第二十一話 謀反と誅伐③

――『よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる』

(マタイによる福音書 第16章28節)



「さて、お嬢ちゃんは何を魅せてくれるのかな?」


 座り込んだノエルを見下ろしながら、ハイネがゆっくりと歩み寄る。


 六フィート(約180センチ)近くも背丈のあるハイネは、精々平均的な十歳前後の身長しかないノエルからすればさながらそびえ立つ城壁の様であろう。


 大戦の英雄さえも倒す力を持った、無敵の城塞。


 彼女に王手を掛けられてもなお……ノエルはその場を動こうとはしなかった。


 無作法に胡坐あぐらをかいて頬杖をつきながら、膝を着いて動かないクリフの方をじっと見ている。その目には驚きや悲しみといったものは全く湛えられていない。そこにあるのはただ、不快という一言だけだった。


「……しかし、不思議なお嬢ちゃんだねぇ」


 六つの拳から重々しい音を鳴らしながら、ハイネがノエルへと迫る。


 ノエルの目は一度だけ、ちらと足音の方を見遣った。


「身体は弱い、魔力も貧しい、なのに匂いだけは極上だ。何度か魔界にゃ潜ったが、ここまでのヤバさを持った相手に出会ったことはないぜ」


 ばちばちと音を立てながら、ハイネの拳に雷が漲る。


「さあ、抵抗しなよお嬢ちゃん。本気を出して、勇気を振り絞って、アタシに立ち向かうんだ。お前、匂いのヤバさだけなら今まで出会った中では一番だよ。骨の髄までとっくり味わいたいねぇ……」


「…………」


 憮然とした顔は崩さぬまま、ノエルがもう一度クリフの方を見た。


 ずたずたになったその身体からは、肉や脂の焼ける匂いと煙が絶えず発せられている。拳を打ち込まれた箇所は鋼鉄製の甲冑が割れ、既に彼が甚大かつ致命的なダメージを幾つも負っていることは誰の目から見ても明らかだった。


「そこの英雄が気になるかい? 奴も極上だったが、今日はアタシの方が運と命でまさった。手ごたえはあったが、あの英雄ならきっと生き延びるだろう。そしたらまた味わいたいねぇ……」


 べろりと、ハイネが舌なめずりをする。


 強者同士の戦いにおいて、一撃必殺はもはや当たり前の出来事である。何十回と斬り合わねば勝てない時点でそれは児戯に等しい。


 故に戦いとは、その一撃必殺の攻撃を如何に先んじて当てるかが肝となる。


 先に受けたクリフの攻撃を防げたことが、ハイネにとっての天運。そしてハイネの攻撃を受け損じたことがクリフにとっての凶運となった。


「アタシはハイネ。親はいないから家名ファミリーネームは知らねぇよ。お嬢ちゃんは?」


「……妾に名を問うか。人間ムシの分際で、地上に遍く轟く妾の名を知らぬと?」


「くひひっ、アタシはとんと俗世に疎くてねぇ。血と鉄で語られない名はアタシの耳にゃ入らねえ」


 彼女の歓喜がそのまま形になるように、ハイネの周囲には迸った雷が辺りに轟き、大気を焦がし始めた。発せられる殺気と悋気は周囲のあらゆるものを震わせ、彼女が歩くたびに地面は大きく揺れる。


「さあお嬢ちゃん! やろう! ろう! ろう! 英雄の次は魔族! その次はシスター! 最後にガキだ! 四番勝負の二番目、まだまだアタシは飢えているぞッッ!」


「――起きろ、イフリート」


 およそ人では発せられない様な、無機質で冷たい氷の音色。


 ぐ、とノエルが虚空を握ると、クリフの身体は大きく一度どくんと拍動した。


 ぴくりと指先が動き、うっすらと瞼が開く。


「なっ……!」


 ぞわりと全身が総毛立つのを感じて、ハイネが大きく飛び退く。


 それは野生の勘とでも言うべき、彼女に生まれつき備わった天性の危機回避能力である。無闇にあの場へ入ってはならない、慢心してはならないと、彼女の全身は信号を発し始めていた。


