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「これ、蒼依くんにお土産。好きだったよね?」
そう言って朔良さんは足元に置いた銀色のボストンバッグをごそごそ弄(まさぐ)り、僕が小学六年生の頃に好きだったアニメキャラのプチぬいぐるみを取り出した。
水色のうさぎを、ぽと、と手の平の上に乗せられる。
「ああ、どうも」
もう高校生なのに、僕の歳を考えて欲しい。と言うか、自分の歳を考えて欲しい。
僕の反応が薄いのが不満だったようで、朔良さんは幼稚園児のようにぷうと頬を膨らませた。この人、顔立ちは悪くないんだからマトモな恰好と言動を心がければモテると思うのに、いかんせん致命的に精神が未熟と言うか、バカなんだよね。
「相変わらずドライだなぁ、もう、この現代っ子め」
「叔父さんは相変わらずチャライですね」
「うわあ、可愛くないなぁ。そこはお世辞でも『叔父さん、歳を重ねてダンディになりましたね』とか愛想よく言っておくもんだぞ」
「ダンディには程遠いでしょう。鏡見てから言ってください」
「うっ、なんでそんな口調なの? めっちゃたしなめられてる気がする」
「たしなめてるんです」
「もう、蒼依くんはツンデレなんだからぁ」
「叔父さんに対してデレた事は一度も無いです。鬱陶しいので、もう黙って下さい」
「うわああぁぁぁんっ」
「うるさい、静かにしなさい!」
お風呂掃除を終えた格好でリビングダイニングに戻って来た祖母に一喝されて、朔良さんはしょんぼりと肩を落とした。いじけて何かぶつぶつ言ってる。
「お婆ちゃん、僕、本当に叔父さんと行かなきゃダメ?」
「何かトラブルが起こった時に保護者がいないと困るでしょう? こんな叔父でも、いないよりはマシです。身分証の提示が必要な時には役に立つから」
「えっ、それだけ? 俺、もっと他にも役に立てることあるよ!」
「蒼依、朔良の面倒をよく見てやってちょうだい」
「ちょっ、母さん、逆、逆! 俺が蒼依くんの面倒見る側でしょ?」
僕と祖母はそろって無言になり、じとっと朔良さんの顔を見据えた。
「ええぇ、なんか言ってよ。黙り込まれるとキツイっしょ?」
その時、インターフォンが鳴った。モニタには月ヶ瀬さんのドアップが映っている。
「エレベータで上がって来て。玄関開けるから」
自動ドアを開けるボタンを押して、月ヶ瀬さんを出迎える為に玄関に出る。
ドアを開けた途端、おっ、と仰け反ってしまった。白いチュニックワンピースにデニムのサブリナパンツを合わせ、女の子らしいデザインのスニーカーを履いた月ヶ瀬さんはものすごく可愛かった。サラサラの黒髪と、透けるような白い肌に、キラキラ光る大きな瞳は、シンプルな服装でこそ映えるものなのだ。
「おおっ、すげえ美少女! この子が蒼依くんの友達?」
奥からバタバタと転がるように出て来た朔良さんは、月ヶ瀬さんを見るなり素っ頓狂な声を上げた。月ヶ瀬さんは一目で朔良さんをバカだと見抜いたようだ。二秒と空けずに、なるほど、と頷いていた。先が思いやられる。
僕が着替える間、一旦うちに上がって貰って、月ヶ瀬さんは朔良さんと祖母それぞれとスマートフォンのアドレスを交換した。僕とは昼休みに交換済みだ。これで何かあった時の連絡に困らない。
東京から山梨の清里まで、渋滞に巻き込まれず順調にいっても三時間はかかる。時間を無駄にせず、すぐに出発しようということになった。
「お婆ちゃん、いってきます」
真っ直ぐ目を見て言う。
「気を付けていってらっしゃい」
