第15話 呪いの正体

「襲撃を受けたと聞きましたが、タマキさんは無事ですか?」


 寝不足と魔力不足の体を叱咤しったして冒険者ギルドに駆け付けたギムレストは、環の部屋に入るなり開口一番にそう聞いた。


 奥のカウチソファに足を伸ばして座らされた環が顔を上げる。表情は普通だが、顔色が白く血の気が引いている。

 スカートが膝上までめくり上げられた右足の膝と足首に、薬草の浸出液に染まった緑色の布が当てられていた。状態を確かめたいが、素肌がむき出しになっている女性に近付くのはためらわれる。


「怪我を負ったのですか?」


 質問に答えてくれたのは、足を組んで椅子に座ったマディリエだった。


「転んでひねっただけだから大丈夫よ」

「それはよかった。おや、おさ? どうかなさいましたか?」


 環に背を向ける位置でテーブルに着いているヴィラードが落ち着きがない。その様子をギムレストはいぶかしんだ。


「いや、なにもないが? 気のせいだ。帰っていたところすまなかった。掛けてくれ」


 と言いながらも、どこかソワソワしていてどう見てもおかしい。マディリエに視線で問うと、冷気が漂ってきそうな冷え切った目つきになっていた。


「……放っておいていいわ。興奮が収まってないだけだから」

「興奮?」


 要領を得ない回答だが、これ以上答える気はなさそうだ。同じように席に着いているカイラムを見ると、困った顔が返ってきた。


「なんでかわからんけど、はじけたらしいんだわ」

「弾けた……。そうですか……」


 詳細は不明だが、どうやら女性にまつわる悪癖が出ているようだ。今の時点で考えられる相手は環しかいないだろう。

 何が起きたのか気になるが、マディリエが話さないなら必要ない情報ということだ。ギムレストはそう判断して腰を下ろした。


おさ、始めてください」


 冷たい声でマディリエがヴィラードを促した。ヴィラードが居心地悪そうに咳払いをする。


「あー、エホン、オホン、ん、んん……」

「水で頭冷やします? 手伝ってあげますよ」


 マディリエの頭から冷水をぶっかけてやる、という申し出に、ヴィラードは急いで首を振った。


「いやいや、大丈夫だ。ははは。あー、ギムレスト。タマキが襲撃を受けたことは聞いたな?」

「ええ、ガスティンに。詳細は聞いていませんが」

「マディリエ。ギムレストに襲撃前の様子から話してくれ」

「わかりました」


 マディリエが話し始める。


「タマキが外の空気を吸いたいと言うので、裏庭の人気が無くなってから出たのよ。その時点では誰もいなかったんだけど、いきなり空気が変わって……空が日没直前みたいになって、風がなくなったのよね。

 同時に塀の方から妙な気配がしたと思ったら、落ちてた木影の中から刺客が出てきたのよ。カイの方はどう?」


 カイラムがうなずいて同意を示す。


「俺の方もマーティと同じ。裏門の近くの木の影が動いてアイツが出てきたな」

「やっぱり同じね」

「……影が刺客になったということですか?」


 マディリエが肯定する。


「そう。黒いマントと板金鎧に、顔にまでご丁寧に黒い仮面をつけてたわ。問答無用でタマキを狙ってたから、退路を確保して先にタマキだけ逃がそうとしたのよ。そうしたら、その退路にもう一人影から刺客が現れてね、あれは反則よ。

