第2話 洗礼

 …いやなんで目が覚めてるんだ?


 俺は断じて死後の世界なんて信じていなかったのだがまさか本当に天国にでも来てしまったのか?


 それにしては地面が固くて寝心地が悪いな。天国とやらはサービスが悪いのか?さっきまで気を失っていたようで地面についていた半身が痛む。


 ぼんやりとしていた意識が戻ってきたところで、俺は立ち上がって自分の身体を見下ろした。怪我一つないどころか服も元通りだ。いや正確には轢かれた後に服を見てはいないのだがあのとき服が破れなかったはずはない。


 周囲を見渡してみるとどうやらここは森の中ではあるが人が使っているらしい道のど真ん中らしい。どこからか鳥の声が聞こえる。風も心地よいがこのまま夜になったら寒いだろうな。というか野生動物とでも出会ったら危険そうだな。いや天国に野生動物がいるかは知らないが。



 一度冷静になって現状を確認してみると、普通に考えて俺はあの後意識を失って病院に運ばれ、昏睡状態に陥っている中夢を見ているみたいな感じだろう。こんなに鮮明なのは不思議だがそれ以外に思いつく物はない。


 いや、実はもう一つある。いわゆる異世界転生だ。

 そんな理論は確立されていないから信じていなかったのだが、パラレルワールドに転移したみたいなことだったら面白いな。まあ可能性としては限りなく低いと思うが、そう思ってしまうほどに今の感覚は鮮明なのだ。


 一応俺はラノベとかが好きだったから異世界転生ものなんかも読んだことがある。だからこの発想が割とすぐ出てきた。トラックに轢かれて転生なんておあつらえ向きだからな。


 それにしては女神様やら召喚の魔方陣みたいなのがないなとは思う。そういう能力がある系統じゃなかったら運が悪いと魔物とかに食われて終わるだろうな。


 …フラグじゃないぞ?


 考えても埒が明かない。夢でも転生でもどっちにしろ何か行動を起こそう。ここでできることなんて何もない。


 そう思ったのだが人里はどっちだ?川を見つけて下流に向かっていけば良いとか聞いたことはあるがあいにくと水の音も聞こえない。ここはどうやら人が使っている道らしいし、季節的にも人が来てもおかしくないからここで待っているのもありかもしれない。


 そうやってなけなしの遭難対策知識をひねり出していたところ、遠くに動く物が見えた。どう見ても風に揺れる草木ではない何かだ。


 目をこらすとオオカミのように見えた。ニホンオオカミは絶滅しているし犬が野生化でもしたのかと思っていたら、その瞬間オオカミらしきものと目が合ってしまった。


 …あー動物と目を合わせるのって威嚇だったよな。距離があるとはいえ襲われたら余裕で追いつかれるし余裕で負ける。人間とは本気を出されたら猫にすら負けるのだ。犬、それも猟犬に近い種に勝てる道理はない。


 だが走って逃げてはいけない。ここはゆっくり後ずさりを…と思っていたそのとき、オオカミが大きく遠吠えをした。


 これはまずい。


 ただでさえそう感じていたのに事態はもっと深刻だった。近くの茂みがガサガサと音を立てたかと思うとそこからさらに数匹の犬が飛び出してきた。いや近くで見ると明らかにオオカミだろこいつら。どうやら群れで狩りをしていたらしい。


 くそ!さっき思いっきりフラグを立ててしまったのが悪いのか?


 オオカミって群れで狩りをするんだっけ?一匹狼みたいな言葉があったけどあれって俗説だったのかな。本日二度目の死を迎えそうな状況だというのに私の頭はそんなことしか考えられない。


 勉強ができてもこうしたところで機転を利かせられるような頭の良さとは違うのだ。


 全てを諦めた俺はせめて一撃で意識を失わせてほしいと願いながら腰が抜けそうなままジリジリと後ずさりしていた。


 そんなときだった。


 俺の背後から聞こえてきた声に俺もオオカミたちも意識を奪われた。


「◎△$♪×¥●&%#!!」


 何を言っているかは聞き取れなかったがどうやら俺に駆けつけてきてくれているらしい。これはありがたい。


 声の聞こえる角度からして銃を持っていたとしても今にも飛びかかろうとしている先頭のオオカミには間に合わないだろうが、少なくとも死亡率はぐんと下がるはずだ。


 せめて痛くない一撃が来るように祈りながら目を閉じようとしたその直前、俺の右にあった小石が宙に浮かび上がって飛び上がったオオカミにものすごい勢いで衝突した。


 それを当てられたオオカミはキャインと声を上げ、今度は逆にオオカミ達がジリジリと後退し始めた。


 不可解な現象に驚きながらも安心して後ろを振り返ると、再び驚くべき光景が広がっていた。


 そこには三人と馬一頭がいた。

 顔立ちは皆西洋風で、一人の大柄な男の服装はまるで歴史の教科書に載っている中世ギリシャ辺りの兵士のようだった。

 大柄な男はあろうことか大きな剣を構え、もう一人の細身の男は左手に杖らしきものを持ちながら右手のひらをこちらへ向けて上げている。もう一人は女性で、動きやすそうな軽い服装で荷物を載せた馬にまたがっていた。


「×¥●&%#?」


 集団が駆け寄りながらまた声をかけてくるが、気が動転しているのかまたもや全く聞き取れない。


 そして安心したのもつかの間、どうやら親玉らしいでかいオオカミが飛び出してきた。きっとさっき遠吠えしたやつだろう。遠くだったから良くわからなかったが近くで見ると明らかにでかい。


 今度はそいつが飛びかかろうとしてきた瞬間、後ろからぶつぶつと声が聞こえてきたかと思うと大柄の男がとてつもない速さで俺の前に立ち親玉オオカミの攻撃を剣で受け止めた。


 男はそのままオオカミの爪を数回受け流した後攻撃に転じようとして斬りかかった。男の攻撃は大きくオオカミの腕を切り裂いたが、同時に男も爪で浅くない傷を負ったようだった。


 このままでは危険だと思ったところで細身の男が前に出たかと思うと杖を掲げて何やらまた聞き取れない言葉を言ったかと思うと目の前のオオカミが急に燃えだした。


 熱に苦しんでいるオオカミの隙をついて大柄な男が眉間に剣を突き立てると、大量の血を吹き出しオオカミは絶命したようだった。それを見て下っ端オオカミたちは不利を悟ったのか逃げていった。


 この世界には動物愛護法はないのだろうか。目の前の戦いが終わりそんなことを気にする余裕が出てきた。


 すると男が傷を押さえながらこっちを振り向き…いやさっきの女性が駆け寄ってきているのを見た。男が傷を見せ、女性がそれに手を当てて何かつぶやくと、男の傷はまるで早送りのように塞がっていった。


 さておかしいところはいくつあったでしょうか?だ。


 明らかに魔法としか思えないようなことが目の前で何度も起こっている。

 それに―


「●&◎△$%#?」


 これはどう考えても異世界語だろう。ダメ元で話しかけてみる。


「えっと…ありがとうございます。

 って言われても日本語わかりませんよね。うーん。」


 案の定通じなかったようで俺が声をかけたところ三人で何やら相談を始めた。細身の男が何か言ったのに対して二人が納得したかのように頷くと、その細身の男がこちらに向き直ってはっきりとこう言った。


「Are you from another world?(あなた異世界から来たんですか?)」


 英語、通じた。

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