三毒

森 浩明

第1話 東京仏教大学への転籍

【東京仏教大学の体質】

当時この大学は〝百年の歴史と伝統〟という重荷を乗せ、行先も定められない中をただ目の前にある雨風を避けながらゆっくりと漂うロートル船の様であった。

この歴史と伝統あるロートル船には常に募集定員を上回る生徒・学生の応募があり、百年の歴史に於いて転覆の危機などは一度もなかった。

乗組員達は長年にわたりその上にあぐらをかき、確実に訪れる〝少子高齢化〟というハリケーンから目を背け、転覆に対する備えを怠って来た。

しかし、日本の学校法人船団の総元締めである文部科学省は、一定の教育水準や実績を示せないオンボロ船についてはスクラップする方針を明確にした。

〝補助金〟という、大学にとっての血液を盾に文部科学省が各大学に求めた〝今後大学が目指すべき教育〟の条件は〝若者だけではなく、学び直し(リカレント・リスキリング)を希望する社会人や、外国人が高等教育を受ける場として機能する事〟であった。

各学校法人は、その命題をクリアする為に具体的にどういう改革を行うかについて文科省に示す必要性に迫られたが、それに答えられない大学は、ただ〝やせ細る18歳人口の奪い合い〟のみに躍起になった。

そういう大学の多くは、結果的に文科省が求める〝教育の質の向上〟という条件を満たすことが出来ず、補助金という血液を止められ、徐々に弱体化していった。

18歳人口の奪い合いしか考えない大学の多くが先ず実施したのは、短期大学の廃止とそれに伴う4年制大学の創設または新学部(4年制)への移行であった。

4年制にすれば志願者が集まると当て込み、国内の至る所で短大から4年制への転換が相次いだ。

東京仏教大学も多分に漏れず同じように短大を廃止し、新学部を設立した。

ところが、新学部「環境社会学部」の新設初年度は170名の募集定員に対し70名の学生しか集まらなかった。

大幅な定員割れの結果、短大募集停止による150名分の学費減および新学部での見込み違いによる学費減がそのまま収入減となり、当学校法人始まって以来、初めての赤字決算となった。それまで赤字などとは縁がなかった教職員の脳裏に初めて〝危機〟が過ぎった。

それにも関わらず、教職員の大半は〝口先〟で危機を叫ぶだけで何ひとつ行動を起こさなかった。それどころか、全ての責任を理事長ひとりに押しつけた挙げ句、理事長に退任を迫るという、前代未聞の騒動が勃発する。


【理事長・笠井の決断】

私立学校に於いては〝理事長〟が一般企業の〝社長〟、〝理事会〟が〝取締役会〟に相当する。〝理事会〟は最高意思決定機関となり、その構成は〝内部理事〟〝外部理事〟を合わせおおよそ10数名というのが一般的だ。

当時の当学校法人理事長は笠井であったが、既に着任から8年が過ぎた笠井には大きな悩みがあった。

平成26年12月。笠井は取引銀行の東京中央銀行丸の内支店長を訪ねた。

「支店長に折り入って相談がございます。」

「理事長、どういう相談でしょうか?」

「貴行から人を頂けないでしょうか?」

「人ですか? 急にどうされたのですか?」

「ご存知のとおり、少子化は年々深刻化を増しており、既に学校経営は弱肉強食の時代に突入しています。今年生まれた0歳児に至っては100万人を切っている状況です。このまま何もしない学校は間違いなく淘汰されるでしょう。」

「確かに、生徒・学生の獲得競争は今後一層、熾烈さを増すでしょうね。これからの時代は、過去の栄光だけで生徒や学生を集める事は難しいでしょう。」

「学生や保護者の皆さんの期待や信頼に応える為に何をすべきか。その為に資金をどう投資するのか。それらによりもたらされる顧客にとっての価値を最大限に高めていく事がブランディング戦略であり、我々の最大の責務なのです。」

「その通りですね。貴校のライバル校は皆、それを実行して来ました。例えば大手町学院は男子校を共学にして学納金収入を大幅に増やし、経営を安定化させました。」

「歴史と伝統を持つ男子校が共学化する場合は成功する例が多いのです。学力(偏差値)の足切りを高目に設定して入学試験を実施しても、女子を追加募集する分だけ応募者が増えているので、結果的に偏差値をボトムアップする形で定員確保が出来るのです。」

