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悠生ゆう

season1-1:年下の先輩(viewpoint満月)

「ホント、マジでヤバイんだって!」

 私は届いたばかりのモスコー・ミュールをあおりながら訴える。

「ハイハイ、そうだね。ヤバイヨ、ヤバイヨ」

 目の前に座る友人―立花雅(たちばなみやびは、ホッケの身に箸を突きたてながら適当な返事をした。

「みやびー、真面目に聞いてよー」

 私の訴えにも雅はホッケから目を逸らそうとはしない。そして「聞いてる、聞いてる」と興味なさそうにつぶやく。

 この態度が普通の友人だったとしたら、かなりショックを受けるかもしれないが、なにせ雅なのであまり気にならない。

 雅は大学時代の同級生だ。大学時代というと随分前のことのようだけどこの春に卒業したばかりだ。だから、雅の顔に懐かしさは感じないけれど、やっぱりちょっとホッとする。

 今日は会社の愚痴を聞いてもらおうと雅を呼び出した。面倒臭がる雅の要望に応え、わざわざ雅の自宅近くの居酒屋までやってきたのだ。

 もちろん、私の愚痴を聞いてもらうだけでなく、雅の愚痴も聞くつもり満々だった。だが、雅は愚痴らしい愚痴を言わない。

 ギリギリでなんとか卒業できた私とは違い、要領のいい雅はなかなか優秀な成績で大学を卒業し、そこそこ名の知れた企業に就職した。有名企業というものは、職場環境や人間関係も良好なのだろうか? それとも雅が要領の良さを発揮して、不満を感じるような事態にならないのだろうか?

 いずれにせよ、雅が愚痴を言う気がないのなら、私の愚痴を存分に聞いてもらおうではないか。

「雅、全然聞いてないでしょう」

「聞いてるってば。指導してくれてる先輩がヤバイんでしょう? 聞いてはいるよ。興味ないけど」

「ひどい……」

 私は腕で目もとを覆い泣き真似をしてみたが、雅はホッケに夢中で私の仕草を見てもくれない。

 雅の塩対応は今に始まったことではない。慣れ親しんできた塩対応をうれしく感じてしまう自分は少しおかしいような気もする。だが、うわべだけの同調や同情よりも、興味がないと言い放つ雅に話す方が気楽なのは事実だ。

 それに、どれだけ塩対応をしても、一緒にご飯を食べようと誘えばこうして来てくれるのだから、完全な塩対応という訳でもない。

 雅にとっては迷惑なのかもしれないが、大学時代から他の友人には話せない愚痴を聞いてもらっている。

「なんて名前だっけ? その先輩」

「矢沢陽(やざわよう」

「その矢沢先輩、仕事は普通に教えてくれるんでしょう? だったら別にいいじゃない」

「良くないよ! 先輩って言っても、まだ二十歳だよ! 私より三つも若いんだよ!」

「それは、満月(みつき)が浪人したからでしょう? 私とは二つしか変わらないから」

「二つも三つも大差ないでしょう! とにかく年下の先輩ってのがやりにくいんだって!」

 私は空になったモスコー・ミュールのグラスを振っておかわりをオーダーする。

 新入社員研修を終えて配属された部署で、草吹(くさふき)主任からOJT指導担当として矢沢さんを紹介された。

 矢沢さんは平均的な身長の私よりもひとまわり小柄だった。顔つきもどことなく幼く、先輩っぽくない人だなと思った。

 だが、世の中には童顔な人もいるし背の低い人もいる。そう自分に言い聞かせていたのだが、どうしても気になって仕事の合間に「矢沢さんって若く見えますよね~。おいくつなんですかぁ~」とさりげなく聞いたのだ。すると「二十歳です」と返ってきた。

 若く見えるんじゃなくて本当に若かったのだ。

 矢沢さんは高卒でウチの会社に入社して現在三年目。間違いなく先輩だ。

 実際に仕事は早い(ような気がする)し、他の社員からも信頼されている(ような気がする)。

 笑顔と物怖じしない会話力だけで面接を乗り切った私なんかよりもずっとキッチリ仕事をこなしている(ような気がする)。

「満月、さっきから『ような気がする』ってなんなの?」

「いや、私が仕事のことよく分からないから、実際のところどうなのかはあんまり自信がないというか……。そもそも、私に比べれば世の中のすべての人ができる人って感じだし」

