【御留戸の夜〈4〉】

「ん・・・・」


 何かの気配でうっすら目覚めた私は一瞬、自分がいる場所がどこなのかが分からず、ぼんやりとした頭を巡らせた。


(ああ・・・・寝ちゃったんだ・・・・)


 軽く目をこすり、そしてゆっくりと開けてみる。


「えっ!?」


 壁が・・・・ない?!

 しかも白いモヤのようなものが私のまわりを包み、そして鼻先にはかすかに何かの花の匂い?が漂っている。

 目を凝らしてみても白い壁があるようには見えない。


「な、な、何なのっ」


 軽くパニックになりながら状況を把握しようとしたその時、前方のモヤがふいに動いたように見え、驚きで固まる私の目の前に〈目〉が現れた。


「!?」


 驚愕に目を見開くと次の瞬間、ふっ、とモヤが消え、そこに〈存在〉が立っていた。


「はっ、えっ・・・・えっ?!」

「・・・・」


 無言で私を見つめる〈存在〉。

 その姿はまばゆいばかりの美しさを放つ、白光する衣を身にまとった天女だった。


「あ・・・・」


 現実感の消えた状況の中、混乱する脳裏に(これが・・・・おのろし様?)という思いが浮かんだ。

 まさかの天女、まさかの女性。

 名のイメージから男性のビジュアルを勝手に想像していた私は出すべき言葉が見つからず無言で見つめ返した。


華蘭からん

「え・・・・は、はい」

 

 とてつもなく美しい目の前の〈存在〉が唐突に私の名を口にした。

 正確には喋ったというより頭の中にスッと入ってきた感覚だった。


 そして気がつくと、梅だろうか桃だろうか? 薄いピンクの花をつけた木々が私たちを囲むように立ち並んでいる。

 明らかにここは御留戸おとめどの中ではない。

 夢?

 私はまだ目覚めていないのだろうか?


『よろしい』


 また言葉が入ってきた。

 よろしい? 何が?

 吸い込まれそうな漆黒のその瞳から目が離せず、私はただ凝視をした。

 するとその姿は強い光の後光を放ち始め、まぶしさに思わず目を細めた次の瞬間、かき消すように消えた。


「えっ?!」


 周囲を見ると──戻っている。

 ここに入ったときのまま、何もない白い部屋のままだ。

 夢でもなく寝ぼけているわけでもなく、今、目の前で起きたことが現実なのだと、すぐには受け入れられないけれどそうなのだと思わざるを得なかった。


 カチャ


 その時、観音開きの扉の外で音がし、ゆっくりと開けられ始めた。


「華蘭、時間だ」


 父だった。


「お父さん! あのっ」

「待ちなさい。話はあとにしてまずは出なさい。時刻が来たから」

「出て・・・・いいの?」

「ああ、4時になったからね。さ、早く」

「わかった」


 そして私は外に出た。

 朝の光には遠く、辺りはまだまだ暗い。

 敷地内の常夜灯の薄明かりの中、橋を渡る。

 あの帯のような赤い布はもう敷かれてはいない。


「大丈夫? どこも何ともない?」

「うん、平気」


 橋を渡り切ると母がすぐさま私に近寄り両手を取り、顔を覗き込んだ。

 母の手が妙に冷たい。

 御留戸を見ながら、まさかずっとここにいたのだろうか?


「中で、あの──」

御姿おすがた

「え?」

「御姿は・・・・おのろし様の御姿はどのようだったの?」

「そうだ華蘭、御姿は、御姿はどうだったのだ」

「え、あ、あの・・・・」


 父と母に詰め寄られ、私は思わず半歩あとずさった。

 2人の目は真剣だ。


「て、天女みたいな綺麗な人を・・・・見たけど・・・・」


 勢いに押され私がおずおずとそう口に出した瞬間、母が膝から崩れ落ち、父は天を仰いだ。


「ああああっ、よ、良かった、良かったわー」

「うんうん、良かった、本当に良かった」

「ち、ちょっと2人ともどうし──」

御許おゆるしになられた、御許しに」

「ああっ、ああああ」


 涙を流して喜ぶ父と母。

 その姿の異様さに私の気持ちは混乱した。

 御留戸の中に現れたあの〈存在〉が天女のような姿だったと知るやいなやの2人の泣くほどのこの喜び方。

 ではもし違う何かだった場合には──私は一体どうなっていたのだろう。


 まさか、恭次郎のようなことにでもなっていたのだろうか・・・・。






 



 

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