夢の途

うさぎ赤瞳

第1話  新時代  前編

   一


 瞳に映らない魂が、電磁波に乗り、流れ星の如く、身体じったいへ向かっていた。


 妄想家のうさぎ赤瞳は、物語を認めたことで、命を狙われてしまった。当たり前の日頃を小さな幸せと考える感性は、ご加護という奇跡を起こし、命拾いをした、という結果を拾ったのである。

 非実体の霊魂は、人の眼に映ることはない。その神秘かみがかり構造しくみは、人知の枠を越えた想像の世界(異次元)と繋がっている。その為、イレギュラーとして、肉体からだに戻された、ということだった。



 通常の組織かいろは、御霊が躰を離れると、生命を維持する循環が儘ならなく、蓄えたエネルギーが底をつき、細胞は壊死して、硬直に至る。躰が風化を進め消耗の果てに腐るのである。


 分離された御霊は、ブラックホールへの長い長い回帰たびじにつく。ブラックホールに向かう理由は、還元でリセットされ再生リスタートを迎える為だ。


 既にお気づきのように、循環することが全てのものに組み込まれている。倣わしと視るか、法則と視るかは、個性に委ねられていた。



 うさぎの場合、御霊に電磁信号が纏わり付き、イレギュラーとして扱われていた。纏わり付いた電磁信号が音を奏でている。

『躰に戻り、を付けなさい』

 やり方や期限も宛がわれないそれは、使命感で遂行する他なかった。




     二


 二千五年 五月 十三日 (金)


 都内の某マンションで、変死体が発見された。

 遺体はその部屋の住民で、藤沢真奈美という。大手自動車メーカーの受付嬢をしている二十五歳の独身者である。質素で簡素な部屋うちは、几帳面で生真面目な印象を与えていた。ソファーのそばに横たわる遺体は、あたかも自殺と思わせる空気感を漂わせていた。



 『どかどか』と音を立て、周囲を威圧的に見下すおとこが入って来た。すれ違いざまに、

「お疲れ様です」と挨拶が飛び交う。

 一条拓哉というその漢は、警視庁捜査一課課長である。威圧的な態度は、携わった事件に未解決がない、というすじょうに他ならなかった。


 捜査班の班長と鑑識が、次々と報告をあげていく。腕を組みながら熟考する威圧から、報告に身が入っていない。距離感を視れば、薄々と伝わっていた。

 離れた場所から、

「どうせ、◎○製薬に利益を齎すでもしているのさ」という、陰口が聴こえている。


「解剖へ廻して、徹底的に調べさせろ」

 辺りを見下した八つ当たりが炸裂した。後退ずさりする捜査員が横を向き、距離はまた広がっている。

 陰口は噂話と一緒で、尾鰭がつき触れ回るものである。一度掘ってしまった溝は、埋めたつもりでも、泥濘ぬかるんでしまうものだ。


 陰口の対象である◎○製薬会社の社長は、杉野一夫という。一条とは、大学の同卒であった。

 K塾大学は、二世・三世の多くが卒業している私立大学の名門である。猫も杓子も大学に進む現在は、学閥という繋がりが意味を為すことも多くなっている。


 組織を守るため、という考え方自体がナンセンスなのであった。生き残りをかけて、利益を追究することが、悪循環、とは気付かないのだろう。お金というものに固執していては、なにも生み出さないし、進歩に繫がる訳もないのが現実であった。


 藤沢真奈美の部屋が、蜘蛛の子を散らしたように静かになっていた。




    三


 藤沢真奈美の検視解剖を任されたのは、伊集院一二三である。T大医学部卒のエリートであった。ちょっと我の強い伊集院は、手抜きを毛嫌いした。気になる部位だけではなく、サンプルを採ることに拘っている。

「生きた証しを残すことが、供養になる」と持論を称えることで、周りからは顰蹙ひんしゅくをかっていた。


 検視解剖報告書に数値を入れ、因果関係と見解を埋めれば役目を果たす。伊集院は、荼毘だびに付すの意味を履き違えていた。


 通常にっか通りの作業を終えた伊集院が、眼を点にした。


 検視解剖報告書を手にし、部屋を出る。

 責任者である小泉浩一にそれを手渡すと、いそいそと身仕度を整えた。

 書類に目を通した小泉が刹那に、「おい」と呼び止めた。

伊集院は既に外出するべくでぐちに居た。

「調べる為に、国会図書館に行って来ます。後はよしなに」と言い、勢いよく部屋を出て行った。

 眼を点にしている小泉が、頭を抱え苦虫を噛みつぶしていた。


 過去にも、似たようなことをしていた。その時は、赤線と赤波線を引き糸口を見出している。完成に至るが施されていた。今回は、そういった類すら見受けられない。試験を諦めた白紙解答かいとうようしにしか、眼に写らなかった。肩を落とし途方に暮れるこいずみが、痛々しく佇んでいた。



