第9話 作戦会議

 環が部屋に戻った後も、ヴィラード達は会議室に留まっていた。ヴィラードの真向かいのギムレストが、非難がましい目でヴィラードを見ている。


「さっきからなんなんだ? 言っていいんだぞ?」

「それでは……。よくも僕が作った大事な時間をナイフ談議で潰してくれましたね」


 恨みのこもった低い声がした。くっきりした隈を刻んだ目を半眼にしている。


「人相書きと所持品の検査を含めても交渉が出来るよう、魔力を根こそぎ注ぎ込んだというのに」

「交渉? なんの交渉だ? 聞いてないぞ?」

「タマキさんのマンネンヒツを譲ってもらう交渉ですよ」

「マンネ? ああ……そうか! マディリエの言っていたどうしても欲しいものができたというのは、あのペンのことか」


 珍しくギムレストが女性に執着していると思ったら、執着していたのは女性ではなく持ち物の方だったとは。

 

「マディリエの言うようにお前らしいというか……。言っておくが、あれはお前が自滅しただけだぞ。タマキにも怒られていただろうに。公私混同するな、とな」


 ヴィラードが言うと、ギムレストは不服そうな顔をした。


「それはおさの方ではないですか? 目の色変えて長々とナイフについて根掘り葉掘り……。タマキさんの反応を確認するだけにしては執拗しつようでしたね?」

「あー、あれはな、危険な武器かどうかの判断に必要だったんだ。いや、実に有益だった。はっはっは」


 ヴィラードは視線を外してうそぶいた。ギムレストの言う通り、様々な質問を次々に投げかけたのは環の反応を見るためだった。

 知っていることを話すとき、知らないことを聞かれたときの反応、憶測で話すときの癖や言葉の選び方などを知るための問いかけを行っていた。

 ヴィラードの意図など知る由もない環が、意地の悪い質問を疑うことなく一生懸命頭を悩ませて思い出している姿を、疲労しているだろうに申し訳ないと思いながら観察していた。

 おかげで本命の人相書きのときに、当て推量ではなく記憶を思い返しながら話しているという確信を得られた。出来上がりを確認した環の反応からも、かなり精度の高い出来になっていることがわかる。


 ギムレストは残念そうにため息をつく。


「あの無駄に多い質問時間さえ無ければ、タマキさんと交渉する時間も取れたでしょうに……」

「お前がそんなに興味を持つなんて初めてじゃないか? すごい魔道具なのか?」

「魔道具? さあ、存じません。あの完璧な造形美の前では、魔力の有無など些細な事です」

「何を言ってる。些細じゃないだろう。おい、まさか確認していないのか?」

「していませんね。先ほど申し上げたでしょう、翻訳ために魔力を根こそぎ注ぎ込んだ、と。僕は今日と明日は大きな魔術を行使できません」


 しれっとしたギムレストにヴィラードが目を剥く。


「なんのために一緒に馬車に乗せたと思ってるんだ? あれだけ時間があって、やったのは耳飾りの解析だけか!?」

「お言葉ですが、あの呪いは特殊です。読み取れたのは全体の一部に過ぎず、解析には膨大な時を要します。ですから、呪いを受けた本人から事情を詳細に聞き出すことの方が優先すると、マンネンヒツを見たときに判断しました」

「もっともらしい事を言ってるが、本音が隠しきれとらんぞ」

「タマキさんの所持品には呪いは掛かっていないと思いますよ。身に着けていないと意味がありませんから」

「それを確認して欲しかったんだがな。……おい、今、明日は魔術を使えないと言ったな。それでは明日はタマキと話すことは……」

「無理です。ネックレスの効果もそろそろ切れるでしょう」

「それを早く言えっ!」


 ギムレストが平然と肯定したことを受けて、ヴィラードは扉の前のカイラムを振り返った。


「カイ、悪いがマディリエにタマキとは明日は話せないことを伝えてきてくれ。必要なことは、言葉の通じるうちに確認するようにと」

「うっす。行ってきます」


 ヴィラードはカイラムが部屋を出て行くのを見送り、大きく息を吐いてからギムレストをめつけた。


「虫の居所が悪くても、重要なことは報告しろ」


 曲がりなりにもギルドを纏める実力者である。剣呑さを帯びたオレンジ色の目には凄みがあった。片眉を上げたギムレストは、しばしヴィラードと睨みあった後、目蓋を伏せて謝罪した。


「……申し訳ありませんでした」

「今回の事件はどうにも厄介な予感がする。タマキによると魔術師は二人とも金の魔力持ちだ。いくら魔術王国のタルギーレとはいえ多い。少しでも後手に回ることは避けたいんだ。頼りのお前がそんな体たらくでは困る」

「……はい」


 ギムレストは何かを言いたげな顔をしたが、結局は一礼して恭順を表した。


 その後、少ししてカイラムが戻ってきた。背後に旅装姿の男を伴っている。

 藍色の長い髪を一つにまとめ、鋭い灰色の目を持ち、虎のように悠然と、それでいて恐ろしく静かに動く男だ。斥候せっこうを得意とする弓使いのセヴランである。タルギーレの追跡を頼んだ相手だった。ヴィラードより少しばかり年上で、落ち着き払った物腰はヴィラードにはないものだ。


おさ、セヴランが戻ってきたっす」


 そう報告するカイラムの前に進み出たセヴランの外套は土埃で汚れていた。到着後、真っ直ぐここに来たことが見て取れる。ヴィラードは立ち上がってセヴランの肩を叩いた。


「ご苦労だった。喉が渇いたろう、何か飲むか?」


 セヴランは首を振った。一日中駆け続けただろうに、表情に乏しい顔に疲労は見つけられない。


「先に報告を」

「そうか、まあ座ってくれ。カイ、マディリエはいつ来る?」


 セヴランを席に促しながら聞くと、カイラムは頭をいた。


「あー、タマキとの話が終わったら来るって言ってましたんで、もうちょいかかると思います」

「そうか、では先に始めよう。カイも座れ」

「うっす」


 そう言ってヴィラードは環が座っていた席に着き、ギムレストの向かい側にセヴランとカイラムが並んで座った。ヴィラードはテーブルの上で指を組む。


「セヴラン、報告を頼む」


 セヴランは軽く頷いてから薄い唇を開いた。


「まず、我々追手が逃げ道に突入した時点で、一味の姿は消えていた。逃げ道は一本道で、エルー神殿から七百リード北西に位置する老木のうろに通じていたが、そこから出て行った形跡は見つかっていない。

 ここでロッツたちに神殿の逃げ道を再探索するよう命じ、私とエディレで老木の地点で見つけた四人の男の痕跡をさかのぼることにした。ここまでは馬車の前で報告した通り。

 その後の追跡によって奴らが古森を越えてきたことは判明したが、途中で痕跡を見失った。ただし、そこは大街道に近い場所だった。一番近い町はザグルだ。立ち寄った可能性が高い。明日はそこから手がかりを追うつもりでいる」

「ザグルか……」


 ザグルはエルー神殿のある森の北側にある町の名だ。ニビルはエルー神殿を挟んで反対側に位置している。


「それから一つ気になることが」

「なんだ?」

「馬車の前で見た黒髪の女のことだが……」

「タマキのことか」

「タマキ、それが名か。馬車の前に残された足跡を確認したが、その女が神殿に入って行った痕跡が周辺のどこにも見つけられなかった。古森の男たちの足跡も人を担いで運んだものではない。他に抜け道が無ければ、あの女は突然神殿に現れたことになる」

「そうか、ギムレストの推測が裏付けられたようだな」

「推測とは?」


 セヴランが無表情に問うと、ヴィラードは悪戯っぽくニヤリと笑った。


「タマキは召喚術によって呼び出された、異界の民だとさ」

「それはまた……壮大な話だ。本当か?」


 表情を変えないセヴランに、ヴィラードは大きくうなずく。


「タマキと少し話をしたが、俺たちの知らない物事に関して広い知見を持っていた。一つ問えば明快な説明が返って来て、その説明に対する新たな疑問にも整然と答える。狂人の思い込みではできない芸当だった。

