第六話 勇者殺しの条件①

「……ふゥん、それでおめおめと逃げ帰ッてきたわけだ」


 ひっそりとした庭の塀に腰掛け、眼下にかしずく男二人を睥睨しながら、赤毛の少女が心底退屈そうなため息を漏らす。


 そこは町の中心にほど近い場所であったが、不思議と人はいない。


 人払いの術式が掛けられた、『緑の歌うたい』所有の小さな礼拝堂。小さな礼拝堂の小さな庭の塀に、二人の使者を侍らせて一人の少女が腰掛けていた。


 癖のある赤毛、小柄で細い体躯。そして『緑の歌うたい』の所属であることを示す緑のローブ。


 そのローブには大きく、白陽金十字びゃくようきんじゅうじ――太陽教会の紋章である白い太陽と金色の十字架――が刺繍されていた。


「困ったなァ……君らの仕事はお嬢様を連れてくる事であって、お嬢様の連れ合いにこちらの動きをさえずる事じゃあないんだけどなァ……」


「し、しかしエヴァ様! マージェリー様と共にいた男、どうやら相当な手練れの様でして――」


「チッ……うるさいなァ……言い訳が聞きたいんじャないんだよね僕。連れて来れる来れないじゃなくってさァ、のが君らの仕事でしョ? 例え手足がげてもここに連れてきなって」


 苛立ちの律動を刻みながら、エヴァと呼ばれた少女が壁をかかとでかつかつと鳴らす。


 ……かつかつ、かつかつかつかつかつかつ。


 睥睨する瞳には、喜びや怒りといった激しい感情は一切見られない。


 エヴァの少し垂れた目は、右と左で色が違う。


 右は澄んだ黄金色の瞳だが、左目は光の灯らない緑青ろくしょうの瞳だった。


 生来のそれには無い、人工的な質感を伴った目が、生来の瞳と共に二人を睥睨している。


 恐る恐る使者の一人が彼女の方を見上げると、不意に左目だけが。「ひ」と使者が悲鳴を漏らし、それに釣られて同じく上を見たもう一人が息を呑む。


「んんー……? ああ、ごめんねェ。僕の左目コレ、義眼だからさァ」


 エヴァがぐりぐりと左目を弄る。左目からだけ涙が止めどなく流れて、びしゃびしゃと膝の上へと落ちた。


「イライラすると上手く繋がらなくて、こうやって色々と汁が出るんだよ。お嬢様からはよく泣き虫だってからかわれたっけかなァー……」


 なおもエヴァがぐりぐりと弄っていると、やがて眼窩から義眼がぽろりと零れ落ちた。


 にちゃりとした液体に塗れた義眼それを、「はい」と使者の方へとエヴァが差し出す。あからさまに怯える二人を見て、彼女はけらけらと初めて愉快そうに笑った。


「ニシシシシッ、やっぱり面白いねェ君たち。こういう態度を取ってるけど、君たちといると退屈しないよ、僕は君たちみたいな人が大好きだ」


「エヴァ様……!」


 エヴァの人懐っこい笑みに、二人の顔が緩む。


 例えどれだけ緊張した空気であってもたちどころに弛緩させてしまう、奇妙な魅力が彼女には確かにあった。指導者アジテーターとしての資質があるとも言えるだろう。


「だから、僕は大好きな君たちには大いに期待しているんだよ」


「はい、必ずやマージェリー様をエヴァ様の御前へとお連れ致します!」


 二人の言葉に、エヴァがにやりと怪しく微笑む。


 それは明らかに、人を労わる為のものではなく……例えるならば鼠を見つけた猫の様な、残忍な色を帯びた表情だった。


「うん、僕は君たちには沢山頑張ってほしいな」


 とん、とエヴァが二人の額にそれぞれ指を当てる。ぼうと指先で魔力が爆ぜて、ぐるんと二人の目が上に回った。音もなく倒れた姿を確認して、エヴァが素早く地面へ飛び降りる。


