天賜の肉 7

 白骨化した人間の頭が転がる。皮膚や肉はこそげ落ちており、ひからびた皮に毛髪が頼りなくぶら下がっている。死後数年は経過しているだろう。その周囲には赤黒い何かがこびりついている。無意識に脳が想像する。あれは肉体が溶けた後だ。

 絵莉は椎羅にしがみついた。椎羅は驚きでその場に固まっている。その瞬間、スマートフォンが着信音を鳴らし、二人は揃って息を止めた。

 絵莉のスマートフォンが音を鳴らすも、電話に出ることすらできない。この着信音のおかげか、椎羅は絵莉の腕を引っ張ってその場から離れた。

 気がつけば階段まできていたが、あの骸骨のせいで背筋がブルブル震え、うまく呼吸ができない。椎羅は階段の上部で、絵莉と向かい合う形で座っていた。絵莉は彼より一段下にいた。

「絵莉さん」

 椎羅が声をかける。

 絵莉は息ができず、椎羅の腹に顔をうずめた。過呼吸だ。苦しくなるにつれ、父の遺体を見た時を思い出す。記憶が呼び覚まされ、ますます混乱していく。

 椎羅は絵莉を抱きしめ、背中をさすった。

「絵莉さん、大丈夫です。ゆっくり呼吸して」

 彼のぬくもりに触れる。徐々に呼吸を思い出していくと、絵莉は涙を流しながらゆっくりと気持ちを落ち着かせた。

「……ごめん」

「あんなのを見たら誰だって取り乱します」

「そう、だよね……ごめん。本当に」

 絵莉は椎羅にしがみついたまま小さく呟いた。

 電話はいつの間にか切れていたが、今はそれどころではない。

「あれ、誰なの? なんであんなのが地下室にあるの?」

 椎羅から離れ、絵莉はスマートフォンを取り出しながら訊いた。彼は冷や汗を拭い、重々しく答える。

「叔母、だと思います」

「嘘」

「思い出したんです。福子は椅子にくくりつけられていました。ただならぬ状況で、なんだか叔母の様子はおかしくて……そう、おかしかった。叔母はいつだっておかしかった。ずっと落ち着きがなくて、僕に当たって……」

 彼は口をつぐんだ。彼もまた嫌な記憶を掘り起こしたせいか、冷静ではない。息をつき、項垂れる。

「あれは、思い返せば福子も正気じゃなかった。僕を殺す気だった。でも、そうしなかった。いやできなかった。いつも林が止めに入るから」

「……何それ」

 要領を得ない絵莉はそれだけ言った。椎羅もどう説明すればいいか分からないのか、頭を掻く。

「て言うか、どうしてそれを今まで忘れてたの?」

「……僕の記憶を誰かがいじっている」

 その答えに、絵莉は「はぁ?」と声を上げた。

「そんなこと、できるの?」

「さっきデータを見たじゃないですか。メギには大力を授けるって。宝足島の人間はなんらかの大力を授かる。持たざるものは福子のみ」

 絵莉はまだ混乱したままの頭を叩いて整理した。思い出す。夢日記の中で洋江が語っていたこととメギの力について。

「あの骸骨を見る限り、叔母さんが失踪した頃に死んだ可能性があるってことだよね……? じゃあ、失踪したんじゃなくて死んでたってこと?」

 言葉を紡いでも確信が持てない。メギは移植者を生贄にして肉体を取り戻している。その元凶を生み出したとされる福子がすでにメギによって殺されていたとするなら、今のメギは自力で生贄を探して自らの意思を持っていることになる。

 椎羅が出会う移植者が福子の命令によってメギを操作し、殺しているのだと思っていたが──化物はすでに独立した存在なのか。

 この見解に椎羅は首を横に振った。

「林は福子を探すと言って出ていったんです。死後数年は経過しているのに、林も福子も家にいました。合わないんですよ、僕が彼女たちと暮らしていた時期と」

「あっ……」

 絵莉は目を見開いた。

「僕はそう注意深く福子と林を見ていたわけじゃない。むしろ会わないようにしていた。だから、二人が同時に存在するのをある時期から見ていないんです。それが四年半前、白源則子が暴れた時以降です」