 ギムレストがこの世界のどこの国の民でもないと言っていたが、同感だな。あれは全く別の世界のことわりを持った女性だ」


 セヴランが眉根を寄せて、厳しい目つきをますます厳しくする。


「タルギーレは異界の人間を呼んで何を企んでいると?」

「それが皆目見当がつかん。ギムレストの推測ではタマキが呼ばれたのは本来の目的ではなかったということだし、そのくせタマキには呪いまで掛けられているらしい。訳がわからん」

「呪いとはまた物騒なことだ」

「そうだろう? そんな訳で、わかっていることは無いに等しい。

 ある程度事情が見えるまで、タマキの正体を知る者は、ここにいる直接タマキに関わった俺たちと、追跡を行うセヴランだけに留めておきたい」

「……エディレには話しても? 奴もその女の足跡を見て、おかしい事には気づいている」

「エディレか、まあいいだろう」

「ありがたい」


 そのとき扉がノックされ、マディリエが入ってきた。


「遅くなりました」


 そう言って断りもせずにギムレストの隣に座ると、すっかり鉛色に変色したネックレスを押し付けた。


「魔術が解けたから返しておくわ」

「ええ」


 受け取ったギムレストは懐にネックレスをしまい込む。


「それで? どこまで話は進んでるの?」


 マディリエの質問に、ヴィラードはかいつまんでセヴランの報告を話して聞かせた。


「ふうん。それじゃ、あたしはしばらくの間、タマキのお守りを続けるんですね」

「すまんが、そういうことになるな。彼女の様子はどうだ?」

「そりゃあ大変でしたよ」

「というと?」

「部屋の使い方を教えてるところにカイがやって来て、明日は話が出来ないなんて言うもんだから、魔術の効果が切れるまで質問攻めですよ。テチョウとかいう小型の本を出して、言葉を書いてくれって」

「言葉? なんの?」

「ありがとうとか、おはよう、とか。日常会話をあたしに書かせて、その下にタマキが母国語で書き込んでたわ。それで最低限の意思疎通をしたいって」

「ほう、さすがだ。彼女は賢いな」

「ずっと付き合ってたあたしの身にもなってくださいよ。次からは別の誰かに代わって欲しいわ」

「俺でよければいくらでも付き合うんだが」

おさは嫌われてるから駄目ですよ。ギムレストやってよ」

「手が空いているときでよければ、喜んで」

「嫌われている?」


 セヴランの疑問にマディリエが胡乱うろんな目でヴィラードを見る。


「例の悪い癖が出てんの」

「……なるほどな」


 その一言だけで、ヴィラードと付き合いの長いセヴランは状況を理解した。言われた当人は心外そうに腕を組む。


「別に嫌われてはいなかっただろう。彼女が奥ゆかしい照れ屋だったから、そう見えただけだ」

「ほらね?」

「確かに」


 それ見たことか、というマディリエの態度に、セヴランが深く同意した。


「おい、お前たち……」

おさ、言っておきますけど、奥ゆかしい女はギムレストをやり込めたり、おさに握られた手を嫌そうに振り払ったりしません。あんなにわかりやすかったのに、気付かなかったなんて言わないでくださいよ」

