第5話 新規の戸惑いを表情に浮かべる




 翌日も、空はよく晴れていた。青く、濃い白さ雲も浮かんでいる。風はよわく、花粉も少なめだった。

 たとえば春の日、ピクニック日和として、申し分ない世界の煌きようだった。アスファルトの隙間を割って生息する雑草たちすら、青々とし、活き活きとし、ほがらかに語り掛ければ、答え返してくれるのではないか、と思わせる。

 町は、そんな惑星が無差別に与える豊かさのなかにあった。

 だが、その町に一角に停車されたキャブコンの中は、内蔵まで響きそうな瘴気が充満している。

「パン食う前につれけよ、おい。人として段取り能力が終わってんだよ」

 腕組みをした五郷が向かいに座る矢山へぶつけるようにいう。立腹はあきらかだった。

 服装は、昨日とほぼ同じ構成だった。草臥れた灰色のフリースに、茶色のズボン。くすんだ黒いスニーカーは、底が斜めになるまで擦り切れいる。

「こっちだってさ、心を仕上げて来てんだからさ。ああいうのはこまるだよ、おっさん」

「いやあー、めんぼくないめんぼくない」

 軽薄そうに放った言葉に添うように、矢山は微塵も悪そうに思っている気配はない。

「有名な辞書で、軽薄、って意味をひいたら、そこのページにおっさんの顏の挿絵がそこに掲載されててもかしくないぐらいの軽薄な顏しやがって」

 そう五郷は愚弄した。しかし、矢山はきいていない。

「ぽんこつが」

 すると、五郷はただ、愚弄した。

 だが、それもきいていない。矢山は意気揚々と話す。

「まったくもってねえ、いやー、まさか、かるめがもうパンを食った後だったとは、想像もしてなかったさ」

「いや、出来るだろ、もうパン食い終わってるだろ、とか。想像とかする前頭葉とかサボらせとかないで使ってけよ。つか、昨日みたいに車内でしょうもねえ会話ばっかしてるから大事なタイミング逃すんだよ」

「うふふふ」

 全力で苦情を与えてゆくが、矢山は気味わるく笑ってみせただけだった。

 そして、一条は五郷にも矢山にも引いていた。

 木野目は、今日もキャブコンの運転席に収まり、関与する素振りはない。

「五郷くん、君のその禍々しいまでの情熱が嬉しいんだよ、私は」

「そんな喜びは溶鉱炉へ捨てろ。こっちはな、そういう勘違いで自分を幸せにするような生物には気を付けろって、母親にしつけられんだよ。もう罰としてタトゥーを掘れ、溶鉱炉の絵の」

 言われた矢山は「うーむ、要求する罰のクオリティがチンピラを越えてるねえ」と、ただ感想をつぶやいた。

「ほいで」五郷も好きに言ってしまった後は、からりとして次の展開をうながす。「今日はどうするんだ、昨日よりも早い時間に呼び出しやがって、まだ午前中だぞ、ええっと………何時だ?」

「十時ちょうど」一条が添えるように伝える。

「そうだ、午前中の十時だぞ。午前中の十時つったら、ろくでもない奴ならまだ眠ってる時間だぞ。そういう奴らにとっては睡眠レギュラー時間帯なぞ」

「どうして、ろくでもない奴に照準を合わせたものを会話に持ち込んだ」一条が苦悩にも近い表情でひっかかりを見せる。

 すると、矢山は「きみだってろくでもない奴じゃないか、五郷くん」と、遠慮なくいった。

「まあ狭い車内だ、落ち着きこう」

 しかし、五郷は言い返すこともなく、むしろ、場を鎮めようとした。

「で、またパンか? 今度がかるめ女子がパン食い女子になる前に、仕掛けて世界最高峰のパン写真を撮らせれろってか」

「あまいね、五郷くん」

「企んでる顏が告訴のレヴェルだな」

 五郷がそう言い返す。いったい、告訴をなんだと思っているんだろう、横で一条がそんなことを考えている表情を浮かべた。

「今日はパンではない。かるめがあの店でパンを買って食べるのは、母親の仕事が遅くなる日だけだ。彼女は今日、仕事が休みだからパンはない」

「そうなのか。けど、パンを食べないとなると、俺たちはもはや手詰まりだろ。なにひとつ、手がないじゃないか。俺たちには、あいつがパンを食ってる時しかチャンスがないだぞ。他の可能性はゼロじゃないか」

