第4話 馬車にて異文化コミュニケーション


 昔、観光地で乗った馬車は、カラカラと軽快な音を立てて走っていた記憶がある。乗り心地も良かった。


(異世界の馬車はどんな乗り心地だろう?

 未知の構造なら大歓迎だし、類似の仕組みでも、見たことない形状の部品とかがあるかも……。書き写して持ち帰って……画期的な発明に、とかなるといいなぁ……)


 そんな環のささやかな野望は、すぐに打ち壊された。


「うわっ、くっ……」


 馬車が激しく振動し、上下に揺さぶられる。環は必死になってベンチの縁を掴んだ。そうしないと床にずれ落ちそうになる。


(な、な、な、なにこの揺れはっ!!)


 サスペンションがないと、車はこんなに揺れますよ。という体験設備のようだ。

 信じられない思いで対面の女性を見てみれば、まるで平気そうな顔をしている。それどころか、環の醜態しゅうたいを冷静に観察していた。横の青年も、揺れているのも構わずに荷物の紐を解いて中に手を入れている。

 二人とも、この揺れを気にもしていない。


(この直下型震度三の状態が普通だっていうの!? 信じられない……)


 この馬車は到底人間を運べる設計ではない。きっと荷物運搬用だ。

 衝撃がダイレクトに伝わってくるのは、サスペンションが無いのか、恐ろしく悪路なのか。どちらにしろ、ここの現地人がケロリとしているということは、これが普通であろうと思われる。

 地球では人類が紀元前から乗り心地を追求し続けてきたというのに、ここでは違うのだろうか。どうやら違うのは見た目の色合いだけではなさそうだった。


(これで酔わないなんて、三半規管が強すぎじゃない?)


 せっかく座れたのだから、少しでも眠れないかと期待していたのに、これでは難しい。一週間の疲れが溜まっている状態で緊張が続いた環の体力はそろそろ限界が近い。このまま絶え間なく震度三が続くと、疲労と空腹で乗り物酔いになりそうだ。


(……バッグ返してもらえないかしら)


 ショルダーバッグの中には常備薬として酔い止めが入っている。女性に訴える方法を考え始めたとき、コトリ、と何かを置いた音が横からした。

 青年が袋から出した小さな瓶をベンチに置いた音だった。


(……はい? 瓶?)


 環の目が点になった。


(こんな振動の中で割れ物を置く? 嘘でしょう?)


 瓶を置いた青年は、またごそごそと荷物を探り、丸めた紙を取り出して、環との間に広げる。そこの上に文鎮のように小さな瓶を置いた。そして箸箱のようなものを開いて、細長い羽ペンを取り出したのである。

 環は青年がやろうとしていることに見当がついて驚いた。


(……まさか、こんな環境で書き物を始めようってんじゃ……?)


 環の嫌な予感は当たった。青年は瓶に嵌められたコルクのような蓋を外し、そこに羽ペンの先を浸したのである。


(その瓶、インク壺なの!?)


 環は驚愕して目を剥いた。揺れる馬車の中で、平然と筆記用具を広げる精神に驚愕した。


(これ、インク壺が倒れたら惨事になると思うんだけど……)


いつわりの盟主……虐殺のつるぎ……』


 青年は小声で呟きながら、広げた紙にカリカリと書き連ねている。


 小刻みに揺れる小瓶と青年をはらはらしながら見守っていたおかげで、馬車がガタンと大きく揺れ、小瓶が跳ねたときに、とっさに瓶を押さえることに成功した。


「危なっ!」


 幸運なことに、瓶の中身は零れなかった。


 はーっと息を吐く環に遅れて青年が顔を上げる。環とインク瓶を宝石のような目で見比べて、ああ、と気づいたように笑った。


『ありがとうございます。まさか移動中に書くことになるとは思わなくて、ろくに用意をしていませんでした。せっかくですので、そのまま押さえていてくださいますか?』


 微笑んで何か言い終えると、またもや羽根ペンをインク瓶に入れようとする。


(ちょっと待て、冗談じゃないわ)


 環は羽根ペンを持つ青年の手首をはっしと掴んだ。青年が環を不思議そうに見つめる。環は口を開いた。


「あなたが仕事をしたい気持ちはよくわかりました」


 環は理解を示すためにうなずいた。こういうときは否定から入ってはいけない。青年が困ったような表情になった。


『これでは書けません。手を解放していただけませんか?』

寸暇すんかを惜しんでお仕事をされる姿勢は立派ですが、このままではお互いにいい結果になりません」

『申し訳ありませんが、何をおっしゃっているのか……』


 突然喋りはじめた環を訝しんでいるのは理解できるが、環もオフホワイトのスーツがインクで汚されるのはご免だ。二度と着れなくなってしまう。


「私の筆記具を貸して差し上げますから、その羽根ペンを今、すぐに、しまってください」


 環は真剣にお願いした。眉間に皺を刻んで、口許は笑うという妙な環の迫力に圧された青年が動きを止める。

 環は斜向かいの女性を見た。女性はわずかに腰を浮かせて、片手にダガーを握っていた。いつでも飛び掛かれる体勢だった。環は目を瞬かせて女性を見る。


「…………」


(もしかして……)


