気がつくと、椎羅は絵莉の前に立っていた。絵莉の腹に刺した刃物を抜き、噴き出した血を眺めている。それが田端侑希の視点であることに気が付き、椎羅は来た道を引き返した。
絵莉は侑希と何かを話していた。何を話しているのかまでは分からなかった。とにかく気が動転し、現場に向かい、刃物を振りかざそうとする侑希を蹴り飛ばした。鳩尾に命中し、侑希はその場に崩れた。彼が持つ刃物が地面に落ち、草木の中へ沈む。
椎羅は侑希を掴み上げ、木の幹に思い切り打ち付けた。侑希は動けなくなり、ただただ笑みを浮かべたまま椎羅を見る。頭を打ち付けたせいか、こめかみから血が流れていた。
「痛いなぁ……キレすぎ」
そう文句を言う侑希に対し、椎羅は肩で息をしながら彼の鼻を殴りつけた。ようやく不気味な笑みも失せたが、いつまでそうしていたのか覚えていない。彼が失神するまで殴りつけていた。
その後、椎羅は侑希をその場に放置する。上着を脱いで絵莉の腹部に巻きつけて止血し、救急隊員が見つけやすいように麓まで降りた。
救急車を呼び、その場に彼女を寝かせた後、もう一度山の中へ戻る。侑希はまだ伸びたままだったので彼が目覚めるまで待つ。
その間、自分の心境を整理した。血が上る感覚があった。逆上していたと自覚していく。こんな風に我を忘れることは初めてだ。
また絵莉の負傷はやはり四年半前に救えなかった司城の最期と重なる部分があり、時間差で絵莉の安否に不安がよぎる。やはり付き添うべきか。でも、侑希を逃がすわけにもいかない。
「いってぇ……」
侑希が目覚め、苦痛に歪んだ顔を向ける。椎羅は彼の前に立ち、見下ろした。
「今のお前は誰だ? あの化物か? それとも、他の移植者の記憶が引き継がれてるのか?」
そう矢継ぎ早に問いかける。すると、彼は愉快そうに笑った。
「全部、僕の意思だよ。まぁ、他の記憶も混じってるかもしれないけどさ」
他の移植者の記憶──河井は久留島や足立の記憶を引き継いでいた。黒田は洋江の記憶を見ている。移植者たちは記憶を共有しているのだ。
「確かに〝みんな〟の記憶を全部持っているけど、僕はずっと正気だよ」
侑希は痛みに顔を歪めつつも笑みは絶やさない。
「さぁ、どうする? 全部知りたいなら僕を殺せばいい。そしたら〝みんな〟の記憶が手に入るかもよ」
椎羅は顔をしかめた。不快な笑い声が気持ち悪くて仕方がない。さっさと殺してしまいたくなるが、一線を越えてしまえば自分も彼らと同じになる。
黙っていれば、侑希は挑発するように言った。
「メギ様は順番に僕らの中に寄生する。臓器によって経由し、統合しようとしていく。その順番は移植された順番、だよね? その時、
侑希は自分の腹を指差した。
イメージする。メギが移植者を死なせた後、次の移植者へ移動する様子──その際、メギは移植者の記憶を運ぶ。
「でも僕は河井と同じ腎臓だったから、一緒に引き継いだのかもね。久留島と足立の分を一気に。河井以降の暴走化が酷かったのはさ、いろんな人間の記憶が混ざっていくからなんだ。あんたは目だったから全部見てきたんだろ。僕らは視界じゃなく、記憶を共有している。だから狂うんだろうな」
河井の怯えようは異常だと思った。直に見たわけではないが、司城が残した録音や資料を見た限り、そう思う。そんな河井に異変が起きたのと同時期に、侑希が移植手術をしていた。自覚はなくとも、その頃からメギは侑希の体や心に根を張ったのだろう。
「でもさ、僕はもともと命の尊さなんてものに興味はなかったから、天性ってやつなのかな……〝ママ〟がいなければ僕は病んでたと思う。人と違うことに悩んで苦しんだかもしれない。でも〝ママ〟のおかげで苦しむことはなかった」
「どういう意味だ」
「どういうって、僕のせいじゃないからだよ。化物のせいにすればいい」
侑希は悪びれることなく言った。
彼もまた不運ではある。しかし、こうも開き直ってしまえる神経が理解できない。
「大体、他人の命なんてどうでもいいんだよ。みんな言えないだけでそう思ってるし、できないだけで殺したがってる。そういうもんだよ」
椎羅は言葉を失った。
適合しない臓器に拒絶反応を示すように、他の移植者は化物の意思を拒絶していた。
しかし、侑希は違う。彼の言う通り天性なのかもしれない。化物、メギと近い存在で唯一の適合者なのだろう。
「どうして、絵莉さんを……?」
やっとの思いで訊くと、侑希は噴き出した。
「そうだなぁ、本当はあんたを殺したかったんだけど、〝ママ〟がダメだって言うから。だから、じゃあ
侑希の声が段々暗がりを帯びる。そこには呆れと憎悪が入り混じっていた。
「でも好都合だったよ。男殺してもつまんないし。やっぱり殺すなら女だよ。あの人、美人だし、どこか儚くて闇深そうで。でね、刺した後も僕を睨みつけてたけど、あれはゾクゾクした。泣き顔もいいけど怒った顔もいい。もう、本当に最高だった!」
そんな言葉を聞いても怒りは湧かなかった。何を言っても無駄だ。彼は正気だが、壊れている。そんな矛盾した言葉が思い浮かび、やるせなくなる。
