第6話 欠けた魂
何度目かの夢。目を瞑っても逃れること出来ない地獄に、ルーシュは心を殺しているようだ。
ブラックアウトした視界に、いくつものシーンが描写される。不思議な感覚だが、まるで時間の中を泳がされているような気がした。何故か、明らかに今までとは違うと、誰かが告げる。
一度目に止まったのは、紅く染まった白い竜が、壊れかけの街を焼き尽くす風景。鮮明に見えるのは悲愴に歪んだその表情。
吐息は大地を焼く炎となって、人々とその形跡を跡形もなく消してゆく。どこからか発生した、辺り一面を覆う死竜達。彼らはまるで下僕であるかのように竜へと寄り添う。しかし、それを良しとしない竜は、そんな死竜達も例外なく灰にしてしまった。
助けてと叫ぶ声に慈悲もなく。ただ何かに操られるかのようにして、竜は破壊の限りを尽くした。
クオトラははち切れんばかりの情報量に、脳が支配された。そして途切れ途切れの意識の末に、一つのシーンへと辿り着いた。
「あれ」
見覚えのある景色。知っている。知っている。このルーシュはきっと知らないが、僕だけが知っている。忘れるはずもない、ここは。
僕の街、アルフィグだった。
まだ今後起こりうることを何も知らない無垢な街並み。見た覚えのない店や、家もあるがそれでも見間違えるはずがない。何故か街の名前が思い出せないが、そこは確実に自身が育ってきたその街であった。
涙は流れない。それでも、確実に僕は
街の中をルーシュが歩く。穏やかな空気。大人たちの小さな争いが可愛く感じられてすらいる。空をぼうっと眺めると、どこまでも広がるような青空で、空をとべたら気持ちがいいんだろうなという、普通の人間並みの考えが脳へと浮かんだ。
夢の中のルーシュは、広場の端に置かれたベンチに腰をかける。視界の端には風に靡く桃色の髪の色がある。その姿は僕の見た事のあるルーシュなのだろう。
あれと。ふと違和感。僕は、一体誰だ。目の前に居るのはルーシュ。てっきり僕はルーシュとしてここにいるものだと思っていたのに、ルーシュを見ている僕は一体。
ルーシュはいつものように、懐から書物を取り出す。書物に残っていた宝石は既に無く、ただぽっかりと空いた三つの穴があるだけ。
吹き抜ける風に頁を捲られそうになるが、それを抑えて書物に没頭するルーシュ。そこには先程までの怒りに塗れた青年の面影は無く、ただ優しそうで幸せそうな青年がいた。
どうして。そんな声が自身から漏れる。
そうか。あれは未来のルーシュ。
クオトラは理解する。これまでの自身が追体験する夢とは違い、これは自身の未来を自身がみている風景。つまりは過去のルーシュが未来のルーシュを見ているのだろう。
理解の及ばないことが連続して起こった結果、これはそういうものであるのだと、勝手に自身が解釈した。そうしてクオトラは今の有り得ない光景にも不思議と納得していた。
ルーシュは長い時間、書物を読み耽っていた。きっとそれも何周目かで、内容なんてほとんど知っているはずなのに。その姿はまるで何かを待つように。
やがて日は落ちて、橙色の光が街を照らす。街を歩いていた人々は早々に切り上げて、家屋の中へと姿を消す。そうして誰も居なくなった街に、残ったのはルーシュだけとなっていた。
街を照らすのは弱々しい街灯の光と、優しい月の光。星々は気持ち赤みがかっているものの、月の光には敵わないと言わんばかりにその鳴りを潜めていた。
座っていた彼はゆっくりと立ち上がる。彼が歩くとその後を追うように、白銀の軌跡が尾を引いた。全てが消えた街の中、当てもなくただただ闊歩する。見つけたもの全てを不思議そうに見つめる彼はまるで子供のようで、見ているクオトラも自然に笑みが零れる。
長い時間歩き回り、時刻は日を跨いだと思われる頃彼はようやくある場所へと辿り着いた。
そこは……。
そこは、クオトラとルーシュがお気に入りの場所だった。誰も居ないそこに彼は腰掛けると、自身の掌を見つめて、誰も知らない言語で呟く。
ーーー最後の時はきっと近いんだろうけど。僕はもう何も見たくはないーーー
知らない言語のはずなのに、どうしてだろうか僕はルーシュがそんなことを言ってるような気がした。
彼は何をするでもなく、ただ柔らかく微笑んで朝を迎えた。僕は、そんな様子を動けない体でぼうっと眺めていた。通常であれば退屈なはずだというのに、不思議と辛くはなかった。
早朝、彼は終わりを待つように、天を見上げた。そして、広場を眺める彼の左眼は赤く染っている。頭を抑えた彼だが、直ぐに顔を上げる。
「お兄さん、大丈夫？ 」
一人の少年が、彼に声をかけた。すこし赤みがかった黒髪。ころころと大きな黒い瞳が、青年を見つめていた。
「これくらい何ともないよ」
優しい声で彼が答えると、少年が怪訝そうな顔をする。
「嘘だ」
「嘘じゃないよ、僕はなんともないさ。ちょっと疲れちゃってさ」
彼がそう答える。赤く染った左眼を抑えて。
「こんな朝早いのに、どうして疲れてるの？ 」
「朝……僕はずっと夜の中にいるんだ」
「お兄さん、何言ってるか分からないよ」
少年が首を傾げて、そんな言葉を返す。彼は乾いた笑いを浮かべて、空を見上げる。少年もそれに釣られるようにして空を見上げた。
「僕は、ルーシュっていうんだ。君の名前を教えてくれないか？ 」
ルーシュが微笑んでそう語りかける。穏やかなその表情を僕は知っている。
「嫌。お兄さん変な人だから、僕の名前は教えてあげない」
少年は、ふいっとわざとらしくルーシュから目を離した。
「お兄さん、変に見えるかな？ 」
「うん」
少年は躊躇うことなく、即座にそう答えた。
「どこが変か、教えてくれないかい？ 」
ルーシュがそう問いかけると、少年がルーシュへと振り向いて、その顔を凝視する。
「お兄さんね、ずっと夢の中にいるの。辛いでしょ。もう、目覚めてもいいんだよ」
ルーシュの目が見開かれる。その目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
「いつかまた巡り会うだろう。親愛なる僕よ」
心が満たされたような気がした。待っていた結末とは違うが、それも許せてしまう結末を待てる気がしていた。
世界は涙に濡れ、全てがゆっくりと溶けていった。瞳の裏に今もこびりついている、この少年の無垢な笑顔が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます