12捨て

「居たか!?」


「いない! 大家さん、どうしよう! ルノが、ルノがいなくなっちゃった.......!」


 朝方から姿が見えないルノを探し出したのは、夕方。大家さんと2号と近所を走り回り続けて、それでもルノは見つからなかった。


「落ち着けアリッサ、大丈夫だ。そこら辺にいるさ」


 最近、ルノは穏やかだった。別に、今までだってずっと笑顔で優しかったが、笑顔がふわりと柔らかくなって、夜も魘されなくなっていた。毎日私があげたコートをじっと眺めて、袖を通して笑っていた。


 だから、幸せになったのなら。ルノが幸せなら、出ていったって、仕方ないと思っていたのに。


「やだ、大家さん、やだよ.......」


「大丈夫だ。あの筋肉がいきなり消えるわけがねえ」


 2号がくぅん、と泣きながら足に擦り寄ってくる。ばたばたと、地面にどうしても止まらない自分の涙が落ちた。そして、いきなり。


 ぱぁんっ、と。


 最近では聞かなくなっていた、銃声が響いた。


「アリッサ! 1度帰るぞ!」


「やだ、大家さん、やだぁ!」


「ダメだ!」


 大家さんに抱えられて、わんわん泣きながらアパートへの道を進んで。


「うおっ!?」


 いきなり、大家さんが後ろに倒れた。大家さんの筋肉がバランスを崩すなんて緊急事態に、思わず涙も引っ込む。だが、予想していた衝撃はいつまで経ってもこず、大家さんは倒れることなくに建物の影に引きずり込まれた。


「.......2人とも、静かに、落ち着いて聞いてね」


 ルノっ! と叫ぼうとした口はルノの大きな手に塞がれた。見たこともないほど凛々しい顔をしたルノが、濃紺のコートを着て私達の前に立った。


「隣国でクーデターが起きたんだ。ここにいる軍人も、2派に別れた。さっきの銃声は、その争いの始まりだよ」


「.......クーデターだぁ!?」


「大丈夫、ここには旧派閥.......この国の軍が味方すると決めた派閥の方が圧倒的に多い。直ぐにおさまるよ」


 また、2発銃声がした。


「僕が合図したら走って部屋に帰って。カーテンを閉めて、じっとしてるんだ」


「.......ルノ、ルノは? ねえ、帰ろうルノ」


 ルノが、路地裏に転がった鉄パイプを拾った。そして、ふっと表情を無くして。


「がっ!?」


 いきなり路地裏に飛び出してきた軍人の腹を打った。そのまま相手の顎先を膝で蹴り上げ気絶させて、後から飛び出してきた2人目の軍人も流れるように気絶させた。2人とも、銃を構える暇もなく意識を失っていた。


「大丈夫。あとちょっと散歩してから戻るよ」


 へら、と笑ったルノ。しかし直ぐにその笑顔を引っ込めて、大家さんの肩に手を置いた。


「3、2、1で走ってください。.......3、2、1っ!」


 大家さんが走りだす。2号がばっと前に飛び出して、あっという間にアパートに着いてしまった。少し遅れた大家さんが勢いよく私の部屋のドアを開けて、また勢いよく閉めた。それからカーテンも閉めて、私をソファの下に引っ張って隠した。


 なんだか戦争の最後の方を思い出して、涙が出た。



 それから何度か銃声を聞いて、日が暮れて夜が明けて、お昼になったぐらいに控えめにドアがノックされた。


「ルノっ!!」


「拾い主さん、こういう時はドアはすぐ開けちゃダメだよ」


 いつも通りヘラヘラ笑ったルノが帰ってきた。

 丁寧にコートを脱いで、いつもよりずっと丁寧にハンガーにかけた。


「.......ルノ。ねえ、怪我してない? 大丈夫?」


「うん。怪我したらコートが汚れるからね」


 なんだかズレた回答に、大家さんの顔が曇る。


「.......おい、ルノ。お前.......何者だ?」


 聞いて、しまった。


 いきなり、ルノがビシッと足を肩幅に広げた。手を後ろに組んで、顎を引いて。


 揺らがぬ澄んだ青い瞳で、真っ直ぐ前を向いた。




「自分は、我が国の軍人であります!」




 青い瞳が、揺らぐことなく前を見る。ただ、前だけを見ている。


「自分は、守るべき国民を、その生活ごと犠牲にし、敗戦という結果を持ち帰ったクズであります!」


 大家さんの顎が外れそうだ。

 また大きく息を吸ったルノの胸が、張り裂けそうに見えた。


「.......自分はっ! 戦犯としてっ! 裁かれるべき身でありますっ!! 今までその責を逃れ卑しく生き延び、誠に申し訳ありませんっ!!」


「.......ルノ、もうやめて。今日はシチューにしよう」


「自分の本名は、アーノルド・ノックスであります! 階級は中佐、終戦とともに大佐になりました! 今まで身分を騙り、御二方のお気持ちを踏みにじった事、心よりお詫び申し上げます!」