「アンタの不器用さは天下一品だからね。それなのに努力も嫌いって、最低だね」

「でも無駄にがんばるよりも、面白おかしく過ごした方がよくない?」

「なんでがんばることが無駄って決めつけるの?」

 まずい、雅が説教モードに入りそうだ。

「ま、まあ、ともかくさ、先輩の仕事ぶりを入ったばっかりの私が評価するのはおかしいでしょう?」

「それはそうだね」

「だから仕事ぶりは別にしてさ、年下っていうだけでやりにくいじゃん」

「そう?」

「そうだよ。三歳下なら、私が高三のとき中一だったんだよ。中三のとき小六だよ」

「そうだね」

「雅だったら、高三で中一の子に何か教えてもらうとか考えられる?」

「そう考えるとちょっと無理があるけど、私たちも二十歳過ぎてる大人だしね。ホッケ、もう一つ頼んでいい?」

 皿を見るといつの間にかホッケが骨と皮だけになっていた。

 私が頷くのを見て雅はホッケとご飯を注文する。雅はお酒を飲まないのでいつもこんな感じだ。それにしてもホッケを好き過ぎると思う。今の雅はホッケブームなのだろう。雅は急に一つの食べ物にハマってそれを食べ続けることがある。大学時代、トマトにハマった雅が弁当箱いっぱいにプチトマトを詰めて持って来ていたときには若干引いたものだが、今はそれにも慣れた。

「でもさ、三歳も年下だと思うと、ちょっと気まずいじゃん」

「それを言うなら、その矢沢先輩の方が気まずいんじゃないの? 三つも年上のババアに仕事教えるんだから」

「誰がババアだ!」

「せめて二つ上くらいだったら我慢できたかもね」

 雅はフッと鼻で笑う。雅のこうした対応はいつものことではあるのだけれど、たまに本当は私のことが嫌いなんじゃないかと思ってしまう。

「そうだね。お互いに気まずいよね。他にも先輩がいるのにそんな采配をした上司がおかしいと思うんだよね」

「何か意図があるんじゃないの?」

「意図?」

「例えば、超おバカなアンタの面倒を見たがる人がいなくて仕方なくその先輩に押し付けたとか」

「私、そんなにひどくないよ! 多分……」

 雅はうれしそうな笑みを浮かべた。その笑みが私に対するものなのか、届いたばかりのホッケに対するものなのかは分からない。

「やりづらいのはそれだけじゃなくてさ」

 私は言いながらホッケに手を伸ばす。すると、雅はぴしゃりと私の手を叩いた。どうやら、私にはひと口も食べさせる気がないらしい。

「矢沢さん、不愛想すぎて何を考えてるか分からないんだよね」

「アンタのことが嫌いなんじゃないの?」

「雅も私のこと嫌いだよね!」

「何言ってるの? 嫌いだったらこんな愚痴に付き合うはずないでしょう? 私だって忙しいのに」

「あ、はい、ごめんなさい」

 雅がホッケの身を器用にほぐしていくのを見ながら続ける。

「でもさ、たとえ嫌いな相手でも仕事なんだから、ちょっとは愛想笑くらいするものでしょう?」

「まあね」

「挨拶をしても笑顔もなくボソッと返すだけだし、質問しても単語で返されるし、ちょっと雑談してもクスッとも笑ってくれないんだよ」

「それ、本格的に嫌われてるんじゃ……」

「いやいや、見てたら他の人にもそんな感じだし、きっと性格なんだと思うんだけど、それって社会性なさすぎじゃない?」

 そうなのだ。年下の先輩というだけでやりづらいのに、矢沢さんは人間的にも付き合いにくいタイプなのだ。

「前ね、人間関係を構築しようと思って話し掛けたりしたわけ」

「ほう、あんたが努力するなんて珍しい」

「そろそろ、その毒舌もうちょっとまろやかにしてくれない?」

「かなりまろやかにしているつもりなんだけど……。それで、どんな努力をしたわけ?」

「お昼にね、ランチに誘ってみたの。やっぱり仕事中だと業務的になるじゃない。とはいえ、仕事終わりにご飯に誘うのはさすがにハードルたかかったから……」

「ふむ、それなりに考えたんだね」

「そうしたら、無視された……」

「無視?」

「よかったら、ランチ一緒にどうですか~? って声を掛けたのに、ガン無視された。それで一人でご飯を食べに行っちゃったの」

 雅は何か口を開きかけてホッケに視線を落とした。

「黙らないで。毒舌でいいから何か言って」

「いいの? 多分、矢沢先輩はアンタのことが嫌いなんだよ」

 想像通りの返しに脱力する。

「私もそう思ったよ!」

 私は半ばやけくそに言った。だけど、さすがにあのときはショックだったのだ。雅には能天気なバカだと言われている。そんな私でもあからさまに無視されれば傷つく。

 モスコー・ミュールを飲もうとグラスを持つとすでに空になっている。私はもう一杯おかわりを注文しようとカウンターの方を見た。

 そのとき、カウンター席から帰っていく客のうしろ姿が目に留まった。小柄な女性で少し矢沢さんに似ているような気がする。

 サーっと血の気が引いた。

 あれがもしも本当に矢沢さんだとしたら、私たちの会話が聞こえていたかもしれない。席はかなり離れているが、お酒が入ったことと雅を前にした気のゆるみで随分声が大きかったような気もする。というか、ところどころ絶叫した記憶すらある。

