夭鳥の目 5

 翌日、起床してリビングへ向かおうとすると椎羅が玄関で出かける準備をしていた。

「どこ行くの?」

 声をかけると椎羅は肩をわずかに震わせて振り返った。挨拶もそこそこにダウンジャケットを着込み、靴を履いている。

「どこって、黒田さんのところです。一緒に住めばいいって、昨日絵莉さんが言ったじゃないですか」

「そりゃ言ったけど、あんなの冗談だよ。黒田さんだって迷惑そうだったし」

 まさか黒田家に転がり込もうとしているとは思わず、絵莉は慌てて彼の腕を引っ張った。

「一人で行って何かあったらどうするの。待ってて、私も行く」

 自分が行ったところで何か変わるのかと問われればそれまでだが、椎羅は何も返しはしなかった。玄関に突っ立ったままでいる。キョトンとした顔を向けられ、絵莉は腹立たしくなった。「あぁもう」と吐き出し、頭を掻く。

「とにかく一人で行動しないで。何かやるなら私に相談すること」

「いちいち許可を取らないといけませんか」

「当たり前でしょ。私の手伝いをするって、君がそう言ったんじゃない」

 イライラと言えば彼は「あぁ」と思い出す。絵莉は肩を落とした。

「よし、分かった。ルールを決めよう。私たちは情報を共有する。何か気づいたことがあったら逐一報告する。単独行動しない。約束して」

 一息に言うと、彼は少し考えて頷いた。

「んじゃ、準備したらまた黒田さんとこに行くからさ。ほら、そこにいたら寒いから上がって」

 腕をぐいぐい引っ張ると椎羅は不服そうに框を上がって部屋に戻ってきた。

「ったく、自由すぎるなぁ。勘弁してくれ」

 ぼやくように言ってじっとりとした目で見ると、椎羅は居心地悪そうに首を傾げた。

「えーっと、すみません?」

「その腑に落ちない感じも腹が立つんだけど」

「そんな、どうすれば……」

「あー、はいはい。君が究極に人付き合いがド下手だということがよく分かった。こりゃ、確かに役場の人たちも困るわけだ。よく生きてこられたよ」

 呆れていると椎羅は「はぁ」と他人事のような声で反応する。絵莉はリビングに入り、コーヒーを入れた。椎羅の分も入れて渡す。彼はジャケットを着たまま椅子に座った。それがなんだか急かしているように見え、絵莉はうんざりとした口調で言った。

「ジャケット脱いだら?」

「これ飲んだら出るので。だったらそのままでいいです」

「女の支度を舐めるんじゃないよ。そんな数分で準備できない」

 ピシャリと言えば彼は仕方なさそうにジャケットを脱いだ。

 そんなに急ぐ用事でもあるのだろうか。ひょっとして、黒田の身に何か起きているのだろうか。

「急ぐ理由があるの?」

 訊くと、椎羅は首を横に振った。

「いえ、別に」

「はぁぁぁぁ」

 思わず長い溜息が出た。


 ***


 再び黒田の自宅へ向かうと、黒田は無愛想に迎え入れた。

 そこでさっそく昨日、絵莉と椎羅が出した仮説を彼に聞かせる。黒田は終始無言であり、眉をひそめはするものの納得するように頷いた。

「そうかもしれんな」

「島の名前、分かりますか?」

 椎羅が訊く。昨日と違ってやけに積極的だ。黒田は残念そうに首を横に振った。

「ヒロエはそこまで教えてくれないんだよ」

「そうですか……」

「だが、それらしき島は見つけた」

 黒田は椅子から降りて、二人を寝室に呼び寄せた。ベッドとタンス、デスクがある部屋は簡素だが床は埃が積もっている。黒田はパソコンを起動させ、インターネットを開いた。航空写真が映る。