 ともかく、そこでおさが来てくれたから良かったものの、あと少し遅かったら……」


 そこまで話したマディリエが、気づいたように言い直す。


「ああ、違うわね。おさは間に合わなかったはずなのよ。

 タマキを斬ろうとした刺客が、何故だか途中で動きを止めたんだったわ。そこにおさが飛び込んで来たのよ。

 そのあとはおさの魔剣で刺客を倒して、奴らは影に溶けて消えたわ。体も鎧も剣も全てね。妙な色の空も、奴らが消えたら元に戻ったわね。……こんなところよ」

「俺が到着した時に奴が中途半端な姿勢だったのは、動きを止めていたからか」


 ヴィラードが得心がいったような顔をした。


「影からの刺客……」

「ギムレスト。あいつらは帝国の幽鬼という魔物だ」


 記憶を探るギムレストに、ようやく落ち着いた様子のヴィラードが答えをくれた。仕事に集中するとヴィラードは大抵まともになる。

 ギムレストはヴィラードを見た。


「帝国の幽鬼……暗黒魔術の傀儡かいらい、かつてのタルギーレの真紅の騎士団ですか」

「騎士? って人間が魔物になったってことか?」


 疑問の声を上げたのはカイラムだった。


「魔物とは、闇の月の魔力に支配される者たちの総称です。

 通常、魔物といえば獣の姿に似ているか、明らかに異形の姿であることが多いのですが、元は人であった魔物もいます。

 人が魔の存在になると自我と寿命がなくなり、闇の月のしもべとなって、相手かまわず殺戮さつりくをくり返します。魔力を帯びた武器以外では、簡単に命を絶つことはできません」

「魔剣かぁ、あれ、いいよなぁ……」


 カイラムが独り言を呟く。マディリエが腕を組んだ。


「さっきの奴らは明確にタマキを狙っていたわよ。相手かまわずっていう条件には当てはまらないわ」

「帝国の幽鬼の場合は、暗黒魔術によって魔物になると言われています。彼らは作り主の忠実な騎士となり、命ぜられた使命を果たすためだけに行動します」

「暗黒魔術師の騎士ってことは、神殿にいたタルギーレの魔術師が操っているというわけ?」

「さて、それはどうでしょうか……」

「違うの?」


 視線を下げて考えを巡らせ始めたギムレストに、マディリエが訝し気な顔をする。そこにヴィラードが割って入った。


「俺の記憶では、帝国の幽鬼は神殿に遺された帝国時代のタルギーレの呪いだったはずだ。俺も相手をしたのは騎士団に在籍していたときの一度だけしかない」

「おや、経験があるのですか?」


 ギムレストは少し驚きながら言った。帝国の幽鬼に関しては不明なことが多い。ヴィラードは貴重な体験をしたといえる。


「ああ。タルギーレとの繋がりが疑われる男を取り調べていたときだ。

 黄昏時になると奴らは現れて、その男を狙った。牢にいても尋問の最中でもだ。毎晩のように現れて、次第に数が増えていくんだ」

「毎晩っすか!?」

「ああ」


 驚くカイラムにヴィラードはうなずいた。


「それでどうなったんですか?」


 マディリエの問いにヴィラードは苦い顔になる。


「死んだよ」

「死んだ?」

「ああ。ある朝、俺が交代のために牢のある建物に入ると死んでいた。その男も、牢番についていた五人の騎士も、全員がな」

「騎士が、五人も?」


 そう言ってマディリエは絶句した。


「そうだ。奴らが現れ始めてからは広い地下室をその男の牢代わりにしていたんだ。そこに、帝国の幽鬼が倍以上は現れても充分対応できる手練れの騎士を五人配置していた。それでもやられた。その晩を最後に帝国の幽鬼は現れなくなった」

「すげぇ……」


 カイラムはあんぐりと口を開けている。

 騎士の任務の一つに魔物の討伐がある。

 突然魔物が湧き出るようにあふれ出るときには、騎士団は何日も討伐に明け暮れることになるので、騎士は魔物の相手は慣れているのだ。同時に魔物の恐ろしさも知っている。油断があったとは思えない。