    四


 国会図書館の生物学コーナーで書物を物色中の伊集院に、

随時ずいぶんと久しいな」

 不用意に声を掛けたのは、中里正美である。T大医学部の同期卒で、ひょんなことから親しくなっている。

 顕微鏡を眺めながら話しかける姿それは、周囲から「宇宙人」と囁かれていた。所謂、『類は友を呼ぶ』を極めていたのである。


「近いうちに、一杯やろうぜ」

「あぁ、相談したいことがあるから、是非にでもたのむよ」

 中里は既に踵を返していた。振り返る訳もなく右手を挙げ、握る開くを三度みたび繰り返した。

 伊集院がそれを見届けて『変わって無いなぁ』と、思い出し笑いをこさえていた。

 風の便りで、沖縄の米国軍基地移設は聴いていた。

 珊瑚礁が絶滅したとか、しないとか。まさか親友が奔走しているなどとは、露ほども考えていなかった。

 歯車が狂い始めると、回復作業てまに時間を要することを知っていた。穏やかに刻まれているうちに、着手したいと願ってまなかった。



 年末の慌ただしさに便乗して、藤沢真奈美の事件が、『自殺』という型で、幕を引かれた。



      四


 二千六年 一月 十三日 (金)


 終末で賑わう渋谷のハチ公前に、伊集院が立っていた。現在の時刻は、午後六時三十分である。約束の時間は七時だった。

 小学一年の時の遠足で、母の寝坊で遅刻した。たのしみを奪われた。そのもどかしさが心にトラウマを残して終った。幼いながら、約束の三十分前に着くことを、自身に課すべく肝に銘じていた。大人になった今でも、それを課したままである。


 会社からの緊急招集でさえ、トラウマを優先させ、空白まち時間を設定していた。その空白時間にすることは、最悪の状況を妄想することである。読み違えをイレギュラーとして扱い、心に傷を残さないようにしていた。天然素材こせいを護る為には、無駄骨きりすてることも厭わなかった。


 人の流れが変わった。電車が到着したことがそれで、に見えるものになった。

 伊集院が腕時計を確認すると、六時四十分を刺していた。

 学生時代の中里は、何処で調整するのか解らないが、二・三分前に到着した。人が重きを置くからこそ、拘りになるのだろう。特に考えていないことが、身に積まされていくのである。


「やっぱり居たな」

「どういう風の吹き回し? だい」

「社会の荒波に揉まれた、ってことさ」

 言う中里が、すずろに歩き始めていた。

 長い付き合いのある伊集院が、それにいて行く。



 道玄坂にあるその店(隠れ家)の出入口かんのん扉は、建て着けが悪いのか、かなり重い。

 一風ちょっとさびれた店内は、光量あかりで誤魔化しているように感じるが、清潔感で温暖ぬくもりに替えていた。

 店主の理由こだわりが、料理にあるのだろう。シンプルな和洋折衷は、見た目もる事ながら、味に拘っていた。素材を活かす為に、塩・胡椒・果実汁かくしあじで調整されている。懐かしくおもえる感覚は、家庭の団欒を蘇らせていた。


 旬の料理あてをリクエストしておくと、次の日から一週間だけ用意してくれた。常連客に必要なものは、空間ではなく、居場所であって欲しい。待っているが必要条件を充たすのである。見えないものに振り回されることは、人生の途中なかには数多く存在するものだ。

 場所柄の割に低料金なのは、店の存続を度外視しているのだろう。かなりの老齢が観て窺えた。常連客たちから、「店主に遭遇できるのは、惑星直下に匹敵する」と、囁かれているのが、常連客の、魅惑の基であった。



 何時ものように洋風暖炉に向かい、中里が背中から哀愁を溢れさせていた。

「日本はこの先、如何したい? のかなぁ」


 少しずれた背中合わせの伊集院が、ただただ護衛をしているように、無言で宙を見詰めていた。


「敗戦国は、負け組を脱皮できない、んだろうか」


「政治の世界のことは解らない、よ」


「解らなくても、本音いけんはあるだろう」


「言ったところで、何も変わらないさ」


「格差は埋められない、って、ことかぁ」


に付き合い切れないからじゃないかな」


「痛いところをつくなぁ」


「国民の目は、意外なほどシビアなのさ」


 中里がぐうの音も出なかった。

「ところで、一二三の相談とは?」と、中里が話しを切り返した。


 伊集院が鞄からA四サイズの用紙を取り出して、中里に手渡した。それを受け取り、直ぐに眼を落とす。


 読み終えた、と言う代わりに天井を見上げ、

「新薬の開発に成功したのかい?」と、中里は杞憂の表情を浮かべた。


「二十五歳の若い娘が、科学者の知識を上回る発明をしたとでも言いたいのかい?」

 伊集院が苦笑いで、その場を繕った。

「二十五歳のわかい娘? だったのか」

「得たいの知れない薬物が、に使われたのさ」

「自殺? 有り得ないだろう」

「警視庁が、そういう発表をしたよ」

「一二三が検視解剖をしたんだろ」

「したよ」

「他殺の可能性が高い、と所見しなかったのか」

「僕の知識と経験で、特定できる薬物がなかった。国会図書館で調べていた時、偶然遭遇したから、意見を聴いてみたくなったのさ」

「細胞が先に壊死する薬物なんて、俺にも解らんよ」

「生物学にのめり込んだ中里おまえなら、って閃いただけさ」


「正直なところ、一二三の話しを聴いて興味が湧いたよ。ザックリで良いから、連絡を取り合わないか? お前のことだから、白黒はっきりさせるんだろう」

「そう言ってくれることを期待していたのさ」

 思いが重なると、歯車が噛み合うものである。例え離れていても、想像おもいは重ねられる。ひき寄せ合うものが、『運命の糸』であることは、人としてのであった。


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