Episode.09 《聖女》である覚悟

 医務室から逃げ出したしばらく後。


「はぁ……情けない……」


 自室のベッドの上。うずくまりながら重苦しいため息がこぼれる。


「必要とされるなら、《聖女》のフリをしてでも助けになりたいって思っていたんだけどな……」


 医務室での光景が脳裏から離れない。

 傷だらけで意識を失っている騎士。一人たりとも死者を出すまいと奔走する医師。そして、自分の出来ることを考え、即座に行動に移したノエルとレティシアの二人。

 それに比べて自分は……――。


「やるべきことも、出来ることも……俺には何も……」


 視線を落とし、手のひらを見る。微かに震えていた。

 ここは『安全な日本』じゃない。常に危険と隣り合わせの『異世界』なんだ。


(頭では、わかっているつもりだったんだけどね……)


 実際、それを目の当たりにして、この体たらく。

 やるべきことも見えない。出来ることも何一つない。

 ――出来るのは、ただ惨状を震えて見ていることだけ。


「何が世界を救う《聖女》だ……っ!」


 何も、何一つ役に立てていないじゃないか……!

 振り下ろした拳が、柔らかなベッドに吸い込まれ、軽い音を鳴らす。


「どこが『この世界の希望』だ! あの頃と……『役立たず』だったあの頃と何一つ変わっていないじゃないか……!!」


 目尻に涙が滲む。

 悔しい。悔しい。悔しくてたまらない。

 どうして、自分はあそこで傷だらけの騎士たちを、彼らを治療する医師たちを、咄嗟に動いた二人を、ただ見ていることしかできなかったんだ……!

 嫌な静けさの中、歯ぎしりの音だけが響く。


「俺だって、何かやらなきゃって思っていた。でも……でも……っ!」


 涙が溢れた。


「でも、俺には何も出来ることがなかったんだ……!」


 ベッドに涙のシミが刻まれる。

 自分だって役に立ちたかった。傷ついたみんなを助けたかった。それでも、何もできない自分が入ったら、絶対に邪魔になってしまう。


(そうだ、俺は邪魔になりたくないからやらなかっただけ……そうなんだ……)


 そう、自分に言い聞かせる。

 だが、顔は苦渋にまみれ、湧き上がる激情は収まらない。

 それでも自分に無理やり言い聞かせ、枕に顔を埋める。


 ――そのとき、また“あの言葉”を思い出した。


『イオリさん、あなたは魔法を覚えて何をしたいですか?』


 ……ああ、そうだった。大事なことを忘れそうになっていた。

 顔を上げる。涙を拭い、立ち上がる。

 そして、鏡に映る自分をまっすぐに見据えた。


(目は真っ赤に腫れて、髪はボサボサ。化粧も崩れて、他人様に見せられた顔じゃないな、これは……)


 苦笑し、頬を叩く。


「そうだったね。一番大事なのは、『何ができるか』じゃなくて『何がしたいか』……」


 拳を握りしめ、顔の前へ。もう、震えは止まっていた。


「俺は、優しいみんなを助けたい。役に立ちたい。だから……――」


 まっすぐとした視線は、部屋の隅に置かれていた透明な小瓶を見つめていた。


     ◇


 あれから、一週間ほどの時が経ったある日。

 伊織の部屋の前。静かな廊下には、ハッキリとした輪郭の足音が一定の間隔で鳴り続けていた。


「ふーむ……どうしたものか……」


 足音の主はアルベール。

 天を仰いだり、うつむいたりを繰り返しながら、ずっと扉の前でウロウロしているのだ。傍から見ると、ただの変人である。


「やはり、先日の件をお詫びするべきなのだろうか? それとも、今はそっとしておくのがよいのか……?」


 頭に残っているのは、青ざめた顔で医務室から走り去っていく伊織の悲愴な表情。

 自分たちの力不足のせいで醜態を晒して、あまつさえ彼女に心労を負わせてしまった。そのことで頭がいっぱいなのだ。

 結局、こうして扉の前で悩み続けて、もう一時間以上が経過しようとしている。


「イオリ様がまさか、ここまで塞ぎ込まれてしまわれるとは……」


 その原因は、自分たちの不甲斐なさだ。噛んだ唇から血が滲む。

 そうしていると、ふと背後から軽い足音が近づいてきた。


「何をしているのです、アルベール騎士団長?」


 振り向くと、扇で上がった口角を隠して佇むレティシアが。


「これはレティシア王女殿下。お見苦しいところをお見せいたしました……」

「ふふっ、イオリさんが心配になって様子を見に来たのでしょう? 別にそんなにかしこまらなくても構わないわよ」

「も、申し訳ありません……」


 レティシアの言葉に、アルベールは耳まで真っ赤に染める。

 すると、その背後から控えめに覗かせる顔があった。


「あのぅ……それで、イオリさんのご様子は……?」


 おずおずと尋ねてくるのは、ノエル。

 彼女たちは、まだ詳しい状況を聞いていないのだろう。アルベールは咳払いで先ほどの醜態を誤魔化すと、背筋を正して向き直る。


「それが、一週間ほど顔をお見せになられておりません。侍女たちの話によれば、お出しした食事は完食なされているとのことですので、健康面での心配はないかと思われますが、精神面に関しては何とも……」

「や、やけに詳しいですわね、アルベール?」

「……? ええ、毎日通っておりますれば」

「「えぇ~……?」」


 ……なぜだ、女性二人の視線が心なしか冷気を帯びた気がする。

 ただ、それを気にせず話を続ける。


「それに、食事も部屋の前に置いたものをいつの間にかお取りになって、いつの間にか食べ終えた後の食器を部屋の前に出されているそうなのです。ですので、誰もこの一週間はお顔を見ることができていないのです」

