第37話 奇跡とは呼ばせない

「彼は『能面』ですからね。隠すことのプロだ。たとえ、あなたが、彼の病に気が付かなかったとしても、しょうがありません。あなたより長く家族をやっている――しかも、その手の専門家のボクですら欺ける能力を持った人でしたから」


 譲二さんが苦笑する。


「でも、私は彼女なんですよ! 最後には妻にもしてもらった! それなのに、……私、何も気が付かなかった。何も気が付かずに、彼に近づいて、勝手に彼の心に土足に踏み込んで、彼が私に別れを告げた理由にも気が付かずに、何も! 何も――!」


 純は私のために別れを告げたんだ。


 もう治らないってわかっていたから、自分が悪者になって、わざと私を傷つけるような言動をとった。未練もなくなるほどひどい振られ方をすれば、私がすぐに次の恋人を見つけて立ち直りやすいとでも思ったんだろう。


 絶対、愉快だったはずはない。


 純の私への愛を確信しているから、どれだけ彼が悩み苦しんだかもわかる。


 全部、私のためだった。


 出会ってから、今まで、純はずっと私のために生きてくれていたんだ。


 それなのに、私は自分のことばっかり考えて、感傷に浸っていた。


 こんなひどい彼女がいるだろうか。


「あれは正しい解決策ではなかったと思いますよ。癌のことを、純はあなたに話すべきだった」


「いえ。多分、純はわかっていたんだと思います。もし純が素直に私に病状を告白していたら、きっと、話し合いになったでしょう。彼はきっと、私に普段通りの生活をして欲しいと願ったと思いますが、私は絶対、ずっと純の側にいたいって言い張ったと思います。そしたら、純は優しいから、結局、私に押し負けちゃって、私が彼にべったりになっちゃうから。多分、私の将来とか、学業のこととかを考えたら、あの時の純には、あれしか選択肢がなかったんです!」


 あの時の純の心理が手に取るようにわかる。


 彼の心の一部を移植されたから――ではない。


 純はずっと、他人を傷つけるくらいなら自分が傷つくことを選ぶ人だった。


「なら、同じことです。あなたが彼の余命を知っていたなら、彼の側にいたでしょう。同じように、あなたの寿命を知った彼は、あなたの側にいた」


「でも、純の真意も知らずに、勝手に私が落ち込んだせいで、きっと無人病になっちゃったんです! 私が馬鹿なせいで!」


 私は首を横に振る。


「無人病の原因は不明です。それだけは、専門家の私が保証します。実際、世界では直前にショックを受けるような出来事が何もなかった人も、発症しています。だから、あなたは何も悪くない。もちろん、純も何も悪くない」


「でも――、でも――!」


「それ以上、自分を責めるのは純に対して失礼ですよ。あなたにとっての素晴らしい余命三ヶ月は、彼にとっても最も幸福な余命三ヶ月だったと、ボクは思います。正直、あなたと別れて、ボクの下に帰ってきた純は、抜け殻みたいでしたから」


「……そうでしょうか。純は、私といて、本当に幸せだったんでしょうか」


 私は幸せだった。


 たとえ、手術が失敗していたとしても、最高の三ヶ月だったと胸を張って言える。


 だけど、純はどうだろうか。


「ええ。最期に、純はボクを『親父』と言ってくれました。だけど、ボクは、結局、最後まで純の心の内側に踏み込んでやれなかったんです。本当の意味で、彼の苦しみを共有してやれなかった。でも、あなたは違う。きっと、彼の心に、本当の意味で寄り添ってくれた、世の中でたった一人の真の理解者です」


「病気のことに気付けない、そんなダメな彼女でも、ですか?」


「彼の苦しみは、もっと根源的なものですよ。もちろん、彼は病気にも苦しんでいたでしょうが、それは、人生という大樹の枝葉の一部分にすぎない。あなたは純を本質的に幸せにしました。だからこそ、純はあなたのために必死になれた」


