第10話
翌朝七時に翔太は起床した。
(……朝だ、朝に起きれた!)
目覚ましは八時にかけていたのだが一時間早く目覚めた。そんな心にぴったり合致するような晴天だった。
水を飲み、今日やるべきことを再度確認する。
(まずは求人誌とサイトを見て、最低一つは電話をかけ面接の約束を取り付けよう!)
この時間に起きられたことは幸先の良いスタートと言えよう。
可燃ごみを出してきた帰りにポストを覗くと一通の封筒が届いていた。不動産屋からのものだった。
中を確認すると、そこには現在住んでいる部屋の更新が迫っているとの旨が記されていた。
(……八万五千円!まじかよ……)
金額を見て翔太はショックだった。一ヶ月ほど前にも同様の手紙が来ていたことを今になるまで忘れていた。
脳内では、更新料だとか礼金だとかいう制度はおかしいのではないか?ということを考えようとしていたが、今はそんなことを言っている場合ではない。なんとしてでも八万五千円をかき集めなければ、リアルにホームレスになる可能性があるのだ。
夜勤の仕事に変わってからは多少余裕が出来たとはいえ、幾つか故障しかけていた家電を買い換えた為、現在の貯金はほぼ無い。
今月の給料は入るから、明日食うのに困るというレベルではないが、すぐに仕事を見つけないと来月はやばいだろう。仕事がすぐに見つかる保証はないし、焦って劣悪な仕事を選んでしまえば負のスパイラルが加速してゆくことは目に見えている。
(……母親か……)
頭に浮かんできたのは母親の顔と、子供の頃見た実家近くの風景だった。
母親のことは好きではなかった。自分の苦境の原因の何割かは母親のせいである、と思っていたからだ。
だが現在、どう考えても他に頼れる人間は居ない。これも人間関係に怠慢だった過去の自分のツケを払っているのだろう。
善は急げとばかりに翔太はその日の内に帰省した。
状況は苦しいものだったが、今までと違い自分が迅速に行動出来ていることが慰めだった。この自分なら状況は必ず打開出来るはずだ。
翔太の実家は東京から新幹線を使って二時間ほどの場所にある。ただ今回は五時間ほどかけて鈍行列車で向かうことにした。交通費は約半分に抑えられるので、金はないが時間はある今の状況にはぴったりだ。
実家に帰省するのは何年ぶりだろうか?はっきりと思い出せないが、上京してきてから帰省したのは数えるほどだ。
特に意識はしないようにしていたのだが、実家に近付くにつれて何とも言えない感情が高まってきた。「二度と帰るものか!」と思って上京したことを思い出した。でも何がそう思わせたのか今となってははっきりとは思い出せない。自分の育った環境に対する嫌悪感を持っていたことは確かだが、それだけだったのだろうか?十年近く前の自分のことがまるで他人のことのような気がした。
実家は最寄りの駅からバスを使い十五分ほどの場所にある。途中自分が通っていた小学校を通った。校庭で放課後の生徒達が遊んでいるのがバスからでも見えた。今もあの小学校に通う生徒と先生がいて、教育の場となっていることが何故かとても不思議な気がした。
午後三時過ぎに実家に到着した。
母親には東京を出てすぐに連絡を入れておいた。特に状況の説明などはせず「今から帰る」という旨のみを伝えた。母親からの返答も「分かった、待ってるよ」という簡素なものであった。
チャイムを押す瞬間は緊張した。
(……ふう)
一つ大きな深呼吸をしてからチャイムを押した。
「はーい」
チャイムに応答しながら玄関に出てくる母親の足音がした。
「おかえり!」
「……おう、ただいま」
過剰な笑顔の母親に気圧されながら、翔太は三年ぶりの帰省を果たした。
翔太の母親は団地のこの狭い一室に三十数年住んでいる。
母親と父親は翔太が三歳の頃に別れた。父親のDVが原因だそうだ。翔太も何となく父親のことを覚えている。それから母親は女手一つで翔太を育ててきたのだった。「……今日仕事は大丈夫だったの?」
翔太は沈黙も気まずいので翔太は母親に尋ねた。
久しぶりの団地特有の低い天井に少し戸惑いつつ、テーブルの置かれたリビングで母親と向かい合った。何が楽しいのか母親は翔太の顔を見ながらニコニコしていた。「大丈夫よ、元々休みだったの。あなたの方こそ仕事じゃなかったの?」
「……ああ……実は仕事辞めてきたんだ」
「あら、そうなの?まあ、じゃあゆっくりして行きなさい!どうせロクなもの食べてないんでしょ?ご馳走作るから栄養付けていきなさいよ!……あ、それとも彼女に作ってもらったりしてるの?」
「いや、居ないよ……そんなの」
連絡をほとんど取っていなかったので、母親は翔太の置かれた状況を知らないようだ。翔太を一般的な二十六才社会人の男という目で見ているのだから、たとえ母親と言えど離れていれば他人よりも遠くなるということは本当なのだとその時悟った。
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