 椎羅は言いながら悔しげに歯噛みした。

「じゃあ……それじゃあ、もしかして、林が福子のフリをしていた時期があるってこと?」

「そう、なります」

「……一体、何者なんだ、あの人は」

 おぼろげな記憶を手繰る。一度しか顔を見たことがない林と名乗る福子の秘書。これといって特徴はないが、笑っていない冷たい目が印象的だった。

「絵莉さん、スマホ鳴ってましたよね」

 おもむろに椎羅が言う。絵莉は慌てて画面を操作した。着信元は甲斐ではなく、田端侑希だった。

「何かあったのかも」

 急いで電話をかけ直す。と、すぐに繋がった。

「もしもし、田端くん?」

『司城さん! なんですぐに出てくれなかったんですか!』

「う、ごめん……こっちも今なかなかハードな案件に足突っ込んじゃってさ……」

『助けてください! もうずっと頭の中で声がして、僕、僕、もう我慢できなくて家から出てしまって……あそこにいると、家族を殺してしまいそうになる……』

 侑希の声は切羽詰まっていた。絵莉は思わずその場から立ち上がり、椎羅に目配せする。

「今どこにいる?」

『はぁ、どこだろ、ここ……えぇっと、山の中にいます』

「どこの山だよ……とにかく、そっちに向かう。いい? おとなしくするんだよ」

 念押しし、返事を待たずに通話を切る。事情を察したか、椎羅はすでに彼とのアクセスを試みていた。

「場所、分かりました。意外と近くです。絵莉さん、行きましょう」

 椎羅の声で、絵莉は我に返った。


 ***


 そこは小高い山の麓だった。ゆるやかな斜面を登った先に侑希がいるという。椎羅は迷いなく先へ進んだ。その後ろを絵莉がついていく。いくらか登った頃にはすっかり息が上がっており、絵莉は木にもたれて呼吸を整えた。

 椎羅も腰をさすりつつ、周囲を見渡し、危険がないか探っている。

「田端くんまでの距離はいかほど?」

 訊くと椎羅は「この辺のはずなんですけどね……」と心ここにあらずと言った様子で返す。

「おーい、田端くーん! いるんなら返事してー!」

 絵莉の大声が木霊す。その時、背後でガサガサと何かが横切る音が聴こえた。

「そこだ!」

 絵莉は勢いよく振り返った。しかし、そのはずみで足を滑らせ、尻もちをついて斜面を転がった。緩やかな坂なのに、なかなか止まれない。

「ぎゃああぁぁぁぁっ!」

 大げさな叫び声を上げたが、落ち葉と湿った土のおかげで大事には至らない。

「絵莉さん!」

 上の方で椎羅の声がする。

「ごめんごめん、先に行ってて……すぐ追いつくから!」

 声を張り上げると、椎羅は「分かりました」とこちらを心配そうに見ながらも周囲を警戒して先へ進む。絵莉は苛立たしげに立ち上がり、一歩踏み出した。しかし、今度は踏み出しが悪かったようで足を挫いてしまった。

「いったい! んもう、なんだよ! こんな時にドジ踏むとか、ありえないんですけど!」

 椎羅に声をかけようとしたが、彼の姿はすでにない。絵莉は寒気がした。

「……最悪だ」

 木に寄りかかり、なんとかもう一度踏み出してみる。しかし足首に激痛が走り、早々に諦めた。

「はぁ……」

 その場にしゃがみ込む。上空は灰色の空があり、裸の枝が寒々しくも天を指して伸びている。

 絵莉はぼんやりとここまでのことを思い返した。

 様々な出来事が乱立し、うまく繋ぎ合わせられない。キーワードだけを抜き出して頭の中に並べる。

 宝足島、メギ、島の焼失、二人の姉妹、島の復興──本来は一つの島に隠されていた因習なのだろう。メギは島の女神であり、島民たちに力を与える存在。それを洋江と福子が滅ぼしたが、彼女らはメギを倒すことはできないまま島から本土へ渡った。と、同時にメギも島から飛び出したのだろうか。

