【陸・魔女の秘め事】

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 僕たちはしばらく芝生の端のベンチにぼんやりと座り込んでいた。

 父さんの骨は水飲み場のバケツの中に浸したままにしておいた。ずっと暗い土の中にいたから、清らかな水の中にいるのが良いような気がしたのだ。何をすれば穢れを浄めてあげられるのか分からなくて、気持ちのままにそうした。

 軍手とラテックスの手袋を外して手を洗い、顔を洗ったら、もう何をする体力も残っていなかった。服は泥まみれだったし、手にはマメが出来て血が滲んでいる。

 月ヶ瀬さんが何か話し掛けてくれたけど、うまく聞き取れず、相槌を打つ事すら出来なかった。疲れ切っていた。精神も、肉体も。今にも全身の骨がバラバラになりそうで、何も考えずに休まなければ壊れてしまいそうだった。

 僕は酷く傷んだ魂を癒していたのだ。

 癒して、そして、待っていた。

 水森蛍を――


   †††


 黙り込んだまま時を過ごすうち、タイヤが砂利を踏む音とエンジン音が同時に聞こえ始めた。やっと、対決の時だ。

 どうして父さんの遺体をバラバラにして捨てたのか、どうして母さんは父さんを殺したのか、どうして蛍さんはその罪に加担したのか、父と蛍さんはどんな関係だったのか、事件の真相を蛍さんの口から直接聞きたい。

 庭に造られたブロンズ製の日時計に目を遣ると、午後一時近くになっていた。

 黒い4WDが家の前に停まり、蛍さんが降りて来る。

「蒼依くん、あなた、ここにいたの? いったいどうしたの。ずっと、あなたの家の跡地で待ってたのよ」

 優しく心配してくれているような調子だ。困った子ね、と少し眉を顰めて楚々とした仕草で歩いて来る。今日も黒い服を着ている。思えば、父さんがいなくなってからは、いつも黒い服を着ていた。喪服のつもりだったのだろうか。

 酷い人だ。父さんを埋めたその手で、僕に美味しい料理を作ってくれた。甘いお菓子を焼いてくれた。頭を撫でて、抱き締めてくれた。

「あなたは酷い人だ」

「どうしたのよ、蒼依くん? 何かあったの?」

 そう取り繕うように言った後、僕の泥まみれの服を見て、蛍さんは顔色を変えた。

「ここで、何をしていたの?」

「父を見付けましたよ。水飲み場のバケツを借りました。洗って綺麗にしてあげて、今は水に浸かっています」

 鋭く顔を上げ、蛍さんは水飲み場の方を凝視した。

「どうして昨日は嘘をついたんですか?」

 ねえ、蛍さん……

「あの英文を書いたのはあなたですよね」


   †††


There was once a Tiger, who lived in the thick forest. The forest was covered with emerald green leaves.

Tiger was haughtiness, he had terrific awful force, he killed and ate many many animals.

If you force an unwilling thing on Tiger, he’ll die for his pride.

Though, I’ill cut off his head, before it'll happen.


(昔々、深い森に棲む一匹の虎がいました。森はエメラルドグリーンの葉に覆われていました。虎は傲慢で、とても恐ろしい力を持っていましたし、彼は沢山の動物たちを殺して食べていました)

(もしも意に添わぬ事を強いられたら、虎はプライドの為に死ぬでしょう)

(もっとも、それが起こる前に、私は彼の首を斬り落とすでしょうが……)


   †††


「真相を教えてください。七年前、いったい何があったんですか? あなたは父とどんな関係だったんです? なぜ母は父を殺したんです? あなたは、どうして父の遺体をバラバラにして捨てる手伝いをしたんです?」

 ふっ、と蛍さんは笑った。

「君がそう思うなら、そうなんでしょうね……」

「え……?」

「いいわ。話します。七年前のあの日、十年遅れの新婚旅行で行った海辺で、アリスと祐樹くんはいつものように口論になったの。彼はいつものように泥酔していた。暴言に耐え切れず、アリスはカッとなって祐樹さんを殺してしまって……」

