第4話 回想 俺がクズになった日(2)

「突然ですが、ご家族の都合で久世くんが転校することになりました」


 ホームルームの最後、『一身上』並に便利な汎用句で、教師が事務的に告げる。


「皆さん。大変お世話になりました」


 俺も事務的に答える。


 ざわめく教室。


 その注目の対象はもちろん俺ではなく、茜だ。


 『知ってたの?』、『かわいそう』、『ひどい奴だな』、『騙されていたんだ』。


 呆然とする彼女にかけられる、疑問、慰めの言葉、俺への罵倒。


 それも当然だ。


 元々、交友範囲が極狭な俺の学校での価値は、『茜の彼氏』以上でも以下でもないのだから。


 教師が生徒たちをなだめ、いつも通りの授業があって、やがて休み時間がやってくる。


 茜は人気ひとけのない場所で話をしたがったが、俺は敢えて教室にそのまま留まった。


「どういうこと?」


「……」


「転校するから、私と別れようとしてるの?」


「……」


「私、大丈夫だよ。遠距離だって」


「……」


「何も言わずに行くつもり?」


「……」


「もう……何か言ってよ……お願いだから」


 茜が悲しげにその長いまつ毛を瞬かせる。


 胸のオパールの遊色効果が失われ、輝きを失って、ブラックオパールへと変じた。


 それでもなお、俺は無言を貫く。


 俺が一方的に茜をたぶらかした悪であると、周囲に認知してもらわなければならない。


 それが、茜の今後の平穏な学校生活に繋がるのだから。


「おい! お前! 何とか言えよ! その態度は茜にあまりにも失礼だろ!」


 そう正論をかまして割り込んできたのは、日に焼けた小麦色の肌が凛々しいクラスメイトだった。


 柏 雄大かしわ ゆうだいと言ったか。


 サッカー部でフォワードで、その上、つらも良いという、モテ要素の権化のような男だ。


 その直情的な性質を現すように、胸の赤いガーネットのタマイシが、怒りの色でさらに濃くなっている。


「ちょっと、何で柏くんが出てくるの! 関係ないでしょ!」


 茜が柏を睨みつける。


「関係あるだろ! その……オレは、茜の、幼馴染だし」


 柏はどこか気まずそうにそう答えて、こめかみを掻く。


 柏が昔――俺と茜が付き合う前、彼女に告白して振られているのは有名な話だった。


 結果としては、その告白が巡り巡って、俺と茜の出会いに繋がったということを、こいつは多分知らない。


 だが、そこまで茜を大切に思っているというなら、利用させてもらう。


 彼女の今後の学校生活のために。


「そういうが、結局、お前は俺に嫉妬してつっかかってきてるだけじゃないのか?」


 俺はやおら口を開き、挑発的な口調で柏を横目に見た。


「なんだと!? お前、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ! これだから人の心が分からないタマナシは――」


 柏が俺の胸倉を掴んでくる。


 おいおい。


 正義漢ぶるのはいいが、暴力はやめろ。


 俺が『被害者』になる余地を作るな。


 先手を打って殴ってもいいが、さすがに学校だとまずい。


 関係者として茜にまで迷惑がかかる。


「柏くん! やめて! 純もどうしてそんな言い方するの!」


 間に割って入った茜が、柏を突き飛ばし、俺に困惑の視線を向けてくる。


「俺が何を言おうと、俺の勝手だろ。俺よりそっちのサッカー部様が良ければ、のりかえてもいいんだぞ。俺はもう、お前に飽きたし」


 俺の一瞥いちべつに、茜が傷ついた表情を浮かべた。


 陰るオパールが、まるで炭のように黒くなる。


 そもそも、俺は人前でこんなに喋るキャラではないから、公衆の面前での痛罵は、さすがの茜も衝撃だったことだろう。


 ここまで言わなければいけないのだろうか。

 言う必要があったのだろうか。


 一瞬で後悔するけど、優しい台詞で自分と茜の未練を断ち切れるほど、俺は器用な言葉を持ち合わせてはいなかった。


「――!」


 怒りの沸点を超えると人は黙る。


 柏のガーネットがマグマのように粘質の鈍い赤に染まった。


「なにあの言い方」

「カスすぎでしょ」

「もしあいつのタマイシが見えたら、きっとドブみたいな色のクズ石だろうな」


 ああ。そうだ。それでいい。


 もっと蔑め。もっと、俺を嫌ってくれ。


 『久世 純は、善良な空海 茜を騙して弄んだ最低の人間である』。


 そういう共通認識ができれば、茜の『被害者』としての立場は確固たるものになる。


 きっと皆が彼女に優しくしてくれることだろう。


 そして、茜に好意を向けるたくさんの男たちの中から、俺より良い誰かを見つけて、幸せになってくれればいい。


 簡単だ。


 世間的には、タマナシの俺より下の評価の奴はそうそういないから。

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