 俄かに緊張するハイネの視線の先で、ノエルは言葉を続ける。


「妾の前で無様を晒すな。何のためにぬしとクリフを永らえさせたと思うておる」


「……クハハッ。まるで儂が、貴様の飼い犬になった様な言い草ではないか」


 その時確かに、クリフは喋った。


 ……否、それは厳密にはクリフではない。クリフの身体を借りた、声色も雰囲気もまるで違う何者かが、ノエルに返答していた。


「たわけが。もはや心臓として機能するしか能の無い炎竜なぞいぬにも劣るわ」


「言うではないか、搾りかすの分際で。今の儂の器であれば、貴様を殺し尽くすなぞ造作もないぞ?」


「チッ、やはり潰しておけば良かったわい」


「何だ……何だ何だ何だ……? アタシは今何を見てるんだ?」


 危険信号の鳴り響く頭で、ハイネは思考する。


 確かにクリフは戦闘不能にした。並の者ならばとうに葬れている深手を確実に負わせた。肉を裂き、骨を砕き、あらゆる臓腑を念入りに焼いた。どんな魔術を用いても、数十秒足らずで喋れる程度に回復することなどできはしない。


 ――……いいや、それよりも今、あいつイフリートと言ったか?


 炎竜イフリート。千年を生きる最上級の古竜にして、魔王ノエルの持つ最大戦力の一つ。記録の上では大戦の折、勇者アルフレッド達によってたおされている。


「問答は時間の無駄じゃ。早うクリフに


「クハハハハッ、せっかちな魔王じゃ。よかろう、貴様らがどこまで踊れるか、今しばらく見届けようぞ」


 その言葉を最後に心臓はもう一度大きく拍動し、クリフはゆっくりと瞼を開いた。


「…………」


 いつの間にか、傷は全て癒えている。


 長剣を杖としながらゆらりと立ち上がると、クリフの身体には再び魔力が漲り始めた。その目から、闘志は少しも失われていない。


「随分と、ぐっすり眠っていたようじゃの。目は覚めたかや?」


「ああ、余計な世話をかけた」


 地面に落ちていた短剣を拾い、長剣と共にクリフが構えなおす。


 ――嗚呼、こいつは、まさか……!


 その時初めて、ハイネはひと筋汗を垂らした。それは無論、理解の及ばない事象への恐れからくる部分が大きかっただろう。しかしその他にも……まるで辿り着くべき場所を見つけた様な、恋しい相手に出会った様な郷愁と慕情が混じっていた。