「それは、心配ですね……」


 ノエルが苦しそうに胸元を押さえ、扉を見つめる。

 扉の向こうからは、微かに物音が聞こえてくる程度。扉にはしっかりと鍵がかけられており、中の様子をこっそり窺うこともできない。


「やはり、我々があのような姿をお見せしたばかりに……!」


 また悔しさが胸の奥からこみ上げてくる。

 すると、重苦しい静寂が包む廊下に、パンッと手を叩く音が響いた。


「ほら、明日は騎士団の再遠征の日でしょう? 二人とも早く支度を済ませておきなさい。遅刻者はお父様直々にお叱りをいただくことになるわよ?」


 アルベールとノエルは、顔を見合わせて同時に青ざめる。そして、頭を下げると慌ただしく別々の方向へ去っていく。

 残されたのは、レティシアひとり。

 くすりと笑うと、扉へ向き直る。


「……本当に、アルベールには困ったものですわね。イオリさんのこととなると、暴走しがちですし」


 肩をすくめ、すぐ真剣な目つきに。

 扉に手を伸ばす。


「――イオリさん」


 だが、ノックもノブを握ることもしない。ただ扉に手を振れ、優しい声音でその向こうへ声をかけた。


「明日、再編成した騎士団のメンバーでの再遠征が決定いたしましたの」


 一週間も外に出ていないのだ、それも知らないだろう。

 だから、告げておく。


「出立は日の出と同時。場所は王都正門ですわ。お忘れなきよう」


 レティシアは確信に満ちた笑みを浮かべ、ただ一言、扉の向こうへ語りかける。


「――信じておりますわ」


 自分が、皆が見込んだ《聖女》が、こんなところで立ち止まっているはずがない。

 なら、かける言葉はただ『信じている』その一言で十分。だって、彼女は絶対に来るのだから……。


「では、ごきげんよう」


 振り返って、颯爽と去っていく。

 扉の向こうからは、まだ微かに物音が届いていた。


     ◇


 翌日。王都正門前には、大量の馬車が並んでいた。


「あと、そちらの荷物を積み込んでいただければ、積み込みは完了でございます」

「承知いたしました」


 ノエルが積み込みの指示を出し、アルベールら騎士団が指示通りに荷物を馬車へと積み込む。

 淡々と進む作業。最後の荷を積み込んだアルベールは、額に滲んだ汗を拭う。


「では、これですべて支度は整いましたが……」


 その視線が見据える先は、王宮。

 次いで、ノエルもそちらへ目をやる。


「はい、やっぱり今日もイオリさんは――」


 もう出立の準備はすべて整った。あとは、出立の合図を出すだけ。

 だが、ここに伊織の姿はない。

 何度も確認した。しかし、この場に彼女の姿は見えない。


「二人とも、馬車へ乗り込みなさい。出立の時間ですわよ」

「ですが、イオリさんが……」

「大丈夫ですわ。必ず間に合いますもの」

「……え?」


 意味が分からない。

 ノエルが首を捻っていると、背後から駆けてくる足音が響く。振り向く。


 ――そこには、木箱を抱えて駆け込んでくる伊織の姿があった。


「ちょっ……ちょっと待って~……!」

「「イオリさん(様)!?」」


 思わず、二人が目を見開く。

 どうして。疑問を口に出す前に伊織が木箱を足元に置いて、堂々告げた。


「――俺も、遠征に参加しますっ!」


 そして、見せつけるように木箱の蓋を開ける。


「こ、これは……?」


 中身は、どれも透明な液体が入った小瓶ばかり。何かの魔法薬だろうか……?


「これは《聖水》です、すべて」

「なっ……こんな大量に……!?」


 見えているだけで、20本以上はあるだろう。

 ノエルもアルベールも、目を見開いたまま見つめ合う。


「アルベール様は《聖水》をご覧になったことは……?」

「い、いえ。そんな希少なもの、我々のような騎士団が使うことはありえません。浪費してもよいものではありませんし……」

「そ、それを……こんなに……?」


 見たことすらないほど、希少なもの。その価値を知っているからこそ、二人の驚き様は尋常ではなかった。

 と、不意に伊織がよろめく。


「イオリさん!?」


 アルベールが慌てて身体を支える。


「大丈夫ですか、イオリ様!?」

「は、はい。ここ数日、ずっと部屋で魔法薬の生成をしていたもので、少し疲れが出てしまっただけだと思います」

「一週間も、ずっと……!?」


 部屋から出てこなかったのは、寝る間も惜しんで魔法薬をつくり続けていたから。

 その事実に、アルベールは絶句した。

 すると、レティシアが小瓶を持ち上げて朝日に透かす。


「これは、どうやって作りましたの? お教えしたのは、『声を変える魔法薬』の作り方のみ。《聖水》の作り方はお教えしておりませんのに」

「うん。でも、なぜか俺が『声を変える魔法薬』をつくっても、失敗すれば《聖水》になる。だったよね?」

「ええ、その通りですわ。原因はわかりませんが」

「だから、ひたすらに失敗作ができるまでつくり続けた。『声を変える魔法薬』だけを、一週間ずっと」

「――……!? なるほど、そういうことですのね」


 伊織は頬を掻くと、木箱の蓋を閉める。


「……不器用だから、これしか役に立つ方法がわからなかった。でも、これでやっと《聖女》としての務めを果たしに行ける」


 自信を笑みに乗せると、伊織はレティシアをまっすぐ見つめた。


「俺もこれで戦います。《聖女》として」

「ええ、期待しておりますわ、《聖女》様?」


 お互いに無言で見つめ合う。

 そして、視線を外すと、レティシアは振り返って声を張り上げた。


「さあ、出立いたしますわよ――っ!」

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