7-2

下校時刻になり、同じように図書室で勉強していた生徒たちに紛れて栞も下校する。昇降口を出ると、部活動を終えた生徒たちの汗と制汗剤の混ざった、まさに青春の香が鼻先をよぎる。


「花木さん」


足先を見ていた視界を上に戻すと、部活動終わりの牧原が火照った顔で栞に笑いかけた。


「なんか、久し振りだね」


「うん。牧原は部活忙しいもんね」


気まずいわけではないが、自然とお互いの口数は少なく、並んで駅に向かう道を歩く。


「最近も本読んでる?」


「勉強もしないといけないから、前よりは減ったかも」


「勉強かぁ、耳が痛いな。俺は、野球に打ち込んでるって自分でも思うよ。野球で頭一杯にしないとさ、考えちゃうんだ」


牧原が考えてしまうことは、言葉にせずとも二人の間に共有されていた。


「置いてかれるのは辛いよね」


栞は無言で牧原の言葉を肯定した。堀北という男子高校生と過ごした時間が、一つだけポツンと栞の中で時を止めている。


「いや、違うか。置いていかれたと思ってるのはお互い様だよな」


「お互い様?」


「俺たちからすると、あいつは先に遠くへ行ってしまったように感じるけど、あいつからしたら自分は時が止まってしまったのに、俺たちはその先の時間を進み続けてるように感じるだろうなって」


牧原の言う通り、堀北は十七歳より歳を取ることはなく、栞や牧原はどんどん歳を重ねていくだろう。


「俺、花木さんに謝らないといけないことがあるんだ」


「謝る?」


「堀北と花木さんが連絡取れなくなって喧嘩みたいになった時あったでしょ? あれ、実は堀北なりに花木さんを遠ざけようとしてたんだ」


「なんで……?」


「自分の状態が悪くなってることがわかったからかな。花木さんに辛い思いをさせたくない、堀北以外に頼る人を見つけてほしい。でも、自分以外の人に頼ってほしくないって、葛藤してたんだよ。それで、知ってて俺は黙ってて、結局居ても立ってもいられなくなって話しちゃったんだけどね」


堀北は自分がいなくなった後の栞を心配していたと知り、鼻先がツンとしてきた。


「あいつなんかとは比べ物にならないけど、俺にも悩みとかあったら話してね。あいつに、任されたんだ」


「任された?」


「花木さんが困ってたら力になってあげてほしいって。ま、言われなくても困ってたら助けるよ。友達だからね」


友達だから、と牧原は言ってくれた。それ自体はとても嬉しい言葉で、牧原の言葉が間違っているわけではない。しかし、栞は別の答えを持っていた。


「牧原に何かあったら、私も力になる。牧原は友達だけど、友達だからじゃなくて、牧原が牧原だから、私は力を貸す。友達が少ない私にとって、その区別に意味はないけど」


「なんとなくわかるよ。親子だからとか、夫婦だからとか関係性じゃなくて、その人だからってことだよね?」


「牧原と一緒に過ごした時間が、私をそう思わせるってことかな」


「それも、お得意の本のお話?」


「これは……なんだったかな。多分そう」


本から得た知識は栞の価値観の大半を占める。しかしこれは何故だか、本から知った考え方ではないような気がした。


「花木さん、ちょっと寄り道してかない?」


そう言った牧原についていった先は駅の反対側にあるコンビニエンスストアで、牧原はお腹が空いたとおにぎりとホットスナックを買った。


いつの間に買ったのか、牧原は栞にココアの缶を渡し、駐車場の少し冷たいコンクリートの上に座った。


「こんなこと言ったら引かれるかもしれないけど、私は堀北が死んだってことを認めたくないみたい」


牧原は黙って続きを促した。


「気づけば堀北のことを考えているし、図書室に入る時は彼が座ってた席を確認して、学校でも彼の姿を探してる。堀北がこの世にはいないってことが信じられなくて。また、堀北と出会う前の、現実逃避をしている自分に戻っちゃったみたい」


「そんなことないふぉふぉもうけど……」


食べ物を咀嚼しながら牧原は答えて、飲み込んでから栞を見た。


「今は現実から目を背けてるわけじゃないでしょ? ただ、受け止めきれてないだけだよ。俺だってまだ信じられないよ。あいつがいないなんて。でもさ、人間って頭良いのかバカなのかわかんないけど、いつかあいつがいないことにも慣れて、そんで少しずつあいつのこと考える時間が少なくなって、忘れる時間も増えるんだよ」


栞は自分が堀北を忘れてしまうことが怖かった。木下も牧原も、時間と共に堀北のいない世界に慣れると言った。しかし、堀北がいなければ今の栞はいない。堀北を忘れてしまったら、自分が自分でなくなってしまうのではないかという恐怖を感じていた。


「でも俺は忘れない」


牧原は力強く言った。


「頭も良くないけど、あいつのことだけは忘れない。忘れちゃいけないって思ってる」


「うん」


「忘れたくても忘れられないよ、あんなやつ」


牧原と栞は二人で笑った。ふと目に入った夜空に瞬く星を見て、あの中のどれかに堀北がいるのだろうかと、柄にもなくファンタジーな考えが浮かんだ。


牧原はあっという間に買ったものを食べ終え、二人で駅に向かった。


「気をつけてね」


「うん、牧原も」


反対方向のホームへと歩き出そうとしたが、牧原が立ち止まっていることに気づき、体の向きを戻した。


「どうしたの?」


「こんなこと言われなくてもって感じだと思うけど、堀北のために生きて、幸せになってね」


「それは牧原もでしょ」


「うん。だけど、堀北が最後まで気にかけてたのは花木さんだから。花木さん、あいつと会って変わったって言ってたでしょ? 花木さんが生きて前に進むことが、あいつが生きてたっていう何よりの証だと思うんだ」


引き止めてごめんね、と言って牧原は去っていった。栞は堀北の通夜の日を思い出した。堀北の母親に会い、同じようなことを言われた。


参列者が涙に包まれる中、あの日は雲一つなく、星が綺麗に見える夜だった。

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