「その上、男子校が共学になれば、男子生徒も張り切って勉強に励むから、もしかすると相乗効果も期待出来ますかな?」

「中には勉学そっちのけで校内恋愛といった色恋に走る生徒もいるでしょうが、データ的には成功例が多い様です。しかし、本学の場合は既に共学化しておりますので、共学化以外の方法によるブランディングが必要なのです。」

「それは難題ですね。具体的な戦略はあるのですか?」

「そこが問題です。校舎の修繕・改装などの小手先では投資費用がかかる割にさほど効果はありません。」

「もっとセンセーショナルかつアトラクティブな改革が必要なのですね?」

「そうです。私は理事長就任後、3つの改革案を提示して来ました。ひとつはフィールドスタディ・グローバル教育・ICT教育といった多目的な学習や研修を行う新キャンパスを持つ構想。ひとつは新学部を設立し新たな学生を確保する構想。ひとつは小学校を設立する構想。それらが悉く立案の段階で潰されて来たのです。」

「理事長の改革構想を潰す勢力が学内に存在するという事ですか?」

「表立っては潰さず、理事会で賛成出来ない様な議案に仕上げて潰すのです。それを事務局のトップ(事務局長)にやられると、私のような非常勤の理事長としてはどうしようもない。諦めるしかありません。」

「その潰されてきた改革を成し遂げられる人材を銀行に求めておられるという事ですか?」

「その通りです。」

「銀行と学校とはカルチャーが大きく違います。また、銀行から派遣する人材というのは齢50を過ぎて定年退職・出向転籍を前提とした人間です。お眼鏡に叶う人材・改革を成せる人材がいるかと言うと相当ハードルが高いかも知れませんね。」

「今は藁にもすがる思いです。私の在任期間中に大学に一つでも財産を遺したい。探して頂けますか?」

「了解しました。人事部に掛け合ってみましょう。しかし過度な期待はしないで下さい。」


【銀行からの助人】

平成27年2月。

「理事長。一人おりました。銀行の支店長を2場所経験しておりマネージメント能力は問題ないと思いますが、理事長の期待される〝改革〟を成せるか、期待に応えられるかは何とも言えません。先ずは1年間、〝出向〟という形で受け入れられて〝不可〟という判断をされたら銀行に差し戻すという事でいかがでしょうか?」

「もし、ミッション遂行能力に乏しいと判断した場合、銀行に差し戻しても宜しいのですか?」

「そう判断された場合は、遠慮無く銀行に戻して頂いた方が、本人にとっても幸せでしょう。その場合、本人には別の企業を紹介します。お見合い結婚と同じですよ。片思いではお互いが不幸です。」

「そう言って頂けると気が楽です。何しろ学校法人には〝学校の法律〟に当たる〝寄附行為〟というものがあり、理事以外の教職員の権利はこれによって護られています。オーナー企業であれば社長が〝君は首だ〟と言えばその従業員は首になりますが、学校法人の場合は、懲戒免職以外には首や降格が無く、どういう働き振りであろうとも60歳までは保障されているのです。60歳以降も肩書こそ無くなり年収も相応に落ちますが、本人が辞める意思を示さない限り、65歳までは雇用するという規定なのです。」

「それは従業員にとっては大変恵まれた環境ですね。降格が無いという事は昇格も無いのですか?」

「定年や自己都合退職でポストが空かない限り、昇格はありません。」

「そういう出世の可能性が閉ざされたルールの中で人は育つのですか?」

「学校という組織は、ルーティンワークである〝事務〟をいかに無難にこなして1年間を乗り切るかが全てと思い仕事をしている職員が過半を占めています。スタンドプレーも要らないし、必要以上の能力も要らないのです。ただただ無難に。これが最大価値なのですよ。しかもうちの場合、〝管理職になると残業代が付かなくなるからお断りだ〟という職員も少なくない。困ったものです。笑」

「一般企業はそうはいきません。常に世の中の変化に対応しながら利益を追求しないと、いつ何時淘汰されるか分かりません。だからこそライバル社に負けない有能な人材を一人でも多く確保し、出世競争をさせながら人を育て、その中から経営職階に相応しい人物を選出し、経営陣を強化していきます。それが学校法人には不要というわけですか。」

「不要という訳ではありませんが、有能な人材であればある程、うちの様な実質的に人事評価制度がない学校組織に於いては浮かばれないでしょうね。」

「今、多くの学校法人が改革の実現をアウトソーシングしているのは、結局、教職員の中にそれを企画・推進・実現させるだけの人材が少ないという事なのですね。」

「恐らくそうでしょう。改革にはどうしても痛みを伴います。血を流す必要があります。それを嫌がる人間・既得権益を守りたがる人間があの手この手で邪魔をして来ます。縁故や恩といった〝しがらみ〟がある教職員に改革を託しても、結局はこういった抵抗勢力に負けてしまうのです。」