 普段の環だったら、ここで引っ込んでいたところだが、構わず強気に営業スマイルを向けた。


「私のバッグを返してください」


 表情を消した女性が、アイスブルーの目を細める。環の真意を探っているように見えた。環は自分の予想が当たっていると確信した。


 女性が素早いのは体験済みだ。環を犯罪者として疑っているのなら、とっくに押さえ込まれていただろう。それをしないで様子を見ているということは、犯罪者として扱われている訳ではないようだ。

 ならば、多少の意見なら通るだろうと思った。


 環は女性としっかり視線を合わせてから、ゆっくりバッグを見て、もう一度言った。


「その、バッグを、返してください」


 女性は環の視線をたどり、ショルダーバッグを手に取った。


『……この鞄?』

「そう、それです。渡してください。ありがとう」


 環は間髪入れずに笑顔で礼を言う。正解だと伝わるといいが。

 女性と、環に手首を掴まれたままの青年は顔を見合わせた。


『どういうことだと思う?』

『僕の動きを止めて、鞄を要求しているようですが』

『見りゃわかるわよ。そうじゃなくて何をしたがってるのかしら?』

『さて? 鞄を渡してみましょう。このままでは身動きが取れません』

『もし武器を出されたらどうするの?』

『あなたなら大事になる前に制圧できますよ、マディリエ』

『あたしだけに働かせるつもり?』

『僕はご覧の通り手が塞がってますので』

『あんたね……』


 環を見たまま数秒沈黙した女性は、黙ってショルダーバッグを差し出してくれた。環は破顔する。


「ああ、よかった。伝わったのね、ありがとう」


 そして青年の手を放し、インク瓶にしっかり蓋をした。ショルダーバッグを受け取り、膝に乗せる。

 未だダガーを手にしたままの女性を刺激しないよう、動作はわざとゆっくり行う。ファスナーを静かに開けると、女性と青年が驚いたような声を上げた。


『ちょ、どうなってんの?』

『薄い金属が……噛み合っている、ようですね……?』 


 内ポケットからティッシュを取り出し、一枚引き抜いた。青年と向かい合い、問答無用で羽根ペンを取り上げる。


「インクを拭き取りますね」

『あ……』


 羽根ペンの先端は細かった。慎重にティッシュで包んで、そっとインクを吸い取らせ、青年の手に戻す。青年はティッシュをじっくり観察している。女性が上から覗き込んでいた。


『……布? ではありませんね。強いて言うなら紙ですが……』


 次に環は仕事で使っているルーズリーフバインダーを出した。これなら硬いから下敷き代わりになる。背表紙の上に、青年が書きつけていた紙を乗せた。黄色がかった紙の手触りは見た目より滑らかだが、ごわつきがあった。


(固定しないと滑りそう……)


 そう考えて、ペンポーチから小さいダブルクリップを出して紙を挟んだ。更にペンポーチを探り、万年筆を青年に向けて差し出す。

 ボールペンより、万年筆の方が羽根ペンに似て使いやすかろうと思ってのことだ。


「どうぞ、遠慮なく使ってください」


 青年が環と万年筆を見比べる。


「と言っても分かりませんよね。これはですね、筆記具です」


 言葉は通じないのは承知で説明をする。

 仕事用の分厚い手帳を取り出し、メモ欄を開いて、青年に見えるように万年筆で線を引いた。青年が息を飲む。


『これは……。ペンですか? インクが無くても書けると?』


 持ち手を青年に向けて差し出すと、今度は受け取ってペン軸をしげしげと観察している。クリップに挟んだ紙も渡した。


「それ細軸ですから、小さい字も書けますよ」


 ルーズリーフバインダーとクリップにも興味を示していた青年が、もう一度、環を見てから文字を書き始め、驚いたように動きを止め、再び書き出す。


『なんと……滑らかな書き心地に滲まないインク。先端が割れ、ても書けている?

 これは……ああ、筆圧で線の太さが変わるのですね。なるほど、細い字も太い字も自由自在ということですか。それにこの留め具もまた素晴らしい。これならどこでも書けますよ』

 

 青年が感心したように早口で何かを言っている。


(なんて言ってるのかさっぱりだけど、褒めてるみたいよね? どうやら惨事は回避できそう)