「あー、あれはだな、その、なんだ……」


 なんとか反論しようとヴィラードが視線を泳がせるが、情け容赦ないマディリエの攻撃は続く。


おさが私生活でどれだけ女に騙されようと構いやしませんけど、あたしの仕事に絡むなら別です。護衛対象に妙なちょっかいを出さないでください。

 疑念を持たれて任務が失敗するのはご免です。影響を受けるのは護衛のあたしとカイなんです。泣き崩れてしなだれかかる女が好きなら、他を当たってください」


 汗をかき、口を開閉するしかできないヴィラードに助け舟を出したのはセヴランだった。


「マディリエ、それくらいにしておいてやれ」

「……ふん」

「大丈夫か?」

「た、助かった。セヴラン」


 ヴィラードはなんとかそう言ったが、痛いところを突かれて落ち着きがない。そう判断したセヴランが話の続きを引き継いだ。使い物にならないヴィラードを放置したともいう。


「それでは、それぞれの今後について確認をしよう。私はエディレと共にザグルからタルギーレの足取りを追う」

「あたしとカイは、交代でタマキの護衛ね」

「そうだな」

「僕は呪いの解析を進めますが、探求の塔から魔道具を取り寄せようと思います」

「魔道具とは?」

「翻訳の魔道具です。魔術では効果時間が限られますので、永続した効果を持つ魔道具をタマキさんに持たせます」

「承知した。それではヴィラード、タルギーレの奴らの人相書きを渡してくれるか?」

「……ああ、これだ」


 ダメージから立ち直ったヴィラードが渡した紙を、セヴランが指先で何度も確かめる。


「……この紙は?」

「タマキの世界の紙だ。滑らかだろう? 筆記具もタマキから借りたものだ」

「随分と高い技術力を持っているようだな」

「面白いナイフも持っていたぞ。セヴランも気に入ると思う」

「ほほう、それは落ち着いたらじっくり見てみたいものだ」


 セヴランが人相書きに書き込まれたヴィラードのメモを確認し、中から二枚を持ち上げた。


「この二人はタルギーレの民ではないのか?」


 魔術師ではなく、護衛と思われる男たちの絵だった。目の色が、それぞれ茶色と薄い緑系統と書かれている。

 タルギーレの民は、六大魔の血と呼ばれる六種類の赤色のどれかを瞳に持っているのが特徴とされている。


「タマキの証言の通りだとそうなるな」

「見間違いということは?」

「そうは思えん。タマキは魔術師の二人に関しては一番最初に、瞳の色が赤かった、と言った。しかしその二人については背格好の特徴から話し始めた。

 目の色については若干自信がなさそうでもあったな。おそらく、や、たぶん、という表現を使っていた。彼女はタルギーレに関しての知識がない。先入観なく強く印象に残ったことから話していたと思う」

「なるほど。そうなるとタルギーレに協力者がいるということになるな……。リグロダルが嚙んでいる可能性あり、か……」


 セヴランが挙げたのは、とある犯罪組織の名前だった。タルギーレが絡む犯罪で、しばしば協力関係にあると囁かれている。

 ヴィラードはうんざりとうなずいた。


「考えたくもないが、そうだ。調査にはくれぐれも注意してくれ」

「ああ。だとすると奴らが逃亡する先は根城のストーレバルド……ザグルの先だな。方角としては合っている」

「ストーレバルドに逃げ込まれたら手を出せん」


 ザグルを経由して北西にサンティーユ王国、西にどこの国にも属さない無法者の町、ストーレバルドがある。ただしストーレバルドの更に西には険しいサンティーユ山脈があるため、タルギーレに抜けるにはサンティーユ王国から迂回するしかない。


「わかっている。気は進まないが、ミリュシダに助力を願おう」

「悪いが頼んだ」

「ああ。なに、エディレに連絡役をやらせるさ」

「そうだな。それがいい」


 二人はもっともらしく、お互いにうなずきあった。サンティーユの冒険者ギルドを纏めているのが、ミリュシダという女性なのだが、ヴィラードもセヴランも、この人物を苦手としていた。


 その後は遅くまで詳細を詰めていき、休む間もなくセヴランは旅立っていった。


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 ヴィラードが翌朝支度を済ませ裏庭に下りると、荷馬車の横にマディリエと深緑色の外套を着せられた環を見つけた。彼女の容姿は目立つので、ヴィラードが指示をしたのだ。

 マディリエにちょっかいを出すなと、きつく釘を打ち込まれたが、挨拶くらいはいいだろうと片手を上げて近寄ろうとして、荷馬車の脇にしゃがみ込んだタマキが動かないことに気づいた。怪訝に思ったヴィラードは、手近にいたマディリエに声をかけた。


「マディリエ、タマキはどうしたんだ?」

「ああ、おはようございます。知りませんけど、さっきからああやって荷馬車の下を覗き込んでるんです」


 見守る二人の前で、環は両手を草につき、がっくりと項垂れた。心配になって近付いたヴィラードの耳に、環の独り言が届く。


『そんな、板バネさえもないなんて……。信じられない、嘘でしょ? 冗談でしょ? ここの人たち平気なの? 必要ないの? 強すぎじゃない? なんで車軸と車体を固定しちゃってんの?