「教職員評価制度さえしっかりと整備されれば行動も考え方もかなり変わってくると思いますよ?」

「一度は検討をしました。しかし抵抗勢力によって潰されました。」

「うちの銀行から送り出す人間に果たしてその抵抗勢力に打ち克つだけの力がありましょうか。もし難しい場合はどうか早目にお戻し下さい。銀行を退職・転籍をしてしまってからでは銀行に本人を救ってやる手立てがなくなります。」

「分かりました。それでは早速、面接の日程を決めましょう。」


【事務局長の不安】

平成27年2月26日午前11時 東京仏教大学理事長室。

「おはようございます。東京中央銀行 堂本龍平と申します。よろしくお願いします。」

自己紹介から質疑応答まで一通りの儀式が終わった。

「堂本さんにはうちの大学の改革をお願いしようと思っています。」

「理事長、堂本さんの事は神田事務局長には伝えてありますか?」

常務理事の京極が切り出した。

私立の学校法人によっては理事長の下に常務理事のポストを置く事がある。言わば軍師・アドバイザーと言った役割だ。

常設ポストではないが、当大学の様にオーナー系ではなく、理事長の任期が決まっている学校にはご意見役として学校実務経験が豊富な人材を据える事が多い。

その下に法人事務局長が学校運営全般の実務統括責任者として置かれ、理事長の思いを具現化し、理事会に諮り、理事会で承認された案件を学校全体に命令・指揮するミッションを担う。言わば学校の〝要〟とも言えるポストだ。

「いや、神田局長には伝えていません。」

「神田局長にも知らせておいた方がいいでしょう。呼びましょう。」

事務局長の神田が理事長室に呼ばれた。

「神田さん、実は銀行から転籍を前提に本学に出向して頂く事になりました。紹介します。」

「堂本です。よろしくお願いします。」

「えぇ?何も聞かされていませんでしたが。来て頂いて何をお任せするのでしょうか?」神田は怪訝そうな顔で尋ねた。

「そうですね。差し当たっては法人事務局次長という肩書きで良いでしょう。銀行出身なので総務・経理を担当して頂いたらどうでしょうか?」

「はぁ。分かりました。何とかします。堂本さん、後で私の所へ来て下さい。今後の事を決めましょう。」

神田は最後まで合点がいかない顔をしながら理事長室を退出した。

こうして堂本龍平の東京仏教大学への出向が正式に決まった。

平成27年4月1日。堂本は辞令式を終え大学内各課への挨拶回りを済ませた。

「神田局長、彼は何をしに来たのですか?」古株の太宰総務課長が神田に尋ねた。

「良く分からんが、理事長が銀行から引っ張って来たらしい。」

「そうですか。まさか私達のリストラが目的で銀行から派遣された刺客じゃないでしょうね?」「それは分からん。そうかも知れないな。」

「もしそうだったら私達は断固結束しますからね。局長も味方をして下さいよ?」

「分かった。分かった。」

学内には大きな反体制勢力があり、水面下で現理事長の転覆を狙う動きがある事を、この時点で堂本が知る術もなかった。

堂本の出現が大学内に蔓延る癌細胞を活性化させ、その反乱の〝悪性腫瘍〟は学内で徐々に大きくなっていった。


【無為無策の大罪】

平成27年5月15日。堂本は神田から事務局長室に呼ばれた。

「堂本さん、君は笠井理事長が連れて来たという位置付けなのだよ。私だけでなく学内は皆そう見ている。今、君は政治的な意味で非常に警戒されているし、何かと誤解を受け易い立場にある事を自覚しておいた方が良い。」

神田はいきなり脅す様に堂本を牽制した。

「局長のおっしゃる意味が良く理解出来ないのですが。」

「君にたった数ヶ月でこれからの5年間を本学で良いのか判断しろというのは難しいだろうが、絶対にウチが良いと安易に考えない方がいいだろうと言う事だよ。」

神田は誇らしげな顔をしながら話を続けた。

「うちの大学の田上前理事長に世話になった人間が学内に大勢居てねぇ。仲人が前理事長だとか、就職で前理事長に面倒を見て貰っただとか。私もその一人なのだよ。17年前に前理事長に拾って貰いこの大学に来た。前理事長に恩がある教職員は今も学内に大勢居るからねぇ。」