 それを聞いていた一条が「うん、なにも考えてない人の発言にしかきこえない」と、注意した。

「今日の作戦を発表する」

 急に矢山が敬語で言った。

「きょーう………今日はね、かるめに幸せな野良猫写真を撮らせる」

「死ぬほどシケてるなあ」

 五郷が遠慮なく言う。すると、運転席に座っていた木野目が、わずかだが吹いたように動いた。

「つまりだね、ふたりとも!」差し向けられる言葉の暴力など無視して、勢いよく説明を開始する。「かっ、かるめはね、猫が好きなんだ! そうさ、好きなんだよ! そして、よくこの近所で野良猫をみつけては写真を撮ってるんだ! というか、とくに! ええ? い、いい、いいかね! ここが重要なのさ! 春休みのお昼になると、こっそり猫にエサをあげるのが日課になってるんだ!」

「急に異常な興奮状態だな」五郷が鬱陶しそうな表情で言う。「殺人鬼出現にも等しい脅威を感じるわ」

「うっ」そう言われ、矢山は我に返って「おっとっと、しっけいしっけい、ついつい、はは」と軽く笑ってみせた。

「猫ならウチにもいるけどな」

「おい失敬な! 君んとこの家の猫と、ウチのかるめが可愛がっている野良猫を一緒するんじゃないよ!」

「何に激怒されてるかわかんねえなから全面無視するが。で、具体的にはなにしろってんだ」

「決まってるじゃないか、かるめに最高の猫写真を撮らせればいんだよ、君たちふたりの暗躍で」

「あの、ちなみに」そこへ一条が、昨日同様に訊ねる。「いままでかるめさんはどんな猫の写真を撮って、それでどんな人が《神殿》の当選者だったんですか?」

「こんな写真だよ」

 矢山はプリント済みの写真数枚を二人へ掲げてみせる。そこには黒白の八割れ柄の猫が、路上を闊歩していたり、塀の上に座っていたり、植え込みから顏だけ出している様子が写されていた。構図にさほど撮影者の意識が入っているともいえないが、それでもどれも可愛げに猫が撮れているともいえる。

「ウチの父親が初めてのスマホで撮ったウチの猫の写真よりは遥かにいいな。どれも猫が目を半開きで白目状態だったもんな、ウチの父親の猫写真」

「この写真で、どんな人が当たったんですか」

「ええっと、どっかの国の林檎ドロボーだったかな………?」

「なぜだ」

 一条は茫然とした。

「え、え、そんな悪い写真じゃないですよね? 幸福感とはないけど、そんな世界へ悪意を流し込むような印象はないじゃないですか」

「んー、そうなんだよねえ………」

「あ、そうだ。そういえば、あの、昨日のかるめさんの写真はどんな感じの写真だったんですか。パンの写真は」

「ああ、それはこれ」

 昨日撮ったというパンもプリントしてあり、一条へ見せる。スコーンが二つに、アッサムと思しき紅茶の入ったティーカップが情報量のバランスよく写されている。先に見せられた猫の写真と違って、構図にも意識が入っていることがわかる。