 これには私の顎も落ちた。大佐って、確かめちゃくちゃ偉い軍人さんだったような。とりあえずチョビ髭より上だと思う。


「.......自分は! 補給路を断つため、街を2つ焼きました! 自国の村を7つ犠牲にしました! 罪のない部下に人殺しを命令しました! 国民の生活を犠牲にし、現場に補給を要求しました!」


 ルノの瞳は揺らがない。どんどん自分の逃げ場を無くしても、いつもの優しい言葉を捨てても、澄んだ瞳は揺らがない。


「挙句! 戦争に勝利することができませんでした!」


 言い切ったルノは、揺らがぬ瞳から1粒っきりの涙をこぼした。


 ルノがあまりによく通る大声で話すので、もうアパートの住人全員に聞こえているだろう。聞かせて、いるのだろう。

 大家さんが、呆然とルノを見ている。ルノは、それを堂々と受け止めていた。きっと、ルノは全ての人の前でこうする。全ての罵声を受け止めて、そして。

 そして、死ぬのだ。


「自分は今より、罪を償って参ります! しかし! まだ、この身が国民の盾になることが叶うのならば! もう一度、軍人として戦場に出るつもりであります!」


「.......おい! ルノ! 何言ってやがる!」


「我が国は! 旧敵国である隣国のクーデターの鎮圧のため、軍の派遣を決定致しました! 我々はこの命に懸け、一刻も早く平時を取り戻して参ります!」


 ビシッと足を揃え、手を額にやり敬礼したルノは、あまりに精悍な、軍人の顔をしていた。

 その中で異質に澄んだ瞳が、私の記憶を呼び起こす。急速に、モノクロの記憶が色を持つ。いつからか私の好きな色になった、深い、青を。


 今まで繋がりかかっていた何かが、繋がった。


「.......ルノ。ねえ、ルノ」


「はっ!」


「私ね、拾ってもらったの。10年前に、親に捨てられたから。.......青い目の軍人さんに、拾ってもらったの」


 大家さんに引き取られる前。少し遠い街の孤児院に預けてくれたのは、私に幸せをくれたのは、生をくれたのは。死にかけの、いらない私を拾ってくれたのは。軍人だった。


 ルノだったのだ。


「.......10年前! 自分は士官学校生でありました!」


「そんなの今だって違いが分からないわよ。ね、ルノ。覚えてる? 覚えてなくたっていいけど、私、拾ってもらって」


「覚えておいででないでしょうが! 10年前、士官学校生だった自分はある街に部下と共に派遣されました! 大規模な飢饉が発生したためです!」


 急に、何を。


「自分はそこで、8人の子供の死体を発見しました! 死因は全て餓死でありました! 炊き出しの任務と甘く見ていた自分は、ただその場に立ち尽くすのみでありました!」


 大家さんが、なんの事だと私を見る。

 当時のかすみがかった記憶を引っ張り出しても、ご飯を抜かれたことはさして珍しいことではなかったように思う。殴る蹴るも日常で、罵倒や叱咤も日常だった。


「覚えておいででないでしょうが! あなたは。.......あなたは、 やむにやまれず手放されたのです。自分は無責任にも、預かったあなたを近隣の孤児院に届けたのみでした。っ全て! 全て自分の責任であります!」


 あぁ、嘘だ。これは嘘だ。飢饉の話はどうか知らないが、やむにやまれずなんて嘘だ。ルノが、私のためについた優しい言葉だ。


「ルノ。ねえ、ルノ」


「.......」


「行かないで。一緒にいよう? ね、私、あなたが大好きだから。一緒に、幸せになりたいから」


「.......」


「ルノ、お願い行かないで」


「.......国民の幸福のために尽くすべきが、軍人であります」


「ルノっ! お願いっ!! お願い行かないでっ!! ……捨てないでっ!!」


 目を伏せてサッと敬礼したルノは、私の手をそっと振り払って、この部屋を出ていった。


 泣いても叫んでも、あの青はもう私を拾ってはくれなかった。

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