 嫌な違和感に眉根を寄せた時、ああっ、と唐突に月ヶ瀬さんは大声を上げた。

「違う! 違うぞ、蒼依くん! 君の母上は父上を殺してはいない!」

「何を言ってるんだ……?」

 にわかには理解できなかった。月ヶ瀬さんが何を言っているのか。

「だって、君が言ったんだぞ。父さんが殺されたのは、あの日、母さんが僕に電話をかけて来た深夜十二時以前だって。その時父さんと母さんは海辺にいたし、蛍さんは僕と一緒に清里にいた。だから蛍さんには父さんは殺せないって……」

 いいからその女から離れろ、と月ヶ瀬さんは怒鳴った。

「その謎は今解けた。だが、そんな事よりも……ああ、最悪だ――」

 月ヶ瀬さんは震える拳を握りしめていた。

「私は最悪の事実に気付いてしまった」

 人差し指を立て、真っ直ぐに腕を伸ばして、蛍さんに突き付ける。

「あなたが一角獣だったのだ」

 え、と衝撃に打たれて声を上げたのは僕だった。

「私はずっと、アリスさんが一角獣だと思っていた。でも、違ったのだな。あの物語を、祐樹さんはあなたに向けて書いたのか……」

「証拠は?」

「証拠は無いが、根拠ならある」

 月ヶ瀬さんは心底、悔しそうに歯噛みしながら言葉を続ける。

「あの物語のモデルになった人物でなければ、祐樹さんを Tiger と呼びはしない。もっと言えば、一角獣のモデルになった人物以外は……」

 蛍さんは無表情だった。何も言わない。何の反応も示さない。

「まったくの部外者が物語になぞらえて、こんな情熱的な一文を書くわけがないのだ。そんな図太い神経なら、そもそも文学的な言い回しも出来ないに決まっている。誰が何と言おうとも、たとえ確たる証拠が無くとも、一角獣以外がこれを書いたという事は有り得ないのだ。ましてやあの童話は愛の物語だ。虎に愛を向けられた一角獣自身でなければ、恥ずかしくて、とても、とても、あの清らかな世界には踏み込めない――」

 月ヶ瀬さんは肩を震わせた。

「一角獣は、虎に惹かれて、突き放された後も虎から目を離せなかった。こっそり虎の側に戻って、彼を見詰め続けていたんだ」

 キッ、と顔を上げた月ヶ瀬さんと、沈黙したままの蛍さんは、少しの間、視線を真っ直ぐに絡み合わせ睨み合う形になった。

「もう一度言う。あなたが一角獣だったのだ」

 改めて言われても蛍さんは否定も肯定もしなかった。

 それが、肯定のしるしだった――

 月ヶ瀬さんは、本当に、本当に辛そうに深い溜息をついた。それから僕の方を向き、キッと眦を決してきっぱりと宣言する。

「すまない。君を苦しめる結果になる」

 待って、待ってくれ。君は何を言うつもりだ?

「この可能性だけは考えたくなかった。君がもっとも恐れていた事を否定できなくなるからだ。もしも、この推理が正しければ……」

 じわり、と暗い予感が足元から立ち昇る。

「君の父上の肉は、血抜きが間に合っている」

 ひゅっ、と息が詰まった。

「それって、どういう……?」

「今までの私の推理は根本が間違っていたのだ。願望のバイアスがかかっていたという事実は否定できない。私は君を苦しませたくなかった。救いたかった……」

 許してくれ、と月ヶ瀬さんは低い声で言った。

「だが、気付いてしまったからには、偽れない」

 ゆっくりと月ヶ瀬さんは息を整え、再び蛍さんを睨み据える。

「祐樹さんを殺害した実行犯はあなただ――」

「アリスは?」

「もちろん共犯だ」

「アリスさんとあなたは共犯だったんだ」

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