「………で、あの、昨日はどんな人が《神殿》の当選者に?」

「ええっと、昨日はね、西のほーにいる、絵画の贋作職人だったんだよ」

「なぜだ」

 一条が強く戸惑いもじもじ身体を揺らしはじめていたところへ「まあまあ、一条さん」五郷が声をかけいさめる。「落ち着くんだ、どうせバグってんだろうし。考えたら負けだ」

「いや、だからといって考えなければ勝ちという気もしないんだけど………」

「どうせバグってだよ」五郷はあきらめさせるように、ふたたびその説を持ち出す。「このおっさんがつくったアプリだ、バグってんだよ」

「ほーうほっほっほ」

 矢山は笑った。何かを誤魔化しているのか、ただおもしろかったのか。

 それとも。

 いずれにしても、相手になにひとつ見抜かせない、厄介な生物だった。

「害虫め」

 だから、五郷は手加減なく愚弄する。心はいっさい、傷めず。

 そして、矢山はきいていないていでゆく。「というわけだ、今日はこの世界が幸せを感じるような猫の写真を、かるめに撮らせるんだ、君たち」

「まかせろ」

 五郷があっさりと受け入れる。その許容範囲の塩梅がわからず、一条は新規の戸惑いを表情へ浮かべるばかりだった。

「ぜんぶ、まかせておけ」

 無責任の念など、微塵も抱くようすもなく言い切ってゆく。



 三十分後、車内に設置された小さなテーブルに、飲みさしのペットボトル飲料が三本、開封され食いかけスナック菓子の袋が見苦しく展開された頃、矢山がふたりを見た。

「ふたりとも、そろそろ、だぞ。かるめが猫にエサをあげる時間だ」

 車が停車していたのは住宅街の路上だった。運転席のガラス越しに矢山かるめ自宅である、一軒家が見える。築三十年は経過しているらしいが、近年外壁を塗り直したらしく、老朽化を感じさせない。

「つか、おっさん。あれあんたんちなんだろ」

「ああ、名義上はね。うちの実家だよ。まあワケあって一緒に住めてないけど」

「ああー、そういう複雑な事情とか聞く気もないし、俺は知っても何も思わないと思うので説明へもとめんが。おっさんが家に帰ってないのはともかく、根本的に目立っじゃええのか」

「目立つって?」

「この車。住宅街の路上には不自然だろ、キャンピングー」

「いやあ、まあー…………いけるんじゃなかと私は思うがね」

「いけるというか、むしろ、職務質問が来るぞ、お巡りさんにみつかると向こうから来るぞ、世界の終わり式な職務質問が」

「とはいえ、大人しくしればだいじょうぶさ」

「ヨシ、やっぱし無駄な会話になったぞ、ヨシヨシ」なにか納得したらしく、五郷はひとりずなずいていた。「で、あの家からー、かるめ女子が、でろり、と猫のエサ持って出てきて、そこへ猫が、ぬるり、って出て来たところ、俺たちがやっちまえばいいだろ」

「まるでこれから生産する犯罪の確認に聞こえるところが嫌だ………」

 一条がうんざした表情をみせた。だが、すぐに表情を普通へ戻し、問う。

「でも、どうやって、その………世界が幸せになるような猫の写真を撮らせるの?」

「それはあれっすわ、一条さん」五郷は具体策を得ているが如く態度で答える。「どうせ、ぐちゃぐちゃな仕事なんで、正解なんて事前に用意できるワケないですよ」

「出たとこ勝負だね。そしてきっと負ける勝負だね」

「君たち! かるめだ、かるめが出て来たぞ!」

 矢山が興奮して叫ぶ。五郷は「自分の娘が家から出てきただけで興奮すんなよ」と、攻撃よりな苦言を呈す。

 だが、けっきょく、五郷も、一条も矢山の興奮を帯びた報告により動き出す。車内に小さな窓にふたりで顏を寄せ、家の様子をうかがう。

 玄関先にかるめの姿があった。全身もこもこした素材で身を包んでいる、家着らしいが、近所のコンビニにゆくには、世間の誤解を生まずに済めるほどの許容範囲にありそうだった。ボブカットを揺らしながら段差をくだり、レンズの大きめな丸い眼鏡をかけ、足はつっかけのみで裸足だった。手には砂時計型の陶器を持っている。それを見た一条が「なにかアルマ入れみたいなの持ってますね」と言うと、五郷が「ボウルに高さをつけたエサ皿だ、平皿だと猫が頭を地面までくっつけるが、あれだと頭を地面までさげなくていいから猫も首が疲れない」と解説した。

 皿を持ったかるめは、庭の方へと向かって行く。

 男たちは車内からその様子をじっと見届けた後、五郷がいった。「完全にストーカーの眼差しだぜ」

「つかまりたくない」一条は願ったが、誰もまともに取り合わない。

「よし、じゃあ、行ってくるぜ、おっさん」

「作戦はあるのかね」

「なーに、あると思い込んでやるだけさ」

「すなわち、無いのか」

 言い返す矢山の言葉は、ふたりが車内から外界へ下って、ドアを閉める音とかさなかった。

 矢山は助手席へ移り、フロントガラス越し、かるめの自宅へ迫ってゆく様子を見守る。木野目目もじっと見ていた。

 そして、ふたりが見ている目の前で、五郷が横から来たワンボックスカーに跳ねられた。


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