「……おいおい、おいおいおいおい。何だい今のは! アタシがあれだけズタボロにのに、ピンピンしてるじゃねえか!」


「……」


「答えてくれなきゃ仕方ない! 言葉ではなく――」


 雷が迸り、大地を裂いて辺りを駆け巡る。


 どん、と大きく地面が揺れ、ハイネは突進を開始した。


「も一度拳で語ろうかッッ!」


 音を置き去りにして、ハイネの拳が迫る。


 聞こえるのは、雷鳴。そして何かがぶつかる湿った音。一拍遅れて、再び硬いものに何かがぶつかる轟音が轟いた。


 もうもうと砂埃が舞い、辺りには魔力の残滓が弾ける。


 辺りは一瞬、静かになった。


「が……はっ」


 次いで聞こえたのは、咳き込む女の声。そして液体が落ちるびちゃびちゃと濡れた音だった。


 周囲の木が幾本も薙ぎ倒された中心で、座り込んだハイネが喀血する。吹き飛ばされたのは、攻撃を先に仕掛けた筈の彼女だった。


 よもやクリフに膝をつかせた少し後に、自分が膝をつく羽目になるとは想像だにしていなかっただろう。


 ぞくりと全身の鳥肌が立つのを、ハイネは痛みの中で感じた。


「……赤の躰術、【金剛斧槍こんごうふそう】」


 砂埃の向こうから声が聞こえ、の影が近づく。


 現れたそれは、英雄というよりもより怪物に近いものであった。


 鋭く太い黒曜石の様な爪を備えた左腕は醜く巨大化し、紅い鱗に覆われている。右のこめかみからは禍々しい角が一本生え、捻じ曲がって前方を向いていた。


 短剣を加える口元からは鋭い牙が覗き、瞳孔は爬虫類の様にぎゅっと細くなり、異質な魔力が絶えず放たれている。


 人と竜の混じった怪物。それが今の、かつて英雄と呼ばれたクリフの姿であった。


「……なるほどね。それが英雄の本気って訳かい……!」


「いいや、少し違うな」


 クリフの腕が元の腕に戻り、短剣で自分の胸を指す。


 ハイネの視線は切っ先の示す胸元、即ち心臓へと注がれた。


「炎竜イフリート。それが俺の中に巣食う、


 魔王ノエルがクリフに対して最初に行ったのは、止まった彼の心臓にイフリートを移植することであった。


 既に肉体の崩壊が始まりつつあったイフリートのコアだけを摘出し、停止した心臓の代わりに埋め込む。


 コアを埋め込めば膨大な魔力と今しばらくの命を得られるが、同時にそれはノエルの支配下に入ることを意味する。


 イフリートの支配権はノエルが握っている。あの時クリフに選ばせはしたものの、首を横に振ればノエルはすぐにでもクリフを殺すつもりでいた。


 借り物の命と借り物の力で、クリフは今ここにいる。


「これは借り物、元々俺の力じゃない。だが――」


 クリフの双剣に、さっと悋気が走る。


「俺は約束した、誰にも邪魔はさせないと。マージェリーの邪魔はさせない。フリーデの行いを止めるつもりもない。だから俺の持てる力の全てを使って……お前を倒す!」


「……っ、ははははっっ! あははははははッッ! いいねぇ! 眼前の闘争と愉悦よりも、他人の約束に生きるか! アタシとは正反対、いいや昔のアタシそのもの……だからこそ面白い!」


「――俺はお前を殺すぞ、ハイネ」


「アタシはお前を喰らうぜ、英雄クリフ。殺せ、殺してみろ、ッッッ!」


 刹那、ハイネから魔力が溢れて爆ぜる。


 腕を覆っていた電光が溢れ、ハイネの全身を覆い、限界まで稼働する魔術回路が幾筋もの光の線となって彼女の体表を走る。


 其は、賞罰の神。恵みと破壊を遍く地上へ振りまく者。


「――【雷神形態バラク・バアル】。これがアタシの全力だ。さあ抜けよ、お前のぜんりょくを!」


 ハイネの言葉に応える様に、クリフの双剣からは悋気が溢れる。


 つ、と静止した空間をなぞるように、双剣の切っ先はハイネを示した。


「――我が声を聞け、平原を歩む全ての羊と狐と狼たちよ。其は地平を轟くいかずち。其は青嵐の担い手。我は人にして人に非ず、刃にして刃に非ず、血と鉄と汚泥の中に蠢く人形ひとがたなり……」


 静かに、重く、黒く。クリフが謡う。


 どろりと粘っこく黒い涙が、とめどなくクリフの両目から流れる。右腕から全身へと黒い魔力が筋となって彼の全身を侵食し、隅々まで呪いが行き渡っていく。


 其は、全てを呪う魔剣。あらゆるものを打ち砕く羅刹の爪。


「『呪え』、【ダーインスレイヴ】!」


 黒い魔力が爆ぜ、暗濤あんとうがハイネの雷を吹き飛ばす。


 波が引いた時、ハイネの首元には呪いの刻印が刻まれていた。一度ひとたびこれを刻めば、刻んだ者を殺すまで、魔剣が止まる事はない。


 どちらか一方が斃れるまで、もはや二人は止まらない。


「赤の剣術、疾風はやてが五……!」


 魔剣を両手で持ち、低く捻じる様に構えて、クリフが前方を睨んだ。


 大きく息を吐き、膝と肩の力を抜き……短く鋭く息を吐き出す。


「【雲耀五閃うんようごせん】!」


「【阿修羅アシュラ】ッッッ!」


 それは、一瞬の交わり。


 殆ど同時にさえ見えるクリフの連撃をハイネの拳が捌き、その度にクリフの身体を雷が焼く。しかし致命的な火傷を負っている筈の彼の身体は、傷を負った傍から立ちどころに再生し、彼女の雷を抑え込んでいた。