「その男が狙われていた理由は判明したのですか?」


 ギムレストの問いかけにヴィラードは首を振った。


「詳細は不明なままだ。その男はやはりタルギーレと繋がっていて、閉ざされていた神殿で暗黒魔術を行っていたようだ、というところまではわかったんだがな」

「……それだと、その男の口封じのために暗黒魔術師が仕向けたって感じがしますけど」

「いえ、おそらく違うでしょう」


 マディリエのヴィラードに向かった発言を、ギムレストが否定した。


「帝国の幽鬼は六大魔時代のタルギーレの騎士です。その騎士を魔物に変えたのは当時の暗黒魔術師です。過去の少ない事例から、帝国の幽鬼が現れるのは神殿で何らかの儀式が行われた場合だと言われています。

 先ほどおさがおっしゃったように、神殿に遺されていた呪いが発動したのでしょう」

「やはりそうか……」


 ヴィラードは厳しい顔になった。カイラムが身を乗り出してギムレストに問いかける。


「それじゃあ、これから毎晩あいつらが出てくるってことか?」

「そう考えるのが妥当でしょう」

「マジかぁ……」


 カイラムは椅子の背もたれに寄りかかると、腕を組んで天井を見上げた。


「ギムレスト。質問があるんだけど、いいかしら?」

「どうぞ、マディリエ」


 ギムレストはうなずいて、マディリエを促した。


「タマキはタルギーレの儀式に関わったから、神殿の呪いを受けたということね?」

「ええ、そうです」

「呪いの正体がわかったなら、解呪することはできないの?」

「帝国の幽鬼に関する呪いはほとんど解明されていないのです。六大魔時代の呪いは精緻にして緻密。芸術の域にあるといっても過言ではありません。

 複雑に絡み合った術式を紐解いていくには、膨大な時が必要になるでしょう。それに、少々気になることがありまして……」

「なによ?」

「……」


 ギムレストはマディリエには答えずに視線を下げて思案を始めた。どうにも腑に落ちないことがある。

 呼び出されてばかりで遅々として解析が進まない環の耳飾りの呪いだが、わずかに読み取れた内容は生贄の呪いだ。帝国の幽鬼の呪いとは別物の気がする。


(……状況から考えると、タルギーレの魔術師による儀式でタマキさんには生贄の呪いがかかり、同時にその儀式によって神殿の呪いが発動したと考えられますが、身の内に二つの呪いを宿すことなど可能でしょうか……)


 ギムレストは自問する。

 呪いというのは、人を死に至らしめるほど強力な魔術だ。一つ間違えば術者も死ぬ。そんな呪いを二つも抱えたら、肉体が耐え切れずに死ぬか、耐えられたとしても精神の方が崩壊しそうなものだ。 

 しかし環の様子は顔色が悪いくらいで、言動に呪いの影響を受けているようには見受けられない。


(……異界の民は呪いの耐性を持っている? それをタルギーレは知っていて召喚した? いや、そうであればタマキさんを置いて行くはずがない。

 あるいは仮に、タルギーレの儀式は中断したのではなく完遂していたとして、タマキさんを置いて行く理由は? 例えば連れて歩く必要がない状態になっていて、呪いの侵食を待てば良いだけだとしたら、もはや呪いは外部から干渉することが出来ない段階まで進んでいるから置き去りにした、という可能性もありますが……。

 しかしそれだと、仲違いをしていた説明がつかない……)


 ギムレストは息をついた。判断をするための情報が圧倒的に不足している。 

 タルギーレの魔術師が使用していた水晶に残る痕跡が読み取れれば手がかりになるのだが、どんな目隠しの手法を使っているのか、少しも読み取ることが出来なかった。


 環の耳飾りの方も読めたのはわずかで、少しでも解析を進めようとしたらギルドに呼び出される。あれもこれもと重なっては体力も魔力も足りない。

 水晶の解析に一人、耳飾りの呪いに一人、翻訳魔術行使に一人、万年筆の研究用に一人必要だ。


(マンネンヒツに関してはじっくり観察したいですが、残念ながら時間が取れるのは先のようですね)


 タルギーレから環をかくまって時間を稼ぎ、呪いの解析を進める腹積もりだったのだが、帝国の幽鬼が現れた以上、悠長にしている時間は無い。環が死ぬまで帝国の幽鬼は現れ続けるだろう。


