ただ鴛鴦を羨みて

水城洋臣

ただ鴛鴦を羨みて

第一集 胡族入朝

 建安けんあん二十一年(西暦二一六年)、ぎょう


 かねてより後漢朝廷の味方を標榜していた胡族こぞく(北方騎馬民族)のひとつである南匈奴みなみきょうどは、部族を率いて当代の覇者である曹操そうそうに帰順した。

 単于ぜんう(大王)である呼廚泉こちゅうせんが都である鄴に共連れで入朝したのは、その年の七月の事である。


 南匈奴は長年の間、部族を挙げて傭兵のような暮らしをしていた。漢王朝から直接の命を受けた黄巾こうきんの乱のような物だけならば良かったのだが、その後の群雄割拠の時代において、彼らの主な雇い主は汝南じょなん袁氏えんし、すなわち袁術えんじゅつ袁紹えんしょうであった為に、曹操の軍とは幾度も敵対していた。

 曹操が当代の覇者として地位を固めた後も、そうした過去の経緯から、帰順するべきかどうか彼らを悩ませていたのである。


 しかし数年前に出会った漢人の旅人から「曹操は優秀な人材、戦力ならば、かつての敵であっても重用する器がある」と聞かされた事で、単于の呼廚泉も決意を固め、数年の交渉期間を経てこの日を迎えたのである。果たして曹操も大いに喜び、彼らは歓待される事となった。


「望みがあれば何でも言うがよい。わしに出来る事ならばだがな」


 上機嫌の曹操はそう言った。呼廚泉は後ろに控えている四十手前ほどの男に目くばせをする。


「此度の帰順は、こちらに控える左賢王さけんおう(第一王子)・多羅克たらくの強い希望で進めたもの。叶うならば、この者の願いを……」

「言ってみよ」


 多羅克と紹介された男に対し、笑顔のまま訊いた曹操。多羅克は強い意志を秘めた瞳で曹操を正面から見据えて応える。


「叶うならば、かつての我が妻……、蔡昭姫さいしょうきとの再会を」


 その言葉を聞いた曹操から笑顔が消えた。だがそれは怒りや不興という物では無かった。その表情には驚きと、この日が来てしまったという悲しみのような物が滲み出ていた。


「すまぬが……、それは出来ぬのだ……」






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