第十三話「花曇り ーはなぐもりー」 (前編) ③

 駄目だった。


 見ようとする意志さえあればいい。ただそれだけで、瞬時に桜が咲きほこる。

 それなのに、今は何も見えない。なんの変化も起きない。あたかも、気を見れるようになる前に戻ってしまったかのように。


(まさか、これも後遺症?)


 味覚を失うだけじゃなく、気を見ることもできなくなったというのか。

 笑顔を作る以外に、できることが増えたのに。


「もういいぞ、桜」


 虹さんの呼びかけで、温かな手が僕から離れた。ぬくもりが消えて、ひんやりとした空気が皮膚を撫でる。




 せつ、視界が満開の桜で埋め尽くされた。




「えっ!?」


 驚きのあまり、つい大声を上げてしまった。

 その声と共に、部屋中の桜がさんする。集中力が一気に途切れたせいだろう。


 見えた。いつもと同じように、ほんの少しの意識と集中力で。


 もしかして、緊張して見えなかっただけなのか。一瞬、そんな考えが頭をよぎったが、すぐに違うと思い直した。


 考えられる可能性は、一つ。




(桜さんが触れたから、見えなかった……?)




「ご苦労だったな。もう下がっていいぞ」

「はい」


 桜さんが僕に一礼し、ひざを滑らせながら出入口まで下がっていく。

 そして「失礼致しました」とこうべを垂れてから部屋を出て、ふすまを静かに閉めた。



 桜さんの足音が遠ざかった頃合いで、虹さんが再び口を開いた。



「今、あんたが見た通りだよ。桜の前では、気を見ることができなくなる。あんただけじゃなく、私たちも同様にね」

「え――――」

「それだけじゃないよ。力も使えなくなるし、くろの加護も一切受け付けなくなる。あいつは生まれつき、ただそこにいるだけで、あらゆる奇跡を拒絶するんだ」


 虹さんは軽妙に語っているが、その内容は衝撃的なものだった。


 この世界で『気』という概念を知り、『力』の存在を知り、そして実際に目にしてきた。元の世界ではありえない、まさしく『奇跡』と呼ぶに相応ふさわしい力を。



 そんな『奇跡』を、全てなかったことにする。


 あまりにも、規格外な力だ。



「もっとも、そんな奴を社で野放しにするわけにはいかない。あれがいるだけで、私たちの務めを妨害してしまうからな」

「ですよね……」


 先日、花鶯さんが気を切ったのも、民衆に『国の気』を見せられたのも、この世界に『奇跡』があるからだ。


 それらが全て、機能しなくなる。

 桜さんがただ、そこにいるだけで。


「だから社においては、あいつ自身が独自に開発した薬で抑えるよう命じている。触れなければ、奇跡をがいしない程度にな」

「え、薬?」


 予想外の言葉に、ぜんとするほかなかった。


 巫女の務めを妨害する存在を、社が放置するわけがないのは当然だ。

 だからこそ、薬なんて生活感のある言葉が出てくるとは思わなかった。

 

「もちろん、人ならざる力は薬なんかで抑えられやしない。人の手に負えるものじゃないからな。故に、あれは『特異体質』だ」

「体質……」


 心当たりがあった。


 巫女になってから、薬を飲む桜さんを何度か見たことがある。忙しくて時間を作れなかったからと、馬車の中で飲むことがたまにあるのだ。


 単なる胃腸薬だと言っていたから、全く気に留めていなかった。

 自分の体質で、巫女たちの務めを妨害しないためだったんだ。

 

「黒湖に呑まれない体質とか、言ってましたね」

「あぁ。黒湖は、いわば奇跡の代表だからな」

「…………」


 気を見ることもできず、力も使えず、黒湖様の加護も受け付けなくなる。

 巫女であっても、桜さんの前では、ただの人間も同然ということだ。


(あぁ、そうか)




 だから、ながひめは死んだ。


 あらゆる奇跡を拒絶する体質をもって、夜長姫を殺したのだ。




 今になって気が付いた自分に、がくぜんとする。

 少し考えれば分かることだ。殺せたのには、しかるべき理由があるのだと。


 黒湖様の加護で守られている巫女を殺すなんて、本来ならできるはずがない。巫女になる前にそう教わった。


 そして僕自身、静国しずかなるくにで刺された時に、黒湖様の加護で死をまぬがれたのだ。


(なんで、考えようとしなかった?)




