まるで「不思議の国のアリス」を読んでるような感覚に陥りそうになる…!

 驚いた。プロのような冷静な観察力と文章力。だがしかし、作者の冷静な筆運びが取っ付きにくさを呼び、ハードルを上げてしまっているのが惜しい作品。
 面白くなるのは、むしろ作者の性癖が滲み出てきてからだ。
 転生して身体が小さくなったのは大きい幼女に甘えたい、つまり巨大女からの愛で癒やされたい願望なのかと思いきや、それはあっさりと過ぎ去り、むしろ女装してからが変なのである。変態っぷりが描写されるほど、冷静な観察力の文体とのギャップが出てきて奇妙な味となり、もっとこの性癖を出して壊れろと読者として叫びたくなる。
 話を深めてみよう。
 そもそも、男が女になりたくなるのは、それは「愛される」からだ。
 自分が愛される存在になりたい。その思いが強くなると、副作用で女装などへの興味が出てしまう。逆に言えば愛に飢えてきた男がハマりやすいとも言える。もっと言えば女が、女としての幸せに恵まれてこなかったら、反動でその女は今の社会ではツイフェミと呼ばれるフェミニストもどきとなり、男や男社会を批判・攻撃して、自分が愛されて女としての悦びを享受できなかった恨みを晴らそうとするのだ。
 そうした欲望の陰で蠢く闇が描かれないのは個人的には物足りないが、しかし主人公が女装への舞台へと羽ばたいたとき、作者の描写力は一気にそのステージを彩り、華やかにさせる。小説的にはどうしてそうなった、主人公に葛藤はないのか、なぜ受け入れてばかりいるのかとツッコミは山ほど出てくるが、女に変身できることの素敵さを描いた筆圧のほうに「まぁいいか」と、すべてをウヤムヤにしたくなるのもわかる。
 実を言うと僕も昔、なつかしい学生街の江古田のほうで音大生と付き合っていたときに彼女からイタズラで女の化粧をされたことがあった。彼女いわく、顔がいいから化粧して試してみたいとのことだったが、さすがに「顔がいい」と誉められると断れなくなる。好きにしてくれと化粧してもらったら「やっぱり私より可愛くなるじゃん!」と確信を持って、仕上がった僕の顔が映る鏡を覗き込まれたとき、すごく気持ち良かった。悪い気がしない。女の悦びとはこうして誉められて注目されて愛されることなんだなと知った。
 しかし僕はそれ以上、女になりたいとは思わなかった。おそらくイタズラで化粧するような範疇を超えて、本気で女装するには別角度からの新たなモチベーションがまた必要だったのだろう。そこの葛藤やためらいが、この主人公にはなかったのだろうか。超えたくないのに超えてしまう理由とは何か、恥ずかしさの一線を超える何かが描かれていたら、これは天才の書いた小説となってしまい、僕は平然とレビューなんて書ける精神状態ではなくなり、もっとこう、この天才作品を苦しめたくなるような嫉妬の突き上げに襲われていただろう。
 だからこの作品を分解して、あーだこーだ言うのは自分の嫉妬を強めそうになるので嫌なのだ。じゃあ、なんでレビューを書くのだと言われると、それは作者には映画「ミッドナイトスワン」を観ろと言いたかったからだ。
 元スマップの草なぎ剛氏が主演で、日本アカデミー賞をたくさん受賞した名作だ。
 観ればわかる。
 その作品に込められた味が加わったら恐ろしいことになるんじゃないかという興奮が走った。
 それだけ、この小説はラノベ調の異世界作品とは違った香りを持っている。それは海外の児童文学のような香りだ。まるで「不思議の国のアリス」を読んでるような感覚に陥りそうになる。このわかったようなわからなさ、何か深い意味が込められていそうな描写。プロっぽい文体だからこそ、流して読んで良いのだろうかと警戒したくなる。いや、むしろシュールで難解な児童文学が好みの人にとっては、この小説は大変な御馳走となるだろう。
 だからこそ、ここに「ミッドナイトスワン」のような生きる事への厳しさと、主人公の直向きさの視点がさらに加わると、これは商業作品への道が一気に近くなるなと予感したのだった……。