Episode.06 希望の灯り

 あれから、もう二週間ほどが過ぎた。


「ふぅ……とうとう、今日が俺の……――」


 いつもの化粧室。相変わらず、鏡の中の自分は女性のまま男性に戻る気配はない。

 しかし、鏡に映る自分の装いは、いつもよりも数段豪華なものだった。


 それもそのはず。今日が待ちに待った聖女任命式。その当日なのだ。


「式の段取りも、さっきのリハーサルで確認できた。着飾ったドレスも、思いのほか似合ってる。ちょっと複雑だけど……」


 苦笑いを浮かべ、自分の手のひらを見つめる。


「……あとは、本番で魔法が使えるか。それだけ」


 ノエルに大事な心構えを教えてもらってから、魔法のウデはめきめき上達していった。しかし、せいぜい成功率は6割ほど。お世辞にも成功率が高いとは言えないほどだった。


「本当に大丈夫かなぁ……」


 正直、不安しかない。

 すると、不意に後ろから肩を叩かれた。


「イオリ様、本日のご機嫌はいかが?」

「レティシア様? おはようございます」


 振り向くと、レティシアとノエルが化粧室に入ってきていた。いつの間に……?


「ご自分を鼓舞するのは結構ですが、ノックに気づかないとは注意散漫ですわよ?」

「あっ……」


 言われてみれば、微かにノックの音が聞こえていたような気もする。あれ、気のせいじゃなかったのか……。


「では、参りましょう」

「ええ、行きますわよ、イオリ様」

「へ、どこへ……?」


 目を丸くしていると、レティシアがニヤリと笑ってこう言った。


「――とても楽しいところ、ですわ」


     ◇


 二人に連れ出されたしばらく後、なぜか人込みの中にいた。


「ど、どうして……?」


 とにかく人が多い。王都は毎日祭りでも開いているのかというほどに人が多いとは、耳にしていた。

 だが、それにしても多すぎやしないだろうか……!?


(ま、まともに歩けない……!?)


 道の真ん中で立ち尽くしていると、急にどこかから手を引かれる。

 どうにか一番の密集地帯からは抜け出せたみたいだ。


「あ、ありがとうございますレティ……むぐっ……!」

「いけませんわね、イオリさん? 先ほど伝えたことをもうお忘れに?」


 レティシアに口を(物理的に)塞がれて、ここに来るまでのやりとりを思い出す。


『今から王宮の外へと出ますが、ひとつイオリ様に注意していただきたいことがございますの』

『それは?』

『我々がいると知れば、皆、集まってきてしまうでしょう? ですので、わたくしのこともレティシア……いえ、レティとお呼びなさい!』

『いや、それはさすがに……気が引けるというか、なんというか……』

『いえ、これも混乱を招かぬため。 決して、ノエルだけ呼び捨てで親しげに話しているのが羨ましいなどという理由ではないので、誤解のなきよう』

『……絶対それが理由でしょう、レティシア様』


 ……といったやりとりがあったのだ。

 絶対に冗談だと思っていたのに、本当にやらせるつもりらしい。だが、王族に呼び捨てやため口など、使える気がしない。


(でも、言わないと放してくれなさそうだしなぁ……)


 腕はまだしっかりと握られたまま。適当にはぐらかして逃げることも難しそうだ。


(はぁ、仕方ない。できるだけ平常心……平常心で……)


 深呼吸。一度、唾を飲み込む。


「で、では、『レティ』。い、行きましょ……いや、行こう、か……?」

「ええ、もちろんですわ」


 心臓がバクバクと鳴りやまない。冷や汗までかいてきた。

 本当に式典まで、心臓がもつんだろうか……。さっそく、先行きが不安になってきた。


     ◇


 場所は変わって、中央広場。

 円形の広場には様々な露店が立ち並び、空腹を誘う芳香が風に流されてくる。

 そんな中、広場の一角で俺はぼけーっと青空を見上げていた。


「――『昼食にいたしましょう』と言いながら、ここで一人にされるというのはいったい?」


 レティシアとノエルの二人は、足早に露店の群れに向かっていった。俺一人を広場の食事スペースに放置して。

 ……これは、いわゆる“席取り”要員にされてしまっているのでは?


「まあ、たしかにこの世界に来てから買い物もしたことないから、行っても意味ないんだけどさ……」


 これでも一応、国賓扱いで王宮住まい。

 となれば、必要なものは頼めばすべて調達してくれる。よって、自分で外に出て買い物をする必要がない。


 ――結果、この世界の通貨・物価・買い物の仕方など、なにひとつ知らない“常識知らず”のモンスターが誕生してしまったのだ。


(さすがに、買い物ぐらいひとりでできるようにならないとなぁ……)