 環は実況している青年の腕を軽く叩いて中断させ、インク瓶を差し出し、青年の袋を指差した。


「これしまってもらえますか? 落ちたら割れてしまいますし」


 万年筆に夢中になっていた青年が環を見る。頭上から女性の声がした。


『ああ、なるほど。そういうこと。インクを零されたくなかっただけみたいね』


 女性が納得顔になった。


『……そういうことでしたか。代わりにこれを使えと……』

『あたしもインク瓶はどうかと思ってたけど、よかったじゃない』

『全くです。このペンは素晴らしい。実に素晴らしい。先端に刻まれた模様も精緻で見事です。技術の高さが窺えますね』


 青年が持つ万年筆に顔を近づけた女性がしげしげと観察している。


『本当だわ。細かい模様が彫ってあるわね』

『名工の手による逸品かもしれません。身形みなりといい、持ち物といい、彼女はどこかの貴族かもしれませんね』

『ちょっと、タルギーレに誘拐されたお姫様だっての? それはまたおさが張り切りそうだわ。関わりたくないわね』

『僕は積極的に関与すべきと考えます。そして親しくなって、この筆記具一式を融通してもらうべきです』

『あんたも正直ね。まあ、害意がないことはわかったわ。扱いも考えなきゃね。面倒だわ』


 女性がダガーを太もものベルトに収めた。

 青年が真剣な顔になって環を見る。秀麗な顔立ちの中で、スターサファイアのような目が真摯な光を浮かべた。


『あなたの持ち物の素晴らしさに感服しました。困りごとはなんなりと僕に相談してください。お礼はこのペンで構いません』

『正直すぎでしょ……』


 環は首をかしげた。

 白皙の美青年のキリっとした顔は写真に収めて飾っておきたいほどだったが、どうにも意思が通じていないように感じる。環は再度インク瓶を袋に向けて差し出した。


「なんとおっしゃっているのかわかりませんが、インクと羽根ペンをしまってくださいますか?」

『……しまえって言ってんじゃない?』

『ああ、そうですね。この瓶はもう不要でしたね。僕にはこのペンがあるのですから』

『あんたのじゃないわよ。落ち着きなさいよ』


 やや興奮気味な青年に、白けた口調で女性が応じている。青年は万年筆を大事そうにベンチに置くと、手早くインク瓶と羽根ペンを袋にしまった。環が万年筆のキャップも差し出すと、青年が嬉しそうな顔をする。


『おお、確か、こうしてましたね』


 楽しそうにキャップを嵌めては外し、嵌めては外しを繰り返している。楽しそうなところ申し訳ないが、言いたいことはそれではない。


「あの、キャップをですね、こう、ペン尻に被せて使うんです」


 環は万年筆の後端を指して、キャップを嵌めるゼスチャーをした。青年が早速真似て、はっとした表情になり、感嘆の声を上げる。いちいち楽しそうだ。


『なんと。マディリエ、見てください。ほら、使用するときにはこうして蓋を反対側に嵌められるようになっていますよ。

 しっかり嵌りますね。これなら失くしてしまうこともありません。良く考えられています。素晴らしいと思いませんか?』

『はいはい』


 何かを実況しながら嬉しそうにしている青年を適当そうにあしらった女性は、向かいのベンチに戻って腰を下ろした。

 渡してくれたショルダーバッグは、まだ環の膝の上にある。これは本当に返却してくれたと解釈してよさそうだ。万年筆を貸した親切が効いたのかもしれない。異文化コミュニケーションは、ひとまず順調のようだ。


 環が胸を撫で下ろしていると、青年が杖を手に取り呟いた。


『我が目に映るは真実の軌跡。太古の昔から遥か未来まで巡り続ける不変の旅人よ。汝の物語を語れ』


 洞窟の奥で見たように、瞳が金色を帯びて、環は驚いた。一体どうなっているのだろうか。青年はニコニコと上機嫌な顔で、環の顔の横を指差した。


『それでは、その呪いの続きを読ませてください』


 洞窟で頭を押さえられていたことを思い出し、環はピアスに触れた。青年がうなずいて、環の耳に指を向けた。


『そう、その耳飾りです。正面を向いていてじっとして下さいね』

「あの?」


 頭の後ろで手を組んだ女性が口を挟む。


『ギムレスト、通じてないわよ。頭動かしちゃえば?』

『しかし、おさに指一本触れないと約束しましたので』

『さっき手を握ってたじゃない。何を今さら』

『あれは彼女から触れてきたのです。僕からではありませんよ』

『ふんっ、ほどかなかったくせによく言うわ。全く、こうすりゃいいのよ』

「わっ!?」


 身を乗り出した女性に顎を掴まれ、顔が女性の方に向かされる。


『ああ、助かります』


 青年が耳元に近づいたのがわかった。


(……まさか、あの洞窟でやってたことの再現? またやるの? 一体何やってんの?)

 

『ふむ……薄れていないですね、しっかり刻まれている。やはりこの耳飾りが媒体ですか……』

「うう……」


 どうやら間違いなく洞窟でやってたことの続きだ。


(何かの検査なんだろうけど、大人しくしているから、耳元でぶつぶつ独り言を言わないで欲しい)

 

 そしてお願いだから早く終わらせて欲しい。鳥肌が立ちそうになる。引きつった顔で固まる環から女性が手を離した。


『わかってるようね』


 環が動かないことを確認してからベンチに座り直す。乱暴にはされていないし、少しだけだが、意思疎通も出来始めている。

 抵抗して、なけなしの信用を崩したくない。それに環が暴れても、あっさり拘束されるのがオチだ。例え逃げたとしても行く宛てもない。

 

 環はうんざりと目を瞑って、この苦行をやり過ごすことに決めた。

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