 矢沢さんが同じ居酒屋にいるなんて偶然はないだろう。でも、もしもあれが本当に矢沢さんで、今の会話を聞かれていたとしたらどうなるだろう。

 雅が言った通り矢沢さんには嫌われているような気がする。そんな矢沢さんに、矢沢さんに対する愚痴を聞かれたとしたら、さらに嫌われるどころか抹殺されてしまうかもしれない。

 やばい。退職届ってどうやって書けばいいんだろう。入社して一カ月余りで辞めるなんて恥ずかしすぎる。その理由が先輩に愚痴を聞かれたからなんてマジであり得ない。

「どうしたの? おかわり頼まないの?」

 そう言いながら雅はのんきな顔で店員を呼ぶ。

 私は頬を引きつらせながらモスコー・ミュールを頼み、雅はホッケを頼んだ。この店のホッケを食べつくすつもりだろうか。

「まあ、満月が嫌われてるかどうかは分からないけどさ、アンタの方が年上なんだし、そこは年上として余裕のあるところを見せるべきなんじゃない?」

「余裕のあるところって?」

「年上だからこそ年下の先輩の顔を立ててあげるべきなんじゃないの?」

 雅は八割毒舌だけど、二割くらいは良いことも言う。

「そうだよね。矢沢さんも多分私に気を使っているところもあるよね。少し愛想が悪いところもあるけど、仕事はちゃんと教えてくれてるし、いい人だよね。私が大人の態度を取るべきだよね」

 出て行った人が矢沢さんだとすればもうこの会話を聞いてはいない。それでも、なんとなくそんな風に言いつくろわずにはいられなかった。

「それに、その矢沢先輩って好みのタイプなんじゃないの?」

「へ?」

「アンタ、ちっちゃくてハムスターみたいな人が好きなんでしょう?」

「んなっ!」

 私は慌てて店内を見回す。そして小さく息をついた。矢沢さんらしき女性はすでに店を出ている。慌てる必要などないのだ。

「どうしたの?」

「別に……。確かに矢沢さんは小柄だけど、全然ハムスターじゃないから。小柄なら誰でもいいってわけじゃないの。目がクリっとしてて、モフっとしてて、愛嬌のある感じの人が好きなの」

「あっそ。別にアンタの好みなんて興味ないけどね」

「自分からフッたくせに……」

 肩を落とす私を尻目に、雅は三つ目のホッケを見事に完食した。



 月曜日はかなりの緊張感を持って出社した。

 いくらお気楽な性格だとはいえ、居酒屋での愚痴を本人に聞かれていたかもしれない、という状況でお気楽にできるほど豪胆ではない。

「おはようございます」

 すでにデスクで仕事の準備をしていた矢沢さんに向かって、作り笑顔で挨拶をする。矢沢さんはチラリと私の顔を見ると、表情を変えることなく「おはようございます」と返した。

 傍から見れば矢沢さんの機嫌が悪いように見えるだろう。だが、私は矢沢さんの反応にホッと胸をなでおろした。それは入社してから毎日見ている矢沢さんの姿と同じだったからだ。

 金曜日の夜、居酒屋で見た後ろ姿が矢沢さんだったならば、挨拶など返すことなく無視しているだろう。

 世の中には小柄な女性なんて山ほどいる。矢沢さんの話をしていたから、少し似ている女性を矢沢さんだ勘違いしたのだ。

 私の気持ちは一気に軽くなった。バッグをデスクの一番下の引き出しに入れて仕事の準備をはじめる。パソコンの電源を入れて仕事用のノートを取り出した。そしてペン立てからボールペンを取ろうとして手を止めた。

 ボールペンがない。

 ノートをパラっとめくり間に挟まっていないことを確認する。さすがにボールペンが挟まっていたら、すぐに気が付くと思うが念のためというやつだ。そして、引き出しを一つずつ開きボールペンが紛れ込んでいないかを確認していく。さらに週末に使ったファイルを取り出して、その間にボールペンが挟まっていないかも確認した。

