第23話 ちょっと思い出してみる ななつめ ~伯爵の過去~


「サミュエルはどうだ?」


「さすが騎士の称号を持つってとこですね。周りにひけはとっていません」


 あれから、さらに数ヶ月。


 メンフィスの街はさらに地下壕を充実させ、民の被害を防いでいた。

 そして魔族襲撃時に地上にいるのは兵士ばかり。もちろん、ただで拐われてやる気もなく、誰もが仕込み武器を常備し、捕まったら相討ち覚悟の反撃をするようになった。

 これはサミュエルの提案である。

 騎士は穢れを殊の他嫌うのだ。女神様に心の操だてをするため、悪しき行いには手を染めず、それが叶わぬとあらば自裁する。

 そんな騎士らが好んで持つモノが暗器と毒薬だ。

 最後の一撃用の暗器。人間として貶められない用の毒薬。


「もはやこれまど思われたら..... 使ってください。生きたまま食われるよりはマシでしょう」


 緊張した兵士らに渡された小さな毒薬。これを口に含み、噛み砕くと即座に死ねるらしい。

 特殊なコーティングのされた自害用の毒薬は、噛まずに呑み込んでも害はない。うっかり噛み潰せる硬度でもなく、確たる意思を持ち、思い切り噛まないと砕けない仕様だった。


 魔族達が拐った人間をどうしているのか知る者はいない。誰一人として魔族の元から還って来られた者はいないし、遺体を食んでいたという情報もある。

 渡された毒薬を剣呑な面持ちで見つめ、苦々しげに眉を寄せる兵士達。

 

「.....確かに。食われるぐらいなら、これで毒餌になるのもありか」


「毒草を食べた家畜の死骸とか、毒を含有してて食べられませんもんね。これで魔族らに一矢報いられたら、儲けもんだな」


 彼等は、にたりと酷薄な笑みを浮かべた。


 騎士道からなるサミュエルの提案はなかなかに辛辣で、死なば諸ともという破滅的思考が兵士らに伝播していく。

 今まで、されるがまま魔族に弄ばれてきたメンフィスの街だ。その怨みは深い。

 