(参りましたね……タマキさんが見たという儀式陣の一部でもわかれば、判断の材料になるのですが……)


「……レスト、ギムレスト」

 

 ヴィラードの呼び声にギムレストは顔を上げた。周囲を忘れて考えに没頭していたようだ。


「ああ、失礼しました。つい考え込んでしまいました」

「それで何かわかったことはあるか?」


 ギムレストは首を振る。


「残念ですが情報が足りません。まだ呪いの解析も出来ていないので」

「そうか……」


 再びギムレストが考えに集中しようとしていると、観察眼に定評のあるマディリエが環を見て言った。


「ギムレスト。タマキが何か言いたそうな顔をしてるんだけど」

「おや、なんでしょう? 今は翻訳術は難しいのですが……」


 確かに環が膝の上に手帳を開いてギムレストを見ている。近い将来、ギムレストの物になるシャーペンを持っていた。


「タマキさん、どうなさいましたか?」


 素足を極力視界に入れないよう配慮しながら近付き、ソファの横に膝をつく。環が差し出した手帳を見て、ギムレストは驚いた。


「これは……」


 広げられたページの片側に、ギムレストが欲していた儀式陣の一部が描かれていた。大きな円と、その四方を小さな円が取り囲んでいる図だ。

 もう片側のページには剣の柄頭が描かれていて、その柄頭の絵から引かれた線が、儀式陣の中心の大きな円に繋がっている。


 柄頭の模様は上下に別れており、下部には台形が描かれ、その中に向かい合った翼がある。上部に描かれた大樹には葉がなく、枝の間には五枚の花弁を持つ花が、根の下には無数の星が描かれている。


 環はその紋様に、さらに書き込みを加えていた。

 台形と大樹をそれぞれ丸で囲み、儀式陣のページに線で引っ張っている。台形の線の先に描かれているのは、形は同じ台形でも中の図は翼ではなく三つの記号だった。

 大樹の線の先には、大樹の代わりに細い燭台が描かれている。枝は左右に三本ずつで、一見すると木に見えないこともない。


(まさか――)


 ある可能性に思い至ったギムレストは、環の顔色の悪さにも見当がついてしまった。


「……翻訳術を使った方が良さそうですね。できれば使いたくありませんでしたが……」


 そう言って自分の魔力に意識を向ける。かき集めれば、わずかな時間であれば、なんとかなりそうだった。使ってしまうと解析に回す魔力が残らないが、生じた疑念をはっきりさせることの方が重要だ。