「これ。ヒロエたちが住んでいた島はここだろう」

 確信づいた言い方だった。絵莉と椎羅は顔を見合わせ、また画面に目をやる。

 上空から撮影された島はまるで胎児のような形をしていた。緑が生い茂り、胎児の頭の部分が山となっているようだ。東シナ海にあるというその島は宝足ほたる島という。

「一九八九年、宝足島は無人島となった。表向きは島を出る人間が増えたことによる過疎化が進み、最終的に人がいなくなった……が、違うな」

 事前に調べていたらしく、黒田はファイリングしていた新聞記事を見せた。

 彼の言う内容が小さな記事に綴られていた。図書館でコピーしたと思しきその新聞は地方紙のようで、先ほどの説明と同じ文面ばかりが並んでいる。

「島はヒロエが焼いた。その時に、住んでいた島民たちも死んだ。それが正しいだろう。報道規制が入ったんだ。そうに違いない」

 黒田は断言した。

「そのことを裏付ける根拠は?」

 訊くと、黒田は嫌そうに顔をしかめて絵莉を見た。

「この目で見たんだ。間違いない」

「それは夢でしょ」

 ピシャリと言い放つも黒田は頑固に首を横へ振った。そしてイライラと貧乏ゆすりをしながら言う。

「今、知人に聞いてるんだよ。その手のことを調べていた知人がな、九州にいる。連絡待ちだ。裏はその時に取りゃいい」

 絵莉は「はぁ」と呆気にとられた。椎羅は押し黙ったままである。すると、唐突に黒田が宣言した。

「この島に行こうと思う」

「え、行くんですか?」

 一歩遅れて絵莉が驚く。

「ここに行けばヒロエに会えるかもしれない」

「いやいや、ヒロエはもう死んでるんでしょう……臓器提供者がそのヒロエなら、彼女はもうこの世にはいない」

 黒田の頭皮を見ながら絵莉は困惑気味に言う。しかし、彼は画面から目を離さず淡々と答えた。

「思えば、ずっと呼ばれているような気がしていたんだよ。海を見ているとそんなことを思い浮かぶ。海が見えるこの部屋を借りたのも、きっとそういうことなんだ」

 確信づいた声。絵莉はもう口を挟むことができず言葉を詰まらせていた。

「ヒロエはきっと故郷が好きで、仕方なく滅ぼすしかなかった。でなければあんな恋しそうに海を眺めているはずがない」

 黒田はそれからも、あぁ、そうだ、そうに違いないと一人ブツブツ呟く。

 絵莉は椎羅を見た。椎羅も黒田の異様な雰囲気に困惑しており、彼の肩に手を置いた。

「黒田さん?」

 声をかけると、黒田はビクリと肩を震わせて振り返った。

「あぁ、すまん……このところ飢餓感はなくなったのに上の空になることがあってな……えーっと、この島は一九八九年に無人島になって」

「それはもう聞きました」

 すかさず絵莉が言うと、黒田は狼狽した。

「そうか……」

「黒田さん、大丈夫ですか? さっきこの島に行くって言ってたけど、本気じゃないですよね?」

「そんなこと言ったか?」

 黒田は首を回して絵莉を凝視した。冷や汗を浮かべている。気まずい空気が漂い、三人はしばらく沈黙した。やがて口を開いたのは黒田だった。

「……まぁ、行ってみる価値はあるかもな」

 絵莉は腕を組んだ。

「行ってどうするんですか? 島は火事になって、資料になるものだってあるかどうか分からないんなら……」

「おいおい、探偵らしからぬ意見だな。行って無駄かどうかは行ってみなけりゃ分からないだろ。もし、ヒロエが神を殺すのに失敗したというならば、ヒロエが何故その方法を取ったのかが分かる」

