4 最後の国

 街への外出は、折よく天候に恵まれた翌日の昼食後に決行された。


「似たような建物ばかり並んでるな」


 もの珍しく周囲を見まわして、ユキは言う。

 レヴィンに連れられ、はじめてこの街にやって来たときにも目にしているはずの光景だった。けれどそのときは、視界に入る人の多さにただ圧倒されるばかりで、こうして街をじっくりと眺める余裕もなかった。


 石を敷き詰めつくられた幅の広い道。その両端に整然と建ち並ぶのは、やはり石を積み上げつくられた、同じ形、同じ大きさの建物の群れだ。目に映る灰色の街並みは、柔らかな春の陽射しの下にあっても、どこか冷たく、画一的だった。


 隣を歩くレヴィンが、「まあ、たしかにな」と苦笑する。


「土地や建造物は、すべて王や領主の所有物なんだ。頑丈さと管理のしやすさを優先したら、こうなるんだろうな。この景観は、どこの街でもそう変わらない」


 そう教えてくれる彼の左手は、ユキの右手とつながれている。彼女が以前、街で人に酔ったことを気にしているらしいレヴィンは、前を向いて歩きながらも、ときおり確かめるようにユキを見た。


 気遣う視線が自分に注がれるのを感じるたび、ユキはくすぐったくなった。出会ったときには、なにをするにもレヴィンが手をかけてくれていた。自分でできることが増えていくほど、少しずつ距離が開いていって、触れ合う機会は減っていった。


 だからこんなふうに手をつなぐのも、久しぶりのことだったのだ。手のひらから感じるレヴィンの温度と存在感が嬉しくて、指先にぎゅっと力を込めると、どうした、と問うようにレヴィンが首を傾けてこちらを見る。


「手をつなぐのは、久しぶりだ」


 ユキが言うと、「そうだったか?」と応じたレヴィンは、ふとなにかに気づいた様子で目を丸くした。


「……ユキ。もしかして今、すごく機嫌がいいか?」


 ユキがこくりとうなずくと、レヴィンは「そうか」と目元を和らげた。


「手をつなぐのが好きなのか?」


 その問いに、ユキは少し考えてから答えた。


「手をつなぐのも好きだ。触れていると、安心するから」

「……不安なのか? それとも、寂しいのか」


 レヴィンの表情が心配そうに曇っていくのがわかって、ユキは首を振った。


「そうじゃない。おまえと一緒にいられて、嬉しいだけだ」


 そう答えると、レヴィンは動揺したように目を泳がせた。


「……うん、そうか……」


 かすかに口元を綻ばせながら小さな声でつぶやいたレヴィンは、ユキの視線に気づくと「口、開きっぱなしになってるぞ」と指摘した。ユキは、ぽかんと口を開けたまま、レヴィンを凝視して固まっていた。


「ユキは、たまにそういう顔をするな。すごく見られていることと、驚いていることは伝わってくるが」

「おまえが笑ってたから」


 レヴィンは怪訝そうな顔をした。


「別に珍しくもないだろう? 俺はいつでも普通に笑ってるぞ」

「……笑い方が違う」


 会話の中で笑うレヴィンはよく見かけるが、ユキにはそれが薄っぺらなものに感じられる。反射のように、場面にあった表情を顔にのせているだけのように。

 それでもときおり、心の内が溢れたように、不意に表情が崩れるときがある。苦く歪むこともあれば、柔らかく綻ぶこともあるそれが、温かいものであったとき、ユキはつい見入ってしまうのだ。


「自分ではよくわからないことだが……ユキにとってはなにか違うんだな」


 レヴィンは半信半疑といった表情を見せながらも、否定はせず、そう受け止めた。それから、ふと思い至った様子で口を開く。


「そういえば、ユキが笑った顔はまだ見たことがなかったな」

「笑った方がいいか?」


 そうユキが返すと、レヴィンは「え」と小さな声を漏らした。


「……まさか、笑えるのか?」

「やろうと思えばできる」


 試しにユキがふわりと微笑んでみせると、レヴィンは驚きと呆れが混ざった複雑な顔をした。


「……表情筋、あったんだな」

「普通にある」

「働かせていなかっただけなんだな……」

「おまえがその方がいいと言うなら、働かせる」


 ユキが言うと、レヴィンは「そんなにあっさり切り替えられるものなのか……?」と戸惑いを見せた。


「やろうと思えばできる」


 あっさりと返すと、レヴィンは疲れたように「そうか」とつぶやいた。


「まあでも、やろうと意識する必要があることなら、これまで通りでいいんじゃないか? 今だって見ればなんとなくわかるし、そんなおまえがはっきり表情を変えるときは、それだけ感情が動いたんだろうとわかるしな」

「…………」


 レヴィンの言っていることは、ユキがレヴィンに対して考えていることと少し似ていた。ユキが一番、影響を受けている人間は間違いなくレヴィンなのだから、それは当然のことなのかもしれない。


「――ああ、でも、」


 レヴィンは思い直したように言葉を続けた。


「これから行く店で誰かに話しかけられたとき、どう答えていいかわからなかったら、そのときは笑っておけ」


「笑うだけでいいのか?」

「ああ。ただ笑っておけばいい」


 あとは俺が適当に返事をするから、と言う。


「特に国や王家の話題が出たときは、黙って微笑んでおいてくれ。そのての話題は、返し方が決まっていることが多いんだ」


 説明を惜しまないレヴィンにしては珍しく、ユキの理解が追いつくことを頓着していない話し方だった。


「わかった」


 それでもユキが迷いなく答えると、レヴィンは苦笑を浮かべてうなずいた。






「なるほど。たしかにサイズが合わないようですね」


 ユキを見た店員はそうつぶやいてから、「お嬢さん、こんなふうに両腕を広げてもらえますか?」と身振りをまじえて伝えてきた。


 丈の長いスカートの上に簡素なエプロンをつけた中年の女性だった。ふっくらとした顔をしていて、笑うと目尻に小さなしわが浮かぶ。


 エルマに紹介された、服飾品を主に取り扱う小さな店。こぢんまりとした店内には、作業用の大きな机を囲むようにして、布地や糸がぎっしりと並んだ棚があり、隅には大きな衝立が置かれていた。


