第31話 談合
法隆寺に足を踏み入れると、横幅のある石畳が遠く中門まで延びていて、その石畳を挟むように砂利が敷き詰められていた。
広大な敷地には、国宝指定を受けた建造物が点在しており、それらが、生える松と相まって、見事な景観を造り出している。
このような状況下でなければ、眺めて感嘆の声を漏らす場面だろうが、
白いワンちゃんを引き連れて、逃げるように進む。中門に辿り着くには、西院と東院を結ぶ広い道を横断しなくてはいけないが、近付くと連れのワンちゃんが独りでに走り始めて、その道を東へと消えて行った。境内の壁や木々に遮られて、姿が追えない。
「おいおい、今まで仲良くやっていたのに、一人にするなよ」
鹿目は愚痴をこぼす。
化け物の巣穴に突撃している最中なので、連れは多いほうが良かった。
すると、ワンワンと、犬の鳴き声がしてくる。つれない素振りをしていたワンちゃんが、早くも心を入れ替えて戻って来てくれたに違いなかった。
おや? と鹿目は思う。
飼い主だろうか。
東から現れたのは、ワンちゃんだけではなかった。青い髪の女性が、ゆっくりと進み出て来る。
しかし、この厳戒態勢の法隆寺に、普通の人間が紛れ込んでいるとは考えにくい。
化け物かも知れないと疑うべきだが、犬が何の警戒もせずに連れ添っているので、判断に迷う所だった。
女は黄色い花をあしらったアロハを羽織り、カーキ色のカーゴパンツにサンダルといった格好だが、一つ物凄く気になる点があって、本来なら見えているはずの首や腕といった肌の部分が、包帯のような物で、グルグル巻きにされていた。とっても暑そうである。
と昨日、鹿目は、武くんと交わした会話の内容を思い出した。
――ミイラ女。
武くんは、
まさに今、犬を連れて向かって来る女は、好き勝手に暴れまくって行方をくらました神格と特徴が似ている。
緊張する鹿目をよそに、女は近くまで来ると、右手を軽く挙げた。
「豊聡耳じゃ。調子は良くなったのか?
随分と軽い神様が居たものだと鹿目は思う。
まるで、飲み友達と商店街ですれ違ったようだ。
余計な
さて、これからどうするか……。
神格と、このように直接話すのは初めての事だった。
「ええ、お陰様で、すっかり元気になったよ。貰った柿が良く効いた」
「それは良かった。死にかけたな」
豊聡耳は笑顔を浮かべる。
白い顔をよく見ると、鼻の辺りにそばかすがあった。
すぐにしゃがんで、纏わりつく犬とじゃれ合い始めた。
遠く後ろを振り返れば、南大門と蛇の大群がまだ見えるはずだ。此の世の終りのような景色の中で、此処だけが日常を取り戻していた。
ちょっと待てよ?
鹿目は、微笑ましい光景を見下ろして腕を組む。
そもそも、死にそうなぐらい衰弱してしまったのは、豊聡耳が鹿目のレインコートから七星剣の
本物と寸分違わずに真似された剣は、その姿形だけではなく、内に秘めたる霊的な部分まで完璧にコピーする。
故に国宝ともされる品物をコピーすると、死にそうなぐらい体力気力を消耗するのだが……。
鹿目は段々と腹が立ってきた。
相手が神格だろうとも、人が寝ている間に勝手な事をするなと、釘を刺さなければいけない。
「あの……、もう二度と、俺に無断で七星剣の
「三途の川じゃと? うふふふ。渡れば良かったの?」
「うるせえよ。大体、神格なら俺の力なんか使わなくてもいいだろうに。複製品じゃなくて本物の七星剣だって使えるんじゃないの?」
「まあ、そうじゃな……」
豊聡耳は犬に顔面を舐められながら答える。神様特有の
「実はまだ、ワシは本調子ではない。あれを見ろ」
立ち上がって豊聡耳は北を振り向く。
松の枝の向こうに中門が見えていた。
「門の向こうに五重の塔が見えるな? あの下にワシの骨が埋まっておる。お前には、それを取って来てもらいたくてな」
「ん? 骨だと?」
「
「その骨を取ってきたら、どうなる?」
「いよいよ完全復活じゃ」
神格がこの世に具現化するには、沢山のエネルギーを使う。そのエネルギーは何処からか拝借しないといけないが、借り入れ先に選ばれてしまった土地は、多大なダメージを被る。今のところ大きな被害は聞かないが、完全復活となると分からない。
そもそも、五重の塔の下にあると言われているのは、お釈迦様の遺骨だったはずだ。聖徳太子の骨じゃない。
「いやぁ……、ちょっと俺では決めれないな。後で上司が来るから、その人と相談してくれないか?」
鹿目はここで、一石二鳥を狙う。難しい判断は上司へ投げて、尚且つ、豊聡耳の捜索にもピリオドを打つ。自分の手は汚さない素敵な作戦だった。
「お前の上司は、話の分かる奴なのか?」
「い、いや、それは何とも言えない」
豊聡耳は、ビー玉のように澄んだ瞳で鹿目を見つめる。鹿目は目を逸らした。
天音大佐が、豊聡耳をどう扱うかなど想像が出来ないし、何より確実に『話の分からない奴』だ。
「心配せんでも、土地が吹き飛んだりはせんよ。広~く、あさ~く、必要なエネルギーは頂戴するから、安心せい」
豊聡耳がそう言うと、鹿目はハッとする。
「おい神格。人の思考を勝手に読むなよ。それは失礼になるぞ」
「ああ、すまんすまん。ついやってしまった」
「……ったく」
油断も好きもありゃしないと鹿目は思った。これでは天音大佐に難儀を振ろうとした事も、すでにバレバレなのだろう。
豊聡耳は、頭を掻きながら言った。
「ワシは、大和の地を化け物どもから取り返したいのだ。奈良の魔都化を止めてやる」
「出来るのか? お前に」
「そこは腐っても神格。安心して任せるがいい。化け物どもなど片手で捻ってくれる」
そう言って豊聡耳は、背負い投げを見せた。
白いワンちゃんが喜んでいる。
鹿目は、破壊された龍田神社を思い出す。
あれで完全復活でないのなら、骨とやらを手に入れたら、一体どうなってしまうのか。
非常に重要な決断を強いられている。
選択を誤ると、大災害が起きてしまうかも知れない。鹿目ごときが決定するには問題が大きすぎた。
そもそも、骨ぐらい自分で取りに行けばいいじゃないか。
神格ともあろう者が、たかが人間にものを頼むなんて、情けなさ過ぎる。
「
「て、てめぇ……また読みやがったな」
鹿目の眉間にシワが入る。
鬼のような形相で、口を押さえた豊聡耳を睨んだ。
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