第16話

眩しいくらいの日の光に僕は包まれていた。それはあたたかく優しいものだった。

「早百合の匂いがする」

 僕はゆっくりと身体を起こした。あの忌まわしい殺人劇が、もうずっと昔のことのように思えた。

「そうだ。あれは昨日のことだったんだ。早百合はどうしただろう? まさか死んでしまったなんてこと……」


 部屋を飛び出し、シスターの部屋へ行った。ノックをしたが返事がない。開けてみると、いつもきれいに整頓されている部屋がほんの少し乱れていた。あわてて出かけたというふうに……。シスターはまだ病院にいるのだろうか? それとも警察に行ったのか?

「おや、太郎。目が覚めたんだね」

 後ろから声をかけてきたのは給仕の吉川さんだ。

「おはようございます」

 僕は何も聞かなかった。知りたいことはたくさんあったのに、真実を知るのが怖かったから。けれど、吉川さんはそれを許さなかった。現実から逃げることは出来ないということだろう。


「あんたに話しがあるよ。ドアを閉めてこっちに座んな」

 僕は言うとおりにした。シスターの部屋で話を聞くのはとても緊張する。ここへ呼ばれるときは叱られるときだから。

「最初に早百合のことから話そうかね。あの子は無事だよ。輸血が必要だったから、母親に連絡を取って来てもらった。血液型が同じだからね。知らなかったんだけど、あの子の血液はRHマイナスだったんだ。二人の関係はこれからよくなるような気がするよ。だから心配は要らない。シスターは今、警察に事情を聴かれている。藁科は失血死だよ。けれど、これは殺人じゃない。罪に問われることはないから大丈夫。太郎、あんたはあたしに言ったよね。自分がやったと。早百合をかばったあんたを、あたしは守ってやりたかったんだ。警察に事情を聴かれたとき、あれは正当防衛だったと証言したよ。早百合が藁科を殺したところは見ていない。けれど、あいつが何をしようとしたかは察しがつく。その手から逃れようとカッターを振った。それがたまたま、あいつの首を切り裂いた。あたしだって、だてにサスペンスドラマを見ていたわけじゃないんだよ。こういう時の証言が生々しく伝えることが出来たんだからね。これは誰にも言っちゃだめだよ。あたしだって偽証罪になっちゃうからね」

 といたずらっぽくウインクして見せた。あんなひどい現場を目の当たりにしてもまったく動じない。それどころか、僕らをかばうために、見てもいないことをしゃあしゃあ証言して見せるなんて。正直言って驚いた。


「あんたは何もしていないんだろう? もう心配しなくていいんだよ。ただ、事情は聴かれるだろうよ。警察ってのはそれが仕事なんだから。あんたはありのままを話せばいい。嘘をつく必要はないからね」

 僕はコクリとうなずいた。

「あのー。他の子たちは……」

「ああ、あの子らは大丈夫。このことを知っているのは辰輝だけだよ。あの子は気丈だね。あたしゃ涙が出たよ。あんたと早百合のことを心配していたよ。今日は土曜日だからね、小学生組は遊びに行っている。残ったおちびさんたちは、しばらく外に連れ出してもらっている。警察官が出入りするからね」

 吉川さんはまだやることがたくさんあると言って部屋を出た。僕は自室に戻り、ぼんやりと外を眺める。ここにいても、何もやることがない。


「僕は何をすればいいんだろう?」

 ヤマトの言葉を思い出した。『太郎の心の闇によって』彼は確かにそう言った。ヤマトが見ていた夢の中の少年は僕なんだ。そして、彼と僕が二つの世界をつなげている。向こうの世界に現れた闇は僕のせいだというのだろうか? けれど、それほど深い闇を僕が抱えているとは思えない。彼と話しができればいいのだけれど。


「ヤマト、僕は君を知っているよ。僕も君の夢を見ているんだ。君の世界を襲っている闇が僕のせいなら、それを防ぐことも僕にできるのだろうか?」

 誰も聞いているはずもない、一人ぼっちの部屋の中で僕はヤマトに向かって話しかけた。この声がもしかしたら向こうの世界に届くような気がしたから。けれど、もちろん返事は返ってこなかった。あれは、ただの夢なのだから。あたたかな陽光が差し込み、いつしかそのまどろみの中で僕は眠っていた。

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