 クリフの身体は、イフリートの心臓によって一時的に魔族のものへと性質を変化させていた。


 人間のものと比べ、魔族の身体は魔力の恩恵をより受けやすいものとなっている。魔力を術式という形へ編み直さずとも、魔力がある限りは幾らでも身体を再生させたり能力を強化したりすることができる。


 しかし身体を魔族のものへと変えて猶、ハイネとの実力は伯仲したままである。


 クリフの実力が上がるにつれて、ハイネの力もまた拮抗する様に上がり続けていた。


 ハイネがクリフへと追い縋れる大きな要素には、手数の多さがある。


 ――手数は三倍、威力は全て必殺。これは厄介過ぎるな……!


 【阿修羅アシュラ】はハイネが編み出した、全方位から六本の腕が相手を叩き潰す必殺の技である。


 一本二本を捌いたり防いだりしても、残る腕が相手の身体を叩き壊す。さらに腕は帯電しており、防ぐだけでは致命的なダメージを負う。


 六本の腕を持つ達人という、未知の怪物。例え同じく怪物バケモノへと身を落としても、易々と圧倒できるものではない。


「シッ――!」


 振り抜いたハイネの拳がダーインスレイヴを捉え、クリフの身体は大きく後ろに飛んだ。鋼鉄の甲冑に包まれた身体が宙へ浮き、再び大きな隙が生まれる。


 ――見えた、ここしかない!


 大きく息を吸って魔力を練り上げ、ハイネが手を組み合わせて構える。


 右の人差し指で相手を指し、左手で右手首を支える形が三つ作られ、雷へと変換された魔力が急速に集まっていく。


これを使うのは初めてだが……お前が相手なら不足あるまい!」


 破滅的な音を上げながら、ハイネの雷は緑から紫へとその色を変える。


 それを受けて、クリフの左腕は再び異形の姿へと姿を変え、雷撃を受け止める体勢へと移行した。


「塵も残さん……【雷霆らいてい】!」


 叫びと共に迸るは、三条の閃光。


 際限なく荷電と加速を繰り返す魔力の束は、電気というよりも熱線に近い。


 放たれた魔力の熱線は、刹那ほどの間も置かずしてクリフの下へと到達し、突き出された左腕へと着弾した。


 全身全霊で放たれた雷撃と魔力の奔流は、さながら山津波の如し。


 炎や熱に無類の耐性を誇り、再生能力も魔族の中では群を抜くイフリートの左腕であっても、まともに受ければ無事は保証されない。


「ぐ――」


 クリフの足が、一歩、また一歩と、じりじりと後退し始める。鱗や爪はひび割れはじめ、肌の再生も徐々に遅れが生じ始めていた。


「極限まで圧縮された神の雷だ! 炎竜と言えど受けきれないだろ!」


 雷霆らいていは、再生能力の高い強大な魔族を屠るためにハイネが編み出した業である。


 不死者ノスフェラトゥの屠り方は三つ。魔力がなくなるまで殺し続けるか、不死の呪いを解除するか、一撃で跡形もなく消し飛ばすか。


 ハイネが選び、磨き上げ、完成させた選択肢は三つ目であった。


 例え竜種の力が混じっていても、確実に屠れる。その自信が彼女にはあった。


「……力を貸せ、イフリート!」


 クリフの咆哮に応える様にして、彼の両腕は炎に包まれ、左腕に加えて右腕までもが異形の姿へと変貌した。


 こめかみの角はさらに長大かつ醜悪に伸び、左のこめかみにも同じ角が見えた。


 クリフの左腕が黒い魔力と炎を放ち、ほんの一瞬雷霆がき止められる。


 その一瞬に、クリフは動き始めた。両手でダーインスレイヴを握り、大きく大上段へと振り被る。


 ――赤の剣術、雪崩なだれしち……!