「そうですね……肩幅や胴回りはちょうどよさそうですが、着丈と袖丈が少し短いようですね。きちんと測ってみましょうか」


 巻き尺を手にした店員が、手際よく部位ごとの長さを計測していく。


「なるほど。このくらいなら、ひとまわり大きなものを少し詰めれば大丈夫でしょう。糸をほどく必要もないので、すぐにできると思いますよ。こちらでお直しいたしますか?」


 店員に聞かれたレヴィンは笑顔で答えた。


「ええ。着まわしに困らない程度に、夏服を何着かお願いできますか?」


 服の直しは当日中にできるということだったので、他の店を巡ったり双子へのおみやげを買ったりして、適当に時間をつぶしてから、再び来店した。


 先ほどの店員はちょうど接客中だったようで、十歳前後の少女を連れた母親らしき女性と話をしていた。こちらに気づいたらしい店員は、客に断りを入れてから数着の衣服を手にやって来た。


「お待たせしました。直しはできていますので、一通り袖を通してみてください。気になることがあったら声をかけてくださいね」


 店員は、ユキを衝立の向こうに案内すると、再び客のもとへと戻っていった。


 一人残されたユキは、ひとまず言われた通りに服を着てみることにした。落ち着いた深い緑色の布地のワンピースに着替えたあと、どうしたものかと首を傾げる。店員からは、気になるところがあれば声をかけろと言われたが、なにを気に掛ければいいのかが、ユキにはよくわからなかった。服のサイズが合わないとエルマに言われ、こうして買いに来たわけだが、ユキにとっては別に違和感なく着れていたのだ。


「どうした? なにか困っているのか?」


 折よく衝立の向こうからレヴィンの声がかかり、ユキは「服を着たあとは、どうすればいいんだ?」と尋ねた。


「着てみて違和感がなければそれでいいと思うが……わかるか?」

「よくわからないから、おまえが見てほしい」


 そう言って衝立から出ると、ユキを見たレヴィンは少し困った顔をした。


「半袖のワンピースか……。袖丈の長い短いくらいなら俺でもわかるが、そういう服はあまり自信がない。店員を呼んで見てもらおう」


 店員は引き続き先ほどの親子と話しているようだった。レヴィンが声を掛けようとしたとき、母親と並んで立っていた少女が、ユキに気づいて声を上げた。


「お姉ちゃん、とってもきれいね!」


 無邪気さのにじんだ、弾むように明るい声だった。それを合図に、母親と店員の視線もユキに向けられる。


「まあ、本当ねぇ」


 母親が、娘の言葉に優しく微笑んで同意した。少し間延びした、おっとりとした喋り方の女性だった。


「よくお似合いですよ、お嬢さん。詰めたところもちょうどよさそうですね」


 目元に笑いじわを浮かべた店員が、満足げにうなずく。


 視線と言葉が一斉に集中したユキは、誰になんと返していいかわからず戸惑った。わからないときには笑えばいいと言ったレヴィンの言葉を思い出し、笑顔を向けると、少女の頬がほんのり染まった。


「お姉ちゃんの笑った顔、すごくかわいい! 褒められたら嬉しいよね。お兄さんにも褒めてもらった?」


 こてん、と首を傾げて尋ねる少女に、隣にいるレヴィンがぴしりと固まるのがわかった。


「あらあら……」


 少女の母親がおかしそうに口元に手を当てている。


 褒めたかどうか問われただけなのだから、褒めていないと答えればいい。ユキはそう思ってレヴィンを見たが、彼女の視線を受けたレヴィンは小さく肩を揺らし、ユキと床のあいだで無意味に視線を何往復かさせたあと、口を開いた。


「……いいと思う……」


 この短い言葉のどこに言うのをためらわせる要素があったのか、ユキにはわからなかったが、こくりとうなずき返しておいた。途端、ふふっと楽しげな少女の声がして目をやれば、向こう三人がにこやかにこちらを眺めていた。


「誕生祭が近いですからね。その服なら、祭りの日の晴れ着としても使えるでしょう」


 笑いじわを深めた店員が言うと、少女が「私も誕生祭のときに着る服を買いに来たんだよ!」と続けた。誕生祭といえば、国をあげて国王の誕生日を祝う祭りだとエルマが話していたはずだ。


 嬉しそうにはしゃぐ娘を見て、母親が目を細めた。


「いずれ滅びる国だけれど、今日までこうして続いているのは、王様が良くしてくださっているおかげなのだから、きちんとお祝いしなくちゃね」


 滅びを口にする母親の穏やかな声に、少女は元気に「うん!」と返した。


「まあ、いいお返事ですこと。お嬢さんたちが大人になるまでは、滅びの種が芽を出すことのないように、私たち大人がしっかりしなくてはいけませんね」


 笑いじわを刻んだままの店員の言葉に、母親が「ええ、本当に」と応じた。


「今日が滅びの日でないことを、慈悲深き最後の神に感謝します。そちらのかわいらしいお二人も、よい誕生祭を迎えられますように」


 柔らかな声でそう言って、母親がこちらを見る。ユキはそれに笑顔を返した。隣にいるレヴィンもまた、笑みのかたちに口角を持ち上げて言った。


「ありがとうございます。この国の日々が、途切れず続きますように」

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