 黒い笑顔で、ふっふっふっと嗤う兵士達。


 それに複雑な顔をし、ウォルターは釘を刺しておく。


「これは最後の手段だ。奴等に対する一番の嫌がらせは、捕まってやらない事だからな?」


 それを耳にして、はっと兵士達が顔を上げた。


 そうだ、まずは捕まらないことだ。


 黒い思考に囚われていた兵士らが正気づいたのを見渡して、ウォルターは薄くほくそ笑む。


 まあ、気持ちも分からなくはない。今まで散々為す術もなく蹂躙されてきたのだ。

 目にモノをみせてやりたいという彼等の心情は、誰よりも理解出来るウォルターである。


 こうして世界の均衡が崩れ始めた。


 他の国よりも多くの集中砲火を受けていたメンフィスの街。

 だがその街の抵抗が凄まじくなり、魔族らは狼狽える。

 捕らえても暗器を使って死に物狂いで抵抗するし、さらには、それを封じて連れ帰った人間らは、揃いも揃って自裁してしまうのだ。

 猛毒による自裁である。そんな人間の身体は、何にも使えない。


 ただでさえ獲物が捕らえにくくなったのに、そこにきて、この結末。魔族側には骨折り損の草臥れ儲けしかない。


 そんなこんなが続き、周辺国の均衡が崩れた。


 メンフィスの街が魔族の餌場であることを近隣の国の中枢は知らない。何故に魔族らがメンフィスの街ばかりを頻繁に攻撃していたのかも。


 その理由は、単にメンフィスが魔族の国から一番近かったに過ぎないのだ。

 そこに、これみよがしな獲物が用意されていたら、そこへ足繁く通うのも道理だろう。


 その獲物が捕らえにくくなり、さらには毒で自裁するとなれば、メンフィスの街へ向かう旨味はない。

 そう考えでもしたのか、魔族らは、他の国の辺境領地へも頻繁に向かうようになった。

 結果メンフィスへの襲撃が減り、ようやくウォルター達は一息つける状況を得たのである。




「餌は餌でも、毒餌だもんな」


「いくら悪食な魔族らも閉口するべ」


 けらけらと笑い、自暴自棄な言葉を口にする人々。

 端から見たら異様な光景だろう。しかし、常に死と隣り合わせなメンフィスにとっては、これが日常なのだ。

 如何にして生き残るか。如何にして魔族らに痛い目をみせてやれるか。そのためならば、己の身体とて道具の一つ。有効利用に否やはない。


 長きに亘る攻防の数々が、人々の心を荒ませていた。


 ようよう人間らしい暮らしを手に入れても、その根底は変わらない。

 疲労感漂う街の人々の眼に輝く、ケダモノのように獰猛な光。

 これが良いことなのか悪いことなのか。ウォルターには分からなかった。


 でも、生きることを諦め、屍のようだった最初の頃の人々を思えば、今はマシなのだろうと思う。

 思考が殺伐としてはいるが、街は息を吹き返した。前は魔族に食われるくらいならと、自殺者も多かったが、今は皆無である。

 むしろ、魔族に怨み骨髄な輩は、毒餌な己を如何にして魔族に食わせてやろうかと真剣に考えている有り様だ。


 ....ウォルターは、別の意味で頭が痛い。


 前向きになったのは良いが、その思考が明後日を向きすぎている。


 毒餌、毒餌、ひゃっひゃっひゃっ♪ と嗤う兵士達に何とも言えず、じっとりと冷や汗を流すウォルターだった。


 そんなこんなで日々が過ぎ、魔族の襲撃も分散されたメンフィスは目に見えて落ち着いてくる。


 そしてウォルターの弟の結婚式も近づいてきた。




「じゃ、あとは任せたからな? 二週間程で戻るよ」


「十年ぶりの里帰りだろう? ゆっくりしてこいや」


「そうそう。たまには羽根を伸ばしていらっしゃいな」


 頼もしい仲間らに見送られ、ウォルターは一路王都へと向かう。

 来たとき同様、馭者と己一人で。


 もう、王都には何の期待もしていない彼だ。あちらが辺境領地を利用するなら、こちらも、とことんまで利用してくれる。

 この十年で、見事に宿無れたウォルターだった。




「..........」


「おかえりなさいませ」


「「おかえりなさいませ!」」


 十日かけて還ってきたウォルターの目の前には元婚約者様と二人の少年。

 ふくりと微笑む彼女の横で、ピシッと背筋を伸ばす少年らは、まごうことなき銀髪と紫眼を持ち、ウォルターの子供時代にそっくりだった。


 私の.....?


 彼は思わず鼻の奥がツンっとする。


「ありがとう、サンドラ」


「どういたしまして? ふふっ、なんか不思議ね。この子達がいるからかしら。わたくし、貴方と離れていた気がしないのよ」


 今にも泣きそうな顔で眉をひそめるウォルターを抱きしめ、サンドラは、その背中をポンポンと叩いた。


「御父様よ? 御挨拶なさい?」


 振り返ったサンドラに促され、緊張した面持ちの二人は、おずおずと自己紹介する。


「初めまして、父上。私はフレッドと申します」


「私はリシャールです。御会い出来て光栄です」


 固い口調の息子達。生真面目そうな雰囲気が彼に伝わってきた。


 見た目は前伯爵そっくりだが、その中身はウォルター似のようだ。

 感慨深げに頷くウォルターだが、それと同時に湧いた疑問を口にする。


「だが、なぜ君がここに?」


 そう。ここは王都近くの街の宿屋前。

 十年前に、サンドラがウォルターを待ち伏せしていた、あの宿屋である。

 仁王立ちするサンドラの姿は、まるで過去の再現を見ているかのようで、息子二人が一緒にいなくば、ウォルターはパニックを起こしていたかもしれない。


「まあ、なんと申しましょうか。少し面倒ごとが起きたので、王都を逃げ出しましたの。それも含めてお話がありましてよ?」


 麗しい妻は、にこやかな笑みに辛辣な雰囲気を漂わせて、しっとりとウォルターを見上げた。


 毎度お馴染みの嫌な予感が彼の胸を過っていく。




「.....という訳で、わたくし達、辺境に向かおうと思いますの」


「..........」


 なんともはや。


 しれっと説明するサンドラに、ウォルターは脱力を隠せない。


 彼女の話によれば、七歳の洗礼で王宮に息子二人の存在がバレた。

 辺鄙な片田舎を選んで洗礼を受けさせたのにもかかわらずである。

 その理由は、息子達が女神様から祝福をもらってしまったからだった。


 祝福ギフト。これは一万人に一人ほどの確率で得られる稀有な力だ。中には強大な恩恵を持つ力もあり、祝福持ちは王宮から無条件で爵位を与えれる。それくらい貴重な人材なのだ。

