幕開き

 盛岡との軽い練習でだいぶ肩の力が抜けてきた。本番前に軽い練習をするのがいいのは演劇でも同じなのかもな。

 壁際で椅子に座っていた後藤が俺たちを交互に見やる。


「ま、こんだけできりゃ上出来だろ。最初と比べたら見違えるように上手くなったな」

「うっす」

「三ヶ月もあれば変わりますよ」


 特に俺たちは演劇初心者だ。成長速度は中級者や上級者と比べて早いのは当たり前。それに、教わる環境がいいからな。高校演劇で全国大会までいった後藤に経験豊富な橘先輩。うーん、舞台装置や小物もそうだけど、やっぱりこの学校の演劇部は凄いな。


「時間も時間だし、あいつらそろそろ帰ってこねえかな」


 後藤の言葉につられ、壁にかかった時計を見る。短針は十一を回ったところだ。

 と、ほどなくしてドアが開かれた。噂をすればなんとやらである。


「たっだいまー!」

「おう、帰ってきたか」


 三人が部室に戻ってきた。


「何を食べたんすか?」

「みんな俺たちのクラスが出してる焼きそばだよ」

「四組ですよね? 一日目のとき俺も食べました。うまかったっす」

「西園寺くんも食べてくれたんだ!」


 高校生が出すものにしてはうまかったと素直に思う。屋台の焼きそばはキャベツの芯が入ってたりして微妙なのもあるからな……。というか宮野先輩の口ぶりからして、先輩二人はクラス同じなのか。いや、まあだからなんだよって感じだが。


「んじゃまあ、お前ら衣装に着替えろ」


 後藤の呼びかけに「はい」と一斉に応えた。


 ◇ ◇ ◇


 それぞれが着替え終わり、再度部室に結集した。

 橘先輩がロミオ、宮野先輩がジュリエットの乳母うば、盛岡がティボルト、水野さんがジュリエット、そして俺はマーキューシオである。だがしかし……。


「この姿で体育館まで行くのって恥ずかしいっすね……」

「文化祭だし仮装してるやつもそれなりにいる。どうせ本番ではみんなに見られるんだし変わらないだろ」

「いや、恥ずかしいもんは恥ずかしいっすよ」


 まったく教師ってのは生徒の心を理解してないんだから。


「確かに恥ずかしいですね……」


 水野さんが俺に同意した。


「だよねぇ!」

「西園寺、仲間を見つけたからってそんな興奮すんなよ……」


 後藤が呆れた調子で俺を見るがそんなもんはしらん! 俺たちは恥ずかしいんだ!


「でもさ、なんだか楽しくない? 非日常って感じで!」

「えー? あー、まあそうかもですね……」

「あれ? 楽しくない!?」


 宮野先輩には悪いが楽しいよりも恥ずかしいが一番に来るんだ……。

 それにしても、俺って宮野先輩の意に反してばかりじゃないか? 価値観やテンションのズレは仕方のないことだけど、先輩不孝者で申し訳ないなぁ……。


「時間までかなりあるが何をするんだ?」


 盛岡が問う。確かにまだ十一時三十分、開演は一時だからかなりの時間を余している。


「ま、最終調整ってやつかな。三十分くらいで全部通すぞ。それから体育館に行って生徒会と打ち合わせ。照明や幕引きのタイミングについてだな。リハーサルは行ったが、念のためだ」

「うっす」

「なるほど」


 後藤の言ったように劇の照明や幕引きは後藤と生徒会がすることになっている。本来演劇部だけでやるものらしいが、いかんせん部員が少ないからな。


「そんじゃ、通してみるか。本番前だし激しい動きはしなくていいぞ」

「はーい」

「了解です」


 先輩二人が応え、観客への挨拶から通した。

 こうして通してみると、やはり橘先輩の技巧が際立つ。一人だけプロ級なんだよなぁ……。

 宮野先輩も三年間演劇部で活動しているだけあって、俺たち一年組と比べて遥かに上手い。乳母という地味な役ではあるが、いなくてはならない役としてしっかりとした存在感を放っていた。

