3-2

堀北は何をするでもなく正面を見ていたが、目の焦点はどこにも合っていなかった。その表情はどこか寂しげで何かに一人で耐えるような、そんな表情だった。


「俺、今すごく自分が恥ずかしいんだ」


ポツリと言った堀北の言葉を、栞はすごく久し振りに聞いた気がした。


「あのおじさんに自分のことしか考えられないんですねって、相手のことを考えろって言ったけど、あのおじさんももしかしたらいつもはあんなこと言う人じゃないのかもしれない。たまたま嫌なことが重なって気が立っていただけ、もしかしたら自分が子育てをしているときに同じことを言われて嫌な思いをしたのかもしれない。それを今この場に居合わせただけの俺に言われる筋合いはあの人にもなかったかもしれない」


栞は堀北の言わんとすることは理解できた。人は誰しも抱えているものがあり、それは見ただけではわからない。その人の立場になって、その人の考えを想像して、言葉を選んで接することが相手を思い遣るということだろう。


しかし栞は堀北のとった行動は間違ってはいないと思った。栞はそれをなんとかして堀北に伝えなければならないと思った。


「私が読んだ本の登場人物の言葉なんだけど、『人は多面的なもので、あなたが認識してる自分と周りに認識されてるあなたは違ってることが多い。しかし、それはどちらも紛れもなくあなたで、あなたはそれを受け入れなければならない』って言ってた」


堀北は前を向いたまま無表情で栞の言葉を聞いていた。


「だから堀北に間違ってると思われたあの人は、自分にはそういうところがあるって認めなきゃいけないと思う。その時の自分は周りから見たら否定される行動をしていたんだって」


栞に向き直った堀北の目は焦点を取り戻しつつあるように見えた。


「堀北は今こうして自分の行動を客観的に捉えようとしてる。それだけで私は堀北が十分思い遣りのある人だって思う」


栞は自分の想いが堀北にちゃんと伝わっているか不安になった。ただ堀北は正しいことをした、勇気ある行動をして賞賛されるべきだと伝えたかったのだが、人と関わることを避けてきた栞にはたったそれだけを伝えることが難しかった。


「ありがとう」


栞に笑いかけた堀北はいつもの堀北に戻っていて、栞はほっとした。先ほどの現実から離れたような堀北の虚ろな目を見たのは初めてだった。常に今を生きようとしている堀北もあんな顔をすることがあるのかと内心驚いていた。


「花木さんはやっぱりすごいな。俺はそんなに深いことまで考えて励ましてあげられないよ」


「そんなことないよ。堀北から深い言葉を聞いたことあるし、私は本の受け売りだから」


大勢の前で知らない大人相手にあそこまで堂々と話せることも立派なのに、誰が聞いても納得できるような芯の通った発言が堀北にはできる。それに比べて栞は今まで読んできた頭の中にあるたくさんの本のページを捲ってそれを紹介することしかできない。


「俺はそうは思わないな。その言葉だって、ちゃんと花木さんの中に入って、花木さん自身の言葉になってると思うよ。そもそも生まれたときはみんな何も知らないんだから、みんな誰かの受け売りを自分の物にしていくんだよ」


そう、こうやって堀北は栞の考えをいつも肯定してくれる。時折栞は堀北が本当に同じ年齢には思えず、年の離れた大人と話している気分になる。堀北は様々な経験をして、辛い思いをして、その度に多くのことを考えてきたのではないだろうか。他の同級生では堀北と同じ答えを返せるとはとても思えない。


「生きている間にたくさん経験して、色んな人と出会って、物語にたくさん触れて、欲張りかもしれないけど、誰かに俺の言葉を残せるような人になりたいな。だから本を読み始めるようにもなったんだよね」


栞は、堀北はすでに人に言葉を与える側の人間だと思った。事実、栞はこの短期間で堀北からたくさんの言葉をもらっている。


「なれるよ。堀北なら」


「ホントに? 花木さんが言うなら心強いな。食いたいときに食え! とかどうかな?」


「それはなんか違う気がする」


それから名古屋駅到着まで、二人は途切れず話し続けた。

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