「局長、その事が私にどの様な影響を及ぼし、どう気をつけたら宜しいのでしょうか?」

「うちの大学は、今の理事長に代わってから、特に私が局長に就任してからは敢えて何もしなかった。動かなかったからこそリスクも避けられたのだよ。他大学は色々と動いて来たが失敗もある。ライバル校のミッション大学は何かを取り組むというのは我々よりも明らかに早い。早いが失敗も多い。体力を消耗して、財政的な犠牲も多く払って来ている。大学を八王子市に移転したが直ぐに元の地に戻って来た。移転は失敗だったと判断したのだろう。うちはこれまで無駄な体力や金を使っていないが失敗もない。結果的にはそれで良かったのだよ。」

何もしなかったから成功と言えるかと言えばそうではない。堂本は言葉を選びながら質問をした。

「しかし何もしないで生き残れるのですか?」

「大学が生き残る形は何でも良いだろう。格好は悪かろうが大学が存続すれば良いのだよ。場合によっては何処かの学校と組むとかね。単独で生き残れなくとも仏教系グループ母体の仏教総合学園に助けを求める必要があれば、私はそれを躊躇しないよ。経営母体が変わっても東京仏教大学の名前と学校が残れば良いのだから。大学の形態がどうなろうとも学校が残る事が大切なのだよ。そういう例はいくつもある。もっとも仏教総合学園がうちの様な〝腐りかけた鯛〟を助けてくれるかどうかは分からんがね。」

「私は吸収合併された企業(銀行)にいましたから、その辛さを良く解っています。最後まで単独で生き残る努力をすべきだと思いますが。」「ふん。」

神田は堂本の意見を聞き終わると、眉間に皺を寄せ、鼻で笑いながら続けた。

「単独で生き残れる可能性について、ライバル校を順番に並べれば、うちは確実に生き残らない部類に入る。バラ色の絵を描くのは勝手だが、それを実行する為に教職員全員を動かさなければならない。その舵取りが一番難しいんだよ。」

この時、堂本は神田に対してある種、軽蔑に似た感情を覚えたが、直ぐにその〝舵取り〟の難しさを知る事になる。


【東京仏教大学への転籍】

堂本は自分一人では何が正しいのかの判断が出来なかったので、神田とのやり取りの一部始終を笠井(理事長)に報告した。

「神田局長はそんな事を言っていましたか。残念ですねぇ。これは事を急いだ方が良さそうですねぇ。」少し考えた後、笠井は真剣な眼差しで堂本に伝えた。

「堂本さん、貴方の出向期間はまだ10ヶ月残っていますが、一日も早く転籍出来ないかを銀行と相談してもらえませんか?」

「それは銀行に聞いてみないと分かりませんが、どういう理由で転籍を急がれるのですか?」

「もし転籍が叶えば、先日申し上げました3つのプロジェクトの一つを早速お願いしようと思います。」

「それは転籍を待たずともやりますが?」

「プロジェクトは3つ共、過去に潰された案件です。それをもう一度、事業案件として生き返らせようとする訳ですから、反対勢力が黙ってはいないでしょう。」

「私は出向・転籍に関わらず、与えられたミッションを粛々とこなすだけです。」

「貴方が出向という〝お試し期間〟の間に、何とか銀行に押し戻そうと姑息な手を使って来る可能性もあります。堂本さんさえ嫌で無ければ、何とか銀行と交渉してもらえませんか?」

「こちらこそ光栄なお話を頂き恐縮です。了解しました。銀行に話をしてみます。」

こうして堂本は予定よりも早く転籍をする事になった。

理事長が銀行から呼び寄せた〝ヨソ者〟が転籍するという事実は、大学内の反体制派勢力を大きく動揺させた。

職員の現場におけるトップは事務局長であり、事務局長には理事〈一般企業でいう取締役〉としての経営権が与えられ、その権力は絶大であった。職員の人事権も実質的に事務局長が握っており、基本的に職員は神田(事務局長)に逆らう事はなかった。

この大学の職員にとって重要な事は〝いかに安泰のまま65歳まで給料を貰い続けるか。〟〝いかにストレスなく日々のルーティンワークをこなすか。〟だけと言っても過言ではなかった。

その点、教職員に優しく、改革や変革を望まない神田(事務局長)は教職員にとってはまさに理想の上司であった。

そこに、教職員のリストラをはじめとした大学の改革を目的として堂本が銀行から呼ばれ、事務局長に次ぐポストに着任したとの噂はみるみるうちに広がり、教職員を震え上がらせた。それまでは法人事務局次長というポストが無かっただけに、リストラの特命感が一層強く漂った。