 彼女が人殺しだろうと、僕には関係ない。


 だって、僕にとっては――――



 

「桜が来た瞬間、発作が治まったと言ったな」

「え?」

「触れられただろ。体のどこかに」

「あ……はい」


 虹さんの声で、我に返った。

 そうだ。今の僕に必要なのは、あの夜のように倒れないための対策だ。


 余計なことは考えるな。


「葉月の身に起きた発作は、気を見過ぎたことによるものだ。だから、その原因となる奇跡を取り除けば、発作は止まる」

「……今後、発作が起きそうになったら、桜さんに触れろということですか?」

「その通り。ただし、それは最終手段だ。桜がいないと毎回寝込むようでは困るからな。発作が起きる前に休む。今後はそれを意識するように」

「分かりました」


 桜さんは従者とはいえ、四六時中、僕のそばにいられるわけじゃないのだ。今後巫女として生きていくのなら、この体を制御する必要がある。


 それを差し引いても、ずっと守られているわけにはいかない。




 夜長姫に呑まれないくらい強くなるって、桜さんに誓ったんだから。




「虹さん、そろそろ昼食が来るみたいよ」


 黄林さんの声で、張り詰めた空気が緩んだ。彩雲君の捜索は終わったらしい。


「やっとかぁ」


 虹さんから、なんとも力の抜けた声が上がる。飄々ひょうひょうを通り越してだらしない。


「にしても遅すぎだろ。一体何をやらかしたんだ、あいつら」

「どうやら、小春君が侍女をたらしこんでいるすきに、また彩雲君が逃げ出そうとしたみたい。今頃、三郎さぶろうが二人分のせっかんに励んでいると思うわ」


(小春『君』? 侍女をたらしこむ……?)


 まさか、男の人なのか?

 それはそうと彩雲君。一体、どれだけ脱走すれば気が済むんだろう。これまでに何度も三郎さんにしぼられているだろうに。


「なるほど。とりあえず、その二人は昼食抜きだな。炭、異論はある?」

「お構いなく。女たらしの馬鹿をかばう理由など一つもないので」


(うわぁ、容赦ない)


 主人にまであっさり見放されてしまった。自業自得だから仕方ないけど。


「というわけだ」

「えぇ、伝えておくわ」


 もちろん、巫女たちが同情するはずもなく、むしろ一部は楽しんでいる様子だ。女性の集団は怖いと思い知らされた瞬間だった。


「それはそうと葉月。お前、いつになったら返すつもりだ?」

「え?」

「本。なかこくを出発する前に貸しただろ。とうの歴史が知りたいとか言って」

「えっと……」


 身に覚えがないけど、記憶力に絶対の自信があるわけではない。思い違いでもあったかと、少し考えてみる。


(あ――――)




