第15話 回想 猫の死体とメッセージボトル(2)


「……えっと、それ、キミの猫?」


 いつの間にか俺の後ろに来ていた茜が、声をひそめて呟く。


「ああ。サバミだ。こいつを海に還してやりたかった」


「猫は魚じゃないよ? 陸の生き物だよ?」


「ああ。でも、こいつは、海で産まれた猫なんだ」


「?」


「トンビが子猫をさらって、別のトンビと取り合っている間に、偶然波打ち際に落ちたところを俺が拾った。猫は水嫌いなのが多いのに、こいつは風呂も磯遊びも大好きだった。だから、こいつの還る場所は海しかないんだ」


 首を傾げる茜に、俺は自信満々にそう断言した。


 誰が何と言おうと、こいつは海から産まれた猫なのだ。


「なるほど……」


 納得してもらうつもりもない説明だったが、茜は深く頷いて理解を示してきた。


「さ。満足したか? 満足したなら、さっさと諦めるなり、別の所でやるなりしてくれ」


「そのロープは?」


 茜は俺の要求を無視して訊いてくる。


「空海さんみたいに波に打ち戻されないように、これで遠くまで放り投げるんだよ」


 俺は皮肉たっぷりに言った。


「その手があったか! ねえ。久世くん。じゃあ、その猫と一緒に、私のメッセージボトルも葬ってよ」


 茜は名案を思いついたとばかりに手を叩く。


「あ? 嫌だよ。俺のサバミの葬儀に余計なものは混ぜたくない」


 俺は即答した。


「えー! そこ断っちゃう? うーん。じゃあ、ええっと、ええっと――そうだ! なら、久世くんもメッセージを書きなよ。サバミちゃんへのお別れの言葉をさ。そしたら、余計なものじゃなくなるよ。うんうん。そうだよ。私の恨み言と一緒に沈んでいくなんて、かわいそうだし」


 すでに茜の中では、サバミとメッセージボトルを抱き合わせにするのは規定路線らしい。


「勝手に話を進めるな。まだ俺は納得してない」


「ダメなの?」


「ダメって言ったらどうする?」


「じーっと、久世くんの葬儀が終わるのを見てる。それで、終わったらロープを貸してもらう」


「いや。ロープも一緒に流すから。がっつり結ぶから都合よくほどけないし」


 流してもゴミになりにくいように、化学繊維ではなく、天然繊維の麻のロープにしたのだ。


「ああ、もう! そんなに嫌ならもういいよ。私はどこかに行くから、好きなだけお別れしてください。あー、これで、私の中のもやもやが溜まってまっくろくろすけになっちゃったら久世くんのせいだー」


 意味不明な不平を垂らしながら、メッセージボトルを握りしめた茜が去っていく。


 と――思ったら、こちらを振り向いた。


 またちょっと歩いて振り返る。


 チラ、チラ、チラ、チラ。


 ああああ、クソうぜえ。


 ふと天を仰げば、台風の目に入ったのか、少し雨足が収まってきた。


 このままでは、人が集まってきてしまうかもしれない。


 あれこれくだらない問答するよりは、結局こいつの提案を呑んだ方が早いか。


「はあー。しゃあねえな! 紙とペンはあるのか?」


「あるある! 防水のやつ」


 茜がダッシュで戻ってくる。


 それから、腰のポーチから、片手でメモ用紙のような束とボールペンを取り出して、俺に投げ渡してきた。


「じゃあ、空海さん。身体で一瞬雨を遮ってくれ。それから、目を瞑ってろ。絶対に見るな」


「見ない見ない」


 俺は砂浜に――今はただのぬかるみに腰を降ろした。


 茜が両腕を汲んで腰を曲げ、俺を覆うように立つ。


 律儀にきつく目を瞑る茜を一瞥し、俺はサバミへのメッセージを記す。


 ろくに文章を考える時間もなく、頭に浮かんだことをそのまま書き殴った感じだ。


「終わった。ボトルに入れるぞ」


「うん!」


 茜から手渡されたボトルの蓋を開け、手早く紙を押し込んで、また蓋を閉じる。


 サバミに結び付けたロープを一回切る。


 それから俺は、抱き枕にしがみつくような格好でサバミにメッセージボトルを抱かせた。


 さらに、再びメッセージボトルごと胴体にロープを結び直す。


「いくぞ。準備はいいか?」


 ロープの端を握る。


 何の準備かわからないけど、自然とそんな言葉が口をついて出る。


「お願い」


 何を願ってるかわからないけど、茜がそう呟いた。


 グルグルグルグルグルグル。


 遠心力を帯びて加速するサバミの死体。


「ありがとな!」


 砂浜で大回転をキメた俺は、そう叫んでロープを手放した。


 サバミは、俺の所にやってきた時のように颯爽と空をブッ飛んで、波間に突っ込む。


 その姿は、やがて濁った茶色い濁流に呑み込まれて見えなくなった。


 俺は最後までその光景を見守る。


 隣の茜は、ただ瞑目して手を合わせている。


 オパールが神秘的な紫色の光を帯びて、陰気な世界を照らした。


 その横顔はあまりにも美しく、もしかしたら、彼女は俺に遣わされた善良なる死神なのかもしれない――なんて、埒もないことを思った。


「あの、一つ、聞いてもいい?」


 やがて目を開いた茜が遠慮がちに呟く。


「なんだ」


「なんで、レインコートも傘も持ってこなかったの?」


「サバミがびしょ濡れなのに、俺だけ雨を除けるのはズルい気がしたから」


 俺は正直に答えた。


 『なにやってるんだ』と、自分で自分に突っ込みたくなる。


 俺は初対面の人間にこんなに素直になるようなイカした性格じゃないはずなのに。


 二人して人目を避けて、ちょっとした不法投棄を成し遂げた罪悪感。もしかしたら、その背徳の共有が、俺の茜に対する親近感を異常に増幅しているのかもしれない。


「……久世くんは、いい人だね」


 茜はそう呟いて、小声でクスっと忍び笑いを漏らした。


「空海さんは、思ったよりも悪い人だね」


 俺は嫌味っぽく言った。


「そうなの。私、実は悪い女なの。みんな誤解してるんだよ」


 そう答えた茜は、なぜか嬉しそうに、口角を余計に吊り上げるのだった。

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