 一体化してたら揺れるの当たり前じゃない。砂利道でもオフロードになるわよ。三半規管どうなってんの……これに一日乗れって? 駄目だわ私、今日こそ吐いちゃうかも……』


 残念ながら、ぶつぶつ言っている内容は全くわからない。ヴィラードがマディリエを振り返ると、肩を竦めて、さっぱりわからんという仕草をした。


 マディリエがタマキを助ける素振りを見せないので、ヴィラードが手を貸すことにした。これは下心によるものではなく、純粋に心配しているだけだ。という言い訳を内心でする。


「タマキ、大丈夫か?」


 細い肩に手を置いて声をかけると、環がのろのろと顔を上げた。あまり眠れていないのか、気の毒にやつれている。


『ヴィラードさん。おはようござ……じゃなかったわ、ええと、「おは、よう」だったかしら?』


 力なく喋る環が、「おはよう」と共通語であいさつをした。昨夜マディリエが言っていた日常会話を、早速覚えているのかも知れない。ヴィラードは健気な環の様子に胸を打たれる思いがした。


「おはよう、タマキ。服が汚れてしまうぞ。立ち上がれるかい?」


 肩を抱くようにして優しく体を引き上げれば、環は『しまった』と小さくなにかを呟いた。ヴィラードから素早く離れて外套の下から小さな本を取り出す。パラパラとページをめくって何かを確認してから、ヴィラードと視線を合わせてニコリと笑った。


「だいじょ……ぶ、わたし、あり……がとう」


 ゆっくりで、つたない響きだが、確かに共通語を話している。ヴィラードは素直に驚いた。


「凄いじゃないか、タマキ。もう話せるのか」

『ええと……』


 環が首をかしげて本をめくる。


「まだ、早いのはわからないですよ。読み方は今朝になってから始めたから喋れるのは少しだけ」


 せっかく環といい雰囲気になっていたところに、マディリエの無粋な横やりが入った。環とヴィラードの間に割って入って、環の肩を荷馬車の方へ押し出す。


「ほらタマキ、馬車、乗れ」


(なんだその命令は)


 荷馬車を指差すマディリエに、そう文句を言おうとしたヴィラードだったが、当の環はマディリエに向かって真面目な顔で復唱した。


「ば、ばし、ばしゃ……」

「馬車、乗れ」

「ばしゃ、のれ、ばしゃ、のれ。……わたし、ばしゃ、のれ?」

「そう、その順番」


 マディリエがうなずく。


『名詞、動詞ね……。活用形ってどうなってるのかしら……』  


 環はぶつぶつ呟きながら本に何かを書き込んでいる。


「マディリエ、これは?」

「邪魔しないでくださいよ。言い間違いとか発音とか、遠慮なく指摘して欲しいって本人が言ったんですから」


 傍から聞いていると酷い命令形だが、語学習得の一環なら仕方ないのかもしれない。


「そうなのか……」

「そうなんです。邪魔しないでくださいよ」

「うぬ……」


 感心しているヴィラードに、マディリエが二回も釘を刺してくる。こうもはっきり言われては、手出しができない。


 本をしまった環は、改めて荷馬車を見て、長い長いため息をつくと、足取り重く御者台へ向かった。


『大丈夫。貴重な酔い止め飲んだし、一日いけるタイプだし、現代医学の力を見せてやるわよ。どんとこいよ。たぶん……』


 怯えを含んだ震える響きと頼りない背中に、ヴィラードは駆け寄って慰めたい衝動に駆られたが、マディリエのゴミを見るような視線で我に返ることが出来た。

 マディリエは環の後ろを、ヴィラードを牽制するように見ながら荷馬車に続いていく。


 ヴィラードには二人を見送ることしかできなかった。

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