いよいよ平成27年7月1日付で堂本の転籍が正式に決まった。

神田は7月1日から2週間の休暇を取り堂本の就任式を欠席した。名目は検査入院であった。総務課長の太宰は故意に転籍の事務手続きを遅らせた。

「太宰さん、健康保険証の発行はいつ頃になりますか? 銀行の保険が失効したので新しい保険証が届くまで家族には現金で払う様に伝えますが、どの位の期間が必要か教えて頂けますか?」

「ちょっと待って下さいよ。こっちも忙しいんですから。」

堂本には太宰から嫌がらせを受ける理由が全く理解出来なかったが、特に気にとめる事もなくやり過ごしていた。ただ、総務課内の職員の殆どが事務局トップの神田と総務課長の太宰に気を遣い、次第に堂本を無視する様になった事は堂本の心を深く傷付けた。


【第1のミッション】

転籍後間もない8月のある日、堂本は理事長室に呼ばれた。

「堂本さん。早速一つ目のミッションに取り掛かって貰います。そのミッションというのは新キャンパス用地の買収です。今から私が現地を案内します。」

堂本は理事長に連れられ、東京都大田区にある埋立地にやって来た。

「ここが買収を考えている場所です。」

「理事長がこの場所に興味を持たれた理由を教えて下さい。」

「現在、うちのキャンパスは(東京都)立川市にありますが、これからは東京23区内にキャンパスを保有する大学こそが生き残り競争に大きなアドバンテージを持つ時代が必ず到来します。東京23区内での新キャンパス確保は本学の将来にとって必須課題なのです。新しいキャンパスではフィールドスタディ・グローバル教育・ICT教育といった多目的な学習や研修を行う施設を整え、これからの時代にマッチした新しい教育を施し、大学を卒業して30年後にも社会の第一線で活躍ができる学生を育成したいのです。これは文科省が唱える次世代教育にも適っているのです。」

「30年後にも第一線で活躍できる学生ですか?」

「はい。仏教系の大学でも一流大学に負けない〝価値〟を身につけた、社会で淘汰されることのない学生の育成です。」

「理事長、偏差値や大学名が優先される中で一流大学に負けない学生を育成するといっても簡単なことではないですよね。」

「今、企業が真に求めている人材(学生)とは、記憶力や学力も然ることながら、課題発掘能力・課題解決能力、統率力、協調性といった、記憶力や学力では計れない行動特性(コンピテンシー)を備えた人材なのです。〝知性(専門的知識・技術)〟×〝行動特性(コンピテンシー)〟の総合評価が高い人材こそ、組織のリーダーとして長く活躍出来る人材との見方が主流になりつつあります。これからはその傾向がより一層強まるでしょう。」

「確かに理事長がおっしゃる〝知性(専門的知識・技術)〟×〝行動特性(コンピテンシー)〟を兼ね備えた人材こそが企業のリーダーとして必要とされていますし、言い換えれば、それが欠けていれば高学歴であっても企業の経営職階まで辿り着くのは難しいでしょうね。」

「生まれながらにそういう能力を備えた人もいますが、多くは人生経験の中で、ポテンシャル(潜在能力)を開花させながら成長するものです。我々の重要なミッションは、その生徒や学生のポテンシャルをいかに引き出してあげられるかなのです。」

「本学で学ぶ生徒や学生が在学中にいかにコンピテンシー能力を養うかが、大学を卒業して30年後にもリーダーであり続けるための重要なカギになる訳ですね。」

「その通りです。大学で新たに創る学部は、そういった将来構想を考えた上で立案しなければなりません。うちが新設して失敗した〝環境社会学部〟は、そもそも短大廃止に伴い行き場を失った短大の教授たちを失業させない為の〝受け皿〟という甘い考えが〝第一の目的〟でした。その上、肝心の新学部のカリキュラムポリシー(学生に対して具体的にどのような教育を施すかという学部としての教育方針)は中身のない軽薄なものでした。私は〝絶対に失敗する〟と反対しましたが、教授会や大学系理事に押し切られました。結果は見てのとおりです。」

笠井は口惜しそうな顔をしながら話を続けた。

「もうひとつの大きな目的があります。うちは幼稚園・中学・高校・大学・大学院が有りながら、小学校だけがないでしょう。」

「それは私も気になっており、理事長に質問したいと思っていました。」

「学びの基礎は小学校時代に養われます。この時期こそが個性(才能)の伸長や忍耐力、思考力、決断力、表現力を育成する時期なのです。正しく判断し、正しく行動する為の基礎的能力を培い、それを社会発展に活かす力の基本をしっかりと養う必要があるのです。だからこそ何としても附属小学校を設置したいのです。」