祖母は複雑だが優しい微笑を浮かべていた。
パッ、と僕の後ろから顔を出して月ヶ瀬さんも祖母に声をかける。
「お婆様、私が付いているから安心していいぞ」
ものすごく嫌そうに祖母は顔を顰めたが、なんと、月ヶ瀬さんに頭を下げた。
「蒼依がおかしな真似をしないよう気を付けてやってちょうだい」
調子に乗って朔良さんもしゃしゃり出る。
「大丈夫だよ、俺も付いてるし」
「だから心配なんだけどねえ」
朔良さんは、なんでだよぅ、と呻いていた。
さて、エレベータに並んで乗った時、月ヶ瀬さんはふざけて僕に腕を絡めてきた。
「二人きりで旅行なんて恋人同士みたいだな、蒼依くん」
「恋人同士って、月ヶ瀬さん……」
慌てて身を引く。組んだ腕は離れてしまい、月ヶ瀬さんはぷうと頬を膨らませた。
「ちょっと、ちょっと、オジサンも一緒に行くんだから無視しないでよ。って言うか、オジサンがドライバーよ? もっと丁重に扱って」
そんなこんなの騒動を経て、マンションの駐車場に停まっていた朔良さんのピンクの軽自動車にみんなで乗り込んだ。
朔良さんが僕たちの旅行バッグをトランクに仕舞ってくれ、僕は月ヶ瀬さんと並んで後部座席に座る。月ヶ瀬さんは女の子らしく、手荷物を入れたトートバッグを膝に乗せていた。タブレットタイプの小型PCもそこに収まっているのだろう。僕も手回り品を収めたボディバッグを背負っていて、中にはスマートフォンや財布などと共に父が寄稿した本も入れてあった。
「さあ、出発しますよ!」
無駄に気合を入れて朔良さんはアクセルを踏み込んだ。
急発進――
僕と月ヶ瀬さんはシートに押し付けられて文句を言った。ごめん、と短く謝り、朔良さんは近所の細い路地をのろのろの安全運転で通り抜けた。狭い道は歩行者や自転車とぶつかりそうになって怖い。やっと大通りに出て一息吐く。
ごそごそとトートバッグをさぐり、月ヶ瀬さんは可愛らしい紙包みを取り出した。
「蒼依くん、君はチョコチップクッキーは好きかね? 実は、母が今日のおやつに焼いておいてくれたのだ。食べるかね?」
「え、いいの。チョコチップクッキーは好物なんだ」
「ふふふ、良かった。ついでだから、あ~ん、してやろうか?」
「え、そ、それは、ちょっと……」
「照れなくてもいいのだぞ」
「ちょっとぉ。ホントにやめてよっ。オジサン独り身なんだから泣いちゃうっ。この車はカップルのイチャイチャ禁止ですぅ」
「ええ? 僕たちカップルなんかじゃないよ?」
「そうだとも。まだ違うぞ」
「はいはい、リア充爆発しろ……」
こうして僕たちの山梨県清里への旅は始まった。
†††
一般道路は混雑していたが、帰宅ラッシュが始まる前には調布ICから中央自動車道・下りに入れた。あとは流れに乗り、滑るように車列は進む。
高速自動車道の景色は代わり映えがしない。最初のうちは、圧し掛かるような遮音壁が延々と連なる非現実的な眺めが目新しく、刺激的でワクワクした気分で眺めていたのだけれど、同じような色調ばかりが続くので、慣れると次第に飽きてきた。雨特有の翳りはあるにしても、辺りはまだ明るい。夜景になればまた風情が変わって目を楽しませてくれるのだろうけど、六月の日の入りは遅い。夜七時くらいまで高速道路では単調な色の景色が続くはずだ。談合坂サービスエリアで休憩を取るとあらかじめ伝えられていたので、スマートフォンで地図を確認し、しばらくはこの状態が続くのかと少し気が重くなった。
月ヶ瀬さんも少し飽きて来たのか、後部座席に置かれていた可愛いテディベアの鼻先をつついている。