 呼吸は深く、されど短く。それが赤の剣術の極意である。


「【殃禍七滅おうかしちめつ】ッ!」


 迸るは、純然たる魔。竜の炎と魔剣の呪い。


 橙と黒の奔流は紫の閃光を呑み込み、押し返し、怒涛となってハイネへと押し寄せた。


「な……っ!」


 ハイネが防御の姿勢を取り、雷霆が止む。それと同時に、クリフがダーインスレイヴを両手で握り、低く構えて鋭く呼吸した。


「――我が声を聞け、平原を歩む全ての羊と狐と狼たちよ」


 クリフが疾駆を開始し、ハイネが大きく目を見開く。


 ――迅い! さっきよりもずっとずっと迅い!


 彼は、確実に自分の命を獲れる。


 生来のものとして備え、永遠にも思えるほどの幾たびの戦場を経て培ったハイネの勘は、またも眼前の危機を察知する。


 しかしその顔は恐怖に引き攣るでもなく、歓喜に綻ぶでもなく……ほんの一瞬だけ、安堵の表情を見せた。もっとも、安堵の色を浮かべたのはほんの一瞬で、その後すぐに張り詰めた戦士の顔へと戻ったが。


「其は地平を轟くいかずち。其は青嵐の担い手」


「アタシを差し置いて雷と青嵐をうたうか、英雄!」


 ハイネが中空へと腕を振り上げ、魔力の束を打ち上げる。打ち上げられた魔力は遥か上空で弾け、今までとは比べ物にならない程の密度と激しさで雷を降らせ始めた。


「【万雷驟雨ばんらいしゅうう】!」


「【絶影ぜつえい】ッ!」


 影を絶つ疾駆が、雷神の慈雨の中を縫う。


 彼我の距離はみるみるうちに縮まっている。クリフがハイネの下へと辿り着くのは時間の問題だろう。


 一歩クリフが足を進める度に、死神の鎌が少しずつ首元へと迫るのをハイネは全身の肌でびりびりと感じていた。


 彼我の距離は、今や僅かに数歩ばかり。


「我は人にして人に非ず、刃にして刃に非ず、血と鉄と汚泥の中に蠢く人形なり!」


 ダーインスレイヴに黒い魔力が迸り、同時にハイネのヤーングレイブルが打ち下ろされる。


 あらゆるものを打ち砕く、膺懲ようちょうの鉄槌。


 しかしその一撃は、魔剣の閃きによって放たれたかち上げによって勢いよく上へ跳ね飛ばされた。


「――――ッ」


 がら空きになった胴体が、クリフの下へと晒される。


「人に非ざる人形が、刃ならざる刃に祈り奉る! 黒狼のあぎと、羅刹の爪を以て、万物を平らかに均す呪いを!」


 放たれるのは、漆黒の一撃。


 返す刀で斬り降ろしたクリフの斬撃は、ハイネの肩口から腿まで一直線に裂いた。


 一拍遅れて傷口からは鮮血が噴き出し、咲き乱れる赤い花はクリフの甲冑を一層紅く染め上げる。


 命を獲った。確実に相手を斃したという手ごたえが、クリフに伝わる。


 そして取り返しのつかない深手を負った事実は、敗北の感触と共にハイネの中へと沁み込むように伝わっていた。


「……参ったね、こりゃあ……」


 喀血し、ハイネが赤い湖の中心へふらふらと膝をつく。


 首元にあった魔剣の呪印は消え、彼女の命の終わりを告げていた。


「俺の勝ちだ、ハイネ。二人の決闘、守らせて貰ったぞ」


「ああ……いつかまた、りたいもんだねぇ……」


 ハイネの目から光が消え、力の抜けた身体は前のめりに倒れる。


 竜となった元英雄と、闘争を求める美しき肉食獣。


 二匹の怪物の喰らい合いは、今ここに決着を見せた。

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