 盛岡や水野さんだって着実に技術を上げてきている。こうしてみると、やはり俺が足を引っ張っていないか不安になる。先輩からも後藤からも腕前を認められてきているが、自己評価が上がることはない。でも、演劇部に入って良かったと思えるようになった。なんだがんだでみんなと活動をしている日々は楽しかった。だから、最大限の演技を魅せてやろう。


「これにてロミオとジュリエットの公演は終わります。ご覧いただきありがとうございました」


 幕引きのあと、横一列になって橘先輩が締めをくくる。本番と同じように、最後の練習を終えた。


「うし、ミスなく終わったな。本番も気楽に、楽しく、な」

「気楽に、楽しく」


 水野さんが反復する。


「おう。特に一年は緊張してるだろうが、劇ってのは演じる側も楽しまないといいものにはならないぞ」

「心に留めておく」


 盛岡が応えた。


「そうだよ! みんな楽しくね!」

「いい劇にしよう」


 先輩が言う。

 これで、先輩と劇をするのは最後なのだ。少し寂しくなる。あと一時間後、俺たちは体育館で、おそらく大勢の人の前で劇をするのだ。けれど、もう緊張による体の震えはない。先輩のためにも、観客のためにも、絶対に成功させてやるという意志が俺を奮い立たせていた。


「そうだ! 円陣を組もうよ!」

「円陣、ですか?」

「そう!」


 宮野先輩は思いついたように言って、そそくさと円を作るよう手配りする。


「こういうのもいいね」

「えぇ……恥ずかしくないですか?」

「もう、西園寺くんは恥ずかしい恥ずかしいばっかり!」

「す、すいません……」

「いいよ。円陣を組んでくれたら許してあげよう!」


 あ、やっぱりしないといけないんすね……。


「最後なんですし、いいじゃないですか」


 水野さんが隣で微笑んだ。


「ま、そうだな」


 演劇部、五人。円陣を組み、右手を中央に重ね合わせる。


「よし! 本番、楽しみながら頑張るぞー!」

「おー!」「おー!」「お、おー」「……おう」


 綺麗には合わない掛け声。でも、円陣には俺たちの心を盛り上げる魔力があった。

 後藤は相変わらず壁際に椅子をつけて座り、楽しげにこの光景を眺めていた。


 ◇ ◇ ◇


 たくさんの人に奇異な目で見られながら体育館のステージ裏まで行き、生徒会との打ち合わせを終えた。もうすぐ開演である。


「うー、緊張してきたぁ!」

「えー……一番緊張とは縁遠そうな先輩が?」

「だってチラッと見ただけでも凄い人が多かったよ!? うぅ……」

「そうですね……私も緊張してきました」


 おいおい辞めてくれよ……。俺もその緊張を貰ってしまう。


「大丈夫だよ。深呼吸して落ち着いて」


 流石は橘先輩だ。この落ち着きよう、場数を踏んでいるだけある。


「すーはー、すーはー。うん、落ち着いたかも」

「え、もう!?」

「うん、深呼吸はいいよ!」


 宮野先輩のメンタルもなかなかだよなぁ。

 俺たちが小声で話している中、生徒会の人がマイクを持って語り始めた。


『続いては、演劇部によるロミオとジュリエットの公演です。もうしばらくお待ち下さい』


「うわー! 来ちゃった! 来ちゃったよ!」

「お、おお落ち着いたください先輩」

「お前も落ち着け」


 うっせー盛岡。俺は落ち着いとるわ!

 橘先輩を先頭にしてステージを歩いていく。まだ黒い幕が降ろされているからどれだけの人が集まっているのか分からない。ま、だからこそ緊張も増すんですけどね!

 すーはー。すーはー。

 深呼吸している間に、生徒会の人が手で「始まります」とコンタクトを送った。まもなくして、幕が徐々に上がっていく。

 俺は少しの恐怖を孕みながらも観客に目を向ける。

 体育館に用意されたパイプ椅子が埋め尽くされるほどの人があらわになった。

 ふうーっ! 普段通り普段通り!

 幕が完全に上がったと同時に、橘先輩が口を開く。


「長い間抗争が続いているイタリア、ヴェローナの名門、モンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家の一人息子であるロミオとキャピュレット家の一人娘であるジュリエットの悲恋の物語を、どうぞご覧ください!」


 ついに、始まった。


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