 やはりボールペンがない。

 残念ながら私はボールペンを一本しか持っていない。予備を買っておいた方がいいかなとも思ったのだが、緊急性が無かったので後回しにしていた。

 そんなに高いボールペンではない。だけど、職場で使うものだからと奮発して七百円のボールペンを買った。学生時代に使っていたものなら七本買える価格だ。

 どうでもいいと言うには惜しい価格なのだ。

 頭の中で金曜日の動きをトレースする。あの日は定時に上がれた。ウチの会社では、なぜかメールではなく紙ベースで日報を提出する。だから、最後にあのボールペンを使ったのは日報の記入である。

 日報を書き終えた私は、確かにデスクにあるペン立てにボールペンを戻した。

 再度ペン立てを見るがボールペンは影も形もない。

「野崎(のざき)さん、どうかしましたか?」

 矢沢さんが冷ややかな目で私を見て言った。

「あ、えっと、ボールペンを失くしちゃったみたいで……」

「どこかに置き忘れたんですか?」

「いや……どうでしょう……」

 もしかしたら私の記憶違いかもしれない。例えば無意識に洋服のポケットに入れて持ち帰ったとも考えられる。

「では、今日はこれを使ってください」

 矢沢さんは引き出しを開けて予備だと思われるボールペンを貸してくれた。

「ありがとうございます」

 私はそれをありがたく受け取る。

 やはりあの居酒屋で見たのは矢沢さんではなかったようだ。あれが矢沢さんだったとしたら、こんな風にボールペンを貸してくれるとは思えない。

 ボールペンのことは気になるが、矢沢さんに聞かれていないことが確定して私は気が楽になった。


 しかし、私その考えは間違っていた。

 火曜日に出社すると、真っ二つに折られた私のボールペンがデスクの上に置かれていた。

 ボールペンが無かったのは落としたり置き忘れたりしたわけではない。誰かが故意に盗み、しかも破壊して私の目の前に晒したということだ。

 私は不自然にならないように社内を見渡す。こんな嫌がらせをするのは誰だろう。私の視線は隣の席の矢沢さんで止まった。考えられるとしたらこの人しかいない。

 あの日居酒屋で見かけたのは矢沢さんだったのだ。元々嫌っていた私があんな悪口を言っていたから、本格的に怒ってしまったに違いない。

 表面的には今までと変わらない態度をしながら、ボールペンを隠して破壊するという嫌がらせをしたに違いない。

 面倒臭い。私のことが嫌いなら、面と向かって言ってくれればいいのだ。そうしたら素直に謝るし、直せるところはできるだけ直したいとも思う。

 それなのに、こうして隠れて嫌がらせをするなんて陰険すぎる。

 だからと言って「矢沢さんが犯人ですよね!」と糾弾するような真似は、いくらバカな私にだってできない。

 そもそも、矢沢さんが犯人だと思ってはいるが、その証拠はどこにもないのだ。

 嫌がらせはそれだけでは終わらなかった。

 水曜日にはデスクの下に置いてあった、仕事中に履いているスリッパが片方無くなっていた。お気に入りのスリッパだったが、通勤に使っているパンプスのまま仕事をすることはできる。困らないけれど精神的なショックは大きい。

 その日、矢沢さんが私の足元をじっと見ているのにも気付いた。スリッパが無いことに対して大騒ぎをしないのが不満なのかもしれない。

 その翌日にはパソコンの電源が付かないという事態が起こった。

 いつものように電源を入れても、パソコンはウンともスンともいわない。

 これには焦って軽くパニックになっていると、矢沢さんが「どうしました?」と声を掛けてきた。その言葉がやけに芝居じみていて白々しく感じる。

 だけど私は、矢沢さんの仕業だと気付いていないフリをして、パソコンが動かないことを伝えた。

 矢沢さんは表情を変えることなくパソコン周りをチェックする。そして、デスクの下を覗き込んで平然と「電源が抜けてますね」と言ったのだ。

 やけに冷静な態度も、やけに早い原因の究明も、矢沢さんが嫌がらせの犯人だと言っているようなものだ。

 しかもそのとき矢沢さんが微かに笑ったのだ。これまでピクリとも動いたことのない口角が少し上がったのを私は見逃さなかった。

 今はいたずら程度だが、これがエスカレートしていく可能性だってある。

 そうなる前に矢沢さんにあの日の愚痴について謝った方がいいのかもしれない。だけど、どのタイミングでどんな風に謝ればいいのだろうか。

 それに、矢沢さんが犯人だという証拠も見付けられていない。

 謝るにしても、いたずらを止めてもらうよう訴えるにしても、矢沢さんがいたずら犯である証拠を見つけ出さなくてはいけない。

 それから、私はいたずら犯を特定するべく行動することにした。

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