堂本には笠井の将来構想・教育者としての夢をすぐに理解する事が出来た。

「理事長が仰るように、附属小学校を設置すれば、幼小連携・小中連携の可能性も生まれ、学校法人としての総合力をより強固なものにし、教育改革を強力に推進する事が出来ますね。」

「学びの連続性は子どもたちの発達と学習内容の連続性に繋がりますから、その意義は大きいと思います。ところが、レベルの低い教職員は何かと言えば〝小学校を創設してもどうせ赤字だ〟とネガティヴな事ばかりを並べ立て反対します。」

「確かに、将来構想を描き、それを実現しようという意識の高い方、行動力に長けた方はあまりおられない様ですね。」

「これまで悉く反対派に潰され、結局は何も出来ませんでした。もう改革派で推進していくしかないのです。」

「小学校は新キャンパスに創るのですか?」

「いえ、小学校は幼稚園・中学・高校に隣接する場所に建てて、幼小連携や小中連携が敷地内で出来る様にしたいのです。ただ、今の立川キャンパスだけではとても用地が足りません。だから新たな用地を取得し、新キャンパスを開校し、そこに立川キャンパスから既存の情報科学学部や国際総合学部を移転し、(立川キャンパスの)空いた土地に小学校を創設します。それが叶えば、幼稚園から大学院に至る全ての学校の設置が完成し、情操教育に重点を置きつつ、あらゆるライフステージに対応した働きかけも可能になるという訳です。」

「現キャンパスと新キャンパスのコンセプトは変えるのですか?」

「情報科学学部や国際総合学部の他にこれから新設する学部は全て新キャンパスに置き、〝将来を担う人財の発掘キャンパス〟としてのメッセージを、新キャンパスから発信するのです。ただ闇雲に土地を買うのではなく、移動し易い立地・将来構想が描ける土地である必要があります。私はこれまで幾つも物件を見てきましたが、良い物件は高く、安い物件は悪いと、悉く条件を満たしませんでした。そうしてようやく、東京都の紹介でこの場所(大田区湾岸エリア)にご縁を頂いたのです。」

「それだけの明確な理由がありながら何故、これまでの理事会で承認されなかったのですか?」

「過去の理事会の議題に使われた資料を見て頂ければ分かりますよ。私の想いが全く無視された内容になっています。」

堂本は事務室に戻り過去の理事会資料「新キャンパス用地取得の件」に目を通した。

そこには用地所在地・地積の後に建築代金40億円・土地代金35億円と書かれているだけで、地価の妥当性・所在地の将来価値・設置基準充足をはじめとした土地取得理由や取得後の活用策は一切書かれていなかった。

「これでは稟議書とは言えない。この様なお粗末な内容では理事会で承認されるはずがない。」

銀行で様々な重要案件の稟議書を書き、動かぬ山を動かして来た堂本には、その資料が〝通さない為の資料〟である事が直ぐに理解出来た。

そしてこの時、神田(事務局長)が言っていた〝動かなかった事でリスクも損失も避けられた。〟と言う意味を初めて理解した。


【理事会と評議員会】

笠井は9月の理事会でこの〝新キャンパス用地〟購入の承認を取りたいと堂本に指示した。土地の専売契約期限が9月末に迫っていた事と、他に2社が購入意欲を示していた事がその理由だった。

理事会当日。堂本は理事会に諮る為の稟議書を何とか間に合わせた。

資料の内容には自信があった。しかし一つだけ不安が残った。

それは教職員の合意を得られていない事だった。用地取得については教職員の合意は必要ないが、新キャンパスの具体的活用方法等については、本来ならば事前に教職員の意見も採り容れて、皆が納得した上で新キャンパス構想を展開するのが理想的な姿であった。

しかし旧態依然を是とする教員、反対の為の反対をする教員の抵抗に遭う事は必至で、それらの勢力を納得させた上での理事会通過を試みておればとても間に合わなかった。

幸いにも理事会は理事15名中、13名の賛成多数で承認された。

賛成の手を挙げなかったのは大学副学長の若山と中高校長の猫田の2人だった。

彼等は〝学内の教職員の説得が出来ていない段階での用地取得に対しては、立場上賛成の手を挙げられない。〟とした。

しかし、その議案がボトムアップによるものか、トップダウンによるものかに関わらず、経営判断として理事会で決定した議案については、副学長として、校長として学内の教員に周知徹底し、教員のベクトルを統一する事こそが、〝理事(役員)〟としての彼等の義務と責任である。