 ふと、気が付いた。


 これは、個人的な呼び出しだと。




『そのまま目の前が暗くなって。それで――』

『なるほどね』


 あの時、言葉をさえぎったと感じたのは、どうやら勘違いではなかったらしい。


「……あぁ、すみません。すっかり忘れてて」

「昼食が終わったら、私の部屋に来いよ」

「はい」


 それとなく周囲に目をやる。誰一人として、不審がるような視線を向ける者はいない。なんとか上手く誤魔化せたようだ。


 程なくして、昼食が届いた。ほくほくと湯気を立てる肉じゃがを前に、反射的に心がおどる。ひんぱんに出るこんだての一つだ。


「えー。またいもかよ」

「仕方ないでしょう。安価で仕入れられる上に、お腹にまる食材なんだから」


 眉尻を下げる虹さんに、黄林さんが苦笑しながらたしなめる。なんというか、好き嫌いをする子供とそのお母さんみたいだ。


「巫女は国の頂点だろ? もうちょいぜいたくしても良くないか?」

「聞き捨てならないわね。巫女だからこそ、節約すべきでしょ。私たちが多く取ったら、それだけ庶民の取り分が減るんだから」

「うわ出た。花鶯の巫女持論」


 虹さんが、わざとらしい大声を上げる。

 そしてやはりというか、花鶯さんのこみかみに青筋が立った。


「ちょっと、巫女持論って何よ。私は当たり前のことを言ってるだけでしょ」

「そう怒るなって。短気を起こすと、顔がかし芋になるぞ」

「誰が蒸かし芋よ!!」


 毎回恒例の花鶯さんいじりが始まった。

 もはや日常の一部なので微笑ましい。花鶯さんには口が裂けても言えないけど。


 あんまり見ていると、今度は僕が標的になりかねない。見物もほどほどにして、好物の肉じゃがにありつくことにした。


 煮汁が染み込んだじゃがいもと、小粒ながらも彩り鮮やかなひき肉が、皿の中にところせましと詰まっている。うん、美味しそう。


「…………」


 せっかくの好物なのに、味を楽しめないことが本当に残念だ。






   ***






 にぎやかな昼食を終えた後、約束通りに虹さんの部屋を訪ねた。


「まぁ、そこに座ってよ」

「はい」


 虹さんは、机の前で胡坐あぐらをかいて待っていた。その机をはさむ形で、虹さんの正面に腰を下ろす。向き合って話すのは、お披露目の日以来だ。


 こうして見ると、彼女は胡坐の似合う美人だ。


 男勝りというのもあるけど、胡坐自体にどこか品がある。背筋や肩には一切の歪みがなく、威風堂々としたたたずまいをよりかもし出している。



 普段の言動はざつだけど、実は育ちが良いのかもしれな――――



(いや、それはないか。虹さんは平民の出だって、黄林さんが言ってたし)


 そんなことをぼんやり考えていると、虹さんがなぜか右手を差し出してきた。手のひらを見せたまま、僕の目の前で静止している。


「え?」

「え、じゃないだろ。ほら」

「……話があるんですよね? あの場ではどうしても言えない話が」

「なんだ、察しが良いな。面白くない」


 つまらなさそうに目を細めながら、虹さんが右手を引っ込める。


 どうやら、身に覚えのない本のたいしゃくネタでいじり倒すつもりだったらしい。すみません、今は早く話を聞きたいんです。


「さて。始めに断っておくが、今から話すことは他言無用だ」

「……桜さんにもですか?」

「もちろんだ。あんたと親しいとはいえ、あれは従者であって巫女ではない」

「分かりました」



 虹さんは、先日の僕と似たような事例を知っていると言った。


 つまり、彼女は分かっているのだ。

 僕の体に、なんらかの変化が起きたことを。



「葉月。倒れた時のことを話した後、他にも何か言おうとしただろ?」

「はい。あの時……」

「あぁ。察しの通りだ。私は、あんたの言葉をさえぎった。あいつらの耳に入れては不味い内容だろうと判断したからだ」

「巫女なのにですか?」

「巫女が全てを知ってるわけじゃない。知っちゃいけないことだってあるさ。まぁ、私のような例外もいるけどな」


 意外だった。社が秘密主義であることは分かっていたけど、巫女たちは同じ情報を共有しているものだとばかり思っていたから。


「でも、僕には話すんですね」

「今の時点じゃ、全部は話せないけどな」



 虹さんが腰を浮かし、胡坐あぐらをかき直す。


 今から本腰を入れて話をするという、合図のように思えた。


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