 カイラムたちが横から手帳を覗き込んでくる。


「あーこれ、刺客が持ってた剣だ」

「よく憶えてたわね」

「消えるまで見てたからな。残ったら貰おうかと思ってさ」

「あんたには軽いんじゃないの?」

「いやー魔力付きだったらいいなーと思って」

「そういうこと……。確かに必要かもしれないわね」

「だろー?」


 カイラムとマディリエが呑気な会話を交わしている。


「なるほど、刺客が持っていたものを見て、思い出したと……」


 ギムレストは環に向かって話しかける。


「タマキさん、これから翻訳術を使いますので、申し訳ありませんが、あなたに触れることを許してください」


 言葉が通じていないことは承知で、これから働く非礼を詫びた。


 ギムレストは青銀色の髪の毛を一本引き抜き、両手の平で持つ。目を閉じて深く息を吸い込み、静かに静かに吐き出した。

 体中の魔力が沸き立つのを感じる。

 もう一度、深く、静かな呼吸を繰り返し、手に持った髪の毛に魔力を導いた。水が流れるように、魔力が流れていく。


 ギムレストは目を開いて環と視線を合わせる。環の黒い瞳に、金色の魔力に染まった自分の目が映っていた。

 ギムレストは環を見つめながら口を開いた。


『白いマントの星の乙女よ。

 貴女あなたの愛を求めて私はさまよう。

 どうか微笑んでおくれ、闇の森を照らす月灯りのように』


 ギムレストは妖精語で滑らかに歌い出した。吟遊詩人も裸足で逃げ出すような、甘い美声が室内に響く。

 驚きに目をみはる環の左手を取り、薬指に魔力を帯びた己の髪を一度結ぶ。


『輝く髪の星の乙女よ。

 貴女あなたの黄金の髪が花の風に舞い、私をまどわせる。

 風よどうか伝えておくれ、狂おしいほどの私の想いを』


 ギムレストは迷いのない手つきで、細長い花弁に見える結び目をいくつも編んでいく。


貴女あなたは知っているだろうか、星空を抱くその瞳に見つめられるだけで、私の胸が喜びで満ちあふれることを』


 人差し指を伸ばして、環の額に妖精王の印をなぞった。


『そのかぐわしい花のくちびるの囁きが私の胸を焦がし、甘い口づけに私は酔いしれる』


 そっと環の唇に人差し指を押し当てると、環が驚いた顔をして固まった。ギムレストは構わずに環の左手を持ち上げて、花びらの形に結ばれた髪の毛に唇を寄せる。


『百合のように白く、あかつきのように美しく、雪のように冷たい星の女王よ。

 貴女あなたと愛の歌をわすために、私の全てを捧げよう。

 我が名はペラルリング。四方よもの春を統べる妖精の王なり』


 通称、妖精王の指輪を結んだ薬指に静かに口づけて、最後の仕上げに魔力を注いだ。残り少ない魔力が吸い取られ、ぐらりと目眩がする。


『ぃっ』


 環が息を飲む声が聞こえる。ゆっくり目を上げると、蒼白だった顔にかすかに血の気を昇らせた環がいた。


 ギムレストは内心で苦笑いをした。本当はこの翻訳魔術をじかにやりたくはなかった。

 この魔術は妖精が使う魔法をもとに作られていて、どんな種族とも言葉を通わせることができる。歌にあるように、恋多き妖精王が言葉の通じぬ種族に恋したときに作った魔法だと伝えられている。


 大変便利なのだが問題が二つ。

 まず、魔力甚大じんだいな妖精王の魔法だけあって、大容量の魔力を使う。妖精族は魔法の効率など考えない。人間などとは比べ物にならない魔力を有していて、魔力の節約など必要ないからだ。


 そして二つ目が大問題で、方々ほうぼうにあらぬ誤解を生じてしまうことにあった。

 愛を乞う歌で魔法を紡ぎ、最後の口づけで発動する。一連の行為はどうみても求愛行為にしか見えない。

 年齢、性別、種族を問わず、この方法を使用することは、時に術者と被術者の双方にとって悪夢となり得る。


 過去の偉大な魔術師たちが、この難問解決に挑んできたが、歌の韻律いんりつを無くせば発動せず、言葉を変えても発動しなかった。


 唯一の救いは、魔術師以外に歌の内容を理解出来る者が少ないということだ。妖精の言語に精通している者は滅多にいない。


 そして、目を覆いたくなるような涙ぐましい実験の積み重ねにより、改善できた点がある。

 それが指輪への口づけで発動するところだ。

 初期においては、実際に口移しで魔力を流し込んでいたという、背筋の震える話を聞いた。もう一度繰り返すが、年齢、性別、種族問わずだ。


 悲劇の時を経て、魔鉱石に翻訳魔術を移し入れる手法を編み出した魔術師は、世界中の魔術師たちから拍手喝采を浴びたという。


 今日こんにちでは魔鉱石に翻訳魔術を込めることが主流になっているが、魔鉱石が手元にない時や、魔鉱石を満たす最低限の魔力が残っていないときは、こうしてじかに相手に魔術をかけるしかない。


 ギムレストは目眩をこらえて、恥ずかしさに頬を染める環に微笑んだ。

 本音を言えばギムレストだって恥ずかしい。

 理解出来ないとはいえ、人前で求愛の歌を披露した挙句に、口づけまですることに抵抗はもちろんある。しかし、ここで二人で照れていると収拾がつかなくなるので平静を心がけている。