朔良さんがバックミラー越しに僕と目を合わせて来た。
「蒼依くん、ちょっといい? オジサン、ハンドルから手を離せないから、缶珈琲の蓋を開けてドリンクホルダーに置いてくれるかな?」
ドライバーらしい事を言われて、さすがに気付く。そう言えば、まだ一度も運転のお礼を言ってなかった。感謝しないといけないよな。
「叔父さん、僕の我儘に付き合って、車まで出してくれてありがとう」
ふはっ、と朔良さんは笑った。
「なんだよ、珍しく素直じゃん」
「だって、遠いし、運転疲れるでしょ」
「気にしなくていいよ。ちゃんと婆ちゃんから、旅費プラス二日半分の賃金も貰ってるから。割りの良いバイトみたいなもんですよ」
あ、やっぱこの人クズだった……
缶珈琲を一口飲んでから、朔良さんは不意にしんみりした声音で言った。
「それにしても、蒼依くんもやっぱり人の子だったんだな。両親の辿った歴史を知りたいなんて、泣かせるじゃないの。親子の情って良いよね。オジサン、ホッとしたよ」
「本当にそう思ってます?」
「ううむ、半分本気で、半分嘘かな。知らなくてもいいんじゃないかな、と思わなくもないよ。兄さんはこんな俺から見てもろくでなしだったし、義姉さんはあんな亡くなり方をしたしね……」
こほん、と月ヶ瀬さんが咳払いをした。話が拙い方へ行かないよう気を遣ってくれたのだろう。祖母にはもちろん、朔良さんにも、『蛍さんが父を殺して料理し、それを僕は食べさせられたんじゃないか』なんてとんでもない疑念を抱いている事は言えない。
月ヶ瀬さんは、ふわあ、とわざとらしい欠伸をした。
「少し暇になってしまったな。そう言えば、昨日お婆様が渡してくれた本にはどんな作品が載っていたんだい? 父上の作品は読んでみたか?」
「あ、ああ、うん、まあ一応ね……」
昨夜のうちに父が寄稿した短い作品には目を通しておいた。他の寄稿者の作品も読むべきか迷ったが、関係無い人の過去の作品まで読むのは、なんとなく悪い気もして、気が進まず読んではいない。父の作品を読み終えた後、祖母も読み返すかも知れないと思い、昨夜からリビングダイニングのテーブルに置いておいたのだが、出掛けにデイバッグに入れて持って来た。
月ヶ瀬さんはキラキラと光る瞳に好奇心を溢れさせていた。目は口ほどに物を言う、と言うけれど、月ヶ瀬さんの目は特に雄弁なようだ。気になる、とその両目が叫んでいる。
「読んでみる?」
ボディバッグから本を出して差し出すと、月ヶ瀬さんは、好物を見せられた猫のように、さわわ、と両手を動かした。
「いいのか?」
「うん、月ヶ瀬さんの興味を満たせるなら」
「君もいちいち厭味だな」
どすっ、と脇腹に拳を入れられた。意外と痛い。
「だが、お言葉には甘えさせて頂こう」
ほら渡せ、と言わんばかりに手の平を出されて苦笑が浮かんだ。
「はい、どうぞ」
月ヶ瀬さんは本を受け取り、ぺこりと一礼した。そして、驚いた事に速読はせず、まるで想いを込めるように、ゆっくりとページを繰り始めた。
「ふむ。タイトルは『一角獣と虎の物語』か……」
読みながら祈っているようにも見える月ヶ瀬さんの横顔は、僕の父を大切にしてくれているようで、ありがたく、すごく嬉しかった。じわり、と胸が熱くなる。
それは、かつて父が書いた些細な童話。
どんな人だったのか漠として掴めない、ただ曖昧な記憶だけを残して消えてしまった、淡い影のような男を象徴する物語。
傲慢で繊細な、小日向祐樹の心の世界――
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