それにも関わらず、彼等2人は理事会で承認されて以降も教職員側を説得するどころか、逆に教職員側に付いて理事長を批判した挙げ句、のちに「理事長解任請求」という〝謀反〟を起こす事になる。

理事会が終わると評議員会が開催される。

評議員会は学内外の学校関係者から選出された38名以上45名以下の評議員で構成され、学校法人の業務・財産の状況・役員の業務執行状況について役員に意見具申をする、報告を求めるなどの、いわば〝けん制機能〟の役割を担う。

しかし理事会での決定事項を覆す、又は無効にするといった権限は有していない。それにも関わらず今回の評議員会は簡単には収まらず紛糾した。

その中の切込み隊長は、大学教授で組合委員長を務めている別府であった。

「今回購入しようとしている土地は埋立地で、そもそもゴミの島と呼ばれていた場所です。どんな産業廃棄物が埋められているかも分からない。大学キャンパスとしては決して適さない場所だと思います。以前に一度否認され死んだ案件を何故ここで再度テーブルに乗せ、挙げ句の果てに承認するのか意味が判らない。」

「ここは都による地盤・廃棄物等の調査が済んでおり、都の認可証もあります。別府先生は実際に現地を観て確証を得た上で仰ってますか?」

堂本が尋ねると、すかさず別府がまくし立てた。

「私はまだ現地は観ていないが、インターネットで調べればおおよそは想像がつく。理事・評議員の皆さん、騙されてはいけません。こんな土地を買っても使い道が無く直ぐに荒地になるだけです。」

別府は30有余年もこの大学に在籍しながら何の功績も無く、ただ漫然と高い給料と休暇だけを大学から享受して来た〝寄生虫〟教授の一人だった。

評議員の中でも中学・高校・大学の教職員は矢継ぎ早に入れ替わり立ち替わりに質問をした。建設的な質問は一つも無く、全てが〝土地取得反対〟のシュプレヒコールだった。

こうして〝土地取得〟については理事会の承認を得られたものの、その〝運用方法〟については、教職員の反対多数の中、前途多難な航路が待ち構える〝船出〟となった。


【反体制派の密談】

それから数日後、理事会の決定に不服の意を唱える教職員の代表格が、事務局長室に一同に会し不穏な相談をしていた。

「神田事務局長、あの決定には副学長・校長共に賛成の手を挙げなかった。それにも関わらず局長は賛成されたそうですねぇ。どういうおつもりですか?」

評議員会で強く反対を訴えた別府が神田に詰め寄った。

「別府先生、あの議案の発議者は事務局長である私になっているのです。不本意ながら私の立場としては賛成するしかないでしょう?」

「そもそも何故あの様な議案を出されたのですか?」企画広報課長兼入試課長の黒川が質問した。

黒川は田上前理事長派閥の〝斬込み隊長〟であり、局長の神田にとっては頼もしい片腕であった。

九州大学を卒業した黒川は、人一倍プライドが高く、論調は常に攻撃的で、目をかけた部下に対してはエコ贔屓が激しく、他の課員に対しては徹底して厳しく当たる性質であった。

職員が応戦しようものなら〝糾弾〟に近い攻撃をしてくるので誰も反論が出来なかった。その為、離職者が少ない本学において、彼が課長を務める企画広報課・入試課だけは例外的に離職者が多かった。

「堂本が理事長に頼まれて資料を作ったのだよ。そして私と京極常務に伺いを立てて来た。私は案件を潰す為にあらゆる課題を出したのだが、堂本は全て解決して持って来た。課題がクリアになるうちに常務が賛成に回ってしまった。そうなると法人事務局で私だけが反対する訳にはいかないだろう。」

神田が顔を顰めながら黒川の質問に答えた。

「京極常務は我々の味方ですか?敵ですか?」

「京極常務もあの土地の購入には当初は反対だったが、最終的には反対する理由が無くなったので賛成に回られた。しかし決して積極的な賛成ではない。今後の土地の使い方次第との考えだ。」

「では、土地の運用が上手くいかなければ今回の土地取得は失敗だったという事になる訳ですね?徹底的に妨害するしかないな。」

別府が薄気味の悪い笑みを浮かべながら口を開いた。

別府は老体でありながら血気盛んな男で、学内では〝組合の街宣車〟と呼ばれていた。何かあれば直ぐにSNSを通して内外に大学の内部情報を垂れ流す、経営側からすれば単なる〝高給取りの害染車〟であった。

