エルージュティアの竜劇

第4話 赤白の軌跡【前】

　何が起きたのか分からない。僕はきっと死んだはずだ。今感じているのは、浮遊しているような不思議な感覚。初めてのはずなのに、僕はこれを知っている。夢の感覚だ。

「直に我々の人格は消え去る」

「人格……ねぇ……」

　目の前で二人の人間がそんな会話をしていた。一人は赤い髪を腰まで伸ばした女性。切りそろえられた前髪、不機嫌そうで斬れ味のある瞳。纏う不機嫌そうなオーラから、整った顔ではあるが酷く近づき難い印象を与える。

　もう一人は、緑色の髪を短く切りそろえた少年。所々が雑に切られた髪と、大きく明るい緑色の瞳があどけなさを感じさせる。金属質のものが何一つもない柔らかそうな服は、初めて見るものだが少し親近感を覚えてしまう。

「ヤツは我々を元とは違う土地に飛ばすそうだ。それがどうかしたか……と言ったところではあるが」

　緑色の少年が、口を開く。余りにも想像していたものとは違う、顔に似つかわしく無い低い声。老齢の騎士を思わせるその雰囲気に、体を誰かに乗っ取られているのではないかとすら思ってしまう。

「完全に消失する訳では無いって聞いたけど、その辺どうなのかしらねぇ。先代達もとっくに還った頃でしょうし、今知る術なんてないんでしょうけど。レウェルシュはその辺聞いたりしていないの？　」

　赤い髪の女性が聞き覚えのある名前を発した。

「俺は、負ける気なんてさらさらなかったから、そんなことを調べてないよ。逆に君たちはそんなに余裕があったのかい？　」

　喋ってなどない。それなのに、自分の口が勝手に動き、そんな言葉を吐き出していた。一体どういうことかと困惑する時間すら与えられないまま、会話は進んでいく。

　険悪な雰囲気。声も仕草も、自身の知るレウェルシュとは完全に別人で。

「負け犬同士、随分と楽しそうじゃないか。こちらは今後について考えなくてはいけないというのに、そんなくだらない事で言い合いする余裕がある貴様らが羨ましい」

　一人だけ、姿が異質だった。だが、それは確実に先程見た男。

「悪かったな。お前はさっさと次についてでも考えていてくれ」

　自分の体がそう発すると、青い髪の男レクティラは明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。そして大きな溜息を吐いた。

「気が変わった。セカンドステージと行こうじゃないか」

　その声に周囲の空気が一変する。

「なんの目的？　」

「そんなこと決まっている。代々敗北者達が、自身の復活を夢見て残った秘炎器官を寄せ集めてきたと。そんなことをしてどうなるかは知らないが、興が乗ったのでな。そこでも私が一番であることを証明してやろうと言ったまで」