「あー、やべ。話が逸れたな。えっと、そうそう。〝ママ〟が僕らに人を襲わせているのはさ、生贄を求めてるからなんだよ。で、〝ママ〟は後継者を探している……その後継者があんただよ、志々目椎羅」
侑希は、すっと人差し指を向けた。
「あんたは器でしかない。そのためだけに生まれたんだ」
自分が最後に振り分けられた意味──その意味は薄々気づいていたが、いざ突きつけられると怯んでしまう。椎羅は拳を握った。
その瞬間、侑希の背中から何かがぼんやりと浮かび上がった。血の霧のようなものが形を結んでいく。黒田の時もそうだった。今、メギは侑希から孵化しようとしている。
突如、一陣の風が吹いた。すると、侑希がふと上空を見た。つられて椎羅も見上げる。
「どうやら僕はもうここまでらしい」
大きなトリを模した影が真っ赤な血を垂らしながら旋回していた。黒田を喰い千切った頃とは違って、肉眼でもはっきり視えるほどに成長している。とは言え、まだ完全とは言い切れない羽毛と皮のない肉塊のようなトリが空を覆い尽くすほどの翼を広げ、目のない顔を振りながら何かを探している。
「椎羅さん」
侑希が朗らかに呼ぶ。
「どうしてあんたなんだろうな……こんな出来損ないなのに。僕の方がふさわしいのに。ほんと、やってられないからさ、さっさと殺せよ」
諦めにも似た言葉。
「なんで……」
「〝ママ〟は人を殺せないヤツには優しくない。さっき、絵莉さんを殺せなかったから、もういらないんじゃない?」
椎羅は侑希を見ることができなかった。
「ほら、早く〝死ね〟って言え。命令しろよ」
鬼気迫る口調で椎羅に詰め寄る。
「この前、僕の動きを止めた時に分かった。あんたはそういう力を持ってる。だからさ、楽に死なせてほしいんだ」
その言葉に嫌悪を覚えた。絵莉を刺しておきながら、何を言っているんだろう。他にも人を殺しておいて、自分は楽に死にたい──馬鹿げている。
「僕、生きたまま喰われるのは嫌だ」
彼を殺すためにあの力を使いたくない。楽に死なせてやりたくもない。椎羅は後ずさった。
「無理だ。僕にはできない」
「早く」
「嫌だ」
「〝ママ〟が、来る」
来る。鳥の羽音が近づく。目玉など持たないのに、何故かこちらを見たような気がした。むき出しの血管が不気味に脈打つ。
木の葉が舞い、重たいものが落ちてくるような衝撃が地を震わせた。椎羅はその場にひっくり返った。すぐさま侑希の悲鳴が聴こえてくる。
「あぁっ……だから、だから言ったのにぃぃぃぃっ! 痛いっ……い、痛いっ……あぁぁあぁああああああぁぁぁあああああああっ!」
ブチブチと血管を引き千切る音。骨を砕く音。それらが一度に鼓膜を震わせる。鳥の体の隙間から見えるのは、助けを求める侑希の腕や足。どんなに藻掻いても逃げられない。メギの足が侑希の体を抑え、体を啄んでいく。肉から血管が剥がされた。不規則な動きで肉を掻き出し、臓器をえぐっていく。
「ぁぁぁぁ……っ!」
叫びが途絶えた。頭から啄まれ、首が嘴に挟まれる。関節が折れ、侑希の首が落ちた。メギは落ちた首を転がし、突き回した。ひとしきり突き終わると、彼の顔は先ほどまで生きていたものとは思えないほど酷く崩れていた。
やがてメギは侑希の体から腎臓を取り出して丸呑みすると、歓喜の雄叫びを上げる。大きな翼をはためかせ、上空へ向かう。高い枝に鎮座し、ふっと血の霧となって消えた。
***
話し終えた後、椎羅は疲れのあまり息を吐き出した。
甲斐は表情を崩さず、じっと黙っている。
「じゃあ、今メギは君に乗り移ったんやろうか?」
冷静な声で言われ、椎羅は渇いた笑いを上げた。
「実感はありませんけど、おそらく……」
力なく返すと、甲斐は「ふうん」と薄情なほど軽く相槌を打った。
「ただ、その話を聞く限り、君は特別な存在なんやな。さすが宝足島の末裔」
軽口なのに重くのしかかってくるようだ。椎羅は項垂れた。そして、躊躇いながら訊く。
「……叔母は、どうでしたか?」
「おん? あぁ、そうやった。その話をせんとな」
甲斐は鼻で笑い飛ばし、身を乗り出した。
「林さん、っていっとったな……君は彼女をもう一人の叔母なんだと推測しとろうが、正確には違う」
その言葉に椎羅は顔を上げた。
「どういうことです?」
甲斐の口が引きつる。そして、彼は苦々しく口を開いた。
「林と名乗る〝ししめ星羅〟の秘書──あれはな、あれこそがししめ星羅であり、君の本当のお母さんなんよ」
静かな空間に浮かぶ言葉に、椎羅は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「……え?」
動揺のあまり声が上ずる。対し、甲斐は残念そうにため息をつく。
「そっかぁ……本当に知らんかったんやな……まぁ、それもしゃーないのか。君が自分の母親は洋江だと言い切った時から、そうなんやろなとは思っとったけど」
のんびりと言う甲斐に、椎羅は思わず身を乗り出した。
「慌てんな。とにかく俺の話を聞け」
そう言いながら彼はソファの背にもたれて重たい口を開く。
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