 そうだろ?と黒田は振り返って片眉を上げる。絵莉は押し黙った。言い返す言葉がなかった。

「すべての始まりはこの島なんだ。どのみちは遅かれ早かれ行くことにはなるだろうよ」

 今の彼は化物に寄生されているのかもしれない。そんな可能性が拭えず、絵莉は追及を諦めた。

 代わりに椎羅が口を開く。

「黒田さん。黒田さんは過去に何かトラウマとか後ろめたいこととか、ありますか?」

 その問いの意味は分からない。黒田も不思議に思ったのか、椎羅を見やって不愉快そうに眉をひそめる。

「そんなもん、誰にでもあるだろ。些細なことだがな。俺は教師だったから、昔は生徒を殴ったりしたもんだよ。今じゃ逮捕されちまうだろうが……まぁ、後ろめたいと言われればそうでもないが」

 黒田は数十年前までは体罰が当たり前だった時代に現役教師だった。そんな彼の言い方はあまり罪悪感を持っているようではなく、今度は絵莉が顔をしかめる。

「何もいたぶってたわけじゃねぇよ。時代だよ、時代。言っても分からんやつには殴って分からせるっていう時代もあったってことだ。俺だってやりたくてやってたわけじゃない」

「そうですか……分かりました」

 椎羅は無感情に話を切り上げた。


 週明けすぐに発つと言い出す黒田は頑固だった。仕方なく二人も同行することを約束し、その日は引き上げる。

「ほんとに泊まっちゃう? 監視も兼ねて」

 絵莉が提案したが、椎羅は首を横に振るだけだった。自分はともかく、絵莉は帰れと言うので釈然としない。

「監視なら絵莉さん家からできますよ」

 文句を言いかけると素早くそう言われ、絵莉は「確かに」と手をポンと打つ。

「んじゃ、今朝はなんで? 泊まる気マンマンだったじゃん」

「……彼が暴走した時、絵莉さんを巻き込みたくないからです」

 椎羅はふいっと顔をそむけながら言う。その様子に絵莉はニヤニヤ笑った。

「やだ、超イケメン」

 おどけた調子で椎羅の背中を叩くと、彼は嫌そうに顔をしかめて見せた。

「その茶化し方、やめてください」

「えー? だって面白いんだもん」

「やめてください」

 椎羅は語気を強めた。絵莉は口をつぐんだ。

 信号待ちの間、苦々しく彼の顔を覗き込む。

「……怒った?」

「怒ってません」

「あーもう、はいはい、分かりましたよ。今日は椎羅くんのために何かご飯作ってあげるからさ、機嫌治そ!」

 なだめるように言えば、彼はムッとした顔のまま絵莉をチラリと見た。不満そうだが「うーん」と逡巡している。信号が青に変わった瞬間、彼は「あ」と思いついたように言った。

「ビーフシチュー、また食べたいです」

「また……? うん、分かった。んじゃ作ろっか」

 絵莉は怪訝に思いながら彼のリクエストに応じた。

 四年半前、ビーフシチューを作ったことをすっかり忘れていたのだが、彼がダイニングテーブルに座っているのを見てハッと思い出した。

 ──なんだ、かわいいとこもあるじゃん。

 そんなことを思い浮かべつつ、さっそくキッチンへ向かう。

 買い置きの安い赤ワインで肉を煮込み、残ったワインをグラスに注いで飲む。そんなことをしながら上機嫌に夕飯を作る絵莉の様子を椎羅はあまり気にしなかった。ソファに座って目を閉じている。黒田を見守っているのだろうか。しかし、今はなんだか事件のことを考えたくはなかったので話しかけるのはやめた。

 やがてブイヨンの香りが立つと、なんだか久しぶりに食欲が湧く。絵莉はビーフシチューをおかわりした。

「ねぇ、椎羅くん。全部終わったら、焼き肉に行こうね」

 ワインを飲んだせいか、わずかに酔っている。これを椎羅は無表情に見ていた。

「どうしたんですか、急に。まだ始まったばかりだっていうのに」

「いいじゃん。私だって、ときめきというものが欲しいんですよー、ときめきが。年下の男の子からかうの楽しいなぁ」

 悪趣味だなと自分でも思う。椎羅の目もそう訴えているようだった。

「だって父さんが死んでからは何もかもどうでもよくなって、好きだったものも好きじゃなくなって、死んだも同然だったんだ」

 絵莉はグラスを置いてテーブルを見つめながら言った。

「でもさ、生きてかなきゃいけないじゃん? 生きてる以上はさ。ただ、お先真っ暗な状態では未来なんて持てないよ。どうやって生きていけばいいんだろうなぁって考えた。考えた結果、こうなった」