「神田局長。私達は最後まで局長について行きます。何とか堂本を大学から追い出す事は出来ないのですか?」黒川が神田に尋ねた。

「彼は既に転籍してうちの職員になってしまった。自主的に辞めない限りはこちらから辞めさす事は出来ない。」

「では、自主的に辞める様に仕掛けていけば良い訳ですね?」

「そんな事が出来るのか?」

「堂本のあらゆる言動に注意を払いながらちょっとした失言も見逃さない様にしますよ。そこを突いて追い込みます。徹底したネガティヴチェックで挙げ足を取り、誰も彼に協力をしない様に周知します。協力者が居なければ彼が白旗を揚げるのは時間の問題ですよ。」

「証拠が残らない様に上手くやらないと返り討ちに遭うぞ。」

「分かりました。任せて下さい。必ず尻尾を掴んで追い込みます。周りの職員にも睨みを効かせています。彼が学内で孤立するのは時間の問題です。」

こうして神田(事務局長)を総大将とした大学・中高・組合の連合軍による笠井(理事長)と堂本をターゲットにした総攻撃が始まった。


【労働組合団体交渉】

平成27年10月。労働組合との団体交渉が始まった。

組合委員長である別府はそれまでにSNSを通して世間一般に対しあらゆる毒を撒き散らした。

「東京仏教大学に於いてここ5年程の間に、笠井理事長が大学を私物化し、大学は次々と異常な事態に陥った。自ら建学の精神を踏み躙る理事長の数々の暴挙に我々教職員は幾度も苦しめられて来た。」

「大学が期末手当1カ月分を削減する程に経営が逼迫しておきながら、多額の初期費用をかけて新キャンパス用地を取得しようとしている。このままでは将来、大学120周年を迎える事なく大学は潰れる。」

一教授とは言え、内部の人間からの〝告発〟に対し、来年に入試を控えた受験生やその保護者達は敏感に反応した。その後、予備校の模擬試験に於ける東京仏教大学の志望者数が大幅に減った。

学校法人東京仏教大学には中高・大学共に優れた教育者は多く存在した。しかし、後先を考えず目先の利益や感情論で行動を起こす一部の無能な教職員が大学の発展を妨げ、大学を更なる危機へと陥れた。

「神田局長、我々の期末手当を1カ月分削減する位ならば、新キャンパス用地購入資金を手当てに回して下さいよ。」団体交渉の席上で別府(組合委員長)が神田(事務局長)に嘆願した。

「今回、学生の入学者数が定員を大幅に割れ収入が激減しました。それに対して支出は逆に増えている事から、学校法人創設以来初めて決算赤字を計上する事になりました。教職員の手当てと決算内容をリンクさせるつもりはありませんが、うちは人件費比率が70%と他大学に比べて異常に高い。そんな状況下で赤字となれば、先ずは人件費比率を他大学並みに抑える努力をしなければ世間は納得しないでしょう。一方、用地購入資金は流動資産から捻出します。勘定科目で言えば流動資産が固定資産に変わる形を取るだけで、現時点での資産の目減りや損益への影響はないのですよ。」神田(事務局長)が丁寧に説明をした。

「結局は同じ財布から支払うと言う事でしょう?そんな無駄金を使う位ならば、収入を増やす為にも学生を集める事に金を使ったらどうですか?」

「学生を集める事に使えと言われますが、具体的な代案を持っておられるならば是非お伺いしたい。」神田が珍しく〝理事者〟としての一面を覗かせた。

「代案?それは経営が考える事でしょう? とにかく、新キャンパス用地購入を断念しない限り、手当の削減には応じられません。」

政治の世界でも低レベルの政党・政治家ほど代案を出さずに〝反対の為の反対〟をするのが常套手段だが、本学に於いてもそれは変わらなかった。

〝集団の暴力〟の中で最も醜いのが〝説教者集団〟という昔からの定説がある。

説教者集団は大きく〝教育者集団〟と〝宗教者集団〟とに分かれる。

彼らは人の言うことを聞く習慣がないので、「節度」が分からない。

東京仏教大学は宗教系の学校なので、関係者の大半がこの両者〝教育者と宗教者〟で占められていた。平時には隠れていた顔が、有事になると変貌して〝説教者集団〟としての顔に変わり暴徒化する。

今の本学の状況がまさにそれであった。そして〝説教者集団による暴力〟はこれ以降、ますます激しさを増していった。

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