 短くため息をこぼす。


「それにしても、ここにいる人たちってもしかして――」


 周りを見回していると、ちょうど二人が帰ってくる。


「ええ、ここにいる者のほとんどが、イオリさんの姿を一目見ようと駆けつけてきた国民たちでしょう」


 ノエルは買ってきた料理をテーブルに置きながら、先ほどの疑問に答えてくれる。

 独り言を聞かれていたと思うと、少し気恥ずかしい。

 でも、こうして集まっている人の多さを見ると、改めて思い知らされる。


「……こんなに期待されているんだね、俺は」


 少し、怖い。

 きっと十や百で済まない数の人間が、俺の一挙手一投足に期待の眼差しを向けてくるのだろう。

 今までの人生で、これほどまでに期待されていたことがあっただろうか。


「大丈夫ですか、イオリさん?」


 そっと、ノエルが手を取ってくれる。

 手に視線を落とすと、微かに震えている。気づかなかった。


「……ちょっと、怖いかな。本当に期待に応えられるのか、失敗してしまわないかって」


 すると、突然、無言を貫いていたレティシアがドンッと両手に持った大量の料理たちをテーブルに置いた。


「では、不安解消のためにも、たんとお召し上がりください! さあっ!!」

「え……話、聞いてた?」

「ええ、午後からの式典が不安で仕方がないのでしょう? なら、不安を跳ねのけるほどに英気を養わねばなりませんわ! 異論ありまして?」

「あ、いや、ないです……」


 なんだか、勢いに押されて頷いてしまった。


「……それにしても、多くない?」


 目の前に広げられた料理の数々を見て、思わず顔を引き攣らせてしまう。

 軽く見積もっても、6~7人前はあるだろう。そんなに二人はお腹が減っていたのだろうか。


「ああ、これはレティシア様だと気づかれた店主様のご厚意で、買わせていただいた量の倍ほどの料理をサービスしてくださいまして……」

「やはり、わたくしの溢れ出る高貴なオーラは少しの変装程度では隠しきれないということですわね!」


 考えがポジティブすぎる。これが王族クオリティか……。


「でも、これ三人がかりでも食べきれる……?」

「食べきれたとしても、この後、ドレスを着ることを考えますと……ええ……」


 そう、ドレスを着るということは、コルセットで腹部を締める必要がある。

 膨れ上がったお腹を締め上げると考えると……。


「うぷっ……」


 まだ食べ始めてもいないのに、思わず口元を押さえてしまう。

 すると、レティシアがとんでもないことを言い始める。


「ふふっ。三人ともコルセットをせずお腹を大きくして式典に現れれば、ある意味話題となるかもしれませんわね」

「か、勘弁してよ……」


 ――『【速報】 王女&聖女、任命式にて妊娠発覚か……!?』


 そんな翌日の朝刊の一面を飾るタイトルが頭に浮かび、身震いする。国民への顔見せの場で、あらぬ誤解を受けるようなことはしたくない。

 かといって、サービスしてもらった手前、あまり残すのも失礼だ。どうしたものか……。


 首を捻っていると、背後から控えめな声が聞こえてくる。


「(ね、ねえ、あの方々ってもしかして……)」

「(ええ、第一王女のレティシア様よ。あとのお二人は護衛の方かしら……?)」


 なるほど。たしかに、俺はまだ顔見せ前だし、ただの護衛にしか見えないのだろう。

 そこで、ふと思い立った。


(あっ、そうだ。その手があったか……!)


 思い立ったらすぐ行動。

 突然立ち上がって、いつの間にか集まっていた見物人たちに向けて大きく声を張り上げた。


「皆様、お食事中に申し訳ありませんが、少しよろしいでしょうか?」


 あまりにも急なことで、レティシアとノエルの二人は目を丸くしている。


「こちらにおられる我が主人は、おそらくあなた方が想像しておられる方で間違いはありません。しかし、我が主人はあまり騒ぎが起こってしまうことを望んではおりません」


 深々と頭を下げ、見物人たちに頼み込む。


「ですので、我が主人がこの場にいることをどうか広めないでいただきたいのです」


 見物人たちも呆気に取られている。

 だが、本当の狙いはここから――。


「そのお礼というわけではございませんが、どうかこちらの料理を皆様でお召し上がりください。我が主人も、皆様が健やかであることを望まれておりますので」


 おお……と周囲から声が漏れる。

 これで、適当にそれっぽい理由をつけて大量の料理を別の人に押し付けることができた。

 近い人から順番に皿を流していくと、一気に皿へと見物人たちが群がっていく。王族から贈られた料理だ。同じ屋台の料理でもありがたみが違うのだろう。


「(上手くやりましたわね、イオリさん?)」


 料理争奪戦を横目に、レティシアがニヤリと笑って顔を寄せてくる。


「(今のうちに、自分たちの分だけ確保して戻りましょう。いつまでもここにいると大変なことになりそうですし……)」

「(あら、イオリさん。敬語に戻っておりますわよ?)」

「(……まだ続けるんですか、それ)」


 盛大にため息をこぼして、人込みの方を見る。

 徐々に人の数が増してきているように思える。たぶん騒ぎを聞きつけた人たちが、さらに集まってきているんだろう。


「ごほん……ノエル、レティ。じゃあ、行こうか?」


 まだ恥ずかしさと申し訳なさの抜けないぎこちない声で、二人に呼びかける。

 すると、二人は顔を合わせて控えめに笑うのだった。


     ◇


 昼食を済ませた後、三人は化粧室にまた戻ってきていた。

 適当に談笑していると、不意にノックの音が来た。


「ご歓談中、失礼いたします。お三方とも、ご準備をよろしくお願いいたします」

「わかったわ、ありがとう」

「いえ、それでは失礼いたします」


 深々と一礼してから去っていく侍女。その背を見送ってから、三人ともほぼ同時に立ち上がる。

 すでに式典用のドレスには着替え済み。化粧もバッチリ。

 あとは会場へ向かうだけ、なのだが……。


(やっぱり、怖いよな……)


