年越しの夜

 あの日ステラとケンカ別れしてから、ステラとは一度も会わず冬休みがきた。…… もうステラは僕には何も言わず一人で中央センドダリアに帰ったと思う。

 ステラとケンカになってしまったことはファーには言えなかった。レオやタイムにも言ってない。けれど、たぶんレオは僕らの様子から察しているかもしれない。レオには僕とステラのためにいろいろ動いてもらったのに申し訳ない気持ちになった。


 冬休みになってレオもタイムも帰省してしまって、男子の寮に残ってるのは僕以外にはあと数人だけみたいだった。冬休みの学校は想像してたよりもずっと寂しい。学校に残ってるはずの他の生徒ともほとんど会うことがない。寮の食堂の食器が使われていたり、時折物音がしたりなどの人の気配があるから他にも誰かいるのだろうとわかるだけだ。


 冬の東の国は寒い。北部ではこの季節は雪に埋まると聞いた。魔法学校は異空間にあるのに季節は『本来の場所』と同じように変わるようになっているらしい。魔法学校の本来の場所とはつまり魔法学校の正門から出たところにある街だが、この辺りでも雪が降る日が毎年何日かはあるそうだ。


 冷えた手に息を吹きかけながら僕は図書館に急いだ。冬休みの間、僕とファーは毎日図書館で会っていた。図書館は暖房の魔法が効いていて過ごしやすいし冬休みの課題も片付けなければならなかったからだ。まあ、僕としてはファーと会う理由があれば何でもよかった。


「ファーごめん、待った?」

「ううん、私もさっき来たところよ。」

「本当にごめん。なぜか今日は起きられなかったんだよ。」

「朝寒いものね。わかるわ。」

「さて、課題も今日で全部終わりそうだよね。」

「そうね、集中して終わらせましょう。」


 残りの課題も半ばといったところで一息つきたかったのか、ファーが手を止めて僕に聞いた。


「ねえ、もうすぐ年越しでしょ?」

「そうだね。街のお店はほとんど閉まっちゃうんだよね。どこかで一緒に過ごせるところがあればいいんだけど。」

「ふふふ。言っておくけど、私たちはまだ学生なんだから変なところはダメよ?」

「わ、わかってるよ。」


「……ねえ、アスラは良かったの? 家に帰らなくて。」

「いいんだよ。家にはステラから言っておいてと頼んだし、ステラが残ったらどうかって言ってくれたんだから。」


 実際はちょっと違うけど、嘘は言っていないと思う。


「私、アスラが残ってくれて嬉しかったわ。年越しは一人だと思ってたから。……まだ何も決めてないなら、年越しの日のデートプランは私が決めてもいい?」


 ファーからそんな提案をされるなんて意外だった。いつも僕からファーを誘うのだ。そのおかげで街のこともよくわかるようになってきていた。新しいお店が出来たとか、どこでどんなイベントがやっているとか、最初はレオから教えてもらっていたけれど、今は僕も街に出たときに自分で探せるくらい成長した。


「わかった。ファーに任せるね。楽しみだな。」

「ふふ、任せて。」



 年越しの当日は、僕がファーに連れられて歩くといういつもと逆のデートになった。買い物をしたいとお店に寄ったと思ったら、カフェに入ったり、本屋で何か目的があるでもなく本を眺めたり、またお店に入って軽く食べたり……。ファーにしてはあまり計画的なデートプランとは思えなくて僕は不思議に思った。

 日が落ちかけた頃、ファーはこの階段を上りたいと言って街の外れの丘の下まで僕を連れてきた。僕はファーに従って丘を登った。丘の上の開けた場所にはいくつかのベンチがあるだけだった。でも、この丘の上からは街がよく見下ろせた。


 赤かった空が次第に暗くなり家々に灯りが点っていく。

 やがて空は星のカーテンが降りたようになって、暗闇が街から離れた丘の上に二人きりの僕らを隠した。僕らを見ている者は誰もいない。僕とファーはちょっと肩が触れるような距離で座って点々と見える街の灯りを眺めていた。

 静かな夜だった。僕には自分のいつもより大きな心臓の音だけが聞こえていた。この緊張の理由はわかってる。僕は期待している。ファーにこの音が聞こえていやしないかと心配になる。だから、言葉を発するとこの魔法のような時間が解けてしまうような気がして僕は何も話せず、ただ隣にいるファーの体温とファーの呼吸を感じて、ただファーの存在だけに集中していた。


 その静寂を破り、ファーが

「今日はここにアスラと来たかったの。」

と言った。


 僕はファーを見た。

 ファーも僕を見る。ファーのその瞳は星の光りを反射して輝いていて僕は本当に綺麗だと思った。


「ファー……、綺麗だ……。」


 僕は衝動を抑えきれなくて、ファーを抱き寄せた。


「アスラ……。」


 ファーの肩を抱いて手を取ってそしてファーに目で訴える。ファーは僕に顔を向けて目を閉じる。僕はファーにキスをした。

 ファーと初めてのキスだ。僕は、ファーの柔らかい唇の感触を、優しく擦れる薄い皮膚の質感を、自分の唇で全力で得ようとしていた。ずっとこの時を待ち焦がれていた。


 これが僕にとっての初めてのキスだ。僕にとって……というのは前世の記憶の中で前世の僕だった賢斗は幼なじみの彼女と何度かキスをしていた。前世の記憶の夢を見る時僕は自分がアスラであることを忘れてしまう。夢の中では自分が賢斗であることを疑わない。僕は前世の夢から覚めてしばらく混乱することもある……。そのため、僕は賢斗の記憶の中でキスの感覚を知ってしまっていたけれど、今この瞬間が正真正銘僕の初めてのキスなんだ。ファーとのキス。ずっとしたかった。

 しかし、僕の中の賢斗が罪悪感を覚えるのを感じる……。それは、僕の行為に抗うかのように、僕が驚くほどに僕の中で大きくなっていった。あの夢の中の彼女に対して感じているというのか。僕は彼女の顔も名前も思い出せないのに。賢斗、ふざけるなよ。これは僕の人生なんだぞ。僕のファーとの間にお前が入り込む隙なんか無いんだぞ。


 僕は唇を離した。ファーは自分の唇にそっと指で触れて下を向いた。

 なんだろう? 賢斗のせいで僕はこの沈黙が気まずいような雰囲気に感じてしまう。


「ファー? ……もしかして嫌だった?」

「……ううん。アスラのキス、素敵だったわ。」


「何を考えてたの?」

「私、アスラの家に一緒に行けたらよかったのかなとふと思って……。」

「今度は一緒に来てよ、ファー。」

「……そうね。」


 しばらくして年明けの鐘の音がゴーンゴーンと街に鳴り響いた。僕らは再び街の夜景の方に目をやった。


「中央……センドダリアか……。」


 鐘の音に紛れて、ファーがそう呟いたのを僕は聞いた気がした。

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