 一息つく。椎羅はスプーンを止め、黙って聞いていた。

「変わるしかなかったんだよ……私はこうして鎧をまとうことで生きていける。そうしたら周りには誰もいなくなった」

 顔を上げる。椎羅の目を見る。彼の表情は無である。それでもいい。目の前に人がいて、話を聞いてくれるだけで嬉しいものだ。

「椎羅くん。全部終わったら焼き肉に行こうね」

「……まぁ、生肉よりはマシですね」

「はははっ、そうだねぇ。生肉はダメだな。お腹壊しちゃうもん。それに肉はウェルダンじゃなきゃ食べられないタイプだからね、私」

 そう言うと絵莉は甲高く笑った。

「そんでさ、せっかくだからもういっそのことうちに住んじゃおうよ。私と探偵の仕事するの。行くあてないんだしさ。どう?」

 訊くと彼は曖昧に笑う。

「僕でいいんですか?」

 随分と謙虚な問いに絵莉は鼻で笑った。

「だってこんな私の横に平気な顔していられるの、君だけだよ。変わった私を寂しがってくれて、それでもちゃんと話をしてくれる」

 そう言うと椎羅は「手伝うって言ったから」とそっけなく返してくるが、口元に小さくえくぼができたのを見逃さなかった。絵莉がニヤニヤ笑うと、椎羅もようやく頬を緩めた。

「全部終わったら、ですね」

 それから二人は食事を終え、入浴を済ませた。

 絵莉はすっかり酔いが冷め、ホットミルクを作る。椎羅は相変わらずソファで目を閉じて微動だにしない。その様子をカウンターキッチンから覗い、絵莉はミルクのマグカップを二つ運びながら彼の横に座った。それと同時に椎羅はゆっくり目を開けた。

「……ねぇ、今日ずっと目をつむってたのはさ、リンクしていたから?」

 訊くと彼はサラリとした声で「あ、はい」と答えた。

「目を閉じると向こうにアクセスすることができるようです。意識を集中しないといけないので、話しながらは難しいですが」

「ふうん……ほんと、君の目って不思議だねぇ。他の人たちは移植された臓器がどうかなったってわけじゃないのに、椎羅くんだけ他人と共有できるんだよな……やっぱり目だから? 他の臓器はどうなんだろ? 共有しているのかな?」

「臓器だけが記憶を持つものなんでしょうか……だから僕だけ夢を見ないのかな」

 椎羅も深く考え込む。絵莉は彼の前にマグカップを掲げた。すると椎羅は険しい眉間を緩ませて絵莉を見る。

「ありがとうございます」

「まぁ、ほどほどに監視しておくれ。寝不足には気をつけるように」

 すると彼は「はい」と素直に答えてミルクに口をつけた。すかさず「あっつっ!」と大声を上げるので、絵莉も一緒になって驚いた。

「ここ一番のでかい声出すな。しかも、ここで出すな」

「すみません……」

 そう言って彼は反省し、ミルクを十分冷ましてからおそるおそる口に含んだ。重度の猫舌なのか、椎羅はミルクをゆっくり飲んでいる。絵莉は眠気を感じていた。

「もうおやすみになったらどうですか」

 絵莉の瞼が重たそうだったからか、椎羅が気まずそうに言う。

「でも、それ洗ってから寝たいし」

 マグカップを指差す。

「僕が洗っておきますから。おやすみなさい」

 そう言われてしまえば甘えるしかない。絵莉はうとうとと自室へ向かった。

 一気に眠気に襲われ、ベッドに入った瞬間、深い眠りに落ちた。

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