「――満ちよ。満ちよ。地に満ち満ちて輪に並べ」


 エヴァの詠唱に合わせて、地面から緑の輝きが走る。予め施した魔導陣に魔力が通され、一定の律動を刻みながら明滅し始めた。


「地と海を巡る我らの母、人と獣を巡る我らの子。我が指しめすは汝の行く手、我が目の映すは汝の世界」


 握っていた手を放すと、零れ落ちた義眼が地面に落ち……。淡く光る程度であった魔力の輝きはより一層強く燦然さんぜんとしたものとなり、光の海が辺りを満たす。


「丘を目指す聖者の群れ。聖者に群がる羊の群れ。聖者は羊を飼う者なれば、聖者は羊を導く者」


 倒れたまま動かなくなっていた使者達の身体が、びくびくと痙攣し始める。周囲に人ではない何かの気配が満ち始め、大気が振動する。


「聖者が歌えば羊が動く。聖者が目指すは太陽の丘。丘より望むはの恵み。歌に従い、羊に宿りて陽を目指せ」


 溢れ出した光の奔流が、瞬きほどの時間で町全体へと広がる。


「異界の窓に集え、森羅万象の担い手よ――!」


 詠唱が終了すると同時に、そこに集まっていた筈の不思議な気配は消えた。少しの間静寂が辺りを包み……やがてざわざわと辺りの全てが鳴動し始めた。


 使者達の身体がさらに激しく痙攣し、ゆっくりと起き上がり始める。見ればその背は殆ど頭が地面に着くほどに反り返り、顎は限界以上に開き切って舌が伸びている。


 その挙動は、人の動かし得る範囲を超えていた。人ならざるモノの仕業である事は、この場を目撃すれば誰しも理解できる。


 降霊魔術ネクロマンスによる精霊憑きの顕現。生ける肉体からだに霊を降ろす、教会の秘匿下にある秘術の一つである。


 教会であれば長司祭以上に叙された者、魔術師であれば第一級ファースト以上に認められた者にしか行使は許されていない。


「さあ、行きなよ従僕。手足が捥げても目玉が取れても……僕に尽くして死んでくれ」


 すう、と大きくエヴァが息を吸い込み……僅かに目を伏せる。一点の曇りもない、研ぎ澄まされ集中した表情で、彼女は喉を震わせ旋律を奏で始める。


「――――――――――」


 凛とした、どこまでも響いて抜けていく歌声で、エヴァが歌う。その歌声に先導される様にして、二人の使者であった何かが走り出す。


 二人がまず向かったのは、近くを歩いていた一人の商人だった。次いで主の異変に気付きやってきた使用人の少女、そして路地を歩いていた老人。


 二人に襲われ、押し倒され、嚙み千切られた人間は、同じ様に白目を剥き、舌を垂らしながら、だらしない笑みを浮かべて人のもとへと走り始める。瞬く間に狂気の波は町中へと拡がり始めた。


 精霊憑きの最も厄介な部分は、それ自体がということである。


 人が襲われれば近くにいた精霊が集まり、その者にも精霊が憑く。鼠算式に増える爆発的な感染力は、町を一つ落とす事さえ容易い。


 精霊には人間のことわりが無い。精霊そのものに悪意がなかったとしても、その行為は人にとって有益とは限らない。


 魔力を込めた「コーラス」によって精霊を制御し、本来想定されていた「太陽の恵みを伝える御遣い」として機能させようとしていたのが聖歌隊コーラルだった。


 本来は太陽の御遣みつかい、精霊の恩恵を可視化する術式である。太陽の奇蹟を示す新たな秘跡サクラメントとして研究されていたこの術に、戦術的な意味合いが見出されたのは大戦による大きな発明だったと言えるだろう。


 ――幾ら手練れが相手でも、この町にいる全員を相手にしては手も足も出ないでしょ。


 歌からは少しも意識を外さないまま、エヴァがにんまりと嗤う。


 数は力である。非力な奴隷も五人集まれば剛力の兵士に勝る。


 まして相手は痛みも恐怖も感じない、宿主からだの息の根が止まるまで相手に襲い掛かり続ける精霊憑き。例え達人の域にある者と言えども、万に一つも勝ち目は無い。


 例え手足が捥げようとも、連れて来るべき目標だけは連れて来る。ユークリッドの用命は必ず守る。それだけが彼女の生き甲斐だ。


 既に大通りでは騒ぎが起きている。九分九厘のところまで、詰みまでの道程は歩み切っていた。


 ――後は、マージェリーあのガキさえ釣り出せれば……


 大きく両腕を広げ、太陽を仰ぐ様にして、まるで祈る様に彼女は最後の一音を絞り出す。


 打つべき手は全部打った。後は……


「『空騒ぎの女祭祀』エヴァ・テッサリーニが歌劇、どうぞ御覧あれ」

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