　赤い女が、今にも飛び掛りそうな程に怒りを顕にする。そして口を開いた瞬間。

「勿論」

　レクティラが口を開いた。彼は大きく腕を広げてアピールするような仕草を見せる。

「参加すると言っても、私はこの世界を統治する身。であるから条件は貴様らと同じだ。ただの器を地上に返すのみのこと」

「何故そんなこと……」

　感情が、まるで文章のように自身の脳に流れ込んでくる。どうして救えるはずの命を救おうとしないのだと。

「お前は器になんの感情も抱いて居ないのか？　」

「抱いているとも。抱いているからこそ信頼している。私が私として存在し、器が器として存在するのならそれはそれで良いでは無いか」

　レクティラは飄々と告げる。

　悔しさ、憎しみ。不思議な感情と共に、この体の持ち主から思考が逆流してくる。

　敗北者達の争い。それは、竜の器として体を酷使し死を待つだけになった人間を、残った力で竜種として完成させ生存させるための争い。

　既に神竜を目指していた時の感情はなく、ただ竜達が器となってくれた人間達に最期の感謝を伝えるための機会となっていた。

　本来、神となれば器も滅びることは無いというのに……。おぞましい炎のような怒りが、身体中に流れ込む。

「てめぇなんぞには絶対に渡さぬ」

「勿論。渡されるつもりなど毛頭もない。奪うまでのこと。だが、レウェルシュ。ちょっとお仕置が必要だ」

　レクティラは、左手を僕（レウェルシュ）の左手に重ねる。すると、僕の腕が強い光に包まれ、肩から先が消えた。

　全ての思考が消えるほどの激痛。言葉には言い表せないが、消えたはずの腕の骨全てがすり潰されたような痛みが走った。

「な、何を」

「案ずることは無いぞ。竜種としての力を奪ったのみ。地上に降り立つ頃には、人間として復元しているだろうからな」

　レクティラは笑った。

「さようなら、竜としての皆さん。元（・）赤の竜、ユスティレイ。元（・）緑の竜、スーミア。元（・）白の竜、レウェルシュ。精々壊れかけの器の修復頑張ってくれ」

　レクティラがそう言って、左手を天に掲げると極光が世界を焼いた。

「レウェルシュさんって名前凄く呼びにくいね」

　僕は気づくと、どこか知らないところにいた。僕の体のはずなのに、自由に動くことはなく、言葉も発せられない。まるで誰かに乗り移ったような。

　夢から覚めたような。まだ夢の中のような感覚にクオトラはただただ、映る視界に意識を凝らす。

「じゃあなんて名前だったら呼びやすいかな」

　落ち着いた声。優しく、人あたりの良さが伺える声が自身から発せられていた。

「うーん。レウェさん？　ウェルシュさん？　ルーシュさん？　うん、ルーシュさんがいいと思う！　」

　真っ黒の髪。真っ黒の瞳を爛々と輝かせる少女。少女はくるくるとその場で踊りながら、気に入った呼び名のルーシュを連呼していた。

「そうかい。君が気に入ってくれたなら、今日から俺はルーシュでいいよ。ルーシュさんって呼んでくれたまえ」

　ルーシュが微笑みそう答えると、少女はまるで兎のように嬉しそうに飛び回った。

「ルーシュさん、今日はどんなお話をしてくれるの？　」

「今日は、世界の神様が生誕した時の話をしようと思っているんだ」

「えー、それって難しい？　」

　少女は少し顔を曇らせた。

「ううん。リィちゃんなら、ちゃんと聞けば分かるはずだよ。大人たちが伝説って言ってる話だから、ちゃんと知ってると皆に自慢できるかもよ？　」

「ほんとー！　じゃあ頑張って聞く！　」

「じゃあ、広場で待ってるね！　」

　ルーシュはそう言うと、リィと呼ばれた少女に手を振りゆっくりと歩き出した。舗装された道路。木造だが比較的新しい建物。

　僕のいたアルフィグの街とは違う。もう少し田舎のような雰囲気が濃い。しかし、街を流れる空気が透き通るようで、柔らかいようで、どこか心地よく感じられる。広さはきっと僕の街の一部くらいしかないだろう。けれども至る所にある露店や行き交う人々の数から、活気を感じられる。

　ルーシュはそんな街をゆっくりと歩いていた。目的地までは直ぐに辿り着いたようで、広場の中央に置かれた四角形の石に腰を掛けた。ふぅと、一息つくと懐から一冊の書物を取り出した。目の前には数人の子供たちが、何かを待つように座り込んでいる。

　その子たちの年齢は、見た目からクオトラとさほど変わらないだろう。

　ルーシュが取り出した本の表紙には、何やら文字が書いてあるものの上手く読み取れない。どうやら僕が知っている言語ではないようだった。

　パラパラと、古びた頁を捲る。変色し、劣化した質感から、相当な古物であることが伺える。

「そろそろ集まったかな」

　気がつくと、狭い広場が埋まるほどに人が集まっていた。

「今日は神様がどんなものか、お話しようと思う。皆は、四つの大地の伝説、龍神様の伝説、崩壊の予言、赤の大地の伝説は聞いたことがあるよね？　」

「うん、知ってるー！　」

「「「～～～～～～～」」」

　ルーシュが問いかけると、沢山の声が帰ってくる。その声にルーシュは満足そうに書物の一頁目を捲る。

「遥か昔、白銀の翼と漆黒の翼をもつ龍がいた。彼はまだ枯れた大地に種を撒き、大地に命が生まれた。我々はその竜を始源の神龍と呼んだ。彼は何のために産まれ、何のために存在していることを知る術が無かった。何故なら彼より先に産まれたものは無く、彼を生み出した者が何者か分からなかったからだ。彼は考えた、自身の分身を作ることで彼らが自身の生まれた意味を見出すのではないかと。

