冬眠の準備

「さーて、とりあえず森蟲君の寝る場所を作らないとな……」

 帰宅してすぐ、寛はベランダのドアを開けた。


 太陽はもうほぼ沈み、辺りは暗く寒くなっている。

 冷たい風が吹き込んで来ると、森蟲はさっと頭の葉を閉じ、リンは体に絡まる髪の毛を抑えてカーテンの陰に隠れた。


「ごめんよ、すぐ用意するから待っててな」

「分かったわ」

「ぴぴぃっ!」

 二人とも冷たい風は苦手な様子なので、寛は暖房のスイッチを入れると、ベランダに積んである植木鉢や土を手にした。



 帰宅する道々、リンは森蟲の事を色々と教えてくれた。

 妖精のような不思議な力を持つ彼らは、しかし妖精とはまた違った概念の存在で、分かりやすく言えば意志を持って動き回る植物だと言う。


 栄養分は陽の光と熱が主で、それ以外にも植物が放つ微細なエネルギーを養分にし、水が無ければ弱ってしまう生き物らしい。

 しかし冬になると陽の光が不十分になり、大抵の植物は葉を落として春までエネルギーを放出しなくなるため、冬眠する習慣があるのだと言う。


 困っていたのはこの冬眠の事らしい。

 なにしろ凍えないように、木の葉が降り積もる広葉樹の森で、水源か雨によって適度な水分があり、更には昼になれば陽光が差す暖かい場所が必要なのだ。

 これに加えて、寝ている間に他の生き物に踏まれたり、特に人間と接触しやすい場所では大事になってしまうので、安心して眠れない。


「元々は森に住んでたんだろう? 帰れないのか?」

 当然のごとく元の場所に戻ればいいと寛は思ったのだが、そう言うと森蟲の頭の葉っぱが急に萎れたようになった。


「冬眠の場所って、本当ならもっと早くに探しておくものなの。だけど今年は急に寒くなったから、植物が一斉に眠る準備を始めちゃって、この子も動く力が減ったから慌てて探すことになったらしいわ」

「ああ、つい最近までは暑かったもんな。夏野菜も最近まで実ってたし」

 相槌を打つと、リンもうんうんと何度も頷いた。花の妖精である彼女にも、色々と影響はあったのだろう。


「でも、ちょっと前にすごく強い風が吹いたでしょ?こんな時期には吹かないような、真夏の嵐みたいな風」

「そうだね、急にまた季節が戻ったみたいな」

 その風の影響で紅葉した楓が飛び散り、今日の大掃除になった訳である。それほどひどい、季節外れの台風のような風だったのだ。


「あれで吹き飛ばされて、山から転がり落ちちゃったそうよ。ここでは植物が少ないし、あってももう弱ってるし、帰るのに必要なエネルギーが摂れないのよ」

「ぴぃ……」

「なるほどなぁ。そりゃ確かに大変だ」


 気の毒になって、うなだれるように萎れた葉っぱを撫でてやると、森蟲は小さな丸い目をぱっちり開けて寛を見上げた。


 迷子になった小さな子供が、助けてくれそうな大人の顔をじっと見るようなその仕草に、寛は思わず微笑んだ。

「大丈夫だよ、そういう事ならうちに来れば、たぶん何とかなるから」

 


 そう、寛は何も考えずに二人を招いた訳ではない。

 アパートの角部屋に当たる彼の部屋は、運よく出窓まで備えていたので、寛はべランダにも室内にもあれこれと植物を植えて育てていた。

 部屋には手ごろな植木鉢やプランター、土や砂利や石灰なども置いていたし、今日の作業で手に入った落ち葉も一部は鞄に入れている。


 普段は動き回る生き物とは言え、冬眠するという事は、その間の森蟲はただの植物と変わりない状態になる訳だ。

 自力では、安全に快適に眠れる場所を見つけられないのなら、それに似た環境を整えて、他の植物と同様に世話をすればいい。


 もちろん森蟲などという生き物は初めて見るし、冬眠する生き物の世話など寛には初めてだ。

 しかしそこは幸い、事情の分かりそうな妖精が一緒に来てくれている。



「まぁ、とりあえずこんなものかな」

 夏の間は朝顔を植えていた植木鉢の底にネットを敷き、水が溜まらないよう砂利を入れ、鉢の六割程まで腐葉土を入れ、更にその上に持って帰った落ち葉を千切りながら敷き詰める。

 何かを植えるならもっと土を入れるところだが、落ち葉は布団の代わりなのだろう、と葉っぱを多めに入れて、水差しで少し水を掛けてみた。

 寝ている間に腐ってしまっては可哀想なので、水が程よく抜けていく様子を確かめて一人頷く。これでひとまずは大丈夫だろう。


 寛がベランダの戸を開け、鉢を抱えて部屋へと戻ると、森蟲もリンもベランダの方を向いたままじっと待っていた。


 二人とも不安なのだろう。それはそうだ、と寛は苦笑した。


 森蟲はいきなり慣れない場所に飛ばされてきて、安心して眠れる場所も見つからずにいたのだし、花の妖精だと言うリンも、本来は人間の家ではなく自然の中で過ごしているのだろう。

 それが揃って初対面の人間の家に招かれているのだから、緊張するのは当たり前だ。


 しかし抱えて来た鉢を出窓の水受け皿に置き、森蟲を両手で抱き上げてその上に乗せると、ぱーっと頭の葉っぱが嬉しそうに広がった。


「ぴぴぴぴ!ぴぴっぴぴー!」

「へぇ、なかなかいいじゃない。あとはヒロシが時々水を掛けてくれれば、この子も安心して寝てられるわね」

 心なしかリンも嬉しそうな顔をして、早速落ち葉に潜り込む森蟲の頭を撫でた。

 花の妖精と言うからには、彼女は植物の危難には敏感なのだろう。寛から見ればどちらかと言えば動物のような森蟲も、彼女にとっては植物の延長のようだ。

 


 やがて目から下を完全に植木鉢に潜り込ませた森蟲は、「ぴぃ!」と一声感謝するように鳴くと、ぱちりと目を閉じた。

「これでもう冬眠か。早いな」

 寛が笑いながらそう言うと、不意に目の前に回り込んで来たリンに、ぴんと小さな指で額を弾かれた。


「あのね、これでお終いみたいに言ってるけど、ヒロシはこれから春までが大変なのよ。分かってる? その髭みたいにこの子を放置してたら、私は承知しないからね」


 急にキッとこちらを睨むように、琥珀色の瞳を真っすぐ向けてきたリンに、寛は目を見開いた。

 どうして髭を伸ばしたままなのか、などという話は一言も喋っていないのに、リンの言葉は核心を突いていたからだ。


「ねぇリンさん、少しだけ俺の話、聞いてくれる? 話って言うか、たぶん愚痴になるけど」

「……いいわよ。それでちゃんと、あの子の面倒を見てくれるなら」

 頷いたリンは、すうっと音も無く宙に浮きあがると、寛の肩の上に乗った。

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