 魔術師たるもの、この程度で動揺をあらわにするようでは務まらないのだ。


「申し訳ございません。驚かせてしまいましたね」

『ギ、ギムレストさん。い、今のは、その、一体……』


 環が自由な方の手で口元を覆う。困り切った顔をしていた。


「今のは翻訳魔術です。時間がないので詳細は省きますが、ほかに手段がありませんでした」

『翻訳……、あ、そういえば、言葉がわかる……』

「突然の非礼はお詫びします」

『あ、いえ、そういう事情なら仕方ありません。謝らないでください』

「大丈夫ですか? まだ顔が赤いですが」

『ご、ごめんなさい。慣れていないだけです。気にしないでください』


 環は居たたまれなさそうに顔を伏せた。一生懸命呼吸を繰り返して、手で顔をあおいでいる。


「タマキさん。今は一ときも話す時間を維持できませんので、申し訳ありませんが話を進めさせていただきます」

『あの……手を、離して頂くことは?』

「重ね重ね申し訳ありませんが、それは出来ません。その指輪に触れている必要があるのです。もう一つ申し上げると、今、あなたの言葉は僕にしか通じません」

『そ……そうなんですか……』


 ギムレストは環の左手を握ったまま離さない。というより離せない。直接魔力を流し込まないこの方法は、時間切れになるまで、ずっと妖精王の指輪に触れて魔力を繋いでいる必要がある。


 ようやく自分を立て直した環が顔を上げ、ギムレストを見て気遣わしげな顔になった。


『顔色が良くないですね』


 自分より顔色の悪い環に心配され、ギムレストは少し笑った。


「魔力が底を尽きかけているだけです」


 それを聞いた環がソファの背もたれへと身を寄せる。カイラムが寝られるほど奥行きがあるため、腰かける程度の余裕が出来た。


『どうぞ座ってください』

「……それでは、失礼します」


 膝をついた姿勢を続けるのはつらいものがあったため、ありがたく環の誘いを受けることにする。至近距離で向かい合うように座り手を握るという誤解を生みそうな体勢だが、ギムレストの表情に甘さはなかった。


「タマキさん、この絵の説明をしていただけますか?」


 ギムレストは環の持つ手帳のページを指差して尋ねた。


『この剣の飾りに見覚えがあって、あの神殿の地下で、空中に浮いていた儀式紋と形が似ていると気づいたんです。よくよく考えてみたら中身は結構違ったので、思い出せる限りで描き直してみました』

「それがこちらの絵の方ですね?」


 ギムレストが儀式陣のページに描かれた絵を指すと、環はうなずいた。


『そうです。でも、台座っぽい方の中身がちょっとあやふやで……』

「……もしや、このような文字ではなかったですか?」


 ギムレストは環が描いた三つの記号の上で、ゆっくり指を動かした。その動きをじっと目で追っていた環が、小さく『あ』と声を上げた。


『……たぶん、そうだったと思います』

「なるほど……」


 ギムレストはうなずいた。ギムレストが描いたのは、六大魔を示す古い文字だった。ギムレストは次に、その上の絵を指した。


「それでは、上側は大樹ではなく、燭台になっていたのですね?」


 そう尋ねると環は目細めて、しばし絵を見つめてからうなずく。


『はい、確かそうでした』

「よくわかりました」


 ギムレストは一度静かに目蓋を閉ざした。


(……あがないの祭壇と、奉献ほうけんの燭台……)