 これが発現した場合、教会には王宮へ報告する義務がある。そのためサンドラらは、洗礼を受ける旅支度であったのを幸いに、国中を逃げ回るはめに陥ったとか。


「教会に女神様が顕現なさいまして。仰ったのよ? 辺境を守る貴方に感謝を。.....と」


 うわぁ..... 要らね。


 不敬なことを脳裡でボヤきつつ、思わず頭を抱えるウォルター。


 本来なら名誉極まりなく、感涙に咽ぶ事態なのだろうが、素直に喜べない。


 この一件で、王宮はウォルターの息子達を確保しようと乗り出してきたらしいが、そこはサンドラのが上手。

 洗礼の翌日には雲隠れし、あちらこちら逃げ回り、転々と旅して来た。


 それを興奮気味に語る少年ら二人。


「色んな所を巡りました」


「楽しかったです」


 きゃっきゃっと笑う可愛い息子達。年相応の無邪気な姿に、ウォルターは苦笑する。

 サンドラのことだ。逃避行なんて悲愴感は欠片もなく、本気で子供らと旅を楽しんでいたに違いない。


 そんなこんなで、王宮の捜索から彼女の実家である子爵家にも連絡がゆき、子爵家もサンドラの貴族籍を復活させようと躍起になっているとか。勝手な話である。

 自負の係累に《祝福》持ちが出たのだから、その気持ちも分からなくはないが。

 まあ、本人の了承がなくば籍の復活も不可能なので、結局、子爵家も彼女を探すしかない。

 ついでに子供らの姿を見た人々の証言により、銀髪紫眼の誰かが浮かび上がる。

 その誰かである前伯爵は既に国外追放され済み。となれば、残るは血縁者。

 ヒューバートがやり玉に上がったが彼は全力で否定。そして王宮は思い出したのだ。


 元々、彼女がウォルターの婚約者であった事を。


 それと同時に、探している子供達へ新たな利用価値が生まれる。


 辺境でやりたい放題なウォルターを言いなりにさせるための、人質としての価値が。


 そう締めくくり、サンドラは小さな嘆息をもらした。


「何処でも馬鹿が考えることは似たり寄ったりですのよねぇ」


 ここ三年、国中を回り、十分この国を楽しんだ彼女らは、辺境へ向かうつもりだという。

 いざとなれば、その辺境から隣国を目指すそうだ。


 なんとも軽いフットワークに、ウォルターは驚きを禁じ得ない。生粋の貴族令嬢の思考や行動ではない。

 真ん丸目玉で自分を凝視する彼に気付き、サンドラは、然も楽しげに眼を細めた。


「己の人生は、己で切り開きますわよ。御心配なく」


 王都へとウォルターが向かえば、この一連の情報も彼の耳に入るだろう。

 辺境という隔絶された箱庭にいたウォルターへ送られる情報は精査されており、実は弟のヒューバートが件の話を手紙で送っていたのだが、それはウォルターの元に届いていなかった。

 これを彼が知れば、それこそ烈火のごとく王都へやってくるのが眼に見えていたからだ。

 ただでさえ扱い辛い辺境領主を刺激しないよう、ついでに彼から子供らを取り上げるため、姑息な手を打っていた王宮各位。

 だが、そんなこったろうと予想していたサンドラは、前もって事情を知らせておくために、ヒューバートの結婚式に参加するウォルターが帰郷する時期を見計らい、待ち伏せていた。

 

「絶対に、この宿をとると思っておりましたのよ? 思い出の宿ですものね」


 意味深な流し目を受け、ウォルターの頬に朱が走る。

 脳裡に、過去の爛れた数日が鮮明に甦り、思わず手で口を押さえた。

 

 まことしやかな甘い空気を感じた息子達は、いそいそと気を利かせ、十年ぶりの逢瀬を楽しんだウォルター達。


 王都の新たな現実を知り、己の微妙な立ち位置を自覚した彼は、サンドラ達に見送られ王宮へと向かう。

 



「わたくし達は、のんびりと辺境へ向かいますわ。こちらが泊まる予定の宿です。もし追い付いたら、一緒に帰りましょう」


 ウォルターにとって、既に王都の伯爵家が家なのではないと察している彼女。

 この十年のうちに、彼にとっての家は辺境の領主邸になっていた。立ち直り、復興されつつあるメンフィスの街がウォルターの居場所なのである。

 聡い妻に苦笑し、いつかは彼女が押し掛けてくるかもしれないという自分の予想が、斜め上半捻りして起きたことに、心底呆れ返るウォルターだ。


 ほんと..... とまらないね、私と周りの不遇は。


 聞けば、息子達の祝福は、《守護》と《隠蔽》これらは一芸特化。

 何者にも害されない鉄壁の結界と、何者にも看破されない完全無欠な隠密。これにより、三人は飄々と旅をしてきたらしい。

 今は銀髪紫眼を晒す二人も、普段は《隠蔽》を使って変えているそうだ。

 そう言って、姿を変えるサンドラ達。

 ウォルターの見ている前で、三人は黒髪茶色眼の親子に早変わりした。


 なるほど。どうりで長々と王宮の追跡から逃れられた訳である。


「女神様の祝福ですもの。当人らにとって必要な力がいただけたのですわ」


 .....つまり、女神様は、この展開を予想していたと?


 思わぬ彼女の言葉に、ウォルターは二の句がつげない。


 訳知り顔な瞳を愉快そうに煌めかせ、サンドラはお気をつけてと、ウォルターを送り出した。


 こうして新たな苦難を背負い、彼は王宮へと向かう。


 王宮側が、彼の到着を今か今かと待ち受けているとも知らずに。

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