それ故に彼は、自身に限りなく近い生命体を創造した。それらは他の生命体を凌駕する、彼を除けば最も完璧に近い生命体だった。我々が神龍と呼ぶのはそれらのことだ」

「遥か昔」

　ルーシュが話を始めると、クオトラの意識の中に景色が浮かんでくる。

　片翼が白銀、もう片翼は漆黒の龍。体は白い体毛と鱗に覆われ、所々が青白く光っている。彼は枯れ果てた大地にたった一匹で、ゆっくりと大地を踏みしめる。彼の体からは光の雫のようなものが落ち、それを受けた大地は草花が芽吹き、生命が生まれていた。

「私はなんのために存在しているのか。」

　その龍は自分がなぜ存在しているのか、何故始源として生まれたのかを探しているようだった。彼が翼を広げ、自分の胸部を恐るべき鋭さの爪で掻き切る。そうして溢れ出る自分の血を空中にかき集めると、小さな欠片四つ完成し、欠片は小さな竜と化していた。

「貴様らがこの大地を支配しろ」

　神竜はそう告げると、空高く昇り姿を消していた。

　声が出ない。クオトラは無い体で必死に腕を伸ばしている自分に気づく。夢の中の夢。それが覚めたと知覚した時、視界のスクリーンには無数人々が映っていた。どうやら話は終わったようだ。

　ルーシュの視界に映る幼子たちは、ルーシュの話を理解しきれていないようで、目を擦る者、そっぽを向くものもいた。それでもルーシュはその様子を確認するだけで、目線を書物に戻す。

「神龍は完璧であった。しかし、完璧であるためにはその力、権能を本体に宿すことが出来なかった。何故なら、それは生き物の枠組みを超えた力である故に、生き物そのものに権能を与えてしまえば、その生き物自体が権能と化してしまうからだ」

「何言ってるのか分からな～い」

　一人の子供が駄々をこねる。ルーシュは小さく息を吐くと、目線をその子へと移した。

「そうだね。例えばそこに転がっている石の一部がダイヤモンドだったら皆はなんて呼ぶ？　」

「ダイヤモンド！　」

「そう。でもダイヤモンドが見つからなければただの石ころだよね。結局、価値が低いものは価値があるものに存在を飲まれてしまう。きっと生き物も同じで、本体が権能に飲まれてしまうんだ。

だから、始源の神龍は、生き物の内部に力の貯蔵庫を作ることで権能と生き物を同時に存在できるようにしたんだ。秘炎器官、僕達がそう呼んでいる神にのみ存在するものがそれさ」

「今日の話難しくて分からないよ……」

　いじけたようにそう呟いたのは、リィだった。ルーシュの酷く悲しそうな感情が流れ込んでくる。

「ごめんね。僕は話すのが下手みたいだね。伝説の話はここで辞めよう。また続きは別の日に」

　ルーシュは書物を閉じると、懐へとしまい込んだ。大人たちは大きな溜息を吐きながら、広場を後にする。ルーシュは子供たちにもみくしゃにされ、身動きが取れなくなっていた。

「幸せそうだ」

　誰にも聞こえることは無い声。涙は流れないが、自分の瞳が濡れているような感覚があった。

「さて、皆もそろそろ帰る時間だ」

　気がつけば、日が落ちかけていた。橙色に染まる景色に、なんとも言えない感情が生まれる。

　ゆっくりと歩く。子供たちは散り散りに消え、騒がしかった街も段々と姿を変えていく。その様子にはどこか寂しい気持ちを芽生えさせる。

　ルーシュは小さな古民家へと入ってゆく。初めて見る彼の部屋は、とても質素であるものはベットと小さな箪笥だけ。

　ふぅと息を吐く感覚。体の力が抜けていく。

「あれ」

　疲れで、力が抜けただけかと思った。しかしそうでは無かった。ぐわんと、視界が急回転する。意識が暗闇へと反転し、目の前が真っ黒に染っていた。