 再び目を上げたギムレストは、憐憫れんびんの情が出ないよう細心の注意を払って微笑んだ。


「タマキさん、ありがとうございました」

『呪いの解析に役立ちますか?』

「もちろんです。大変助かりました」

『よかった……。よろしくお願いします』


 安堵したように微笑む環に向かって、すでに手遅れだと告げることは出来なかった。


「タマキさん、最後に一つ。刺客が攻撃を途中で止めた理由ですが、おわかりですか?」


 環は手帳に視線を落としながら考え込んだ。


『……いいえ。私も、もう斬られると思って覚悟したんですけど、何故か止まりましたね。理由に心当たりはありません』

「そうですか、わかりました。

 それではタマキさん、とても有益な情報をありがとうございました。今日はもう、ゆっくり休んでください」

『いいんですか?』

「ええ。お疲れでしょう」


 ギムレストは環をねぎらってからマディリエに声をかけた。


「マディリエ。タマキさんを寝室へ案内してください」


 マディリエが近付いて来て、ギムレストは場所を譲るために席を立った。魔力不足による立ち眩みで一瞬視界が暗くなったが慎重に移動する。おぼつかない足取りのギムレストの背をヴィラードが支えてくれた。


「もう怪我は治ってるわね。それじゃ部屋に行きましょうか」


 マディリエが薬草の当て布をカイラムに渡し、環を立たせた。


『それじゃあ、ギムレストさん、皆さん、お先に休ませてもらいます』


 全員に向かって丁寧に頭を下げた環は、ヴィラードの前で止まると深く一礼した。


『ヴィラードさん。危ないところを助けて頂いて本当にありがとうございました……ええと「あり、がと」』


 ヴィラードに向かって何かを告げた環が、最後に共通語で伝えたお礼の言葉を聞いて、ヴィラードが嬉しそうな表情になる。


「君が無事で本当に良かった、タマキ」

「あり、がと」


 人の良い顔で微笑みながらお礼をくり返した環は、最後にもう一度頭を下げてから、寝室へ促すマディリエに続いて背を向ける。

 穏やかな微笑みで応じていたギムレストは、環が背を向けると微笑みを消し、わずかに顔を曇らせた。


(お気の毒に)


 環にかけられた生贄の呪い。

 それは六大魔への生贄の呪いだった。

 六大魔の魔力の源とされる闇の月を通して六大魔へ生贄を捧げ、その命の見返りに六大魔の力を得るとされる。

 捧げられた生贄の身体からだを流れていた血は闇の月へ流れ、代わりに闇の月の魔力がその身を巡るようになる。隅々まで闇の月の魔力で満たされたとき、生贄の身体からだは魔物と成り果て、その魂は闇の月に繋がれて、身体からだが破壊されようとも、魂は永遠に安らぐことがない。

 なにより、この呪いを途中で止める手段は見出されていない。


(タルギーレは何が目的で六大魔への生贄を?)


 ギムレストの胸中に疑問が生じる。六大魔がいない現在では、この呪いはただ闇の月へ生贄を捧げるだけにしかならない。

 環の顔色の悪さは、すでに魔物化が始まっている証しだろう。今はまだ動けているが、やがて起き上がることも出来なくなる。そしてある時突然、魔物となって人を襲うのだ。

 仮に生贄の呪いを止められたとしても、もう一つの呪いである帝国の幽鬼が、地の果てまで環を追い続ける。


 いくつか疑問点は残っている。

 一つはタルギーレが生贄の儀式を行った真の目的。意味のない儀式を行うためにわざわざエルー神殿まで来たとは思えない。

 二つ目は、環が二つの呪いを宿しているのに精神に異常をきたすこともなく過ごしていること。

 三つ目は帝国の幽鬼が襲撃の途中で手を止めた理由。

 そして、環が目撃した儀式陣から覗いていた存在についてだ。


 だが、今はこの謎を解いている時間の余裕はないだろう。すぐにでもヴィラードと今後の方針を話し合わなければならない。

 場合によっては、環が人であるうちに安らかな死を与えてやる判断を下すことになるかもしれない。


 魔物になるが早いか、帝国の幽鬼に殺される方が早いか、その前にギムレストたちに殺されるか、可哀想だが環の前にある未来はこの三つだ。 


 ギムレストは環を待ち受ける過酷な未来を思って、静かに瞑目めいもくした。

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