 微かに手が震えて、喉も渇いてくる。

 立ち止まってうつむいていると、ふと震える手に二人の手が重ねられた。


「……っ!?」


 驚きに顔を上げると、二人が微笑んでこちらを見つめていた。


「イオリさんは一人ではありません。私たちがついております」

「そうですわ、イオリさん。あなたを笑う者がいたとしたら、即刻その者の首を刎ねて差し上げますの」

「ノエル、レティシア様……」

「そこは『レティ』でよろしくてよ?」


 微笑む二人につられて、自然と笑みが浮かんでくる。

 ……首を刎ねるのはちょっとやりすぎだとは思うけど。

 でも、それほどまでに大切に思われているということだ。ありがたい。


 だから、今の自分にできることは、二人に感謝を伝えることぐらい。


「――ノエル、レティ。二人ともありがとう」


 廊下を出て、会場へ。

 会場までの道中は誰も、一言として話すことはなかった。だが、二人に支えられている感じがして自然と足取りが軽くなっていた。


 そして、ついに式典会場に入った。


「今日、記念すべきこの日に、この場に集まってくれた我が国民の皆に感謝する」


 国王クリストフの声が遠く聞こえてくる。


「さあ、皆に紹介しよう。この度、聖女召喚に携わったこの三名を」


 ……さあ、出番だ。

 一度、喉を鳴らし、三人揃って舞台袖から舞台上へ歩き出す。


「わ……!」


 まず、初めに感じたのは歓声の圧。そして、熱。

 広場へと繰り出したときにもかなりの人がいるように感じていたが、その比じゃない数の人で目の前の景色が埋め尽くされていた。


「まず、こちらの両名から紹介しよう。右手に立つのが、『聖女召喚の儀式』の統括をした我が娘レティシア。左手に立つのが、術式の構築から儀式そのものを一人で行った魔法士団の若きエースである“召喚士”ノエル」


 国王の紹介に合わせて、二人が一歩前へ出て軽くお辞儀をする。

 二人の紹介はいわゆる前座。観衆たちが主役の登場を待ち焦がれているのを、肌で感じる。


「では、本日の主役の紹介へと移らせていただこう」


 国王がこちらを一瞥するのに合わせて、自分も一歩前へ踏み出す。


「こちらが、我々の召喚の声に応えてくださった《聖女》イオリ・サイトウ様である」


 その瞬間、堰を切ったように爆音の歓声が沸き上がった。

 逃げ出したい衝動を抑えつけながら、深々と一礼。すると、徐々に歓声が収まっていく。


 そう、まだ本番はこれからなのだ――。


「では、《聖女》イオリ様。聖火の儀を」


 振り返って、背後にそびえる聖火台を見上げる。


(……大丈夫、これまでしっかりと練習は積んできた)


 ごくりと息を呑み、祈るように両手を組む。


(お願い、今日は絶対に失敗できないんだ……絶対に……!)


 神に縋るような思いで、全神経を集中させていく。


 まず、大気中に広がる《マナ》を感じ取る。……できた。

 次は、その《マナ》を一か所に集める。……これもできた。


(あとは、それに《着火》のイメージを乗せるだけ……っ!)


 手に一層力が入る。


(お願い……)


 会場が静寂に包まれる。


(お願い……っ!)


 手に汗がにじむが、魔法が発動しない。

 目を閉じていてもわかる。観衆たちに動揺が伝播していることが。


(お願い……今日だけは失敗できないんだ……っ!!)


 焦りに支配された頭の中に、ふとノエルの声が響いた。


『イオリさん、あなたは魔法を覚えて何をしたいですか?』


 そうだ、忘れてしまっていた。

 一度頷くと、深く息を吸い込む。


(俺は魔法を覚えて、必要としてくれるこんな多くの人たちの期待に応えたい。だから――)


 イメージとともに、想いを、願いを《マナ》に乗せて空へ。

 ゆっくりと目を開けて聖火台を見上げる。そして、思わず目を見開く。


「聖火が……」


 そこには、未来を明るく照らす《聖火》が、確かに燃えていた――。


「「「「「おおおぉぉぉぉぉ――ッ!!」」」」」


 大地を揺らすほどの大歓声。

 振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべるノエルとレティシアがじっとこちらを見つめていた。


 ――日本のフリーター斎藤伊織はこの時、名実ともに異世界で《聖女》となったのだった。

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