 洋江は御神体だった──唐突に椎羅の言葉を思い出す。

 洋江はメギを宿す存在だった。あるいはメギをその身に封じていたのか。もしも洋江がその事実を知らないままだったとしたら──知らないまま本土へメギを持ち込んだのか。

 メギは祀られている存在だった。定期的に祀り上げなければ、例えば霊魂を鎮めるような儀式めいたものを行わなければならないとしたら。その儀式を放棄したとみなされ、メギは怒り狂うのか。人の臓器を渡り人を襲い続けるメギ──それはつまり、洋江の臓器がもたらしたなのではないか。

 そのために洋江を殺さなくてはいけなくなった。福子や志々目家がその事実を隠そうとしたというなら納得がいく。

「いや、待てよ……?」

 しかし、そうなると化物と化した洋江の臓器をばらまいたのは──やはり林なのか。彼女の存在が異質に思える。彼女が単なる関係者ではないことはもう明らかだが、それなら今どこにいるのか。福子に成り代わり、メギを復活させる意味は。もしかして、彼女は姉妹と同じく島の人間なのでは。である可能性もある。もっと深刻なのは、洋江や志々目家、福子までも殺した可能性だ。

 そんな考えに及んだ時、視線の先に誰かがいるのに気がついた。

「は……」

 次の瞬間、衝撃が体の内部へと差し込まれる。

 体を突き刺す異物──その存在があまりにも現実味がない。しかし、こちらの感情を汲み取ることはなく少年は絵莉の腹に突き刺した刃物を抜いた。その感覚が気持ち悪く、また肉を裂く痛みが時間差で押し寄せ、思わず呻く。

 絵莉はその場に崩れ、空いた穴を手で抑えた。

「……さ、最悪だ」

 目の前に立つ少年が笑みを浮かべる。田端侑希は血で濡れた刃物を指で撫でて愛しそうに眺めていた。

「お、まえ……」

 正気なのに正気ではない。そんな矛盾を帯びた言葉が浮かび、絵莉は苦笑した。

 対し、侑希は安穏とした笑顔を向けてしゃがんだ。絵莉と視線を合わせる。

「ちょっと予定変更しなくちゃいけなくなったんだよ。あんたたち、を見つけたんでしょ」

 その口調は昨日会った彼とはまったく違っていた。侑希の笑みが狂気に満ちる。ふいに彼は首を傾げた。

って、なんだっけ……まぁいいや。〝ママ〟がね、あいつは殺すなって言うからさ……でも、メギ様に肉を差し出さなきゃいけない。矛盾しているよね。メギ様を復活させたいなら、あいつの肉を使うべきなのに」

 意識が落ちそうになる。絵莉は唇を噛んで気を保った。

「あいつって、椎羅、くん?」

「そう。でもまぁ、あいつじゃなくとも肉は定期的に捧げなくてはいけないんだって。だから〝みんな〟は無意識に人を殺した。でもね、僕は違うんだよ。僕は違う。僕は〝ママ〟と早く打ち解けたよ。喰わせただけで僕を気に入ってくれたよ」

「な、にを言って……」

「あー、そっか。あんたたちは僕が最初に殺した人が矢島だと思ってるんだったね。そっか、ちょうど黒田で手一杯だったもんな」

 侑希の言葉が耳に入ってくる。いつの間にか彼は絵莉の耳元に口を寄せていた。

「僕、初めて人を殺すならにしようって、ずっと昔から決めてたんだ」

 その言葉が脳に浸透する。恐ろしい笑い声が響く。

 上代葵はすでに死んでいる。彼が殺した。メギに喰われた。その事実に怒りが湧くも、力が入らない。絵莉の意識が深く暗いところへと引きずり込まれる。

 椎羅の声が聴こえた気がしたが、もう何も見えなくなっていた──

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