「……」


 それ以上、私は譲二さんへ反論する言葉を持たなかった。


 もし、私の存在が彼にとってほんの少しでも救いになったなら、こんなに嬉しいことはない。


 もしかしたら、私の希望的な観測が多分に含まれているのかもしれないけど、彼から貰った心も、譲二さんの言葉を肯定している気がした。


「――明後日、純の葬儀があります。出てくださいますか?」


「はい! 出ます!」


「ありがとうございます。もし、あなたが出てくれなかったら、ボクが一人で送らなければいけないところでした。それは、あまりにもきついので」


 譲二さんはほっとしたように笑う。


「あの、お葬式まで純の側にいてもいいですか?」


「そうさせてあげたいところですが、あなたは未成年です。早く親御さんを安心させてあげるという意味でも、一旦、お家に帰られると良いでしょう。というか、そうしないとボクの方の管理責任が色々問われます。それが終わったなら、好きにしてください。もちろん、ボクはいつでもあなたを歓迎します」


「――はい。わかりました」


 一歩もここから動きたくなかったけれど、無茶をすれば強引に母に家に連れて帰られて、そのままお葬式にも出られなくなってしまうかもしれない。


 それは嫌だった。


「では、ボクの方から、あなたの親御さんに連絡を入れておきます。ご両親へのお手紙と、諸々の手続きに必要な書類も準備しておきますから、安心してください」


「はい……。何から何まで、ありがとうございます」


 私は頭を下げた。


 譲二さんも純を失って辛いはずなのに、ここまで何もかも滞りなくできることが、純粋にすごいと思う。


 それが大人というものなのだとしたら、やっぱり私はまだまだ子供だ。


「いえ――ああ。そうだ。大切なことを言い忘れていました。あなたもよく理解されているかとは思いますが、今回の手術は非合法なものです。ですから、あくまで公式には、『旅行から実家に帰ってきた純は急に体調を崩して危篤状態になり、すでに搬送も間に合わない状態であった。純は前々から臓器のドナー提供を希望していたため、現場判断でボクがタマイシ化を行い、緊急的に移植手術を行った』という筋書きになっています。つまり、あなたが複数人のドナーからの移植を受けたという事実はなく、純のタマイシは、初めから非特定心性石――世間一般でいうところの『クズ石』だった、ということです」


 譲二さんが真剣な表情で言う。


 タマイシ化しない人たちの多くを占める理由は、『タマイシがクズ石であることが公になるのが恥ずかしいから』というものだ。


 だから、生前、純のタマイシがクズ石であったというのは、完全にもっともらしい理由で、私の親も、学校の人たちも、きっと疑う者はいないだろう。


「でも、本当は違うんですよね?」


 私としては、別に純のタマイシがクズ石であろうと何も気にしないのだが、譲二さんの口ぶりからすると違うらしい。


 ならば、どんな宝石か気になってしまうのは仕方ない。


 彼の事なら、なんでも知りたかった。


「はい。あなたにだけ、教えておきます。純のタマイシは、サファイアでした。何千人もの患者を診てきたボクでも見たことがないほど、青く美しい宝石です。あなたにも見せてあげたかった」


「サファイア……」


 私は噛みしめるように呟いた。


 家に帰宅する途中、私はずっと純のタマイシを夢想していた。


 青とはどんな青だろう。


 色んな青がある。


 空の蒼、長谷寺の紫陽花アジサイ、ガスの炎、スーツの紺、幸せの青い鳥。


 あれこれ想像してみるけれど、純にふさわしいのは、やっぱり海の青な気がする。


 そうこうしている内に、家についた。


 玄関の扉を開けると、仕事休んだ父と母が、私に抱き着いて泣き始めた。


 私も泣いた。


「これは奇跡だ」


 父が言った。


「神様が日頃の茜の善行を見ていてくれたのね」


 母も言った。


「幸運だ」

「魔法だ」

「運命だ」


 友達も何人かお見舞いに来てくれて、皆が口々にそう祝福してくれたけど、私は知っている。


 これは、奇跡ではない。


 神様の恵みなんかではもちろんない。


 幸運や、魔法や、運命みたいな安っぽい言葉で片付けて欲しくなんかない。


 私の今の生は、ただ、純が命がけで掴み取ってくれた現実である。


 そのことを知っている。


 私だけが、知っている。


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